識別信号:青
ステージ:13A 翔星1
「どこへ落ちるかな……俺」
バズは、コクピット右側に設けられたサブコンソールを見て、思わず呟いた。
バズにとって、ドリルとのドッキングによって失われたのは、時間より高度だった。
機体そのものはコンピュータの制御で自動的に降下シークエンスに入っていた。問題は、
失われた〇・一一秒分、突入位置が狂ったことだった。人間の体感時間としては大した時
間ではないが、絶対的な速度が極度に大きな状況下となると話は別になる。
コンピュータはこうした誤差まで自動修正してくれなかった。
出来ないわけではない。しかし、もともとぎりぎりまで余裕を切りつめたタイムテーブ
ルを組んでいたため、こうしたトラブルを吸収できる部分が存在しなかったのだ。ある意
味、予想された事態ではある。
バズはコンソールを操作して、非常用のプログラムを呼び出した。
降下シークエンスのプログラムを組んだシェリーは、このような状況も想定していた。
別に彼女が格別優れた未来予想能力を持っていたという訳ではない。
作戦全体のシミュレーションの結果から、打ち上げ──ドッキング──降下に至る一連
のシークエンスの中で、どこかでトラブルが発生した場合、バズはごく普通の流れ星に変
わるという可能性が一番高かった。それ以外のシチュエーションの場合、しわ寄せはすべ
て時間に来ていた。つまり、バズの降下位置がずれ、作戦時間以内に目的エリア──鎌倉
基地周辺──に到着できないということである。
シェリーはもっとも高い可能性については黙殺した。考えても仕方のないことだし、バ
ズの「悪運」については充分承知していたからだ。
シェリーの作った修正用のプログラムは、見方によっては単なる自殺推奨プログラムで
あるとも言える。どのような計画であっても必ず見込まれる安全係数を、パイロットの任
意で切り売りできるようにしたものだったからだ。要するに、突入角度をある程度自由に
変えられるということだ。
安全係数は一〇パーセントが指定されていた。何もかもが予定の通りに進むとするのな
ら、あと一〇パーセント程度なら突入角を大きくすることが出来る訳である。
予定通りに。現状では虚しい言葉である。
バズは誤差を修正するのに必要な角度を求めさせた。解答は一つの数字ではなく、右肩
下がりの線で構成されるグラフで返ってきた。
一番到着時間の遅れの少ない状況だと、貯金から六・八パーセントを引き出す必要があ
る。ただし、その場合機体が燃え尽きる可能性も七割を越える。コンピュータが推奨して
いるのは、燃え尽きる可能性が三割のパターンだった。この場合、貯金から下ろすのは五・
一パーセントの猶予で、予定時刻からの遅れは三一四秒。約五分だった。
こういう状況で必要なのは、努力や根性ではなく、パニックやストレスに耐えられる精
神力である。同じ精神力でもえらい違いだと思いながら、バズはコンピュータのプランに
従った。
ステージ:13B 翔星2
「軌道からバズを確認しました。通信は不可能ですが、機体状況は良好です」
シェリーの報告に、重苦しかった司令室の空気がやや明るくなった。が、続く言葉が全
てを打ち消した。
「バズの進行方向に積乱雲が発生しています」
日本の夏、太平洋沿岸では壮大な積乱雲が発生する。海面近くから高度一万メートルに
まで吹き上がる水と雷は、あらゆる空を飛ぶものにとっての障壁となる。
「進路は変えられるのか?」
ようやく発作から復帰したギニアスが訊ねた。口に出しながら、無駄な質問だと思う。
再突入を行って自由落下状態のMSに、空中機動能力など存在しない。
こんな事になった原因は分かりきっていた。ザクが突入角度を変え、予定以外の進入を
行ったからである。無論、バズの責任ではない。余裕のない進入計画を立てた者が負うべ
き責任である。だが、目下の所、それを支払おうとしているのはバズだった。
通常の機能としてザクには組み込まれておらず、不可能です。と答えたシェリーは、何
かにすがりつくように続けた。
「バズが何か空気抵抗を利用できる方法を見つけられたら、回避は不可能ではないと思い
ますが」
そんなものがあればとうに使用している。そんなことは彼女自身にもよく分かっていた。
制動用のロケットを使用すれば姿勢制御は可能だが、ザクは石のように太平洋に墜落する
ことになる。空気抵抗を利用するにしても、ザクは高度数万メートルの空気に何かを期待
するようには出来ていない。ある程度の空気抵抗が存在するのは高度一万メートルまで。
つまり、積乱雲がそれである。
八方ふさがりといえた。
ギニアスが倒れた。
続けざまの心臓発作は、間違いなく致命的である。躊躇わずにシェリーは軍医を呼び出
した。
軍医と衛生兵が飛び込んでくるのを空気のように無視して、ドズルは言った。
「我々に出来るのは奴を信じることだけだ。十分待てばケリが付く」
十分間──それを聞いた全員が思った。それだけあれば胃に穴があきそうだ。
ステージ:14A 帰還1
「ギニアス……ギニアス……」
ギニアスは、自分の名前を呼ぶ声にまどろみを破られた。せっかく、小さな頃の色々な
想い出を久しぶりに思い出していたというのに。
「一八〇、行きます、下がって!」
どこかでずっと遠いところで雷鳴が響いているようだった。
彼を呼ぶ声はその音に掻き消されそうなほど小さく、弱々しかった。しかし、どこかで
聞いたことがある──。
「ギニアス、もういいの?」
「──かあさま?」
想い出の中に詰まった声。懐かしい声。久しぶりに思い出していた声。
「二〇〇、行きます、下がって!」
雷鳴。ギニアスは声の方に近づこうとした。
──水?
冷たくはなかったが、感触からそう思った。思っただけで別に確認はしない。彼には分
かったからだ。
「二二〇、行きます、下がって!!」
雷鳴が大きくなった。叫んでいるようだった。
「──お兄さま」
背後から声が呼びかけた。妹の声だ。
「アプサラスはいいのですか?」
彼の大事なもの。彼の大事だったもの。
「ギニアス?」
水の向こうから声がする。ギニアスは足を進めた。流れがある。河のようだった。
「二四〇、下がって!!」
河の向こうが見えたような気がした。
彼のアプサラスが彼を呼びかけていた。
彼のアプサラスは、巨大な胴体と、不似合いなほど小さなザクの頭と、ドリルを持って
いた。
「サハリン閣下!」
「こっちの方がまだましだ……」
蘇生を果たし、人事不省のはずのギニアスはそう洩らすと、軍医に状況の説明を要求し
た。
軍医は一瞬渋い顔をしたが、すぐに諦めて腕時計を確認し、ギニアスに告げた。
「閣下が倒れられてから八分ほど経過しています。ザクは未だ消息が掴めません。少し前
から夕立が始まったため、情報を集める手段が限られているのです」
説明を続けながらギニアスの腕に圧搾注射器を押しつける。
「有線はどうした。横須賀基地かどこかから衛星に接続できないのか?」
少し舌がもつれるのを無視して訊ねた。
「詳しいことは私も知りませんが、敵の攻撃で外部との連絡は遮断されたようです。現在、
基地の動力も非常電源のものを使用しております」
「分かった。司令室に戻る」
そう言って処置台から身を起こそうとしたが、力が入らない。
「電気ショックの影響で、身体の機能が低下しています。しばらく動けません」
舌打ちしようとして失敗した。確かに満足に身体を動かせない。
「車椅子でも何でもいい。司令室まで運んでくれ」
渋る軍医を押し切って、車椅子に乗ったギニアスは処置室を出た。
時々爆音と振動が起きる。
「すぐそこなんだな?」
軍医に尋ねる。軍医は黙ってうなずいた。
ステージ:14B 帰還2
「アントン、こいつでラストだ」
イワタのザクから冷却液のパックを受け取ったアントンは、手早くコンソールを操作し
て、ザクの後腰に設けられているラッチにパックを取り付けた。
自動的にテストプログラムが走り、各部機能をチェックする。
「あまり保ちそうにないですね。せいぜい二・三発というところでしょう」
疲れた表情と声で現状を告げる。
司令室のミシェルが訊ねてきた。
「どこが悪い?」
「全部です。まあ、機体の方はごまかせますが、ライフルの機関部がいかれかかっている
みたいです。ここしばらく、冷却液と電力の消費量が多すぎます」
「まあ、トライアル用の機材だからな。一応言っておくが、これで結構保ってたんだぞ」
ナンが通信に割り込んできた。彼のガンタンクは射撃位置を確保するために後退中なの
で、ガンナーの彼はあまり忙しくないからだろう。一応ビーム兵器については、彼が責任
を持っているということもあるが。ちなみに彼のガンタンクもほとんど継戦能力を使い果
たしていた。
「ええ。でも、あと五分は無理ですよ、多分」
アントンは、ワンとストロスカーンのザクが後退してくるのを見守りながら言った。つ
い先ほどから始まった夕立のため、視界はかなり悪い。ディスプレイ映像を補正しても、
ザクのシルエットを掴みにくかった。
「よし、アントン、やれ」
ジャコモが命じる声が聞こえた。了解、と応えてアントンはトリガーボタンを叩く。
ザクが放ったこの日数十発目のビームは、国道一三四号線沿いに三浦半島西岸を北上し
てくる『エンジェル』の足下に突き刺さった。
雷と雨音を圧する轟音と共に土砂を舞い上げたのは他の攻撃と変わらなかったが、今回
に限って爆音は連続して響いた。国道沿いに大地が割け、陸地と海岸の境界線が次々に不
明瞭になる。
『エンジェル』は、にわかに発生した土砂崩れに巻き込まれ、横転した。巨大な図体に見
合った自重ゆえ、瞬時に悪化した地盤では支えきれなかったのだ。
「よし、上手くいったな」
「一発芸ですけどね」
満足そうに言ったストロスカーンに、イワタが返した。
国道の下に並行して走っている複合管に、ジャコモとストロスカーンのザクで気化爆弾
を送り込み、ガスを放出したところでアントンがそれに点火したのだ。雨天では著しく効
果の落ちる気化爆弾だが、ガス爆発を強化して地盤を崩す役には立つ。
期待通りの効果を発揮したが、これで手詰まりでもある。ここから鎌倉基地まで二キロ
メートルほどしかなく、これはザクのバズーカから放たれる戦術核の危険半径ぎりぎりで
ある。司令室部分は地下のシェルター構造に埋め込まれているので、核の直撃でも受けな
い限り直接的な被害は受けないが、司令部としての機能はほとんど停止してしまう。
つまり、核攻撃を使うのは『エンジェル』が次に立ち上がった時をおいてはなく、しか
も使用と同時に本当の手詰まりを迎えてしまうということになる。
「ナン少佐、アントンとワンとで、しばらく保たせてくれ。ジャコモ、ストロスカーン、
イワタの三人は鎌倉基地まで後退しろ」
ミシェルが核バズーカの回収を命じた。
言うべき事を言ってしまうと、後はすることもなかった。
一つだけあったな。ミシェルは、返答の分かっている進言をもう一度行うという義務が
あったことを思い出した。
振り返って、ここ数分、沈黙を守り続けている上官に告げる。
「閣下、この場の安全を保障できなくなりました。速やかに撤収されることを進言します。
それと、連邦のお二人も同じく撤収なさってください」
ドズルは目を閉じたままだった。代わりにテム・レイが告げる。
「私もハン先生もそのつもりはありません。そんな余裕もないでしょう」
「しかし、これはあなた方の義務だと思います。あなた方は正規の軍人ではありませんし、
ドズル閣下は我が軍にとってかけがえのない人材、危険にさらすわけにはいきません。あ
なた方がおられると、小官は任務を充分に遂行することが出来ません」
普段のミシェルからは想像できないほど厳しい口調だった。発言の内容もかなり不穏当
だ。相手次第では瞬時に殴り飛ばされても文句の言えないところだろう。
レイは鼻白んだように押し黙った。
ミシェルはドズルから視線を逸らさなかった。
ドズルはゆっくりと目を開き、ついで口を開こうとした。
だが、シェリーが甲高い声で状況の変化を告げる声の方が、先に司令室にこだました。
ステージ:15A 降臨1
「上空から降下中の機体あり。バズのザクです!」
シェリーはそう告げると、命じられる前にスクリーンの一面を切り替えた。
夕立は早くも勢いを落としていた。海上の方では雲の切れ目から光が射し込んでいる。
光の柱を通って、点のような物体が落下してきた。かなりの速度である。ブースターを
点火しているらしく、機体下方に向けて盛大に炎を吐き出していた。
自動的にズームされた。エメラルドグリーンに輝く機体。バズのザクだった。
司令室に歓声が湧き起こる。
その中で、テム・レイは同調しなかった。難しい顔をして呟く。
「遠すぎるし、速すぎる」
おそらく積乱雲をぎりぎりで回避しながら、雲の裂け目を見つけてそこから飛び出して
きたのだろう。確かに正解ではある。一歩間違えると積乱雲の猛烈な上昇気流の中に巻き
込まれて、バラバラになるところだったのだから、彼の勇気と操縦技量と運は評価されて
しかるべきだろう。
だが、そのためにパラシュートや機体側スラスターを用いた減速過程は、ほとんど実行
されなかったようだ。当然だ。積乱雲間近でそんなことをしていたら、あっという間に引
き込まれてしまう。
しかし、そのために陸地までの距離が大きくなりすぎた。本来、降下地点から陸地まで
の推進に用いるはずだったブースターも、まもなく推進剤を使い果たすだろう。緊急減速
にブースターを躊躇うことなく用いた判断力と、本来とは異なる目的に、ろくにコンピュ
ータの助けを受けることもなくそれを用いている勘とは賞賛に値するが、その後どうする
つもりなのだ?
ほとんど直立状態でスラスターの減速効果を最大に発揮していたザクは、にわかに上体
を倒した。ベクトルを前進方向に変えるつもりらしい。
──無茶な。それでは降下速度を殺しきれない。レイは心の中で呻いた。もちろん、減速
のみに全ての制動力を用いた場合、陸地までたどり着くことは出来ない。とはいっても、
海面に「墜落」するよりはましだ。
周囲の人間もそのことに気付き始めたらしい。歓声はやみ、かたずをのんで落下を続け
るザクを見守り続けた。
低空にまでせり出した雲の隙間から、海面までの僅かな距離を埋めるごく短い時間の出
来事だったが、いやに長く感じられた。
そしてその時が過ぎ、ザクは──パラシュートを開いた。
「何?」
遅すぎる。あれでは間に合わない。そう思ったところでザクの姿勢が変わった。
一瞬のことだった。パラシュートが開ききった瞬間、ザクの背筋が伸びた。
そして、次の瞬間、ザクは水の爆発に包み込まれて見えなくなった。
ステージ:15B 降臨2
「どうしたんだ?」
ギニアスが司令室に到着したのは、その直後のことだった。
司令室は沈黙していた。誰もがスクリーンを見つめていたからだ。
ギニアスはそれまでの経緯を直感的に察した。
そして、疑問を感じた。ザクが墜落したのなら、なぜ水柱じゃないのだ。
爆発が近づいてきた。
爆発の中からエメラルドグリーンの機体が姿を現した。
ザクは全身から水を巻き上げながら、海面を滑走していた。見る間に海岸との距離が縮
まる。
「信じられん……」
レイが呟くのが聞こえた。着水直前の様子を見ていない分、ギニアスはザクが沈没して
しまわない理由に、すぐ思い当たった。
簡単なことだ。ブースターの燃料をぎりぎりまで残しておき、全身のスラスターを最大
に吹かせば、海面は一瞬だけとはいえ、ザクの機体を支えるに足りるだけの足場となりう
る。パイロットには途方もないGが掛かるが、あの機体にはそれに耐えられるだけの装備
が施してある。
まあ、水深も相当浅いようだ。これが磯場とかなら全然話が変わってくるんだがな。だ
が、失速しないためにはやむを得ないとはいえ、ちょっと速度が出すぎだ。海岸にいる
『エンジェル』を追い越してしまうぞ。
ギニアスは、再び涌き上がった歓声の中で、自分でも妙なほど冷静に分析を行っていた。
「シェリー、バズの機体状況をチェックしてくれ」
ギニアスに命じられたシェリーは、それでギニアスの存在にはじめて気付いた様子だっ
た。慌てて返事をするとコンソールに向き直った。
「もうよろしいのですか?」
レイが訊ねる。点滴をくくりつけた車椅子に座るギニアスは、軽く頷いてみせただけで、
スクリーンに視線を向けた。それ以上の詮索はせずに、レイも視線を戻した。
一場の主役は、猛烈な速度で見る間に海岸までの距離を詰めると、一気に速度を殺して
みせた。
無論、海面を踏みしめたわけでも逆噴射を行ったわけでもない。ブースターの推進剤を
全て吐き出すことで、推力を瞬間的に最大にし、大きくジャンプしたのだ。ジャンプしな
がらも脚部の熱核ジェットは全開を続けている。当然、機体のバランスは崩れ、脚部だけ
前進を行おうとした。
バズは機体背部のスラスターをカットし、脚部が前方へ吹き飛ぶに任せる。
天地が反転した直後ぐらいから脚部の出力を弱め、背部の出力を上げた。
ザクは空中で一回転した。
着地。
「お待たせっ!」
バズが叫ぶように言うのに、シェリーの報告が絶妙のタイミングで続いた。
「ザクの脚部駆動部に、許容限界の六七パーセントのダメージ」
「馬鹿」
「馬鹿者」
「馬鹿野郎」
「……いいね」
「…………」
「……(溜息)」
各所から大同小異の感想が発せられた。まあ、挨拶みたいなものである。
「アントン、ワン、バズのバックアップに入れ。他の三人は予定通り基地に戻れ」
ミシェルが指示を出した。ちなみに、この時点でナンのガンタンクは射点変更のために
後退中だった。
「『同調装置』を含めた機体の状態は良好です」
転送されてくる機体情報を検討していたハンが告げた。
「戦闘に耐えられると判断します」
「閣下」ミシェルは振り返って、ドズルと視線を合わせた。確認を行う。
「ザクを投入します」
ドズルは予想通りの反応を返した。
「やりたまえ」
ミシェルはスクリーンに視線を戻すと、シェリーに告げた。
「戦闘開始だ」
シェリーがそれを伝えた瞬間、バズのザクははじけるような勢いで飛び出した。
ステージ:16 急迫
周囲の人間が持っている印象とは異なり、バズが考えなしに無謀な行動をすることは、
「あまり」ない。
この時もそうだった。
「とりあえず死ねぇ〜っ」
両脚の熱核ホバーがザクの機体とドリルを支え、見る間にザクを、二回りは大きい『エ
ンジェル』の巨体へと運んでいく。
地割れに巻き込まれ転倒していた『エンジェル』は、ようやく立ち直ったところだった。
接近してくるザクに左腕を振り上げ、光の槍を放つ──直前に足下が吹き飛んだ。バラン
スを崩し、再び転倒。崩れやすい地盤から、海岸に転げ落ちる。
光の槍は仰向けに倒れた『エンジェル』の動きに合わせるように、右に──内陸部の方
向に流れる。輝線を爆発が追う。
ザクは右腕を引き、ドリルを身構えた。ドリルが回転をはじめる。
左腕で身体を支え、身を起こそうとしていた『エンジェル』は、右腕を振り上げてザク
を迎え撃とうとした。
「遅いっ!」
叫び声と共にザクは右腕を突き出した。
地面が爆発した。
たまらずザクもバランスを失い、ドリルは左に──『エンジェル』の右腕にそれた。
右腕から光の槍が生まれるのとほぼ同時に、ドリルが『エンジェル』の手首をえぐる。
光の槍はとぎれ、右手首と共に四散した。
ザクはそのまま『エンジェル』の右脇を抜けていく。
「どうした?」
ミシェルが訊ねた。鎌倉基地に設置されていた光学センサーの位置からでは、だしぬけ
に地面の爆発が起きたということしか分からない。
「『目標一』が、地面についた左腕からもビームを撃ったみたいです」
先刻、突進するバズに支援射撃を行ったアントンが応えた。内陸側にいた彼の位置から
は、両者の激突がよく見えた。
「あれを同時に撃てるのか……」
絶句したレイたちに構わず、ミシェルは指示を続けた。
「両方の腕を同時に牽制できる位置まで移動しろ」
「すでにワン曹長が移動をはじめています。ただ、こちらの機体があと一発撃てるかどう
か分かりません」
「ナン少佐」
「二分待ってくれ」
ナンはガンタンクの再配置を急ぐことにした。安全な後方に下がるのを諦め、ガンタン
クの搭載しているビームカノンの射程からすると、少々近すぎる位置に移動するようにミ
ユキに命ずる。ミシェルはバズに再布陣のあとに攻撃を行うように命じた。
「そういうことだ。バズ、二分後に攻撃を再開する」
「了解」
ステージ:17 評価
「どうです?」
「予想以上に悪化しています」
モスク・ハンは、深刻そうな声と表情でレイに答えた。
「どうしました?」
ギニアスが訊ねた。ハンが答える。
「ドリルの消費電力が大きく、機体のジェネレータ出力が追いつきません。それに機体各
部、特に脚部と右腕部のダメージが大きすぎます」
「ジェネレータ出力については、シミュレートの数値から問題ないと判断されていました
が?」
「ドリルについてはその通りです。問題は『同調装置』で、こちらが予想以上に電力を喰
っています」
こう言われると言葉もない。『同調装置』の動作実験など誰もやったことがないので、
どの程度電力を消費するかは、シミュレーションから予測するしかなかったのだ。まして、
高速回転を続けるドリルの中で『同調装置』がどう動くかなど、誰にも分からない。今の
ところ稼働していると言うだけでも奇跡に近かった。
「……所詮はザクのジェネレータですからな」
自己嫌悪に陥りそうな返事を洩らす。
「それで、機体の方は?」
レイが代わって答えた。
「ドッキングの際に受けた衝撃、降下中の衝撃、着水時の衝撃、ジャンプからの着地によ
る衝撃、そして今のドリル攻撃による衝撃」
これにも返す言葉がなかった。攻撃時の衝撃だけで機体にダメージが蓄積すると言われ
ると、機体そのものすら否定されかねない。
「駆動部にマグネットコーティング処理を施して、それですか……」
ギニアスはそう呟いた。一瞬、目を閉じる。内心の動揺を押し殺し、軍人らしく生じた
問題を分析し、評価する。質問した。
「それでは、あと一度の攻撃に耐えられると思いますか?」
レイとハンは目を合わせた。うなずきあう。レイが答えた。
「可能です」
「ならば結構です」
車椅子の手すりを握りしめるようにしながら、ギニアスは答えた。
「どうせあと一度の攻撃しか援護が続きません」
ドズルがゆっくりと振り返ると、ギニアスに言った。
「その通りだ」
やはり、と言うべきか、その顔は不敵に笑っていた。
よほどこういうシチュエーションが好きらしい。ギニアスは、また左胸の内側がうずき
出すのを感じた。
ステージ:18 交差
「アントン、配置完了」
「ワン、配置完了」
「ナンだ。援護可能」
「ジャコモ以下二名、装備換装作業完了」
「バズ?」
「俺はいつでもA−OK」
「少佐、全機配置につきました」
シェリーがミシェルに報告した。ミシェルは頷くと、シェリーに告げた。
「攻撃開始」
「攻撃開始」
まずアントンのザクがビームを放った。『エンジェル』はそれを見越したかのようにジ
ャンプ。別に亜光速で飛んでくるビームを見切っているわけではなく、着弾時に生ずる衝
撃波を利用して「飛ばされている」だけである。『絶対領域』が存在しない限り成立し得
ない技だ。
軽く宙に浮いた『エンジェル』の着地地点を素早く予測し、ガンタンクが一門のビーム
カノンで射撃した。同時にポップミサイルを打ち上げる。海岸がちょっとしたクレーター
に変わったところで『エンジェル』が着地する。バランスを崩した。すかさずもう一門の
ビームカノンで転倒予測地点──『エンジェル』のすぐ前をえぐり取る。それに続いて、
ポップミサイルが『エンジェル』の周囲の土砂を、クレーターに流れ込む海水ごと吹き飛
ばした。
『エンジェル』の右腕は、先ほどバズがちぎり飛ばしていたので、今は左腕だけ。当然、
『エンジェル』は左腕で受け身を取ろうとした。
バズがフットペダルを踏み込んだのは、その時だった。ザクは海水を巻き上げながら突
進をはじめる。
同時に、海岸側に射点を移していたワンが、ビームを放つ。
左手の下側の土砂は消失した。
バランスを崩した『エンジェル』が転倒するまでに出来ることは、左腕から光を放って
クレーターをもう少し掘り下げることだけ。
『エンジェル』は、その予想を覆した。転倒直前にジャンプしたのだ。前方へ。
バズの視覚は、『エンジェル』の巨体がこちらに飛び込んでくることを認識した。
普通なら反射的に回避にはいるとことろだが、彼の反射神経はトリガーを叩くことだけ
を命じた。反射というよりは本能というべきだろう。
ザクは右腕を突き出した。戦闘プログラムに従い、自動的に機体は前傾姿勢を、左腕は
右腕をフォローする形を取る。
交差した。
『絶対領域』は、バズのドリルの前では紙同然だった。そのまま『エンジェル』の頭頂部
に突き込まれる。
頭頂部の中心点を狙ったが、僅かに逸れた。ザクのドリルが右腕に装備され、ジャンプ
中の『エンジェル』が左腕を振り上げるという運動を行っている以上、完全に真正面から
の激突ということはあり得ない。ドリルは『エンジェル』のやや左側に突き立ち、構成物
質を切り裂きはじめた。あとは流体力学に従って、『エンジェル』の左上半身を、左腕ご
と切り飛ばした。
『エンジェル』の右上半身と下半身は、ザクの左半身をかすめ、後方に吹き飛んだ。
ザクはそのままの姿勢で数十メートルを進み、がくりと左膝をついた。
「左脚部のダメージが許容限界を超えました。サスペンション・駆動部機能停止。右脚部・
右腕部も機能停止の寸前です」
「パイロットは?」
シェリーの報告にミシェルが訊ね、バズ本人が応えた。
「生きてますよ」
「なんだつまらん」
安堵の表情を浮かべたアントンが割り込んだ。
「『エンジェル』は?」
ミシェルが再びシェリーに訊ねた。
「完全に活動停止しています。赤外線レベル減少中。ミノフスキー粒子の展開が停止しま
した」
ミシェルは大きく溜め息を洩らした。振り返る。
「閣下。作戦目標を達成しました」
エンディング
ギレン・ザビは、朝食を摂っていた。テキサス・コロニー産の羊肉を使ったクリームシ
チューがメインである。柔らかい肉の食感を楽しんでいると、制宙権と食糧供給の問題が
頭をかすめた。瞬殺した。食事の時には仕事を持ち込まない。
「兄貴!!」
扉の開く音と野太い声が同時になり響いた。ぶちこわしである。
騒音に続いて、弟が迫ってきた。巨体の陰に、すまなさそうな表情を浮かべているセシ
リアが垣間見えた。
「レポートは読んだぞ」
先手を打つ。聞くべき事は聞いたから、さっさと帰れ。
相手が悪すぎた。
「おう。それでだな、ギニアスの計画だが……」
「予算は付けてやる」
浮き世に無知な坊やの道楽につぎ込むにしては少々値が張るが、連邦の技術情報と引き
替えだと考えたら安いものだ。
「うむ」
ドズルは満足そうに頷いた。なんだかんだいって基本的に義理堅い人間なので、約束し
た以上はちゃんと面倒を見てやるつもりらしい。
「それで兄貴──」
「却下だ」
「だから話を聞く前に却下しないでくれ」
「じゃあ聞いてやる」
聞き終えたら即座に却下するつもりだったギレンは、ドズルの言葉に意外の念を禁じ得
なかった。
「おまえがギニアスの計画の予算を握って、どうするつもりだ?」
「なに、この手は使えるからな。今度同じ事件が起きたときに、言うことを聞かせやすい
だろうが」
「……また同じような事が起きるとでもいうのか?」
「二度あることは三度あると言うからな」
まだ一度だ。心の中でそう突っ込みながら、ギレンはうそ寒い予感に包まれた。
原因も正体も不明の『天使』。
一体、何者だったのだ?
二度目があるのか?
考えても仕方のない問題だ。
だが──
ほとんど無意識のうちに「好きにしろ」とドズルに答えていた。嬉々として執務室を去
る広大な背中を見送りながら、彼はとりとめもない思いに身を委ねていた。
今度『奴』が来るとしても──
この戦争中だけは勘弁してもらいたいものだ──
それこそ意味のない空想に耽っているわけだが、それをうち切ろうとも思わなかった。
朝食が終われば、彼はまた苛烈な現実を裁断しなければならない。このシチューを片付
けるまでの時間ぐらいなら、その程度の余暇は認められてしかるべきだった。
識別信号:青 了
あとがき
お、終わった……何もかも。
「本編の一章分より長いという恐怖の分量、の割になんか頼りない内容」
一回読み切りのはずだったんだがなぁ。
「予定は未定という懐かしいフレーズがありますな」
人生を棒に振っていい瞬間とか、明日、人類が終わるんだ、とかいう時には言ってみた
いセリフだ。
「まあ、三ヶ月遅れで『一周年記念』作品を上げるだけの神経を持っているのですから、
大抵のセリフなら問題ないでしょう」
…………
「それで、この先の予定は?」
予定は未定。
「わかりました。ではご苦労様でした。私はこれで」
あぁぁぁぁん、待ってぇぇぇん。
「見苦しいですよ。言いたいことがあるならさっさと言って下さい」
あと十日程度で書けるとしたら外伝の二話目。一万ヒット記念。
「ハンデ付けてあげるから賭けませんか?」
絶対イヤ。
「……」
やれやれ。話にもならんな。
「(銃声)」