女王陛下の海賊たち



「急速潜航。イーディス、潜望鏡深度につけろ」
「潜望鏡深度、アイ」
 水の流れる音、身体の沈み込む感覚。
「先生は?」
 スピーカーから声が返ってきた。
「今向かっている。どうしたんだ、マーシュ?」
「海賊です。救難信号を拾いました。ミノフスキー粒子濃度が高くて詳細は不明です」
「音は?」
「感なし」
「分かった。すぐ行く」
 マーシュがスイッチを切るのにあわせて、船長席のコンソールに取り付いていたスズキが告げた。
「おい、マーシュ、音を拾ったぞ」
「何の音です?」
「判らん」
 ののしり声を押し殺して、マーシュは自分のコンソールに訊ねた。
「イーディス?」
「あたしも知らない」
「おまえ、本当に軍用AIか?」
「だって、こんな船に乗ったことないもの」
「船のデータベースを洗い直せ。あの人のことだ、どこかにデータを隠し持っているだろ」
「あったよ」
「……速いな」
「おほほほほ」得意げに笑うと、説明した。
「グラブロね。あと両用型MSが二・三機」
「グラブロ?」
「ジオンの水中用MAだ」
 ここぞとばかりに、スズキが割り込んだ。さすがにこういうところは凄いな。マーシュは素直に感心した。ええと、日本語でこういうのをなんて言ったっけ。
 脇道に逸れかかっていたマーシュの思考を、ディスプレイに表示されたデータが引き戻した。
 冗談じゃない。


1 港に船長

 いい天気だった。
 少々くすんではいるものの、空はきれいな青だったし、沖合に常駐する入道雲は別として、内陸の方ではほとんど雲が見えない。何年か前の戦闘で大きくえぐれた谷間から、珍しく富士山が綺麗に見えた。
 場所が場所だけに湿度が高いのは仕方ないが、風があるのであまり苦にならない。
 午前八時過ぎ。すでに太陽は高く気温も高いが、それがあまり気にならない。
 ようやく補修作業が終わった戦艦『三笠』の装具が、白く輝いていた。
 つまり、いい天気ということだよな。
 横須賀港敷地内の歩道を歩くマーシュ・リーは、頭の中で繰り返した。すぐ脇の車道にもほとんど車は走っていない。
 内心が簡単に顔に出るようなキャラクターではないので、彼の機嫌が良いのか悪いのか、ちょっと見ただけで判る人間はそうはいない。
 数少ない例外が、彼の隣を歩いている人間、彼の姉である。
 ただし、内心が見えてこないという意味では、彼をふたまわりほど上回っているラシーダのことである。無表情の下から透き出てくるものはほとんどなかった。
 空の色よりももう少し鮮やかな水色のサマードレスと、白い帽子。マーシュも、帽子の下の表情を読みとれるほどの洞察力は持ち合わせていなかったが、別に気にしなかった。基本的にラシーダは機嫌が悪くなることがない。十年家族としてつき合っていて、ようやくその程度のことは分かるようになった。
 とすれば、気分良く歩いていればいい。

 マーシュの機嫌が良い理由は、幾つかあった。

「えぇーっ、なんでぇーっ?」
 マーシュがそれを告げたとき、妹のアンナが非難の声を上げた。
「なにもかにも、Mコンまでひと月も空けてられないだろ」
「うぅぅ、でも、じゃマーシュも手伝ってよ」
 アンナは素早く方針を転換すると、不幸を共有しようとした。
 無論、そんな手に引っかかるマーシュではなかった。
「くどいようだが俺は機械部じゃない。はっきり言って、あそこまでぶっこわれたMSのレストアは俺の手に余る。操縦ならともかく、機械いじりはおまえの方が強いだろ」
 なおもそれに反論しようとする妹を制して、マーシュはとどめの一撃をくれた。
「ブロテル先生に頼まれたんだよ。ラシーダ一人じゃ不安だからって」
「カッレおじさんが?」
「そ。遊びに行くわけじゃないんだ」
 アンナは劣勢にあることを認めざるを得なかった。一つ年上の姉は、彼女の最大のウィークポイントである。そして十日ほど前に起きた大騒ぎでスクラップ寸前にまで追いやられたザクを、来月のMSコンテストに間に合うように修理しなければならない、というのもまた事実であった。つまるところ、理屈を持ち出されると、彼女はマーシュに勝てたためしがないということである。

 父の旧友が、調査旅行で横須賀に来ることになっていると教えられたのは、学年末試験が終わり、ようやく夏休みを迎えてから数日たったころだった。
 調査船は、現在太平洋で調査を行っているところだが、一度横須賀に寄って補給を行うらしい。
 ひと月ほどバイトがてらクルージングを楽しまんか、そう告げられて、一も二もなく承知した。父だけでなく、マーシュたちとも親しい人間なので、こういう望外の幸運という奴も訪れる。
 もっとも、それだけではない、ということもよく分かっていた。彼はラシーダを、彼女の主治医であるスクライブ社のカッレ・ブロテルと共に連れて行くつもりだったのだ。
 少しばかり複雑な事情を持つラシーダのことである。こういうイベントも珍しくはなかった。そのことは措いておくとしても、つい先日に身柄を狙われたというのでは、しばらく海にでも出しておいた方がいいと判断したのだろう。彼もラシーダの「事情」については、ある程度の知識を持っているはずだった。
 身柄を狙われたもう一人の人間、父に対しても同じような配慮が働いたらしかった。ただし、彼の場合は、それは軍への復帰命令という形で表れていた。しばらくは横須賀基地根拠地隊の教官として、基地に詰めることになるらしい。
 その父もラシーダとマーシュが海に出ることに賛成した。正確にはラシーダについて賛成したのであって、マーシュはそのおまけである。
 もちろん、そんなことはよく分かっていた。彼としては、クーラーをフル稼働させても熱地獄のような状態になるハンガーで、スクラップになったザク相手に、機械油にまみれた夏休みを過ごしたくなかった、というだけのことである。
 もちろん、母については言うまでもなかった。
両親のお墨付きまで援軍に得たマーシュ相手では、アンナに勝ち目はなかった。
 ここ数週間、アンナをはじめとする機械部の連中に引っかき回され続けていたマーシュにとって、久しぶりの白星である。がっくりと肩を落とした妹の向こうに、同じような表情の機械部の連中を想像し、ようやく一矢報いた気分になれた。機嫌も良くなろうというものである。

 少し先で止まっていたえらくクラシックな形のジープが、クラクションを鳴らした。男が二人出てくる。一人が声をかけた。
「ラシーダ、マーシュ、お久しぶり」
「マサフミさん」
「元気そうで何より。話は聞いているよ、大変だったな」
 マサフミと呼ばれた青年は、陽に焼けた顔に気遣うような表情を浮かべて言った。誰に対して気遣っているかといえば、マーシュ一割ラシーダ九割というところだろうが。まあ、それは仕方のないところだろう。
 マーシュの視線がもう一人の男に向けられた。年格好はマサフミと同じぐらいだろう。夏向けの、つまり褐色の肌を持っている。度の強そうな眼鏡をかけていた。
「ああ、はじめてだったか? オーティス・ポンピドー、イワタ先生の助手だ」
「はじめまして」
 笑顔を浮かべてマーシュに手を差し出してきた。俺がやると、どうしても嘘臭くなるんだよな。そんなことを思いながら、同じように笑顔を作って手を握る。
「マーシュ・リーです。こちらは姉のラシーダ」
 ラシーダに握手などという人並みなことが出来るのかどうか、少し気がかりだったが杞憂だった。
 無表情・無言ではあったが、手を握ってかすかに頷いてみせた。それで充分だったらしい。オーティスの笑顔が深くなった。にやけたようには見えないあたりが彼の人徳だろう。ちなみにマサフミの場合、にやけているのが傍目にも分かる。
 こと意志疎通という部門では、ニュータイプ能力を持った美形という奴はほとんど無敵だな、マーシュはそんなことを思いながらマサフミに訊ねた。
「で、こんなところで何やってるんです、いやそれ以前に、いつ地球に?」
 たしか彼は、軍の研究所で人工知能の研究をやっているはずだった。彼とはじめて会ったのも、月面のフォン・ブラウン市にあるアナハイム・エレクトロニクス社の研究所でのことだった。軍から出向していたのだ。リー一家が地球に引っ越すときにも、そこにいたのだが──
「俺たちが降りてきたのは──そうだな、たしか先月の二八日だったから、ちょうどひと月前だな」
「俺たち?」マーシュは思わず反問したが、相手については、口に出すそばから予想がついた。
「イーディスですか?」
 マサフミが応えるまでもなく、本人の声が響いた。
「そ、あたし」
 声のする方に視線を向けてみると、彼ら二人が乗っていたジープがあった。
 あまり大きくはない、オープンルーフの見るからに軍用という感じのするジープである。
「……おまえ、ジープになったのか」
 呆れ顔になったマーシュに、ジープは応えた。
「失礼ね。ちょっと借りているだけ」
 誰に対して失礼なんだと思っていると、マサフミが言った。
「おまえ、港湾局の回線に割り込んだな?」
「大丈夫だって。バレてないし」
「そういう問題じゃないだろうが」そう言って小さな溜め息を洩らすと、マーシュに言った。
「まあ、そういうわけだ。今は海軍の研究所にいる。俺のボスが、海を使ってこいつの経験値を増やそうと考えたらしい」
「それでここにいるわけですか」
「あまり予算をかけないようにして仕事をするには、イワタ先生みたいな知り合いがいると楽でいい」
「で、そのイワタ先生は?」
 マーシュは、反対車線を挟んで建っている建物に視線を向けながら訊ねた。道路の上に掲げられている標識には「港湾局」とある。マサフミは苦笑のような曖昧な笑顔を浮かべた。この年下の友人は、少しばかり頭の回転が速すぎるところがある。
「出港を早めてもらうんで、お役人と交渉中」
「なんです、今日の出港って聞いてましたが?」
「本当はもう少し時間がかかるだろうって思ってたんだけどね。軍の機材を借りることが出来たんで、思ったよりもスムーズに補給が進んだんだ。手間取った場合を想定して出港の予定を提出したんだけど、修正したいと言ったらダメだって言われてね」
「それでですか。わざわざ足を運ばなくても、電話をかければいいのに」
 そう言ったマーシュに、マサフミは、今度は本当に苦笑を浮かべて応えた。
「直接顔をつきあわせるのが、一番強力な交渉術なんだそうな。俺も納得したけどね」
 それに対して応えようとしたマーシュを遮るように、イーディスが告げた。
「先生、出てくるよ」
 なぜそんなことが分かるのか、答は簡単だ。マサフミは顔をしかめた。
「イーディス、セキュリティに入るなって言っただろう」
「だって、バレないし──」
「バレなきゃいいってもんじゃないだろうが」
 誰も乗っていないジープに向かって小言をはじめるという光景は、日中では珍しいものである。
「ところで」一人と一台の問答を聞き流しながら、マーシュはオーティスに訊ねた。
「今回の調査は、どこでやるんです?」
「台湾海峡から南シナ海を流すことになると思います」
 オーティスはやけに丁寧な言葉遣いをした。どうも癖らしい。
「第二次大戦の沈没した輸送船の調査ですから、あまり面白いものじゃないでしょうけどね」
「構いませんよ。で、俺たちは何をするんです?」
「さあ」オーティスは首を傾げると、マーシュの後ろに立つラシーダの方に視線を移し、次いで顔を港湾局の方に向けた。
「先生に聞いてみたらどうです?」
 オーティスが視線を向けた方を見てみると、奇怪ななりをした男が港湾局の玄関から出てくるところだった。
「イワタ先生」と呼びかけようとして、マーシュの舌は凍り付いた。
 今年で四十四歳と聞いていたが、正直なところ、それよりも若くも老けても見えた。
 というか、見当がつかない。マーシュは思った。
 原色のアロハシャツに半ズボン、サンダルにサングラス。まあ、夏の海ではよく見かける姿である。
 ごついクロノメーターに、鉤爪の義手、一本棒の義足。
 ……現代版カリブの海賊。
 そんな形容が頭の中に浮かんできた。固まっているマーシュに、向こうの方から声をかけてきた。
「よう、久しぶりだな。二人とも変わりはなかったようだな」
「少し、背が伸びました」
 マーシュに代わってラシーダが答えた。例によって動じた気配すらない。
「んー、そうか、一年ぶりだからな。綺麗になったな」
「ありがとう」
「マーシュ、どうした、なんか固まってるようだが」
 ラシーダから視線を移すと、イワタは少し意地悪そうな笑顔で言った。つまるところ、自分の外見がもたらす影響は心得ているらしい。マーシュは、先刻マサフミが苦笑した理由を納得した。
「……たしかに最強の交渉術ですね」
 かろうじて応えてみせる。港湾局のお役人には同情するしかない。

 その車はこの時代では珍しい騒音を発していた。電気機関ではない。原始的な内燃機関の発する音である。
「暑苦しいな」
 内燃機関と合成風力とが作り出す音を圧して後部座席から聞こえてくる声に、ステアリングを握るマサフミは振り返りもせずに応えた。
「キューベルワーゲンは四人乗りですよ。無茶を言わんでください」
「調査船はまだですか」
 窮屈そうに身をすくませたマーシュが訊ねた。後部座席の真ん中に座る海賊船長を挟んで、両脇にはべる男二人。恰幅の良さでは船長に譲るとしても、身長では十六歳のマーシュもそれほどひけは取らない。
 いくらオープンルーフのジープで、過ごしやすい天気であったとはいえ、夏である。たしかに暑苦しいことこの上なかった。
「なに、もうすぐだ」
 気楽そうな口調で、マサフミが言って寄越した。たいていの場合、こういう状況で一番気楽なのがドライバーである。運転以外の要求はされないからだ。同じく助手席の人間。この場合、性格次第である。人によっては後席からの恨めしげな視線に耐えられない場合がある。
 無論、ラシーダに耐えられないわけがなかった。
 それ以前に、後席の惨状に気付いているやら。マーシュは港に並ぶ船を眺めているふりをしながら思った。
 ラシーダもマーシュと同様、港の方を所在なげに眺めている。同じポーズでも、マーシュと違って絵になる光景だろう。想いに耽る、とかなんとかいうサブタイトルが付きそうだが、どうせ何も考えちゃいまい。
 ま、一方で俺ときた日には、まずもって何も考えずにいることが出来ない。煩悩レベルじゃ数段上だな。
 頭の中でため息をついていると、ジープは騒々しい音をたてて減速をはじめた。音から察するに、ブレーキドラムがいかれかかっているらしい。マサフミが告げる。
「着いたぞ」
 マーシュは、ブレーキについて何か文句を言ってやろうとしたが、それより先に「調査船」を目の当たりにして、一瞬言葉を失った。
「ユーコン級の潜水艦じゃないですか」
 連邦軍の攻撃型潜水艦である。いくらスミソニアン戦争博物館の学芸員だからといって、調査船に使えるものではない。
「ジオンの置きみやげさ」
 イワタはなんでもないような口調で言った。マーシュの知る人間の中で、もっとも韜晦に秀でた男のセリフである。セリフの皮を一枚めくったら何が出てくるか知れたものではなった。
 疑わしげな顔をしてオーティスの顔を見る。オーティスは笑って保証した。
「嘘じゃありませんよ。一年戦争の時に建造されたものです。軍が廃艦にするのを引き取ったんです。かなり手を加えましたがね」
「おまえ、そんなに俺の言うことが信じられないのか」
「経験的に」イワタの抗議に、潜水艦を見つめていたマーシュは素っ気なく応え、質問を続けた。声と表情が堅くなっている。
「それで、あそこでコンテナを積み込んでいる連中は?」
 数人の男女がフォークリフトを操り、潜水艦のデリックにコンテナを積み込んでいた。フォークリフトを運転していた男がキューベルワーゲンに気付き、手を振る。他の者もそれで気付いたらしい。一人の少女がこちらに走ってきた。走りながら叫ぶように言う。
「遅かったねぇー」妹だった。
「……あれは?」マーシュはイワタに尋ねた。
「妹にその指示代名詞は不適当だろう」
「じゃ、他の連中でもいいです」
「バイトだよ。おまえたち同様」イワタは涼しい顔をして言い切った。こういうあたり、マーシュにはまだ勝てない。




続く

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