第三章 地球へ


4 迎撃部隊を迎撃せよ(後編)



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時四四分 地球軌道上 連邦軍第九艦隊第九三戦隊 マゼラン級戦艦『ロドネー』 第二艦橋

 何があったのか、分からなかった。
 いや、モニターを通して映し出されたザクの減速機動と照準運動を視神経が捉え、その情報を評価した脳が、最も高い可能性について出力しようとしたのだが、出力する前に飛び込んできたあまりに強烈な情報が、一時的に脳の機能を麻痺させているのだ。
 ルロイの身体はシートからもぎ取られそうになった。ノーマルス−ツの足の裏と背中に設けられている電磁石が、必死になって彼女の身体を固定しようとする。
 各種の映像を映し出していたディスプレイが一斉に光を失い、室内を淡く照らしていた照明が赤色の非常モードに変わる。警報が鳴り響いた。
 してみると、視覚・聴覚とヘルメットのスピーカー、それに警報を出す程度の艦の機能は生きているわけね。彼女はぼんやりと思った。
 身体そのものはかろうじてシートに張り付いていたものの、その分激しく揺さぶられた首が痛い。ヘルメットがかなりの振動を吸収してくれたはずなのだが、気休め以上の効果があったのか、どうも疑わしく思える。実際にはヘルメットが頭部を固定していなければ頚骨を骨折しかねないほどの衝撃を受けていたし、ノーマルスーツを着てシートに身体を固定していなければ艦橋内をビリヤードのボールのように跳ね回っていたはずなのだが、そこまで思い至るほどの余裕は今の彼女にはなかった。
 第二艦橋内の様子は、惨状と表してもよかった。数瞬前まで各種の機材や人員が働きまわっていたのだが、そのほとんどが残骸と化している。
 マゼラン級戦艦の第二艦橋は、操艦機能よりも指揮・通信機能に重点を置いて強化しており、おもに旗艦として使われる場合を想定していた。場所は第一艦橋の下、昔の戦艦なら夜戦艦橋とか司令塔などと呼ばれるべき場所にある。ちなみに第三艦橋、サラミス級巡洋艦なら第二艦橋と呼ばれる場所は、さらにその下側──ほとんど艦体内部に埋め込まれており、戦闘時は副長が詰めてダメージコントロールにあたっている。万一、第一艦橋にいる艦長が能力を失ったときには、彼が指揮を引き継ぐことになっており、そのための設備が施されている。
 ミノフスキー粒子が立ちこめ、有視界戦闘を余儀なくされる戦場において、視界がよく、戦場の情景を見通しやすい順序は艦橋の番号通りである。無論、被害を受けて機能を停止しやすい順序もまた同様である。
 今回もその例に漏れず、第一艦橋に被弾したことが分かった。
 別に『ロドネー』の状況図を見たからではない。なんらかの被害を受けると、すぐさまそこに表示されることになっていたのだが、いまは金属と樹脂からなる正体不明のオブジェになり果てている。
 もっと直接的な理由だ。彼女が呆然と眺めているそばから、第二艦橋の天井は、減圧された空気を吸い出しながら紙のようにめくれ上がっていき、そして無音で『ロドネー』に別れを告げた。
 代わりに星の光が彼女の目に飛び込む。薄暗い艦橋に慣れた目には、いささかまぶしすぎるほどだ。光量の増大を検知し、自動的にヘルメットのバイザーが下りる。
 信じられないことに、吹き飛ばされた第一艦橋は第二艦橋の天井を道連れにしてしまったらしい。あるいは、『ロドネー』全体のかわりに天井だけで我慢したといってもいいのかも知れない。重力の支配する地球の海上なら、崩れた艦橋は艦体に落下するが、無重力の宇宙空間では勝手が違ったようだ。
 視神経に飛び込んできた光景がもたらしたショックから覚めやらぬ間にも、戦場の時計は進みつつあった。『ロドネー』と刺し違えるように被弾したザクが、炎を吹き上げてコマのように回転し、火球に変わったのだ。
大気内と比べるとほとんどエネルギーの減衰しない宇宙空間で、MSの爆発を受けた場合、露天艦橋と化した第二艦橋にいた人間は、熱と衝撃波と破片の直撃を受けて、何があったのかも分からないうちに全滅してもおかしくなかった。
 にもかかわらず、ルロイが生き残ったのは──彼女の運が強かったということを除けば──大きく三つの理由がある。
 一つはザクの爆発は完全なものでなく、腰部の動力パイプからコクピットにかけて爆発が広がった時点で安全装置が働き、ジェネレータやメインスラスターといった致命的な部分が爆発しなかったこと。
 同時に、部分的な爆発にとどまった爆発も、機体の回転のためにほとんどのエネルギーを『ロドネー』とは逆の方向へと吹き出したこと。
 最後に、第二艦橋に飛び込み、ルロイを直撃するはずの爆風や破片のほとんどが、いつの間にかシートから離れて彼女に覆い被さった参謀長の身体によって受け止められたことが挙げられる。
「アリク!」
 ルロイは悲鳴のような声で、かつて夫であった男の名前を口にした。
 肺をやられたのだろう。口から血の泡を吹き出しながらも、オコンネルは彼女のヘルメットの口元にあるマイクのセレクターを艦橋系から個人系に切り替えると、口を開いた。
「──落ち着け、リズ。指揮を執るんだ」
 かろうじて言葉を振り絞ると、再び彼女のセレクターに手をやった。今度は艦内系に切り替える。
 同時に身体を痙攣させながら咳き込むと、脱力したように『ロドネー』の加速度に身をゆだね、彼女の身体に覆い被さる。
 彼女が何らかの反応を見せる前に、ヘルメットのスピーカーから飛び込んできた声が、彼女の聴覚に届いた。第三艦橋に詰めていた副長が呼びかける声だった。
 彼女はのろのろとオコンネルの身体を引き剥がして、彼が事切れたことを確認した。第二艦橋は既に真空と化していたので、見開いたままの目を閉じてやることも出来なかった。
 副長の呼びかける声が耳朶を打つ。彼女は一度目を閉じ、ゆっくりと深呼吸すると、加速に流されそうになるオコンネルの身体を抱いたまま返事をした。
「こちら第二艦橋、ルロイ。第一、第二艦橋は機能停止。司令部機能を第三艦橋に移す。あなたが操艦指揮を継承しなさい。衛生兵をこちらに。私はそちらに降りる」
「了解しました。司令、お怪我は?」
 副長にそう言われて、ルロイは改めて自分の身体を見た。傷一つない。
 続けて周囲を見回した。艦橋にいた全員ともシートに身体を固定していたはずなのだが、少なからぬ数のシートは無人だった。衝撃でシートから引き剥がされ、減圧されていたとはいえ、一気に空気の抜けた艦橋から虚空に吸い出されてしまったのだ。何人かがシートに座っていたが、オコンネルのように全身に破片を浴びたらしく、力なくGに身をゆだねている。
「私は無傷だ。生存は私一人、戦死は参謀長ほか数名。他は行方不明」
 自分でも奇妙なほど平坦な声で、彼女は告げた。副長の息を飲むのが、わずかに聞こえてくる。
 ルロイは通話を終えるとシートのスイッチに手を伸ばして電磁石を止め、オコンネルを両腕で抱え直して身体を起こした。加速とはいってもそれほど強いものではないので、彼の身体もさほど重くはない、理屈ではそうだった。
 背後の扉が開き、衛生兵がやってきた。
 彼女はオコンネルの身体を衛生兵に預けると、重荷に耐えるような足取りで第三艦橋へと向かった。
 彼女の義務はまだ終わっていないのだ。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時四五分 地球軌道上

 時間だ。パクは低い声で告げた。
「こちらレッド・リーダー。時間だ。準備はいいな」
 各機から応答が返ってくる。軍の原則からいえば二六五航宙隊の指揮官であり、彼より先任のスー少佐が指揮を執るべきなのだが、もともと二八七航宙隊のアンツネスが指揮をとるはずだったので、彼が『ゴーリキー』に残った後も副官のパクが指揮を引き継いでいる。
「OK、スー少佐、そちらは任せます」パクは、もう一人の指揮官に別れを告げた。
 名目だけは二個航宙隊を擁していることになっているが、実態はといえばダイアモンド二つに過ぎない。正面から統制攻撃をかけるより、個々の幸運を重視すべきだと彼らは考えていた。言い換えれば、片方が迎撃を受けて潰されても、もう一方が生き残ればいいということだ。
 知っておくべき情報はすでに渡してある。あとはただ勇敢なれ、だ。
「了解。お互いに幸運を」
 八機のセイバーフィッシュは、規定の計画に従い、猛烈な勢いで加速を始めた。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時四五分 地球軌道上 チベ級重巡洋艦『コルフ』 格納庫

 警報が鳴り響いた。第一六MS大隊の大隊長であるハウザーは、それをザクのコクピットの中で聞いた。
「連邦軍の航宙機部隊と推定されるアンノウン発見。加速方向から目的は降下部隊に対する攻撃と推定される。降下部隊との接触は二十二分後。MS部隊はただちに迎撃せよ」
 ハウザーは、降下艦隊司令部の持つ最後の予備中隊については直率することにしていた。一六大隊の第三中隊である。ルウム戦役後の補充が一番遅れており、現時点での戦力は二個小隊、それも一個小隊は一機不足の二機編成であり、ハウザー自身を含めて五機のザクしか保有していなかった。ハウザーはこの中隊を司令部「小隊」として扱うことにしていた。
 少し前までは、第三中隊も二機編成とはいえあと二つの小隊を持ち、一応定数の四個小隊を揃えていた。
 ところが、降下部隊の直衛に回した第一・第二中隊で、索敵中に故障を起こした機体が続出した。MSという兵器が、外見とは裏腹に精密で繊細な機械の集合体であることを考えると、なんら不思議はない。ともあれこの結果、発見した敵部隊を攻撃する戦力に危険なほど不足していたため、第三中隊から一個小隊ずつ増援に送り出さなければならなかったのだ。
 MS大隊は定数として五一機のザクを保有することになっているが、いまや一割にまで減少したわけである。もちろん、戦闘で失われたわけではないので同列に考えることは出来ないが、それにしても戦力の消耗が激しすぎるように思われた。
 理由はわかっている。逆説的になるが、MSが汎用性に富み、あらゆる局面に投入できるからだ。運用頻度が高いMSは、よほど注意しないことには、あっという間に予備を使い尽くしてしまう。ミノフスキー粒子によって通信能力が低下したため、運用効率も悪い。一度投入した戦力は、すぐに戻ってこられるわけではないのだ。かといって数を揃えられるわけでは、もちろんない。
 一介の大隊長が考えることではないが、ハウザーはMSの消耗を見越した運用体制を早急に整備するべきだと思っていた。公国軍にしても、MSの運用ノウハウを確立できたわけではないのだ。
「少佐、準備完了」中隊長のアンドフ中尉が報告してきた。彼が率いるのは一個小隊でしかない。事実上の小隊長ということになる。おそらく内心では面白くないのだろうが、外見に表すことはなかった。ハウザーにしても、そこまで構っていられなかった。一六大隊の三人の中隊長のうち、彼が一番若く、中隊長としては最後任なのだ。誰にとっても、それで充分である。
「了解」短く応える。
「敵は二個の四機編隊に分かれました」ブリッジから報告が入る。戦術情報ディスプレイも、それにあわせて表示を更新する。
 ある程度予測されたことではあった。デブリに偽装するにせよ、あまり数が多いと露見するのも早くなる。また、三隻編成と判明した連邦軍の戦力から、最大でも十二機と判断されていた。
 ルウム戦役の時に連邦軍が展開したセイバーフィッシュの数から、稼働率に問題があることは分かっていた。そうすれば、八機から十機という数を予想することが出来る。
 もっとも今回の作戦において、作戦直前に補給・整備を受けられたことから、公国軍の予測とは異なり、稼働率云々については百パーセントの数字を挙げることに成功していたのだが、投入数が八機のみだったので、結果として公国軍の予想と一致することになった。
 各個撃破出来ればいいが、まず無理だろう。加速能力の面ではザクはセイバーフィッシュに一歩ゆずる。
 いずれにせよ連邦軍の狙いは降下作戦の混乱を引き起こすことであって、降下船の撃破ではない。こちらとしても全てのセイバーフィッシュを捕捉することなど不可能なのだから、せめて編隊を崩せばいい。
 公国軍の降下艦隊を迎撃する連邦軍の攻撃隊を迎撃する。連邦軍の攻撃隊は降下艦隊の混乱を狙っており、公国軍の迎撃部隊も連邦軍の混乱を狙っている。
 ハウザーは薄く笑った。彼が学生の頃、外国語の試験でそういう文章を翻訳させられたことを思い出したのだ。
「アンドフ中尉、君に片方を任せる。敵の編隊を突き崩せ」
「了解」
「よろしい。では発艦に取り掛かろうか」
 MSが開発される前に就役したチベ級巡洋艦は、MSの運用面で色々と問題があった。放っておいても面倒な発着艦を、一刻を争う迎撃任務の中で行うというのは、それだけでも一仕事だったのだ。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時四六分 地球軌道上 連邦軍第九艦隊第九三戦隊 周辺

 オスカー・ロート伍長は、自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
 熟睡しているところを揺さぶられたように、うめき声をあげて現実を拒否しようとする。
「ロート! 返事をしろ!」友人のロッテンマイヤーの声だ。せっかく人が寝ているところを邪魔するあたり――
 突然意識が現実に戻った。機体のさまざまな駆動音が耳に飛び込んでくる。
「うぅ――」混乱していた意識が急速に現実を甦らせる。彼は自分が置かれた状況を思い出した。
「少尉は?」
「目を覚ましたか、ロボフ少尉はやられた。おまえはパニックを起こして急加速をやったんだ」ロッテンマイヤーとコンビを組んでいたユン曹長が告げた。
 相応の準備をせずに最大出力でスラスターを吹かすと、加速によってMSだけでなくパイロットもダメージを受ける。最悪の場合、それだけで死亡することすらある。そこまでいかなくてもロートのように失神し、無防備のまま慣性にしたがって飛んでいくことは少なくない。状況にもよるが、そのために帰艦するための推進力を使い切ってしまうこともある。
 ロボフのザクが撃破され、ロートの機体が急加速の末に慣性に従って離脱するのに気付いたユンは、『ロドネー』に対する接敵機動を中断し、ロッテンマイヤーを救助に向かわせた。ユンのザクもバズーカ弾を再装填する必要があったし、戦闘能力を大幅に低下させた『ロドネー』よりも二隻のサラミスのほうが大事だったのだ。
「曹長、俺は――」ロートが言葉を発するのを遮って、ユンは言った。
「伍長、お前は俺の小隊に編入する。二番機を務めろ。ロッテンマイヤーは三番機だ。手前側のサラミスを攻撃する。いくぞ」
 ユンは戦場で必要以上の思考をめぐらせることの無意味さを知っていた。今のロートが陥りかねない深みにも気付いていた。それを回避するためには、とにかく目先の戦闘に専念させるべきだった。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時五二分 地球軌道上

「ブルーリーダー、二時方向にザク二機を視認」
「了解」
 パクはディスプレイに映るザクの推進炎を探した。
 加速は既に終わっているので、首を動かすのに力はいらない。もっとも、首を動かす必要もなかった。正面から少し外れた方向に、推進炎がかすかに青白い光を放っているのを、先に見つけたコンピュータが円で囲んで強調してくれた。フィルターがかかっているので眩しいほどではない。現状で一番眩しいものは、眼下に広がる青い球面だろう。そろそろ航法に重力が影響してくるほど、地球との距離は詰まりつつあった。
 パクはめまぐるしく思考をめぐらした。
 四対二。戦って勝てる相手ではない。ルウムにまで遡らなくても、わずか数時間前の経験がそう告げている。
 それに、彼らの目的はザクを撃破することではなかった。ここは勢いに任せて一気に逃げ切るべきだろう。幸いに相対速度が大きいので、長時間の攻撃を受ける心配はない。敵の命中率も高くはないはずだ。
「このままの針路を維持する。攻撃を受けても手を出すな」
 本当はさらに加速を行いたいところだが、残り少ない推進剤は、攻撃時と味方との合流時に必要になる。無駄には使えなかった。
 それでも、さすがに慣性のまま飛びつづけるわけにもいかなかった。適当に回避運動を行う必要がある。これで消費する推進剤も馬鹿にならないが、自殺するつもりもなかった。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時五二分 地球軌道上

 速いな。ハウザーはディスプレイに表示された相対速度を見て、唸り声を漏らしそうになった。
 完全に一撃離脱の構えだ。
 宇宙空間は大気中とは異なり、継続して加速を続ける必要はない。より短い時間で、可能な限り大きい加速度を発揮した方が効率よく移動できる。一度加速を行えば、あとは慣性に任せるだけでいい。
 もっともレーダーによる遠距離探知が不可能な現在、スタートからゴールまでを完全に管制した航行は不可能なので、ある程度の余裕を持つことが普通になっている。敵の攻撃だけではなく、デブリとの衝突を避けるためという要素が強い。
 運動エネルギーが低ければどうということはないが、デブリの質量や相対速度が大きければ、大きな宇宙船であっても瞬時に爆散する可能性すらある。開戦以来、飛躍的にデブリの量が増えた現在はなおのことだ。強力な排障レーザーや射撃管制センサーシステムを備えていないセイバーフィッシュやMSには、常にセンサーの有効範囲内で回避できる程度の余裕を残しておく必要があった。
 常識的には、セイバーフィッシュの速度は、きわめて危険なものである。自殺行為といってもよい。
 だが、あのセイバーフィッシュを率いる指揮官は、デブリとの衝突よりもザクの迎撃の方を脅威と判断していたらしかった。軍人とはリスクコントロールの専門家でもある。より高い危険を回避するためであれば、危険を甘受することを当然視できるように訓練される。
 おかげで迎撃できるタイミングは、非常に限定されたものとなってしまった。
「グリフト、ヘッドオンになる。ぬかるなよ」
「了解」開戦以前からの部下は、普段と変わらない落ち着いた声で応じた。彼もまた、ハウザーと同じ認識から、同じ判断を下したのだろう。笑いを含んだ声で続ける。
「少佐こそ、ぶつけないで下さいよ。今度は冗談じゃ済みませんからね」
 開戦前、ハウザーは訓練中に強引な機動を行うことで有名だった。衝突こそないものの、接触事故を起こしたことは何度もある。
 グリフト軍曹が、当時中隊長だった彼のもとに付けられたのは、開戦の二ヶ月ほど前のことである。
 まだ二十一歳と、年齢だけならハウザーより六歳も下だが、作業船の船長を父に持つグリフトの宇宙空間での経験は、大学から士官学校に編入した経歴を持つハウザーよりも遥かに長い。彼は、まだMSという存在が登場する前から、父親に従って作業用ポッドを操っていたのだ。
 MSについても同様だった。必然的に軍の仕事を扱うことが多くなった彼は、作業用ポッドを扱う腕を見込まれ、公国軍が新世代の兵器を大幅に導入するに際して、MSのパイロットとしてスカウトされたのである。宇宙空間を居住の場とする公国では、彼のような経歴を持つパイロットはさほど珍しくない。階級が軍曹なのは、年齢よりも軍人としての教育をほとんど受けてこなかったことに原因がある。つまるところ、生粋のMS乗りだった。
 一方、軍に入るまでのハウザーの経歴は、グリフト以上に平凡なものだった。サラリーマンの父と小学校教諭の母を持った彼は、頭の回転と教育費には不自由しなかったので、大過なくムンゾ大学にまで経歴をすすめることができた。このまま戦争がなければ、専攻していた社会学の専門家として官僚なり学者なりになっていたかもしれない。
 彼の経歴を変えたのは、きな臭くなる一方の社会情勢とちょっとした冒険心だった。友人の勧めに応じて、単位互換制度を持っていた士官学校に二年ほど留学してみる気になったのだ。公国の学制では珍しくないことだった。連邦軍が採用していた予備士官制度に近いものだろう。
 そして開戦への道をひた走っていた公国軍は、彼の才能を見出し、手放さなかった。明らかに彼にはパイロットとしての適性があったのだ。
 当時、海のものとも山のものともつかないMSのパイロットになりたがる者は決して多くはなかった。宇宙作業者として経験を積んでいた者をかき集めてはいたのだが、グリフトのように兵士としての適性を備えた者はさほど多くはなかったし、公国の産業を支える特殊技能を持った労働者をむやみやたらに引っ張ってくるわけにもいかなかったのだ。普通の人間をパイロットや兵士としての鋳型に流し込むのが軍隊の訓練なのだが、当時の公国軍に充分な時間的余裕などなかった。
 まして、士官として兵隊を指揮する素養を持ち教育を受けたパイロットなど、ほとんど存在しなかったのだ。後に柔軟すぎるとまで称されるに至った公国軍の人事制度は、人手不足という身も蓋もない状況を背景としていたのである。
 その中でハウザーのような、高い知性とパイロットとしての適性を持ち、軍に対してそれなりの関心を示してくれる若者にはきわめて高い価値があった。
 彼は将来の公国軍を支えるであろう人材として、丹念な教育を受けた。そして、彼自身それまで気付きもしなかった才能は、その中で花開くことになった。
 彼は二十七歳で大尉に昇進した。平時の人事制度の中ではきわめて珍しい速度といえるだろう。慢性的に人材不足であった公国軍の階級が連邦軍のそれよりも実質的に一つ高いのが普通だったことを考えると、彼の階級は連邦軍でいえば少佐に相当する。連邦軍ではエリートであっても少佐に昇進するのは三十を越えてからになるのが普通だった。将校としてもパイロットしても、彼にはそれだけの才能があったのだ。
 ただし、二十そこそことはいえベテランのMS乗りであるグリフトに言わせると、彼の操縦技量は平均よりは優れているが、判断が強引過ぎる上に一瞬遅れることがあるらしい。ハウザーの補佐として中隊に配属されたばかりの彼は、それが接触事故の原因だと指摘した。
 そう言われても他の者には判断できない程度の遅れである。ハウザー自身にもよく分からなかったが、グリフトがフライトシミュレーションを使って、彼が接触事故を起こした局面を鮮やかに回避してみせたことで納得した。彼には自己の非を認めないという悪癖とは縁がなかった。
 そうはいっても彼の操縦が劇的に変わるということはなかった。変わる前に戦争が始まったのだ。それでもハウザーは、グリフトの操縦能力を深く信頼していた。あるいはハウザーの操縦云々よりも、そちらの方が彼にとっては重要な収穫だったのかもしれない。少なくとも彼はグリフトの忠告に逆らうことはなかったし、そうすることで開戦以来の戦闘を生き抜いてきたのである。
 ハウザーはそのことをよく理解していた。彼の一六大隊は、ルウム戦役まで中隊長を務めていた第一六三MS中隊を基幹として編成されている。彼はその際に、グリフトを手元に置くことを忘れなかった。
 そして今、ルウム以来の組み合わせで連邦軍を迎え撃っている。少なくとも、背中に不安はなかった。
 もっとも、今回は背中ではなく、真正面から突きを交わすことになるのだが。
 ディスプレイに浮かんだ円の中に、ぼやけた光を放つ星が浮かび上がった。大気中ではなく、真空の宇宙空間で光が散乱することはない。人為的な光だ。セイバーフィッシュとの交差まで、十秒を切っていた。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時五三分 地球軌道上

 二機のザクはすさまじい速度で迫ってくるセイバーフィッシュに銃口を向けた。この速度では銃弾が届くまでの偏差を修正するだけでも不可能事に近いが、ほぼ正対する位置を占めているので最小限の修正で済む。それでも、攻撃のタイミングは一瞬しか取れない。
「撃て!」ハウザーがグリフトに命じるのと、四機のセイバーフィッシュが横転するのとはほぼ同時だった。
 左右の翼端に設けられた姿勢制御スラスターを反対方向に吹かすことで行うスナップロール(キリモミ)ではなく、左翼上方向のスラスターだけを吹かし、回転の軸をずらすことで動きを大きくするバレルロールである。
 ぎりぎりの距離で機体の位置をずらし、被弾率を下げることが狙いだ。それほど珍しい回避手段ではないが、これだけの速度で、しかも編隊を組んで行うことではない。
 マシンガンの弾は虚空へと流れていった。射撃管制コンピュータが照準を補正するが、機体の動きはそれを上回っていた。また、補正するだけの時間もなかった。
 一瞬の後に、ザクとセイバーフィッシュとは交差していた。
 四機のセイバーフィッシュがパクの考えた操縦を完璧に行っていれば、あるいは無傷のままザクの防衛線を突破できていたかもしれない。しかし、強烈な横Gの重圧を受けて一二〇ミリ砲弾の弾幕の中を突破するのは、まともな人間にとっては荷が重過ぎる苦行である。
 パクはそれをやりぬいた。他の人間同様、彼の思考能力は麻痺寸前にまで低下していたが、訓練によって必要な操作を叩き込まれた肉体は、ほとんど思考を必要としなかったのだ。
 だが、経験の少ないパイロットには、パクと同じ操作は出来なかった。四機の編隊のうち、二機には経験の浅いパイロットが乗っていた。そして、二人ともに操作が遅れた。パクの操縦についていけなかったのだ。一瞬の差で弾幕に包み込まれた。
 能力の不足がどういう結果に繋がるかは、個人の運によって決まっている。操縦に遅れたムーア少尉が生き残ったのも、ザクの攻撃を回避したはずのミルトン中尉が戦死したのもそのためだ。
 帰還後、パクやムーアが持ち帰った情報を分析した結果、ミルトンのセイバーフィッシュはよりによってザクの腕に衝突してしまったと分かった。双方の相対速度は、脱出の余裕すら与えずに機体を破壊したのである。
 結局、生き残ったセイバーフィッシュは二機にとどまった。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時五四分 地球軌道上

「グリフト、大丈夫か?」
「ええ、どうということはありません――と言いたいですが、バックパックに破片を喰らったみたいです。推進剤が漏れています」
 ロールしてきたセイバーフィッシュが、グリフトのザクに衝突したのだ。相対速度が大きすぎるため、双方ともに回避のしようがなかった。ザクの右腕にセイバーフィッシュの翼端が引っかかったのである。
 ザクの四肢はあえて壊れやすいように造ってある。被害を機体の中枢部に及ぼさないようにするためだ。
 セイバーフィッシュはザクほど打たれ強い造りになっていない。大気中ではないので翼がもげたところで致命的なダメージになる可能性は少ないが、絶対的なものでもない。要するに運がなかったのだろう。
「にしても、俺ってそんなにぶつけられやすいんですかねぇ」グリフトがぼやいた。彼はルウム戦役の際にもボールの体当たりを喰らっている。
「なかなか出来る経験じゃないな」ハウザーは笑って言った。生き残ったセイバーフィッシュは、すでに射程の遥かかなたへ消えている。それでも降下部隊を攻撃するのは難しいはずだ。攻撃を仕掛けるためにはこの先減速をしなければならないし、攻撃後に回収されるためにも推進剤は残しておかなければならない。頭数が半減したことも含めて、攻撃の機会はかなり減ったと考えていいだろう。
 あとはアンドフ中尉の部隊がそれなりの戦果を挙げていれば、彼らの迎撃は成功したと考えてもいいはずだ。
「さて、戻るぞ」ハウザーはグリフトを促した。おそらく、この戦いでの出番はこれで終わりになるだろうと考えながら。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時五四分 地球軌道上 連邦軍第九艦隊第九三戦隊 マゼラン級戦艦『ロドネー』 第三艦橋

 ルロイはスクリーンに映し出された作戦情報に見入っていた。既にミノフスキー粒子が高濃度でたちこめており、詳細な情報は望めない。それでも判断の材料はいくらでも手に入る。
 セイバーフィッシュ隊が予定通り加速を開始したことは、赤外線レベルが急激に上昇したことから分かった。予定通りなら、もう少しすると降下部隊に切り込むことになる。
 しかし十数秒前、セイバーフィッシュ隊の方向から放射されるニュートリノのレベルが、瞬時に跳ね上がっていた。これは機体の融合炉が暴走したことを意味する。
 つまり、公国側の迎撃が行われ、少なくとも一機が爆発したということである。その逆はありえまい。
 もっとも――ルロイは冷めた視線をスクリーンに向けた。ジオンの予備も、これで品切れのはず。
 希望的観測ではなかった。被弾した『ロドネー』がいまだに生き長らえていることからも、公国軍のMS部隊は九三戦隊を押し切れるだけの物量を備えていなかったようだった。
 第一・第二艦橋の損失に伴って一時的に対空能力が低下したところを狙われた場合、おそらく『ロドネー』は沈んでいたはずだが、公国軍は矛先を変えることにしたようだった。
 順当な判断だった。この先『ロドネー』が降下部隊に攻撃を仕掛ける可能性はきわめて低かった。それならばまだ戦闘能力を有している僚艦を狙うべきである。
 とはいえ、手負いの『ロドネー』はよだれの出てきそうな獲物には違いあるまい。もう一機ザクがいれば、『ロドネー』は引導を渡されていたはずだ。  しかし、『ロドネー』の艦橋と刺し違えた一機を除く三機のザクには、それだけの余裕はなかったようだった。通常の編成同様、三機で一個の小隊を作り、サラミスを狙っている。
 それまで二機編隊で攻撃を仕掛けていたのだから、余った一機を『ロドネー』に回していてもおかしくはない。
 そうしないのは、その一機の練度が低いからだろう。ルロイはそう判断していた。先ほどの攻撃も、この一機は後方で援護役に徹していた。普通二機編成の場合、交互に攻撃するものなので、攻撃のそぶりも見せないのはそれなりの理由があるからと推測できる。他にも何か理由があるのかもしれないが、差し当たってはそれだけで充分だった。
「司令、一番と二番の融合炉は諦めなければなりません」ダメージコントロールを指揮していた副長が、ルロイに報告した。
「爆発したザクの破片が、燃料の供給システムにダメージを与えています。予備のラインから燃料を送り込むことは出来ますが、安定しません。最悪、ライン側で爆発する可能性があります」
「了解」ルロイは短く応えた。残念ではあるが、予想もしていた。
 この時代に一般的に使われている融合炉は、ヘリウム3を主な燃料としている。ヘリウム3は化石燃料とは比べ物にならないほど安定した物質なので、火の中に投げ込んだところで爆発することはない。しかし、ごく低い温度で気化し、爆発的に体積を増やす。有人宇宙船である『ロドネー』には、ヘリウム3を垂れ流しにするには危険なほど高温の部分が多かった。艦内でヘリウム3が漏れ出せば、瞬時に気化し、艦体をばらばらにしかねない。燃料の供給系の安全性が確認できない限り、その供給系を用いる融合炉は使えない。
 一番と二番の融合炉は、『ロドネー』の上部――艦橋側にあった。爆風とともにやってきた破片が装甲を切り裂き、供給系を傷つけたのだろう。それよりはるかに近い距離にいたルロイほどには運がよくなかったようだ。予備の供給系は同じ場所にはないが、全く違う場所にあるわけでもない。ダメージを受けていても不思議はなかった。
 ザクの攻撃を生き延びられるかどうかは別として、九三戦隊が降下部隊に攻撃できる可能性はほぼ絶たれたと考えていいだろう。あとは、彼女が放った二本の矢――セイバーフィッシュ隊と九四戦隊に任せるだけだった。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時五五分 地球軌道上 チベ級重巡洋艦『コルフ』 第一艦橋

「なんだって!」報告を受けたシャピロが、思わず声を漏らした。
「欺瞞の可能性は?」オカムラが尋ねた。シャピロはディスプレイに映し出された情報を読み取り、頭の中で検討し、答えた。
「きわめて低いと思われます。赤外線、ニュートリノ、ミノフスキー分布のどれもが同じ可能性を示しています」
 艦橋内に沈黙が立ち込めた。つい今しがた確認されたばかりの連邦軍別働隊に差し向けるべき予備戦力は、既に残っていなかった。
 含むような笑い声が沈黙を破った。ぎょっとしたような視線がマ・クベに集中する。今ひとつ人柄のつかめない司令の正気を疑う色合いもあったはずだ。
「シャピロ大尉」周囲の視線を意にも介さない様子で情報参謀を呼んだ。
「は」
「敵の戦力を評価したまえ。概算で結構だ」
「赤外線源の数から、敵は二隻の艦船からなると推測されます。おそらく、作戦情報にあったサラミス級でしょう」
「見落とした理由は?」
「敵の編成は一個戦隊と評価されていました。実際に我々の前に現れた敵が、二隻のサラミスに加えてマゼランが一隻いたことに幻惑され、敵が戦力を分断するという可能性を見落としたためです」
「よろしい。ではマクロード少佐、サラミスの狙いをどう考える?」出来の悪い生徒を呼ぶ教師のような声で作戦参謀に尋ねた。
「放出される赤外線とニュートリノのレベルから、敵は大気圏離脱用のブースターを追加して加速能力を向上させていると思われます。その加速性能を生かして我々が防御体勢を整える前に降下部隊に突入するはずです」
「サラミスの最終速度が、降下部隊を捕捉しうる限界にまで達すると想定した場合、迎撃可能な部隊は存在しないか?」再びシャピロに尋ねる。
「ただし、降下部隊を含め、我が軍の全ての戦力から選択してよい」
 簡単な一言だが、重大な意味を持っていた。現状では降下部隊から戦力を抽出する以外に迎撃を行う手段はない。しかし、それは同時に、膨大な戦力を混乱なく降下させるために構築された計画を崩すということでもある。であるならば必然的に生じるであろう混乱を最小限に喰い止めるべきだった。
 マ・クベがシャピロに何の条件もつけなかったのは、混乱を最小限にするためには、一刻でも早く連邦軍を喰い止めるべきであると彼が判断したことを意味している。
 短い沈黙の後、シャピロは必要な情報を探し出した。それをディスプレイに呼び出しながら、マ・クベに報告した。正直、この部隊に降下部隊の命運をゆだねることには、あまり気が進まなかった。
 だが、マ・クベは躊躇しなかった。すぐさま司令用端末と回線を繋ぐように命じる。
 本来ならば彼自らが要請する必要はなかったのだが、今回ばかりは彼自身が指示を出す必要があったのだ。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時五六分 地球軌道上 ザンジバル級巡洋艦『リリー・マルレーン』 第一艦橋

「しかし、司令」第一海兵大隊大隊長のシーマ・ガラハウ少佐は、マ・クベに食い下がった。
 軍隊において、自分よりも上位にある者の下す言葉に対して正面から抵抗するには、恐るべき量の度胸が必要とされる。それが理不尽なものであってもだ。
 今回は微妙なところだった。海兵隊の受けている命令は明確なものだった。降下作戦の先陣を切る。
 大気圏突入の可能な『リリー・マルレーン』と海兵隊は、まさにそのために訓練を受けてきたといってもいい。とてもではないが、数十分後に突入を控えたこの段階に来て、他の仕事を片付けられるような状況ではない。
 また、海兵隊はマ・クベの直接指揮下になかった。編制上は公国軍総司令部の直轄にあり、こういう作戦において必要が生じる度に抽出されることになっている。今回はオデッサ降下を任務とする第九師団に属している。
 やっかいなのは、マ・クベの降下作戦司令部が、第九師団に対する直接的な指揮権を持っていないことである。降下作戦司令部は、その名称が意味するものと実際に振るい得る権限とが完全に一致せず、全体の調整と、降下作戦に伴う軌道上における直接護衛を管轄しており、大気圏以下での降下作戦を直接コントロールする権限を持っていない。降下作戦の実務は各師団司令部が担当する。
 これはミノフスキー粒子環境下で、ユーラシア大陸の両端に降下する部隊を統一指揮できないという必然から生じた要請に従ったものであるが、それがために海兵隊は、公式にはマ・クベの手の届かないところにあったのである。
 マ・クベが「命令」ではなく「要請」を行っているのもそのためである。
 正式の手続きを踏んで海兵隊を動かす場合、降下作戦司令部から第九師団司令部に抽出命令を出し、第九師団が降下作戦を調整し直す必要がある。もちろんそんな時間などどこにもない。
 しかし、マ・クベの要請もまた妥当なものだということを認めないわけにはいかなかった。後先を考えていないとしか思えない猛スピードで迫ってくるサラミスを迎撃できる位置と火力とを備えているのは、彼女の海兵隊以外にはありえない。今を逃すと降下部隊に生じる混乱は悲惨なものになるだろう。
 それでいいじゃないか。口にこそ出さなかったものの、シーマはそう毒づいた。
 降下作戦とはほとんど必然的に混乱を生じさせる。
 ならば今混乱が起きようが大したことではあるまい。この速度で攻撃を仕掛けられても、深刻な被害は受けない。せいぜい輸送艦が何隻か沈む程度だ。MS一個大隊、人員にすれば千人程度か。それもこの高度でなら搭載物資の回収は不可能ではない。
 強行降下を行い、橋頭堡を作らねばならない彼女たちの価値の方が、よほど高いはずだ。
 とはいえ、マ・クベの置かれた立場から状況を見直してみると、また違った光景が見えてくる。小さな橋頭堡に膨大な物資を、それもごくわずかな許容時間の中で重力の井戸の底に送り込まなければならないのだ。それがどれほどの難事か、正規の参謀教育を受け、降下作戦のエキスパートでもある彼女に理解できないわけがなかった。
 気に入らないのは――なにもかもだ。海兵隊はマ・クベの直接指揮を受けていない。つまり、マ・クベの要請に従うためには、彼女の独断によって行動するしかない。もちろん、その判断は彼女の権限の範囲内でのことであるし、降下作戦司令部から第九師団司令部へと抽出を伝える通信が飛ぶはずだが、このミノフスキー粒子濃度の中では、とても信用できるようなものではなかった。
 これが命令ならばマ・クベが全責任を負うが、要請だといくらでも逃げ道がある。
 要するに、火中の栗を拾わされた上に煮え湯まで飲まされるのは、彼女と彼女の海兵隊ということになる。あと、海兵隊抜きで降下作戦を行わなければならない第九師団の不幸な兵士たちだ。
 彼女は表情を歪めた。降下作戦において許容されている被害がどの程度なのか、誰にも分かっていなかった。サラミス二隻の攻撃によって失われる戦力については構わない。だが、それによって失われる時間はどうなのか。
 仮に彼女たちがそのまま地球に降下したとすると、連邦の攻撃によって降下部隊は混乱し、タイムテーブルに遅れが出る。定められた時間に部隊を降下させないと、地球をもう一周するまでの時間と推進剤を失うことになる。
 最低でも二時間程度は必要だろう。実際には一度崩れた体勢を立て直し、再度降下作業を可能にするためには更なる時間が必要なはずだった。その間、いかに精鋭の海兵隊とはいえ、敵中で、増援無しで、橋頭堡を維持することが出来るのか?
 いまいましい。彼女は無表情にこちらを見つめているマ・クベの顔を睨んだ。
 参謀としての彼女の知性は、マ・クベの要望に応えることがより妥当であると告げていた。第九師団の将兵が、予定されていなかった辛酸に耐え、彼女と海兵隊がさらなる悪評を浴びるという点を除けば。
 結局のところ、彼女には従う以外の道は残されていなかったのだ。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一七時五七分 地球軌道上 チベ級重巡洋艦『コルフ』 第一艦橋

「――了解しました。第一海兵大隊は敵別働隊の迎撃に向かいます」通信モニターに映るシーマの表情は、声と同様に硬かった。
「第九師団にはこちらから連絡しておく。他に必要なものはあるか」マ・クベの内心を窺わせるものは、少なくとも表情には表れていなかった。
「現在の位置からでは、かなり無理をしないと最適迎撃位置を取ることが出来ません。この場合、『リリー・マルレーン』の推進剤が不足し、地球への降下は予定通り行えなくなります」
「承知している。こちらでHLVとブースターとを用意させている。迎撃終了後はHLVに移乗、そのまま降下作戦に戻ってもらう」
「――了解」マ・クベの言葉を予想していたのだろう。文句を言う素振りもなく、シーマは苦行の追加を受け入れた。通信を終える。
「二一大隊が苦戦しています」転送されてきた情報を分析していたシャピロが告げた。リアルタイムでの状況把握は既に不可能になっており、幾つかの中継点を経由したレーザー通信や連絡艇などに頼っている。盗聴や妨害をされやすく、戦闘時に散布されるチャフなどにも弱いレーザー通信にも、光速と比べると停止同然の速度で進む以外にない連絡艇にもそれぞれ弱点があった。必然的に情報は質・量ともに充分なものではなくなっており、それを分析する情報参謀の役割は重かった。
「第九師団のバックアップはどうしたの?」オカムラが尋ねた。第二一MS大隊はオデッサ降下を目指す第九師団に所属しており、本来であれば海兵隊に続いて降下を行うはずだった。
 つまり、海兵隊がサラミスの迎撃に向かった現在では、オデッサへの先鋒となる部隊である。海兵隊が引き抜かれることは、既に師団司令部に連絡されている。二一大隊の重要性が格段に増したことを理解していないはずがない。普通に考えれば、何らかの支援が行われているはずだった。
「編成を変えている最中に狙われたらしく、適当な支援を回せない状況にあるようです。二一大隊は予備を使って迎撃する一方で、降下作業に取り掛かりました」
「敵戦力は?」作戦参謀のマクロードが尋ねた。
「サラミス二隻とセイバーフィッシュ二個小隊」
「また二隻か。もう二隻いるんじゃないのか?」
「分かりません。今のところそれらしい情報はありません」
 おそらく第九師団の司令部もまた、まだ見ぬサラミスを警戒して思い切った手を打てないでいるのだろうと思われた。
 実際には、連邦軍は戦場に投入できる戦力の編成作業に手間取ったため、やむをえずに一般的には悪手とされている戦力の逐次投入を行ったわけなのだが、それがかえって公国軍の迎撃を混乱させていた。公国軍の参謀たちは、五月雨式の攻撃を受ける可能性を検討していたにもかかわらず、物量で勝るはずの連邦軍が、まとまった数を揃えられずにいるという現実を信じられなかったのだ。
「多少の混乱は構わないと思います」場の空気が混乱に巻き込まれ始めているのを感じ取ったオカムラが発言した。
「予定通りの戦力を流し込むことに成功すれば、連邦の戦力では押しとどめられません。個々の問題は各級司令部に任せておけば充分です。我々は全体の流れだけを見ていればよろしいのです」
「それでは参謀長、当座の対応についてはどう判断している?」マ・クベが尋ねた。オカムラは即答した。
「何も。一個大隊を失う程度の損害であれば、充分許容範囲内です。海兵隊が引き抜かれ、二一大隊が壊滅したところで、残る二個大隊を流し込むことが出来れば我々の勝ちです」
 実際、立案段階での検討では、降下作戦を担当する二個師団を使い潰しても構わないと考えられていた。公国軍の保有する師団数は十二個にすぎない。その六分の一を失っても降下作戦を成功させるという覚悟があったのである。
 しかし、国力の乏しいジオン公国においては、損害というものが常に軍人たちの懸案となっていた。どれほど戦果を挙げても、損害が大きければ回復に時間がかかる。一方で連邦とはあらゆる損害から速やかに回復するヒドラのごとき生命力を持つと思われていた。必然的に公国軍の中では損害を嫌う傾向が強かった。
 だからこそオカムラの正論の効果は大きかった。艦橋内の空気が落ち着いたことを感じ取ったのか、マ・クベはスクリーンに映し出される巨大な青い球体の一部に視線を向けながら言った。
「なるほど。では、今しばらくは様子を見ることにしよう」




あとがき

三回構成を崩して四回目に突入。
──未だ大気圏突入できず。
なんて分厚い壁なんだ(作者無能)。

というわけで、ようやく突入作業が始まりました。運が良ければ次の回でこの章も終わり──無理ですか。
とりあえず連邦宇宙軍は「尻の毛まで抜かれて鼻血も出ねぇ」状態になったので、そろそろ地上軍の出番になりそうです。
でわでわ。



つづく

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