大工界  戦争学の思考(先頭の人は腰に両手を当てる)

 

 ちょっと真面目な(と、自分に言い聞かせている)お話をば。

 三回に渡った戦争学の思考のテーマは、大魯句会で述べたように「何故、桃太郎とそのひ弱な一行(しかも、この主従は、たかだか吉備団子1個のつながりにすぎません)が、鬼たちに勝利できたのでしょうか」というものです。
 皆さん、お忘れだったことと思います。私が忘れてたのですから、それも当然です。

 皆さんご承知の通り、桃太郎は、参謀長が言うところの「バカ桃」です。日本一、と自称したその世界のせまさ。仲間に犬、猿、キジを選んだ戦術眼のなさ。吉備団子1つの恩で味方を死地に送り込む陰険さ。どれをとっても、バカ以外の何ものでもありません。桃太郎が、おとぎ話の世界の住人だから、非難されないだけです。
 桃太郎は、鬼の、戦術としての偽降伏を真に受け、金銀財宝を持ち帰ったのです。最後の最後までバカでした。
「バカなんて言うヤツがバカだ」
 というセリフをどこかで聞いたことがあります。確かにそうです。私はバカです。ただ、私は自分がバカだということを知ってます。ソクラテスという哲学者は、
「わたしは、知らないということを知っている」
と、言いました。「無知の知」というヤツです。
 この「無知の知」を子どものときに知っていればなぁ、と思います。
先生「この問題の答えはなんだ」
私「わかりません。でも、先生。少なくとも私は、その問題の答えがわからないということを知っています」
 ・・・イヤなガキ。殴りたくなってきますね。
 話は戻って。
 知らないということを知っていればこそ、知ろうとするのです。バカも一緒。自分がバカだと認識してこそ、少しでもカシコクなろうとするのです。
 私は、天才でも英雄でもありません。ロールプレイングゲームの、敵に勝てば成長して「かしこさ」が上昇する人間でもありません。ですから、自分でカシコクなろうとしないと、カシコクなれないのです。そのカシコクなろうとする過程が、おもしろいのです。

 『うさぎにもわかる経済学』(長瀬勝彦著。PHP文庫)という本があります。この本の一番最後に「経済学的に正しい(?)『桃太郎の鬼退治』」というタイトルの文章があります。この略して『うさ経』、とてもおもしろい本なのですが、最後に出てきたこの『桃太郎』に、私は大いに笑いました。おもしろい! と思いました。詳しい内容には触れません。タイトルから想像するなり、実際に読んでみるなりしてください。
 ある物事が、違った視点、異なる視線から見ると、全く別のものに見えることがあります。おとぎ話の桃太郎は「鬼を退治した村の英雄」です。しかし、今回の話では「バカ桃」にすぎません。動物愛護協会の人から見れば桃太郎は「動物虐待者」でしょうし、日本吉備団子協会からすれば「いい広告塔」でしょう。
 『うさ経』は、私に『桃太郎』という周知の物語も、違った視点から見れば、新鮮な全く別の物語になる、ということを教えてくれたのです。今回の話は、皆さんにとって、少しは新鮮だったでしょうか。そうだったら、嬉しいのですが。そうでなかったら、自分で別の視点から──『桃太郎』である必要はありません──物事を見てみてください。きっと新鮮な感動がある、と私は思います。これこそ、哲学ですよ。

 生真面目な人間が、くそ真面目にバカをやる。
 私は、このシチュエーションに、笑いを感じます。

 桃から人が出てきたり、人と犬と猿とキジで鬼を退治したり、どこかほのぼのした『桃太郎』という物語を、鬼の視点から描き、しかもその鬼がやたら真面目な鬼だったらおもしろいのでは・・・という感じで、今回の「戦争学の思考」を書いてみました。タイトルと内容が全くかみ合ってないのはこの際無視しましょう。
 異なる視点から物事を見る、その行き着く究極のところは「他人の立場・気持ちになって他人を思いやることができる」こと。なぁんて、私は考えております。