2 潜水艦 「くそー、騙された」 マーシュ・リーはひとりごちるように言った。思わず独り言が出るというタイプではないので、こういうのは誰かに聞かせるという目的があると見ていい。たとえ、それが半ば無意識のうちに発せられたとしてもだ。 「何を騙されたんだ」 逗子南高校機械部部長のスズキが訊ねた。マーシュのセリフが、自分たちが港にいたことに関連して出ているのは明白なので、質問というよりはツッコミである。 「そりゃぁ」言いかけて、マーシュは一瞬言葉に詰まった。少なくとも機械部の面々に非はない。いや、非というか疑問が一つある。 「Mコンはどうしたんです?」 思考の赴くままに質問してから、文脈をすっぽかしたことに気が付いた。もっとも、スズキも同じようなことを考えていたらしい。妙な顔もせずにすぐに言葉を返した。 「この船のハンガーを貸してくれるそうだ」 ユーコン級潜水艦は、もともと大型の巡航ミサイルを多数搭載することも可能な、汎用多目的攻撃型潜水艦として設計されていた。ミサイルのランチャーセルを換装すれば、MSの整備も可能なハンガーとなる。 『ボナドヴェンチャー』と改名された、ジオン製の元連邦海軍潜水艦U−8162の場合、かなり大型のMSでも一機収容できるハンガーセルを、四基搭載していた。セルの内二基は敷居を外して連結しているため、大きいハンガーが一つ、小さいのが二つあることになる。中破状態で分割されてコンテナに積み込まれてきたザクは、大きい方のハンガーを提供されていた。 もっとも、全てのスペースを機械部が占有できるわけではない。大きい方のハンガーには、イワタたちが調査の時に使用する特殊作業用のチューンを施されたMSがおかれていた。 「ふぅん、まあ、この船の設備なら、ザク一機レストアするぐらい、さして苦労はいらないでしょうね」 マーシュはハンガーに設置されている様々な工作器具を眺めながら言った。視線が一点にとどまる。 「ところで、あのMS、一体なんて言うんです?」 この船の乗員でもないスズキに訊ねる質問でもなかったが、筋金の入ったMSオタクのスズキなら、大抵のMSについてなら返事が返ってくる。この場合も期待を裏切らなかった。 「カプールだな。ネオ・ジオンの両用MSだ」 「面白い形ですね」 カプールには、球に手足が生えたという形容がそのまま当てはまった。水圧に耐えるという意味において、合理的な形状ではある。実際、球から突き出た手足も、水中を航行する際には球の中に収納されるらしい。 「水圧だけじゃなくて、防弾という意味の方が強いけどな」スズキはそう言って説明を締めくくった。 「ま、俺たちの相手はカプールじゃなくて、ザクの方だ。おまえも手伝えよ」 「俺は機械部の部員じゃないですよ。俺の分までアンナをこき使ってやってください」 マーシュはそう応えてかわそうとすると、正面切って攻められた。 「もとよりそのつもりだし、本人もそのつもりだ。が、手は多い方がいいからな」 「まあ、手が空いていたら手伝いますよ」さすがにかわしきれずに譲歩する。もっとも、逃げ道を作っておくことは忘れなかった。 「ただ、俺はイワタ先生とかブロテル先生とかに用事を言いつかると思いますんで、その場合は遠慮させてもらいますよ」 「ブロテル先生って、スクライブの爺さんか?」 「ええ。ラシーダの主治医です。俺はあの二人の雑用係というバイトなんで。先輩たちはどういう触れ込みでこの船に乗っているんです?」 「いや、俺たちも『調査補助』という肩書らしいけど。実際にはほとんど何もしなくていいらしいが」スズキは何かを考え込むような表情を浮かべながら答えた。 「なあ」スズキが口を開くのと同時に、天井に取り付けられたスピーカーがマーシュを呼び出した。 「おいマーシュ、イワタだ。船長室まで来てくれ」 「だそうで。それじゃ」会釈をして、マーシュは船長室に向かった。 「よう」船長室にはイワタとブロテルがいた。 「どうしました?」 「ちと話がある」 二人の様子はいつもと変わらなかったが、マーシュは何か引っかかるものを感じた。が、二人の表情からそれ以上を読みとることもできない。 カマをかけてみることにした。 「ラシーダのことですか」 反応したのはブロテルだった。 「そうだ。どうしてそう思った?」 「いや、俺とラシーダが、いくら父の友人からの話でも、調査中の船に招待されるのも変な話だし、ましてそれに主治医の先生がくっついてきたら、誰だって変に思いますよ」 「『誰だって』か、その通りかもしれんが、普通はそこで終わりだろう。アンナみたいに気楽に幸運を楽しむ方が、当たり前だとは思わんか」 マーシュは一瞬、言葉に詰まった。別にブロテルに反論しづらくなったわけではない。あまり使いたくない表現を使わざるを得ないからだ。 「……俺たちは──当たり前じゃないですから」 それまで黙っていたイワタが、ニヤリとして言った。 「『ラシーダは』と言わないあたりが心遣いだな」 マーシュは不機嫌な表情で黙り込んだ。相手が悪いとはいえ、心を見透かされるのは面白くない。イワタは気にも留めずに続けた。 「まあ、いい。おまえを呼んだのは、おまえがそういう頭が良くて性格の悪い奴だからだ」 「全然分かりませんよ、それじゃ」 「こちらで黙っていても、そのうちほじくり出してしまうだろうが。それだったら先に抱き込んでおいた方がいいだろ」 身も蓋もない言い様だった。反論もできないので先を促す。 「予想は付いていると思うが、ラシーダにとって今回の航海は二つ目的がある」イワタに代わってブロテルが応えた。 「一つは、元からの我々の仕事だ。ラシーダが海でアレをどこまで使えるか」 「それですけど、アンナとか機械部の連中がいたらまずいんじゃないですか?」 マーシュが疑問を述べると、イワタが口を挟んだ。 「ファンネル見られてるんだ。いまさら同じだよ。ちゃんと見せて、その上で共犯者感覚を持ってもらってから口止めした方がましだ」 「ラシーダについても?」 「サイコミュコントローラーを使って遠隔操縦とかをしなければ、なんとでもごまかせる。よしんば見られても、それで先日の状況と同じだろ」 見てきたように言うイワタに、マーシュは苦笑して頷いた。 「まあ、あれがラシーダの仕業だって分かる奴は、そうそういないでしょうけどね」 「もう一つは」ブロテルが話を続けた。 「分かっているだろうが、ほとぼりを冷ますためだ」 「ネオ・ジオンは、まだ諦めてませんか」 ブロテルは肩をすくめた。 「分からん。分からない以上は、諦めていないという前提で動くのが軍人だ。それに、前回奴らはゼータ・プラスに乗っていた。ハイザックなんかとは違って、あれは簡単に手に入る機体じゃない。何らかの組織があると考えた方がいい。今、軍の方でも調査しているらしいが」 「どうせ調査結果は非公開だろうがね」イワタが口を挟む。ブロテルも反論しなかった。 「ほとぼりねぇ。ひと月ぐらい海に出ていたところで、どうなるようなものじゃないでしょうに」 マーシュの素朴な疑問に、イワタが応えた。 「それでいいんだ。ラシーダには相応の関心を持っている保護者がいる、というメッセージを送られればいい」 「考えようによっては、かなり面倒なことになってますよねぇ」マーシュはため息をついた。 「サイコミュコントローラーを使えるニュータイプなんて、地球圏に何人いるやら。連中も必死になるはずだ」 「そういうことだ」イワタはそう言って立ち上がると、マーシュに告げた。 「事情ってのはそういうことだ。一応気に留めておいてくれ。では発令所に行くか」 「わかりました」 「こういう場所ではアイ・アイ・サーって言うんだ。知らなかったか?」 3 宝探し 「マーシュ君、何か見えますか?」 インカムから聞こえてくるオーティスの声に、マーシュは前方の光景を映し出しているはずのモニターを見つめ直した。 「全然見えないですね」 モニターには、現在の深度や海流についての情報が映し出されている。それらの数字を信用するのなら、現在の深度は八二六メートル。 正直、あまり信用していない。マーシュはここ数時間の経験から、カプールに装備されている機材や資料の精度について、あまり楽観しないことにしていた。 カプール自体はいい機体だった。外見が、ではない。特に深々度潜航中の現在の形態はほぼ完全な球状で、どちらかといえばユーモラスなぐらいだろうが、そんなことはどうでもよかった。いや、むしろその球状の機体がもたらす耐圧性能をはじめとする、実用本位の性能の方が好もしかった。 問題は、海図や水質データなど、機体そのものとは関係のない部分だった。十七年前にはじめてコロニーが落ちて以来、幾度となく行われた人類の大規模な破壊活動によって、地形や海流の流れなどがかなり変化していたにもかかわらず、そうした変化を踏まえた資料の更新がなされていなかったのだ。 特にシドニーに落ちたコロニー『アイランド・イフィッシュ』と、四年前にチベットに落ちた『5thルナ』の影響は大きかった。このため、地形が変わり、海流が変わったのだ。 おかげで何も見えねぇ。マーシュは心の中で毒づいた。せいぜいマリンスノーが見える程度のはずだったこの深度では、一度撹拌された影響はなかなか消えない。あるいはこのあたりのどこかが、恒常的に泥を巻き上げるような地形に変わったのかもしれない。 その可能性について母船に訊ねてみた。ちなみに『ボナドヴェンチャー』とカプールは、最長一〇カイリにも及ぶワイヤーで結ばれている。 「それを調べるのが僕たちの仕事ですからねぇ」 涙が出てきそうなほど、やる気にあふれた返事である。 「このあたり海底の隆起も結構あるから、多分それが当たりだと思うけど」 イーディスの声がスピーカーから流れた。今回の調査行では、マーシュの唯一の同行者である。 あてになるかどうかは別問題である。 「イーディス、ソナー情報から海底マップを作ってくれ」 「やったことないんだけどな」 「やり方も知らんのか?」 マーシュは訊ねた。咎める口調ではない。イーディスの本体部分は、それほど大きな機能を持っていない。ほとんどを占めるのが人格部分で、細かい機能については、他の端末に接続し、統合することによって得られるようになっている。「知らない」のが当然なのだ。 「『ボナドヴェンチャー』からロードしたよ。でも、細かいのは無理だけど?」 「なに、大体が分かればいい。演算に手間取るんなら、『ボナドヴェンチャー』のメインフレームを借りろ」 「アイ・サー」 「どうだ?」イワタが訊ねた。副直コンソールに取り付いて、イーディスの状態を見ていたオーティスが応える。マサフミはもう一人の副直、つまりイワタかオーティスが寝ている間が当直時間のため、現在は自室で寝ている。 「始める前にブツブツ言っていた割には悪くないです。カプールに乗るのが初めてとは思えませんね。イーディスのあやし方もなかなかのものです」 「そうか」ニヤリとする。マーシュは彼にとって、息子同然の存在だった。嬉しくないはずがないが、相好を崩すとまでいかない。このあたりは彼の性格である。 「まあ、座っているだけだしな」 「そりゃそうですけどね。でも、彼も両用型を操縦した経験はないでしょう?」 「経験値稼ぎをさせてやっているわけだ」 イワタの言葉を聞き流し、オーティスは本題に入った。 「それで、いつまでをお考えです?」 「ま、一週間ほどかな」 「あたりが出ればいいですがね」 「どうかな」イワタはディスプレイに表示されている海図を眺めた。 台湾が北、フィリピンが南。ルソン海峡から東に百カイリ。 今回の航海は、二つの仕事をこなすことになっている。一つは彼の本業、つまり第二次世界大戦で沈んだ輸送船を発見し、調査すること。 もう一つは連邦海軍から引き受けたアルバイト──海底図を作ること。宝探しをする上でも必要な作業なので、片手間の仕事ということになる。実際には片手間どころか、こちらが本業になるだろう。 順調に進めば一週間ほどで海底図は出来上がるだろうが、手頃な輸送船を見つけられるかどうか、そして見つかった船が調査に値するのかどうかは完全に運次第である。 「幸運は期待しないで待つ方が、実際に運が良かったときに嬉しいからな」 「おもしろくない話ですけど、まあ、現実なんてそんなものですか」 「そういうことだ」 夏の太平洋は、比較的波が穏やかである。ラシーダとブロテルは、『ボナドヴェンチャー』の甲板に出ていた。潜水艦ではあるが、『ボナドヴェンチャー』は天気が良くて波が穏やかであれば、浮上している方が多かった。 「いい天気だ」ブロテルは、船内から持ち出してきた折り畳み椅子に腰掛けていた。 「普段ラボにこもりっきりなんだから、たまには陽にあたらんとなぁ」 二人とも外見的には北欧系なので、白い肌がやけに目立つ。休み休みとはいえ学校に通っていたラシーダはまだしも、ブロテルの肌は白というより青白かった。 例によってラシーダの反応はない。ブロテルも気にした様子もなく続けた。 「ν改とイーディスとのマッチングはどうだ?」 質問を受け、ラシーダは口を開いた。 「いいみたい。戦闘機動でなければ、イーディス単体でも使えるわ」 「さすがはアリスの直系ということか」ブロテルはそう言うと、ふと気付いたように訊ねた。 「暴走の危険性はどうだ?」 「人格は安定しているんじゃないの?」ラシーダは疑問形で答えた。これがラシーダの冗談だと分かる人間はほとんどいないが、ブロテルは数少ない例外の一人である。リー一家は別として、彼もまた彼女にとって、「家族」の一人なのだ。 「なるほどな」ブロテルは苦笑した。笑うと目が皺に埋没しそうになる。 「あの状態で安定しているとしたら、相当のおてんば娘だな」 「マーシュやアンナにはなついているみたい。機械部の人たちとはそれほどじゃないみたいだけど」 「人見知りするんだろう。あまり人と接した経験がないからな。じきに慣れるだろう」 これはブロテルの冗談に位置づけられる発言なのだろうか、めずらしくラシーダは一瞬考え込んだ。ブロテルの笑みが深くなる。 「まあ、仲良くしてやってくれ。マサフミ君によればずいぶん成長したらしいが、まだほんの子供だからな」 ラシーダは頷いた。彼女には共感できる理由があったからだ。 「うー、ちょっと休憩」 機械部部長のスズキは、基板を固定した作業机から顔を上げた。 「大丈夫、スズキ君?」 副部長格のアミが、心配そうに訊ねる。 「そんな細かい仕事、あとでやればええのに」 「こういう仕事は俺しか出来ねぇだろうが。あとで苦労するんだったら、先に少しでもやっといた方がいい」 「んなカッコよさげなセリフの似合うキャラちゃうやろ。半死人が何人おってもしゃあないんやから、ちょっと休んだ方がええよ」 スズキは反論しようとしたが、彼にしては珍しくおとなしく従った。体調についてはよく分かっていたらしい。 「上で潮風にあたってきたら?」 アンナが言った。 「そうだな」 「じゃ、あたしも行こっと」 「ほう」 「おねえちゃんがいるから、無責任に変な虫を近づけるのも危険だし」 「……おまえなぁ」 マサフミが発令所に入ってきた。定刻より一時間ほど早い。 「早いな」 イワタが彼の挨拶に応えた。 「眠りが浅くて。疲れているはずなんですがね」 「年寄りくさいセリフだが、まあいい。戦時中じゃないしな」 「マーシュたちはまだですか」マサフミは感心したように言った。 「六時間以上潜っているんじゃないですか、元気だねぇ」 「マーシュにそれを言うなよ」イワタが苦笑して言った。 「ここ四時間ほどは、視界五メートルで海底隆起をかわしつづけているんだから」 「でもソナーは機能しているんじゃないですか?」 「人間の捉える外界情報の八割は視覚によっているんだ。おまえも目を瞑って、何もない通路でいいから二三十メートルほど歩いてみろ。少しは想像が付くだろう」 「なるほど」マサフミは決まり悪そうな表情を浮かべた。 「ですが、それならなぜこんな無理をさせるのですか?」 「一時間ほど前、彼らが何か妙な音を拾い出したんです」オーティスが答えて、コンソールを操作してスクリーンに波形を表示した。 「はぁ」マサフミは要領の得ない返事を洩らした。彼は音響探知の専門家というわけではないのだ。オーティスは構わず続けた。 「妙だと思ったのは我々じゃないですよ。イーディスです。データベースを調べる限り、あれは地中の造山活動か」別の波形を表示する。続けてもう一つ。 「あるいはハイドロジェットだそうです」 「どちらでも不思議はないだろ」マサフミは言った。 「このあたりは造山帯だから、海底深くでマグマがごろごろいってもおかしくないし、連邦海軍の潜水艦なら、だんまりで走り回っていてもさして不思議じゃない」 「ああ、俺もそう思う」イワタが言った。 「が、造山活動というのもな。専門家の観測組織じゃ、このあたりは最近かなり安定していて、妙な動きはないらしいし、しゃっくりというには続きすぎだ」 「じゃあ潜水艦でしょ」 「そう思うが、ちょうど今、連邦海軍はハワイ沖で演習中なんだ。それでこのあたりに潜水艦がいないというんで、今回の調査航海を行ったぐらいだからな」 マサフミは驚いたような表情になった。無理もない。ひと月前からこの船に乗り込んでいるが、そのような話はなかった。 「それは初耳です」 「すまんな。軍の情報なんで、あまり言いふらすのもなんだから黙っていたが」 「しかし、それじゃあの潜水艦はなんなんです?」 「分からん。一番ありそうなのはやはり連邦の潜水艦というオチだがね。全ての潜水艦が演習に参加するわけでもあるまいし」 「だからマーシュ君たちに後をつけさせていたんですよ」オーティスがあとを続ける。 「海賊か何かだとでも思っているんですか?」 「まあ、それはないね。潜水艦は、海賊が持つには金を食いすぎる代物だ」イワタが答えた。 「要するにゲームさ。ちょっとは緊張もあった方が面白いだろ」 イワタがそこまで言ったとき、マーシュから呼びかけがあった。 「どうした」 「ロストしました。イーディスは、しばらく待っていたらまた見つけられるんじゃないかと言ってますが」 音波が海中を伝わる条件というものは、深度ごとの海水の温度や海底の形状、海面の気象状態など、様々な要素から成っている。双方の位置が変わらなくても、ふとしたことからソナーに捉えられなくなることも珍しくない。 「いや、もういいだろう」イワタは追跡の断念を指示した。 「我々の仕事は海底図を作ることだ。おまえも疲れているだろう、揚がってこい。潜水艦狩りはまた今度暇なときに続きをすればいい」 「何時間──って、もう六時間ですか」 「気付かんものだろ」イワタはニヤニヤしながら言った。 スズキは甲板に設けられた手すりにもたれかかっていた。 アンナは、ラシーダやブロテルと話し込んでいる。 夏の陽光が海面で乱反射し、目に突き刺さる。万華鏡をのぞき込んでいるようで、今この瞬間に限れば、それはそれでなかなか心地よい。 スズキは、視神経の抗議を聞き流しながら、ラシーダのことを考えていた。 正確にはリー一家のことである。 昨年、月から引っ越してきたあの三人とは、ほぼ一年のつきあいになる。 もっとも、同じ学年とはいえクラスの違うラシーダとは、ほとんど口をきいたこともない。機械部に入部してすぐに自分のポジションを確保したアンナと、アンナが何かにつけて引っ張り込んでくるマーシュの二人で、スズキにとっては充分だった。 ラシーダについては、噂に寸分違わない「謎めいた美少女」という位置づけだったのだ。 それで問題なかった。女の子よりも機械と向き合っている方が楽しい──まあ、機械部には、どういうわけだかこの手の活動には縁が薄いはずの女性部員が、質・量ともに豊富だということもあるからかも知れないが──というスズキにとっては、ラシーダは関心の対象にならなかったのである。 事情が変わったのは、先日の騒動の時だった。 距離があったのではっきりとは見えなかったが── あれはたしかにフィンファンネルだった。 このことについては自信がある。あの時、ゼータ・プラスが放ったビームは、彼女とその父親の寸前でなにものかに受け止められ、消散したのだ。 ミノフスキー立方格子のトラップ現象とその反作用が、高エネルギー状態のミノフスキー粒子によって形成されるビームを受け止める究極の対ビーム装備。技術的には一年戦争の頃から存在していたらしいが、システムの稼働があまりに困難なため、ほとんど実用化されたためしのないIフィールド。 もちろん彼も実物を見たことはなかったが、あの現象はそれでしか説明できない。 そして、そのシステムを母体となるMSやMA以外の場所で稼働させられるのは、彼が知る限り、νガンダムと通称されるRX−93系列の機体が唯一のはずだった。戦時中は他にもそういう装備を実験的に施した機体もあったらしいが、現在では存在しない──はずである。 そして、フィンファンネルを装備したRX−93を扱えるのは、『ニュータイプ』と呼ばれる一種の超能力者のみ。 しかも、あの時ラシーダはファンネルのみを操っていた。いや、もちろんラシーダの父親や、あるいは彼らとは異なる第三者がフィンファンネルを送り込んだ可能性もあるが、ラシーダを取り巻く人々や状況から、彼女自身がニュータイプ、それも相当に強力なニュータイプであり、あの一件は彼女自身の意志によるものであると考えた方が道理にかなう。状況証拠でもこれだけ揃っていれば充分だろう。 彼の認識は基本的には間違っていなかった。数年前、アナハイム・エレクトロニクスはMSA−011、Sガンダムと呼ばれる機体を開発していた。連邦軍は、その機体のオプションとして同時に開発された、リフレクター・インコムと呼ばれる非サイコミュ型の簡易Iフィールドを用いて、ラシーダが行ったのと同じようなことを可能にしようとしていたが、幾つかの理由から断念していた。つまり、この時点でニュータイプの力によらずして、機体から離れた場所でIフィールドを展開することは不可能だということである。一高校生の持てる情報量と知能とで、軍の機密の隙間からここまで推理するのはかなりの困難である。その意味で彼の能力は賞賛されていいだろう。 そして、ここまで推理しえたが故に、彼は困惑していた。 ニュータイプか……。 この時代、ニュータイプという語はそれほど一般的ではないにしても、ある程度には認知が広まっていた。 大半の人間──特にアースノイドは、せいぜいがあまり使えない超能力の一種という程度の認識しか持っていなかったが、それでも学校などの公共機関では能力の有無をテストしたり、あるいはその力について理解を深めるための教育なども行われていた。 しかし、地球の学校ではそのような能力を示す者は、ほとんどいなかった。あまりあてにならない統計によると、明確な傾向を示す人間の割合は、数百人から数千人に一人の割合ということになっていた。もっとも、定義すら判然としない、ましてや能力の大小についてなどほとんど誰にも分からないような力についての統計がどの程度信用に値するのかなど、あえて述べるまでもないだろうが。 スズキの場合も、ごく一般的な判定結果だった。つまり「適性なし」。 別段、それをどうとか思ったことはなかった。周囲の人間が全て同じ評価なのである。仮にいたとしても、だからどうということもなかった。日常が変わるわけではなかったのである。 それが一気に非日常に突入したのがあの時、Iフィールドがビームを受け止めた時だった。 非日常を言うのなら、その前段、ザクやゼータ・プラスがいきなり校庭で格闘戦を始めた時の方が適当だとは自分でも思うのだが、そうではない理由も明白だった。 あの時から、目に映る光景が異なる意味を持つようになってきたのだ。 ラシーダが学校を休みがちなこと、マーシュやアンナがあまり家のことを話題にしないこと。考えてみれば、二人とも姉のことをやけに気にしてはいなかったか。 特にマーシュだ。スズキを含めて同年代の少年の中では飛び抜けて優秀な能力を持っているのに、またそれだからこそか、彼は自分の能力を誇示しようとはしなかった。しかし、その彼もラシーダに関する限り例外を設けているらしいことは、これまでの彼を見ているだけでも、充分に予想が付いた。 そう考えていくと、今回の航海も納得がいく。実際にはこの航海は、「ラシーダのために」行われているのだろう。 スズキの考えは、多少の過大評価──例えばマーシュに関して──はあるにせよ、おおむね真相を捉えていた。イワタやマーシュの予想よりは、ずいぶんと読みが深い。 それだけに困惑していたのである。一体自分は、どのようにリー一家とつき合えばいいのか? 思考に埋没していたスズキは、強烈な日差しで早くも乾燥してしまった甲板が鳴らす足音に気付かなかった。 「スズキ君」突然の呼びかけに、慌てて振り返る。ラシーダだった。他の二人はすでに船内に戻ったのか、視野には存在しない。 「わたしたちとは、ごく普通に接してくれればいいと思うの」 内心の驚きが、そのまま表情に出るのが意識された。だが、ラシーダは表情も声の調子も変化させずに言葉を続ける。 「あなたの心が読める訳じゃないけど、考えていることは分かるわ。あの時、フィンファンネルを見た人のうち、どれだけがあなたと同じ結論にたどり着いたかは分からないけど」 スズキは苦労して言葉を組み立てた。 「ニュータイプといっても、同じ人間だって事か?足が速かったり、遠くのものが見えたりしても同じ人間ということで」 「そうね。わたしたちはそう考えたいけど、そう考えない、あるいはそう考えられない人がいて、それももっともだと思えるだけの理由があるのだけど」 よく分からない言葉だった。思いつきを言ってみる。 「つまり、それがあのIフィールドということなのか?」 ラシーダはその時、はじめて表情を見せた。寂しそうな、悲しそうな表情が、一瞬だけ。「そうよ」 返事の方からは何の感情も窺えなかった。が、スズキにとっては充分だった。 「分かった」 短く答える。ラシーダは軽く頷くと、きびすを返し、艦橋に設けられたハッチをくぐり、船内に戻った。 スズキは、甲板に残ることにした。もう少し思考をまとめたかったのだ。 |