第零章  諡(おくりな)と廟号(びょうごう)

 

 高祖に太祖、太宗、高宗、武帝に煬帝、文帝、霊帝、献帝、宣統帝・・・。
 あぁ、ややこしい。しかも、太宗というのは、二代目の皇帝につける名なので、5人くらいいます。
 特に知ってる必要はないのですが、知ってた方が、中国史を楽しむ上で便利かな、と思います。興味のある方はどうぞ(中国史雑文列伝に戻る)。

 諡(おくりな。難しい字なので、以後は、贈り名とします)とは、死者に対し、その生前の行いによってつける呼び名のことです。
 有名人を例に挙げましょう。
 聖徳太子に「日没するところの天子」と言われ、ちょっとむかついた煬帝(ようだい)という隋(ずい)王朝の皇帝がいます。彼の場合「煬」が贈り名です。「煬」というのは、なんでも「女性を好んで、礼を知らず、民を虐げる」という意味があるそうです。彼に対する恨みがこもった贈り名です。
 もし、煬帝に直接会う機会があったとして、彼に「煬帝様」なんて言ったら、すぐさま首と胴体が、さようならします。煬帝の死後「いやぁ、あいつは酷かった」という感慨をこめて、煬帝と贈り名したのです。煬帝自身、生前に、後世自分が「煬帝」と呼ばれるようになるなんて知りませんでした。
 まぁ、明(みん)王朝以後はちょっと事情が変わる(贈り名が、やたら長くなって不便になりました。明王朝を建国した人の贈り名は21字あるとか)のですが、ひとまずこの説明でよしとしておきましょう。

 続いては廟号(びょうごう)ですが、これについてはちょっと自信がないので、広辞苑第4版で辞書的な意味を確認しましょう。 
 廟号──宗廟の称号。中国などで、天子の霊を宗廟にまつる際につける尊号。高祖、太祖など。
 霊をまつるのですから、当然、死後におくる名前です。
 私たちでいうと、戒名のようなものでしょうか。

 贈り名も廟号も、死後につけられる名前です。というわけで、中国の皇帝には、生前に名前がありません。正確には、人々が呼べる名前がありません。
 中国では、人の名を呼べるのは、主君や親だけです(中国史雑文演義第零回)。ですから、皇帝を名で呼ぶことなど、おそれ多くてとてもできません。ですから、名前がないのと同じです。誰も呼べない名前など、あってないようなものですから。
 臣下が皇帝を呼ぶときは「陛下」とか「皇帝陛下」とか、それ以外には呼べなかったんですね。なかなか不便です。

 中国の皇帝たちは生存中、名無しのごんべえで生きた、といっていいかもしれません。
 最も有名な人たちに、名前がなかった・・・なかなかおもしろい話です。