小咄



其の壱 『されば爾に問うっ。ガンダムとは、何ぞやぁっ』(大槻ケンヂ調)

 サンライズから『機動戦士ガンダム』が放映されたのは79年のことである。一年戦争関係のもの

を並べると、『機動戦士ガンダム0080』が89年、『機動戦士ガンダム0083』が91年、『機

動戦士ガンダム第08MS小隊』が95年。当然、デザイナーもアニメーターもレベルが異なってい

る。しかも、監督が替わると話も変わるのである。「初代」と「0080」のザクがどーしてこんな

に違うんだぁーと叫び声が上がるくらい違っていたりするし、「第8MS小隊」のボールが変に強い

んじゃねーのとゆぅ意見が出たりもするわけだ。

要するに、「こっちの世界」じゃ時間の流れは一定なのに、「あっちの世界」では必ずしもそうで

はないということが言いたいわけだ。その辺りについて、プレイヤー(これを読んでいる君のことだ)

やデザイナー(私のことだな)が持っているイメージはブラウン管の中のものであって、実際のゲー

ム世界においては適当なフィルターをかけてやる必要があるのだという認識がいるわけだ。

しかし、フィルターをかけてやったらどんなMSなるのだろうか?あるいはどんな装備をしている

のだろうか?ゲーム世界のガンダムはどの程度の存在なのだろうか?

ここではそうした点について、『リアリティ』ある回答を探してみることにする。


其の弐 『来るべき近未来、第三のエネルギー革命、シズマドライブの発明により……』

SFっぽいお話の場合、ある程度は科学的考証という奴が必要になってくる。どの程度入り用かは

その舞台背景次第だが、とりあえず必要だ。まるっきり現実世界のお話でSFにならないというレベ

ルから、物理法則から話の脈絡まですっ飛んでしまうレベルまで。

 ガンダムの魅力の一つに、「割とそれっぽいリアリティ」というものがある。嘘臭くないSFとい

う奴だ。スペースコロニーや大気圏の熱問題、宇宙のゴミで暗礁宙域が出来るし、ザクがマシンガン

を撃てば薬夾が飛び出すのである。一方でミノフスキー粒子という怪しげなもののためにレーダーは

使えない、核融合炉は小さくなる、ビーム兵器は飛び交うし、また、わざわざ宇宙で人型もなかろう

(いくらAMBACがあるとしてもだ)。とどめはやはりニュータイプだろう。妖しさ爆裂モードで

ある。ララァとかカミーユなんか危なすぎ。

 しかし、それなりにルールを守っているのである。ミノフスキー粒子についてのそれが一番はっき

りしている。だからこそ納得できるのだろう。一つの嘘があっても、それに上乗せするものが明確で

理解できるものであるならば文句は出ない。

ニュータイプの概念が嫌われる理由の一つに、それが明確でなく、嘘臭すぎるという点が挙げられ

るだろう。能力を持っていないオールドタイプでは手も足も出ないなどという「万能の力」なんぞに

感情を移入しろといっても無理に決まっている。


其の参 『ザクとは違うのだよ、ザクとは』(ランバ=ラル大尉)

ガンダムという「TV番組」を作っているのは、もちろんその専門家である。当然、SFとストー

リーと、どちらかを迫られることもある。普通、その場合にSF設定を優先させることはないだろう。

それでは視聴者の大半には理解できないはずで、番組としては失格だ。

ゲームデザイナーの側からは論理が異なっている。こちら側にしてみれば果てしなく現実に近いこ

とこそを価値とする(とりあえず、ここではプレイアビリティについては問題にしないとしておく)。

ゲームのルールやデータにストーリーはいらないのだから当然だ。

ここで問題が発生する。ガンダムは最強のMSでなくてはならず、ザクはやられ役でなくてはなら

ない。しかるに赤くなるだけでやたら強くなってしまう。グフやドムに至ってはもっと極端だ。乗っ

てる奴が違うだけで、どうしてあそこまで強さが違うんだ?やはり初出時の強敵は、二度目以降はザ

コ扱いという伝統のなせる技か?

TVならば話は簡単だ。主人公と敵役とやられ役の順序さえ決まっていれば、後は問題ない。ザク

は赤ければ三倍の速度で機動出来るのだ。しかし、ゲームのデータ上ではそうはいかない。なんとか

「合理的な」説明がいる。そうしたわけでS型はF型よりも30%ほど出力が上であり、それを操る

パイロットは歴戦の強者なのである。

 シロートが戦果を挙げるためには理不尽な運の強さや怪しげな『力』が必要とされるわけだが、そ

の結果、ゲームから合理性が失われてゆき、デザイナーにとって困ったことになるのである。


其の四 『戦場にようこそ』(「遠すぎた橋」のロバート=レッドフォード風に)

 以上の通り、双方の立場が違うので、データ上の論理性やリアリティの面での追求に対し、「これ

はハードSFじゃないんです」と逃げるのは、決して責められるべきことではないのだ。少なくとも

そちらの方を優先させたあまりに、つまらない話を作ったというよりは遥かにマシというものである。

商業放送の最低限の条件というものだろう。もっとも、それが守られているかどうかについてまでは

コメントしないが。愚痴っぽいのはいけない。

では、ゲームデザインを行う上ではどうするか。回答は二つある。

あくまで作品世界(TVやOVAで放映された世界)を優先させ、ゲームデータやリアリティにつ

いては目をつぶるか、ゲーム世界を別のものと割り切って、「もう一つのガンダム世界」を構成する

か。もちろん一長一短があるが、ここで採用するのは後者である。ちなみにこちらの場合、ゲーム的

には面白くなるが、やりすぎるとガンダムではなくなってしまう恐れがあるのが問題だ。ま、あまり

むずかしく考えずに「ガンダム『パワードール』化計画」とでも名付けておこう。

ところで「パワードール」について知らない人もいるだろうからつけ加えておくが、これは工画堂

の作った軟派(キャラクターで騙される)で硬派(ゲーム内容で騙される)な戦術級コンピュータS

LGのことである。良くできたSLGなので一度やってみては如何なものかと。ただし、このゲーム

での最強の装備は全て肩ラッチに搭載しているものであり、携帯装備はそれほど凶悪ではない。ガン

ダム世界での凶悪兵装は特に装備位置に左右されないので、その辺りが相違点だろう。


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