はっきり言いまして、この話はあまりおもしろくありません。
先に第一回からお読みいただいて、ふと思い出したとき、ここへ帰ってきてください。
御挨拶からいらしてくれた方はここからお帰りいただけます。
姓と名は日本にもあります。でも、字(あざな)はないですね。私は今まで生きてきて字をもった日本人に会ったことありません。
字は成人したときに自分でつけます。一人前になったときに自らつけるものですから「私のことをこう呼んでほしい」という意思表示でもあるわけです。ですから、人を字で呼ぶことはその人を一人前と認めたということになるのです。御挨拶でも申し上げましたが、定遠亭において、私の姓は馬(ば)、名は青(せい)、字は子空(しくう)です。私のことを「子空」と呼んでくれる方は私のことを一人前と認めてくれていることになります。ですが、「青」と呼ぶことは字を無視しているので、私を一人前と認めていないことになります。
あなたが「この孺子(こぞう)め。生意気な!」と思う人間には、名を呼ぶわけです。ただ、人を名で呼んでいいのは、その人の主君や親だけだったようです。
一つ注意していただきたいのは「馬青子空」と呼ばれては困ります。名と字を同時に呼んではいけないのです。それだけはお気をつけください。
全く名との関連がない字はないのだそうです。私はそんなこと知らずに字をつけたのですが偶然にも「青」と「空」でうまく対応しました・・・としておきましょう。
うわ〜〜、数年ぶりにこのページを開きましたが、なんか・・・タイトルで「姓と名と字」って言っておきながら、日本広告審査機構に苦情が寄せられそうなほど、内容に身がないですね(^^;
「日本広告審査機構ってなんJARO?」
あー、そう思ったあなた、もう自分で正解言ってます。
というわけで、訴えられる前に、タイトル変更。
あ、間違えた。
つい、うっかり、まったく意識せず、一文字づつ色まで変えてしまった。
第零回・更 姓(せい)と氏(うじ)と諱(いみな)と字(あざな)と諡(おくりな)
タイトルが長くなったような気がするのは、気のせいだと思われます。
まずは「姓」からです。
「古く母系をもってその血縁の集団を名づけた親族法」(『辞統』)
「一族。家すじ。氏。苗字」(『広辞苑』)
今の日本で使われてる意味とさほど違いはないですね。
姓ってのは、祖先を同じくする血縁集団というわけです。
姓の字の右側にある「生」の字は、草の生え出る形からできたということです。「生」には、下の方に「土」の字も入ってますしね。
「生」の字が、女偏(女性)にくっついて、「人が生まれる」という意味。
なんとなーく、納得できます。
つぎは「氏」です。
「血縁関係にある家族群で構成された集団」(『広辞苑』)
現在の日本では、姓と氏は同じ意味で使われています。
ですか、古代中国では、秦の時代くらいまでは、姓と氏は区別されていたようです。
「氏」という字は、「把手(とって)のある小さな刀の形」(『字統』)ということです。古代中国では、ご先祖様に対するお祭りを行ったあとに家族で食事会を催します。そのとき、お祭りの際に使った肉を切り分けるのに、小刀を使ったのだそうです。そのため、この小刀が、氏族(家族)の象徴になったのです。
・・・姓と氏の違いがわからん。
そこで、再び『広辞苑』を引用。
「古代、氏族に擬制しながら実は祭祀・居住地・官職などを通じて結合した政治的集団」(『広辞苑』)
日本の江戸時代に、徳川御三家ってあるじゃないですか。尾張家、紀伊家、水戸家ってヤツが。この御三家って、姓は徳川ですよね。でも、それぞれが居住した場所にちなんで○○家って呼ばれるじゃないですか。
徳川が「姓」
尾張・紀伊・水戸が「氏」
日本に、姓と氏の区別はなかったわけですが、わかりやすい(か?)例を挙げるとこんな感じじゃないかなと思います。
姓は部族。
氏は、その部族の中で構成された一族。
そんな感じになるのだと思います。
さて「諱」に行きましょうか。
「生前の実名。中国では死者に対する尊敬愛惜の情からその名前を用いることをさける風があった」(『東洋史辞典』)
諱は、基本的には、目上の人(君主や両親)のみが呼ぶことができました。
わかりやすい(と思う)例を挙げます。
三国志に出てくる有名人で、諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)って人いますね。この人、姓が「諸葛」、諱(実名)が「亮」、次に説明する字(あざな)が「孔明」です。ですから、ご両親や君主以外の人が、「諸葛亮」と呼んではいけないんですね。
「諸葛、料理でもしようぜ」と言うと、諱を呼んだと勘違いされかねないので、「孔明、料理でもしようぜ」と言うか、「諸葛、メシでも作ろうぜ」と言いましょう。
張飛(ちょうひ)に木につるされて鞭打ちの刑にされるくらいは覚悟の上で、言ってくださいね。
おつぎは「字」です。
「成人したとき、実名とは別につけられる名。中国では実名を諱というように、これを直接呼ぶことをさけた。それで父とか君(主)は諱を呼ぶが、その他のものはすべて、字で呼びあう」(『東洋史辞典』)
・・・やべ、もう説明することない。
しかも、上で私が書いた「諱」の文章よりよっぽど簡潔でわかりやすい説明までしてくれました。
最後に「諡」です。
「死後、その人の生前の行いを考えて贈る名。文帝・武侯の文・武などがそれである」(『東洋史大辞典』)
諡には意味があります。
「文」は一番よいものとされ、意味は「徳を広く天地にゆきわたらせる」
次によいものとされるのが、「武」で、意味は「戦いに勝って争乱をおさめる」
逆にわるいとされたものが「幽」とか「霊」とか「氏vです。
三国志で例を挙げてみましょう。三国志は、有名人が多いから、例に使いやすいですね。
魏(ぎ)建国の土台を作った曹操(そうそう)は「武帝」
魏初代の皇帝、曹操の子である曹丕(そうひ)は「文帝」
後漢(ごかん)末期の内乱、黄巾の乱が勃発したときの皇帝は「霊帝(れいてい)」です。
諡は、生者が、死者に贈る名前です。いかに立派な王や皇帝が、優れた業績を残そうとも、後の時代を生きる人や国の都合で、必ずしも妥当とはいえない諡がつけられることもあったでしょう。
その人の業績を鑑みて、全くそぐわない諡が贈られている場合があったら、その後の時代背景を考えて「なぜそんな諡がつけられたのだろう?」と考えてみるとおもしろそうですね。
ちなみに、始皇帝を含めた秦(しん)の皇帝に諡はありません。理由は、こちら(最後の方)に書いてありますので、興味のある方はどうぞ。
長くなりましたが、以上です。