日本野球界の現状と問題点 M.D.さんの卒論より (4)

第3章 近年のプロ・アマの交流及び問題点


第1節 プロ・アマ合同 の「全日本野球会議」

近年のプロ・アマの関係改善への取り組みが実り、平成6年1月に行われたアマ・プロ首脳懇親会の席上で、アマ・プロを問わず、野球競技に関係する諸団体の代表者が一堂に会して、野球界発展の対応策を話し合うための会合が開催が話題となった。   その後、全日本アマチュア野球連盟と日本プロフェッショナル野球組織の間で準備が進められ、4月13日に、アマ・プロ双方から総勢50名が集い、初のプロ・アマ合同会議が開かれた。  この会議には、全日本アマチュア野球連盟会長、日本プロ野球機構コミッショナーはもとより、全日本アマチュア野球連盟の首脳、全日本軟式野球連盟及び各少年野球団体の首脳や日本野球連盟関係企業の代表者などのアマ球界関係者と、セ・パ両連盟会長、球団オーナー、球団代表や日本プロ野球OBクラブの代表者などプロ球界の関係者が参加した。  会議では活発な討論を交わした結果、「全日本野球会議」の設置が決定され、次の共同声明を採択した。

 「わが国の野球は、1870年代に伝えられ、すでに120年余の歴史を有している。この間、学生野球、社会人野球、プロ野球をはじめ、軟式野球、少年野球など各団体の熱意と努力により、健全で、誰もが楽しめる球技として発展してきた。同時に老若男女を問わず幅広いファンの暖かい声援に支えられ、わが国最大の国民的スポーツに成長した。  今日、国民ニーズの多様化により、スポーツを取り巻く環境に変化がみられるようになった。われわれ野球に携わるものは、21世紀に向かって進むべき道を問い直してみる必要がある。  わが国の野球が国民に広く愛され、親しまれ、さらに発展していくために、いま何をなすべきか。各競技団体は、世界の頂点を極めるという大きな目標のもとに結束し、併せて底辺の拡大に尽力することが肝要である。  野球を愛するすべての団体が手を携え、技術の向上、指導者の育成、普及振興事業の充実を図り、競技者養成の組織化、野球環境の整備充実を推進する必要がある。  そのため、全日本アマチュア野球連盟、日本野球機構及び野球に関わるすべての団体を結集して全日本野球会議を開催し、全員の合意に基づき、これら課題に全力でとりくむ事に本日合意した。」12) というものであった。

  野球におけるプロ・アマの関係は、すべての野球関係団体で構成する全日本野球会議の設置により、新たな展開を迎えることになった。しかし、会議としての性質だけで、野球界を統括する団体としての力はないので、実際に野球界の発展に対し多大な影響力があるとは言い難い状況であるように感じる。


第2節 オリンピックのプロ選手参加について


T,オリンピック野球競技プロ選手参加問題

 平成8年に国際野球連盟(IBA)が大会参加者資格規定を改正し、野球競技においてもプロ選手のオリンピック及び関係国際大会参加が可能になるという決定がなされた。バスケットボール、サッカーなどは以前からプロ選手の参加は解禁されており、バスケットボールのNBAドリームチームなどは大きな話題を呼んだ。野球競技においてはシドニー・オリンピック予選から初めて参加が認められる事になる。背景には、国際オリンピック委員会(IOC)のオリンピックにおける商業価値を高めたいというビジネス戦略があると言われている。今やオリンピックの最大の収入源はテレビの放映権料となっている。世界からスター選手を集め、レベルの高いゲームを見せる事で商品価値を上げることがプロ選手参加解禁のねらいといわれる。

 このような流れにより、日本も1999年の9月にソウルで行われたシドニーオリンピック・アジア予選(代表枠2)へのプロ選手の参加を決定し、プロ8選手を派遣した。しかし、もともと日本はプロ選手のオープン化には反対であった。国際オリンピック委員会のサマランチ会長が「オリンピックにはトップアスリートが参加すべき」13)と主張し、国際野球連盟(IBA)に対してプロ参加を要求した。

そして1996年9月の国際野球連盟総会でプロ選手のオープン化が決定された。日本の立場としては「世界的にプロを有する国・地域は7つしかなく、プロを入れたらオリンピック出場国が限定され、発展途上国は興味を失ってしまう。」14)という反対的意見であった。 かつて日本野球のオリンピック代表の編成は日本オリンピック委員会(JOC)に加盟する全日本アマチュア野球連盟(社会人と学生で構成)が行ってきた。今回、学生サイドからプロ・アマ合同チームに対して異論も出たが、プロを加入させずにもしも予選敗退すれば国民感情が許さないとの思いなどからプロ・アマ合同チームの道を選択した。

1998年の1月に、「アマチュアを主体にプロの選手を補強する」15)という基本方針を決定した。そしてプロ側に国際経験を持ち,かつ主力選手の参加を要望した。しかしプロ側の反応は鈍く、オリンピック予選・本戦ともプロ野球のペナントレースのヤマ場となることもあり、同じ状況のアメリカ・メジャーリーグや韓国、台湾の対応を見守った感となった。一部球団は主力参加に賛成するが、反対派も多く、読売の渡辺恒雄オーナーは「プロ野球はJOCやIOCの下部組織ではない。」とペナントレース優先を理由に主力選手の参加に強く反対している状況である。IOCの腐敗ぶりの表面化や世論が金権五輪に批判的になっている状況もある。

しかし一方でパ・リーグのオーナーたちが「パ・リーグでドリームチームを編成する」16)と積極的な姿勢をみせたこともあった。これには全アマチュアがあわてた。実質アマチュア選手のオリンピックへの道を断つもので、この、アマチュア選手のモチベーションという点も非常に大きな問題である。  IOC主導でプロ選手オープン化に踏み切ったものの、野球界の組織が世界的にも国内的にもアマとプロの二重構造で、その目的・思惑の違いが難産の要因となっている。  日本国内においてもプロ選手の派遣はいまだ賛否両論であり、議論をよんでいる。

U、アジア予選までの動き

先に述べたように、シドニー・オリンピック野球競技からプロ選手の出場が解禁となった。それに伴う日本球界の動きに注目してみる。
日本オリンピック委員会(JOC)の八木裕四郎会長は1999年の6月9日に全日本アマチュア野球連盟の山本英一郎会長に、シドニー・オリンピックの出場権をかけたアジア選手権大会には「勝つべきチーム編成をしてほしい」17)と申し入れた。JOCの会長が、競技団体の編成にまで立ち入った申し入れをするのは極めて異例のことだった。その背景にはシドニー・オリンピックから野球のプロ選手参加が認められたにも関わらず、予選の3ヶ月前になっても体制が固まらないことへの懸念があった。

この時点で山本会長はプロ・アマの選手の割合について「以前はアマの補強という名目でないとアマ側の合意が得られなかったが、世論も変わった。今はこだわっていない。プロの方が多くなるかもしれない。」18)と話し、プロ主体のチーム編成になる可能性も示した。 その流れをうけアマ側はセ・パ両リーグに一線級選手を派遣するよう要請した。さらに、もしも予選で敗退し本大会に出場できなくなった場合の国民感情を懸念し、加えて1998年12月7日からタイ・バンコクで行われた第13回アジア競技大会でプロ主力選手を揃えた韓国に13対1(7回コールド)で惨敗したことや、国際大会参加規程により、従来の金属バットからプロが使用する木製バットの使用が義務付けられたこともプロ選手参加を要請した背景として考えられる。

 プロ側の動きとしては、川島廣守コミッショナーは6月18日、「ペナントレースが進行している中で、プロとしてはそれぞれのチームが出していただける選手で(アマ側に)協力することになる」と語り、派遣選手の選択でプロ球界として統一された基準は設けない意向を初めて明らかにした。6月30日にパ・リーグ理事会が開かれ、オリンピック予選の参加問題について、パ・リーグは6チームの公正を期すため、@出場選手は各チーム1人A予選に出場する全選手が9月8日から18日までチームに帯同する などの条件で6球団が合意に達した。

そして7月13日にプロ野球12球団のオーナー会議(議長・オリックス宮内義彦オーナー)が行われ、アジア予選には「ペナントレースを最優先する」ことを条件にプロ選手の派遣を正式に決定した。この日の会議ではこれまで1軍主力選手を派遣する事で各球団一致していたパ・リーグは「チームの事情に応じて」19)とややトーンダウンしながらも協力は明言した。その協力体制の背景には西武の堤義明オーナーがJOC名誉会長をつとめているという事情もあるという見方も多い。

セ・リーグについては「(1軍の主力)35人を除外する」20)というプロテクト枠採用を条件に派遣の姿勢を示した。セ・リーグの持論としては、予選の期間がペナントレースの優勝争い及び順位争いの最中にあたり、「五輪よりも日々の試合で全力を出し優勝を目指すことがファンへの義務」という見解による。さらに「2軍クラスの選手でも予選は十分戦える」との見方もあった。

尚、川島コミッショナーがオリンピック予選プロ1軍選手派遣に反対の読売・渡辺恒雄オーナーと会談し、プロ側の選手編成に協力と理解を求めた事もあった。プロ選手の代表候補については同16日のプロ・アマ間の協議機関である全日本野球会議の五輪対策特別委員会で決定された。 プロ選手の派遣に際し、日本野球機構は7月23日、選手関係委員会(委員長・伊藤修中日球団代表)と労働組合日本プロ野球選手会(会長・ヤクルト古田敦也捕手)との合同会議を開き、シドニー・オリンピック・アジア予選に出場する8選手の取り扱いなどを協議した。

選手会の要望を基に@派遣選手は試合出場登録選手扱いとし、ベンチ入りしたものと認める。A派遣期間は1軍登録期間として数え、フリーエージェント(FA)権獲得に必要な日数に加算B個人記録で可能なものは配慮 などの点で合意し、派遣選手をプロ選手として不利益にならないように保障した。

そして1999年7月23日、オリンピック・アジア予選の第1次登録選手30人を発表した。内訳はプロ選手が8人、社会人が15人、学生が7人というものだった。そして8月10日の最終登録で30人から24人に絞込み、プロ選手は全員エントリーされた。最終的な内訳はプロ選手8人、社会人8人、学生5人となった。プロ選手を除くアマチュア選手のイスは16となったが、8月4日から行われた鶴岡で行われた合宿がアマ選手の「サバイバルマッチ」となった。「落選してしまった人たちのためにも全力を尽くしたいです」というチームの主将・梶山義彦選手(三菱自動車川崎)の一言がアマチュア選手の総意だったであろう。

アマ選手の強化については、プロ側が1999年の2月1日からのプロ野球春季キャンプに社会人・学生のオリンピック代表候補選手を受け入れることを合意し、初めてプロのキャンプにアマ選手が参加した。「プロの指導で、アマチュア選手の技術を向上させたい」とする提案をプロ側が了承したものである。これは約50人のアマチュア選手を国内でキャンプを張る10球団に振り分け、全日本のユニフォームで参加させた。 この、キャンプへの派遣はオリンピック予選にとどまらず、長期的にはプロの高等技術をアマチュアに浸透させ、日本球界の発展につなげようという展望もあった。また1998年の11月には、アマチュア選手の全日本合宿にヤクルトの古田捕手らプロ選手9人が、現役プロ野球選手としては初めてコーチ補助として参加し、その指導力は高い評価を受けた。

このような動きはアマチュアの全日本代表候補選手の技術向上にとどまらず、プロ側にとってもドラフト候補選手の育成にもつながり、双方にメリットがあるとの見方がある。 アジア予選の戦いに臨む前に日本代表チーム(プロ選手を除く)はアトランタ以後第5回、第6回目となる2回の全日本強化合宿を行った。プロの2軍6チームの協力もあり、プロと練習試合も行った。内容は次のとおりである。

《全日本代表候補強化合宿へ特別コーチとして参加したプロ野球選手》

井出竜也(日本ハム) 今岡誠(阪神) 大島公一(オリックス) 潮崎哲也(西武) 正田耕三(広島)  広沢克(巨人) 古田敦也(ヤクルト)
松中信彦(福岡ダイエー) 松本尚樹(千葉ロッテ) 以上9名( )内は当時所属球団

全日本代表候補プロ野球キャンプ派遣 1999、2,1〜
《全日本代表候補プロ春季キャンプ派遣メンバー》
横浜 ○山田秋親投手(立命館大)北川智則投手(横浜国立大)○阿部慎之助捕手(中央大)
中日 ○森憲久投手(三菱自動車京都)吉川昌宏投手(亜細亜大)安田真範捕手(東芝府中)☆的場寛一内野手 (九州共立大)
読売 ☆佐藤宏志投手(亜細亜大)山村路直投手(九州共立大)大須賀允内野手(東北福祉大)辻竜太郎外野手(ヤマハ)
広島 ☆山口和男投手(三菱自動車岡崎)宮崎充登投手(本田技研鈴鹿)後藤光尊内野手(川崎製鉄千葉)西沢祐介外野手(法政大)
阪神 小倉丞太郎投手(朝日生命)中村泰広投手(慶応義塾大)鈴木輝彦捕手(NTT東日本)○阿部真宏内野手(法政大)
西武 宮田仁投手(日産自動車)☆木塚敦士投手(明治大)○☆的場直樹捕手(明治大)☆山下勝己内野手(近畿大)
日本ハム 金沢博和投手(JT)長崎伸一投手(プリンスホテル)小山豪内野手(日産自動車)喜多隆志外野手(慶応義塾大)
オリックス 辻太一投手(日本生命)☆後藤光貴投手(大和銀行)砂塚陽介内野手(日立製作所)佐藤友亮外野手(慶応義塾大)
福岡ダイエー 中尾忠浩投手(本田技研)高山謙一投手(新日鉄名古屋)矢口健一内野手(新日鉄君津)荒金久雄外野 手(青山学院大)
千葉ロッテ ☆広田庄司投手(日本通運)江尻慎太郎投手(早稲田大)○高橋賢司内野手(NTT東日本)○赤星憲広外野手(JR東日本)
注)近鉄・ヤクルトは海外キャンプのため、今回アマチュア選手の派遣はなし
○はシドニーオリンピック・アジア予選代表 ☆は‘99年度のドラフトで指名されプロ入り 全日本代表候補チームとプロ球団の対戦

《第5回、第6回全日本強化合宿》
 第5回 1999年8月26日〜31日 (東芝グランド)  8月30日 於・鎌ヶ谷ファイターズ球場 アマチュア全日本 対 日本ハム・西武混合チーム(2軍) 10対3で全日本勝利  31日 於・神宮球場 アマチュア全日本 対 ヤクルト・読売混合チーム(2軍)  6対1で全日本勝利
 第6回 1999年9月3日〜7日  (松下電器球場) 9月 4日 於・鳴尾浜タイガーデン  アマチュア全日本 対 阪神(2軍) 0対1で全日本敗戦  5日 於・グリーンスタジアム神戸サブ  アマチュア全日本 対 オリックス(2軍) 3対6で全日本敗戦

V、第20回アジア野球選手権大会 兼シドニー・オリンピック野球競技アジア予選

1999年9月11日から27日まで韓国・ソウルのチャムシル・スタジアムでシドニー・オリンピッック・アジア地区予選が代表枠「2」をかけて開催された。今大会は初めてプロ選手の参加が解禁となり、マスメディアの取り上げ方などをみてみても、予選にも関わらず、以前に比べ注目度は大会前から非常に高いものであった。

出場国は日本、韓国、タイ、台湾、フィリピン,中国の6国であった。アジア予選は過去にない大混戦が予想されていた。というのも、日本のライバルと目される韓国、台湾が国家を挙げて「五輪出場」に闘志を燃やしていたからである。ともにプロ野球が存在する国で、台湾は11人、韓国は19人のプロ選手がエントリーされた。特に韓国は1998年のアジア競技大会で日本に圧勝したチームを遥かに凌ぐといわれるプロのオールスターによる豪華メンバーでチーム構成された。 5大会連続オリンピック出場を目指す日本も先に述べたように、史上初めてプロ選手を代表チームに補強することに至り、プロ・アマ一体となって代表枠獲得を目指した。

しかし、予選期間中のシーズン中断をいちはやく決定し,国家を挙げての全面協力姿勢を打ち出したライバル国に比べ、チームとしての体制を整える準備期間はごく短く、代表チームのプロ・アマが合流するのは「ぶっつけ本番」となる事への不安は大きいのが現状であった。 アジア予選での日本代表チームの構成及び成績の詳細は次のとおりである。

全日本代表チーム編成
投手 杉浦正則(日本生命)森憲久(三菱自動車京都)山田秋親(立命館大)石川雅規(青山学院大)☆高橋薫(日本通運)○小池秀郎(大阪近鉄)○松坂大輔(西武)
捕手 ☆的場直樹(明治大)阿部慎之助(中央大)○古田敦也(ヤクルト)
内野手 ○松中信彦(福岡ダイエー) 高橋賢司(NTT東日本)工藤賢二(東芝)平馬淳(東芝)○初芝清(千葉ロッテ)沖原佳典(NTT東日本)阿部真宏(法政大)○野村謙二郎(広島)
外野手 飯塚智広(NTT東日本)☆鷹野史寿(日産自動車)梶山義彦(三菱自動車川崎)赤星憲広(JR東日本) ○井出竜也(日本ハム)
督  大田垣構造 コーチ ○野村収 ○長崎慶一 林裕幸
チーフアドバイザー ○広岡達朗 注)○はプロ野球選手・関係者 ☆は‘99年度ドラフトにて指名されプロ入り

全日本代表・アジア予選結果 於:ソウル・チャムシルスタジアム

《予選リーグ》 9月11日〜13日 Aグループ 韓国・中国・タイ  Bグループ 日本・台湾・フィリピン 日本10−0フィリピン  台湾1−9日本

《決勝リーグ》 9月15日〜17日 日本2−1台湾   韓国5−3日本  結果:優勝・韓国 2位・日本 3位・台湾 4位・中国

《日本代表選手の大会ベストナイン受賞者》 投手:松坂大輔 捕手:古田敦也 一塁手:松中信彦 二塁手:野村謙二郎

以上のように、日本チームはプロ・アマ合同チームでアジア選手権に準優勝し、シドニー・オリンピック出場権を獲得した。
試合内容としては、一発勝負であることと、次はどうなるか予測はできないという野球という競技の特性を差し引いてみても、今大会は部分部分をみれば非常にプロ選手依存が目立った形になった。プロの8選手がいなければシドニーへの道が開けなかったという見方が多い。大会ベストナインに選ばれた日本選手をみてみても全員がプロである。山本英一郎全日本アマチュア野球連盟会長も「プロの力を借りなければ勝てなかった」と実感を述べている。

決勝戦の韓国戦においてはアジア最高峰を狙った韓国と、オリンピック出場切符を手に入れにやってきた日本という、予選へ臨む意気込みの差が現れた格好となった。その中で苦しみながらも目的であったシドニーへの切符を手に入れたことに、関係者は安堵しているのが現状であった。しかし、チーム作りが遅れていたのは事実であるので、これからシドニーに向けて同じ失敗は繰り返さぬようどういった意向でチーム編成を進めていくのか動向が注目されるところである。

W、シドニー・オリンピック本大会に向けて

シドニーでオリンピック野球競技の歴史は5回目(ロサンゼルス・ソウルは公開競技)の開催となる。日本の成績は過去4回のオリンピックでは金、銀、銅、銀と、全てメダルを獲得しており、シドニーでも活躍が期待されるところである。 アジア予選でオリンピック本戦への出場権を獲得した日本であるが、シドニーに向けての動きは予選に臨むときと同じくかなり遅れている印象をうける。というのも、やはりプロ12球団の足並みが揃わない状況で、それに伴いアマ側もただ待つ身とならざるをえなくなっている。アマチュア野球連盟会長の山本英一郎氏は「アマはアマで力を上げるという、従来と同じ方法となる」といっているが、プロ側がどこまで協力してくれるのか、早い段階でのスタンスを決めてもらうことを希望している。

アジア予選後の9月20日に行われたプロ野球のコミッショナー、セ・パ両リーグ会長による3者会談では「予選以上の協力をする」方針が確認されたが、実際はやはり予選前と同じくセ・パ両リーグに温度差がある状況となっている。セリーグの場合はやはり人気球団のオーナーの持論が支配的となっている。しかし、パ・リーグも具体的な協力方法は考え出せずにいるし、主力選手を予選では派遣したパ・リーグの球団からも「オリンピック出場の資格は得たので本戦は今までのようにアマに返すべきでは」という声もあがっている。

そのような中で、プロ側からの協力姿勢が打ち出されたものもある。1999年11月のドラフト会議でプロ側が獲得した選手の中に9月のシドニーオリンピック・アジア地区予選に出場した選手が含まれた場合、プロ側はその選手を無条件で送り出すことになった。これはドラフト検討委員会と五輪対策特別委員会で決定されたもので、プロ球界はオリンピック期間中に公式戦を中断しないことではすでに合意しており、12球団が足並みを揃えた協力体制は不可能な状態となっている。このため、別な形での協力案がプロ側で急きょ浮上した。

前に述べたように、1992年のバルセロナ・オリンピックと1996年のアトランタオリンピックの前年に行われたドラフトでは、アマ側が指定した選手を凍結選手扱いとし、ドラフト指名枠から外す処置がとられた。今回の方針は、アマ側がドラフト凍結選手の措置を放棄する代わりに、プロ側が新人に限ってオリンピック出場を優先させることになったものである。

 日本オリンピック委員会(JOC)の強化策としては、メダルが有望な競技・種目に限って支給する「シドニー五輪対策特別強化費」制度を採用しており、野球にも500万円が贈られることになっている。同制度は団体に500万円、個人には200万円を支給するものである。

 このような流れの中、シドニー・オリンピックのプレ大会・前哨戦を兼ねた野球競技のインターコンチネンタルカップは1999年11月3日、シドニー当地の野球場で8カ国・地域が参加して開幕した。この大会に日本はプロ選手7人、アマ選手15人の22人で臨んだ。アマ選手はシドニー・オリンピックの代表権を獲得した9月のアジア地区予選の代表メンバーが中心となっていた。プロ選手は24歳以下を基準に、セ・パ両リーグから計19人をリストアップした後、投手2人、内野手2人、外野手3人の計7選手が選ばれた。

同大会のプロ選手参加については、全日本アマチュア連盟の山本英一郎会長から要請が出ていた。11月にはプロは行事が多く、各球団主力クラスの派遣は見送られた。だが「若手なら国際経験を積んで技量の向上につながる」という川島コミッショナーの意向もあってプロ選手が派遣された。  結果はこの大会は3位で銅メダルを獲得した。詳細については以下のとおりである。

全日本代表チーム編成
投手  ★杉浦正則(日本生命)藤田太陽(川崎製鉄千葉)原田洋(住友金属鹿島)愛敬尚史(松下電器)★森憲久(三菱自動車京都)鈴木学(松下電器)○黒田博樹(広島)○前田和之(オリックス)
捕手  ★☆的場直樹(明治大)鈴木輝彦(NTT東日本)高根澤力(三菱自動車川崎)
内野手 ★工藤賢二(東芝)★阿部真宏(法政大)★沖原佳典(NTT東日本)★平馬淳(東芝)○岩村明憲(ヤクルト)○玉野宏昌(西武)
外野手 ★☆鷹野史寿(日産自動車)★梶山義彦(三菱自動車川崎)○斎藤宜之(読売)○川口憲史(大阪近鉄)○濱中治(阪神)
注)★はアジア予選代表選手 ○はプロ野球選手 ☆は‘99年のドラフトで指名されプロ入り

インターコンチネンタル・カップ結果
1999年11月3日〜14日・シドニー(オーストラリア)   参加国:オランダ・オーストラリア・イタリア・台湾・韓国・キューバ・日本・アメリカ

《予選リーグ》 日本0−4アメリカ 韓国2−5日本 日本10−2イタリア 日本1−4キューバ オーストラリア1−6日本 日本6−0台湾 オランダ2−14日本   

《決勝トーナメント》     オーストラリア(予選1位)2−0日本(予選4位) 日本6−0アメリカ(3位決定戦)     

結果:優勝・オーストラリア 2位・キューバ 3位・日本 4位・アメリカ 

尚、2000年の1月14日に全日本野球会議が開催され、その中の五輪等対策特別委員会で、9月に行われるシドニー・オリンピック日本代表チームの編成について、アマ側がプロ側に1999年9月の予選と同じ8人の派遣を要請した。1月17日には全日本アマチュア野球連盟が2月からのプロ野球キャンプに参加するアマチュア選手の全日本候補選手48人を発表し、実施2回目の本年は全12球団に派遣することとなった。1月18日にはパ・リーグのオーナー懇談会で、パ・リーグはアマチュアの要望に応じ、積極的に本戦のプロ選手派遣に協力することを確認した。一方、セ・リーグは1月19日にセ・リーグ理事会が開かれたが、プロ選手派遣について消極的な意見は変わっていない。


第3節 プロ野球退団者のアマチュア球界への復帰について


T、プロ野球退団者の社会人野球への復帰問題

昭和36年の柳川事件以来断絶していたプロ野球退団選手の社会人野球への選手としての受け入れだが、平成10年に復帰が認められた。これはプロ選手のアマチュア球界への「選手」としての受け入れを柳川事件以来初めて許可するもので、非常に注目すべき出来事である。


このプロ退団選手の選手としての社会人野球への受け入れは、プロ側の要請に社会人側が応えたものである。プロ野球界において名をはせた選手は、その後野球関係の仕事につきやすかったが、プロ野球の世界で目立った活躍が出来なかった選手は今までのプロ・アマの障壁から野球関係の再就職先を見つける機会に恵まれなかった。そして上記の経緯を経て社会人野球への選手としての受け入れが認められるに至った。しかし、現実として企業がプロ退団選手を受け入れることは人選などが難しく、現状としては元在籍していた人物を受け入れたり、クラブチームへの復帰が多くなっている。

今回インタビュー調査させて頂いた社会人野球チーム・○○硬式野球部の○○監督の、このプロ野球退団者の社会人野球への復帰についての考えを伺ったところ、以下のような観点を述べていただいた。企業への受け入れを考える際、非常に参考となるのでここでふれさせて頂く。
(1) 社員として存在し、各企業の一体感を醸成しなければならない。企業の社員としての労働に対する能力と意欲があることを前提とし、報酬はその範囲内でないといけない。
(2) 業務に就くことを前提にしているため、年齢的には20歳後半以下であって欲しい。 社会人野球で選手として3年以上貢献して頂き、業務に専念して頂く年齢は30〜35歳くらいまでである。よって受け入れの対象としては上記くらいの年齢が望まれる。
(3) 技術レベルでは、シーズンの半分くらいは1軍に入っている選手が必要。社会人のレギュラークラスのレベルはプロの1軍より少し落ちるくらいである。
(4)指導者として受け入れる場合、上記を踏まえ企業における野球の在り方を理解できる人物でないといけない。
(5)技術力のある指導者でないといけない上に、企業における位置付けを理解し、社員として選手を育成できることや、経済的な観点や企業としての対外的な環境に対する観点からの活動ができなければならない。
(7) 野球界の底辺である学生野球発展のためにも、社会人野球への学生の受け入れに障害とならない範囲でなければならない。
(8) 経済的に豊かになった時に、プロの受け皿や選手の確保のために存在するチームが増えないように、企業のもつ社会人野球界の秩序が壊れないような仕組みにする必要がある。
このような観点を社会人野球チームの監督という立場から述べていただいた。受け入れの内規にもあるが、プロ野球退団者の復帰は「自由契約選手」に限られることなどからも、先にも述べたように、このような観点をすべてクリアするのは実際問題としては難しい状況であるように感じる。

U、プロ野球退団者の社会人野球への復帰へ至る経緯

平成6年から平成9年の間、社会人野球を統括する日本野球連盟は,社会人野球とプロ野球の関係について、いかにあるべきかを問い直してみる時期を迎えていると判断し、プロ野球退団者の競技者(選手)登録問題に関する加盟チーム等に関する意識調査を実施する事にした。その実施状況は次のとおりである。

・ 平成6年1月 会社登録チームの監督・コーチ等に関するアンケート調査
・ 平成6年3月 クラブ登録チームの代表者等に対するアンケート調査
・ 平成7年11月 地区連盟単位で加盟チーム代表者及び役員から意見聴取
・ 平成7年12月 会社登録チームの代表者に対するアンケート調査
・ 平成8年3月 評議員に対する活性化対策に関するアンケート調査
・ 平成9年8月 全加盟チームの代表者に対するアンケート調査
・ 平成9年10月 評議員に対するアンケート調査

下記は野球連盟の方に資料としていただいたもので、前述の「全加盟チームの代表者に対するアンケート調査」の集計表と、登録可否の意見に関する主な理由である。

《賛成意見》

今後プロ・アマの壁を取り払っていかなければ、野球界全体においてマイナスと考える。
高度な技術、精神面のアフターケア、情報収集等のやり取りができ、社会人野球においてもプラス効果が期待できる。
世界的視野からみて、プロ・アマの壁が取り払われはじめ、一選手としてプレーしていると思われるので、受け皿が多ければより強い野球が底辺で確立され、プロ・アマ双方が全体的にレベルアップし、活性化につながる。
野球に対して情熱を持った人であれば、過去にこだわることは何もない。社会人野球向上、注目度の要因となる。
野球がオリンピック種目となり、プロ選手の参加が決定した時点で、日本としてもプロを参加させることは当然の流れであり、そのためのプロ・アマの協調体制を確立していくことは重要であり、協力していく考えである。但し、今回のプロ野球退団者の受け入れについては不透明な部分が多く、一言で賛成とはいえない。当然よいルールを確立することが先決で、内容いかんによっては賛成できない部分もある。プロ退団者にかなり有利な内容で、現有選手の気持ちを察するに心中穏やかでない。プロ側に対する要請もきっちりやって欲しい。
チームを形成する場合、アマチュア野球、社会人野球の本質は何かを大前提に考えるべきである。安易なプロ退団者の受け入れが、本来の社会人野球のあるべき姿を崩壊させない事。
野球界全体のレベルアップを図るためには是非必要である。オリンピックにおいてもプロ参加が認められた現在、プロとアマチュアが対立するような姿は、他のスポーツ団体からみれば滑稽である。プロでは難しいが、アマチュアであれば活躍できる選手はたくさんいる。これらの選手を救済する意味で賛成である。
退団の理由、経緯等について社会的通念上、特に問題とすべき事がない限り無条件で賛成。
世の中規制緩和の時代、間口を広く、技術向上、指導者、底辺の拡大の為、大いに進めて行くべきである。選手の年数とかいろんな取り決めが多すぎるので、もっとオープンにする事も必要ではないか。
野球に携わる者に対し、門戸を狭める現在の制度は、技術・知識・人等の交流を妨げ、広い視野にもとづく活動を制限する以外のなにものでもないと考える。つまらない事件が元でプロ・アマの間が険悪になったと思うが、今はそのようなしがらみで、一部の者(プロ)を排除する時代ではない。
「社会人野球の人気獲得」、「レベルの向上」を考えれば賛成。また、プロ球団を退団した者が、現状では必ずしも恵まれた環境にないことを考えれば、そのような者に対して(特に若い人に対して)チャンスを広げるという面でも社会的に有意義なことを考える。
諸条件を明確にしてやれば、社会人野球の活性化につなげる事ができる。
すでに、外国人選手3人枠が認められている中で、プロ野球経験者も同様の位置付けとして受け入れても支障はない。プロ・アマ交流が活発化してきた現在、アマ球界レベルアップのためにも有益である。
プロ野球退団者の受け入れについては、会社の広報宣伝等の営業政策上効果があると思われるが、現行の採用条件が新卒者を対象としていることから、今後他企業等社会的動向を観しつつ検討していく。
プロ・アマ双方の立場を尊重しながら、野球界の更なる発展・レベルアップを目指す事が重要と考える事から、プロからの受け入れについては前向きに考えてよいのではないか。しかしながら「プロでだめなら社会人へ」という選手の考えが、安易にプロへの入団を促しかねない。社会人野球がプロ退団者の単なる受け皿としてだけでなく、プロ・アマ双方の発展のため、アマからプロ側に対し選手の積極的勧誘についても検討が必要。 社会人野球の活性化について寄与する要素がある一方で、チーム間格差がさらに拡大することも懸念させる。が第2人生を会社生活でと考えるプロ退団者にとっては朗報。企業もチーム強化、職場強化につながると判断すれば受け入れは良い。再度プロへいけない、登録選手数の制限等の条件を整備して賛成。
アマ・プロが一体となって、国民的スポーツである野球のより一層の発展のため。
チームの戦力アップにつながるとともに、大学、社会人等の地元企業へのUターンが難しいとき、地方の野球向上にもつながる。
高度技術を有する選手がアマ球界で活躍する事は、国民的スポーツ「野球」の発展に大いにプラスになること。エキサイティングなプレーをアマ球界でも披露できるようになり、国民に野球の楽しさを今以上にアピールできる。プロで通用するか自信がないためプロ入団を拒む選手らがいる状況にあって、誰もがチャンスがあればどんどんプロにチャレンジできる環境をつくりあげるためにも、プロ退団後速やかにアマ選手として活躍できる体制をつくるべき。
地元に良い選手がいるから、又、プロの技術を学べるので自分達にとってもプラスになると思う。ただし、受け入れるチームとすれば、チームワークを重んじ、和の乱れるような選手であれば、例え野球がうまくとも同一チームでは活躍したくない。
技術的な面で、社会人野球にとって大変参考になると思うし、これからプロでやろうという選手にとっても、事前に予備知識が得られ、底辺のレベルアップにもつながると考える。また、プロ選手の再就職の道が開けることになり、出身地へのUターンも可能になるのでは。
サッカー熱がさめ、子供の野球復活がすごい勢いである。これから野球をしようとする子供達に夢をもたせてやる必要がある。こだわりを捨て、新しい伝統を作り出すべき。
再就職の道を開く視点にたって、昔のしがらみにとらわれず広く門戸を開くべきと考える。プロ・アマの交流を通じて、全体のレベルアップを図っていくべきと考える。
野球が好きでプロに入団したものの怪我等によりやむなく退団せざるを得なくなった場合、ケガを克服し、もう一度硬球を握りたいと思っても、その場所がないのは少し問題があり、その受け皿としてカバーする事で、野球人口の減少の歯止めにつながると思う。
今の社会人野球が、次の移籍先を探す間の腰掛的場所にならないことが条件。プロ球団を退いた選手の再就職先として、その会社に骨をうずめる位の覚悟でやってもらいたい。
プロ退団者の野球への楽しみを続けさせてあげたい。
1996年、スイス・ローザンヌで行われた国際野球連盟において、プロ選手解禁についての投票が賛成多数で可決され、プロとアマの垣根が取り外された。しかし、受け入れを自由とするチームのアンバランスが生じる可能性がある。その為、条件付賛成とする。
社会人野球界の活性化、又、更に注目度を高める意味でもプロ退団者の受け入れについては賛成であるが、加盟チームが納得しうる形、つまり不公平さを無くす為にも条件は必ず設定すべきである。
プロ退団者を受け入れることが、社会人野球の活性化につながることについてはある程度理解できるが、プロ退団者を受け入れることの狙いをもう少し明確にしていただきたい。さらに、今後への希望として、現在の社会人野球界の目指す方向性が企業から見て分かりにくいため、難しい問題ではあるけれど今後議論していただいて、もう少しわかり易いものになれば、企業としても新たな野球部の存在価値を見出すことができるのではないかと思う。今回の問題を判断する最大のポイントは(以前に、制限事項がなかったために事件が起こった反省を踏まえ)、プロと企業の利害のバランスが保てることのできる制限時項をいかにうまく定めることができるかであり、議論に議論を尽くして、実施までに各企業の納得が得ることのできる制限事項を定めていただきたい。ただし、制限事項を決める場合は、各企業の雇用についての考え方について差があることを認識していただき、プロ退団者の受け入れに反対である企業の理解が得られる制限事項を検討していただきたい。また、受け入れが何年か経過した後、制限事項の規制緩和を行えば良い。現在、企業が野球部を持つ一つのネックは、労務費をはじめ費用が高くかかることであり、企業の意思で、ある程度の技術力を期待できるプロ退団者を受け入れることは、メリットがあると思う.(現在でも、各企業の採用形態をみても、社員、関連会社社員、嘱託、契約社員、通年採用等多種であり、この傾向は今後も、厳しい企業の経営環境、野球人の価値観の変化から考えれば、一層進むことが予測される。)また、プロとアマの垣根を低くすることは、他のスポーツ界を見ても当然のことであるし、ひいては社会人野球の活性化につながっていくと思われる。

《反対意見》

プロ野球経験者が企業内チームに入ってやる事は、ただチームを強くするだけで、当社みたいに仕事優先のチームは反対。
アマチュアでプレーする選手にとって、最終目標であるプロ野球に進むことが出来、いかなる理由にせよ夢破れた人間が、これから夢を得ようとする選手と同席してライバル意識を持ってプレーしろといっても、もともと土俵が違うのでは。
今まで地道にやってきた現在の選手のモラルダウン
プロ選手は、プロとしてのプライドと誇りをもち、球界の最高峰のプレーヤーで少年に夢や希望を与える職業であり、野球選手の最終目標であって欲しい。
プロ野球を希望し、入団したのであるから、退団したからといってアマチュアでプレーするのは納得行かない。
企業スポーツは、職場の仲間との交流を基本に、応援、バックアップを受け、企業活性化を図る事を基本としているのが現状であり、プロ経験者加入により、プロ予備軍になっては社会人野球の意義が薄れると考える。
プロ野球と社会人野球の本質が違うと思う。又とりあえずプロに進んで、だめだったら社会人ということでは、直接社会人に進んでくる選手が益々減少することにもつながって、活動が続けられない企業も増えてくるのではないか
アマ側(高校・大学・社会人)は、野球というスポーツを通じて、それぞれの立場において地域社会や企業に貢献し、アマチュア野球界をそれぞれの立場で発展させ、優秀な選手を育成し、日本野球界の最高峰であるプロ野球が更に発展できる人材を輩出する役割であると考える。プロ側は最高の技術を見せ、野球を志す者や娯楽として楽しむものへ夢を与える役割がある。プロは日本の野球界のリーダーとして職業野球のみにとらわれず、これまで以上にアマチュアと共に野球競技者の底辺拡大と技術力向上に貢献していかなければならないと考える。
社会人野球の良さは、選手たちがそれぞれの職場で責任ある仕事をし、時には上司・同僚に支えられながら、厳しい練習に取り組み、その成果を試合で発揮するところにある。こうした野球を通じての人間形成に励むところにアマチュアの真髄があり、プロ化する最近の風潮は企業スポーツ精神から逸脱する行為に思えてならない。
社会人野球の企業チームは、本来社員の中から野球愛好者を集め、チームを作り、相互交流する事より出発していると思う。プロ退団者のプレーを認めると、企業の中には、企業PRを目的に短期間嘱託契約で入社させ、正社員でなく野球のプレーのみをさせる企業が出て、本来の精神を損なうようになると思う。
社会人野球としての本質を覆すという事になりかねない。
大手企業のみの野球になる。
受け入れる事により、一部の突出したチームができ、受け入れられない企業チームがクラブチームに負けるようなことがあった場合、その企業チームの存続の危機になる。(企業が投資する意味がなくなる)また、高校・大学野球界からの雇用に対しても大きな影響がでる。
会社によって、受け入れ問題(可否)が発生し、受け入れられないチームはデメリットが生じる。
大企業のチームもしくは金のあるチームが補強をし、特定のチームだけがより強くなり、チーム格差が広がると思われる。
仮に解禁しても、プロ退団者を柔軟に雇用できるのはごく一部のチームに限られるのは明確であり、そうしたチームが勝利を重ねる事は、社会人野球そのものの衰退を招く結果となりかねない。
選手の偏りが激しくなり、アマチュア性が薄れるため。
受け入れ可能な企業が一部となり、プロ経験者が集中する恐れがある。
採用枠がさらに狭くなり、今以上に大学生・高校生の採用数が減る。
野球の底辺拡大を考える時に、年々新人の採用が減少しているという現段階における状況を考えると、プロ退団者を採用する事によって門戸は今以上に狭くなり、底辺拡大にマイナス要因になるのではないか。
プロにいけなかった人以外は、野球を続ける事が難しくなる。野球をやっていれば大企業に入れるというメリットがあるから野球を続けているのに、毎年少なくとも3〜5人のプロ経験者が入部することから、高校・大学生の就職先が極めて少なくなる。
プロ退団者の受け入れ時において、他社会人野球と競合になった際、条件面で金銭が飛び交う恐れがある。
プロ選手となれば、金銭的なことが多少なりとも出てくると思われる。その場合、金銭的にものをいわせ、プロ選手を引き抜き「新たなプロ野球チーム」が生れるのでは?それと同様に、プロを丸がかえするクラブが出現すれば逆に野球から撤退する企業が増えるのでは。もはや野球部の存在意義がないという事態になりかねないと思っている。
現状の社会人野球制度のままであれば、今回のアンケートについて、企業の協力でもっている都市対抗野球等がなくなる恐れがある。
オリンピックのプロ選手参加等、国際的な動向としては最高のプレーをプロ・アマを問わず野球競技の中で行っていこうとするのはわかるが、現状の社会人野球でプロ退団者の参加を容認するというのは逆に社会人野球の衰退につながると考える。
仮に本件がオープンになった場合においても、各社が実情によりそれぞれ採用形態、条件面が異なると予想できるが、この場合、条件面の高いチームに選手が偏る可能性が高く、その結果、契約金の積み上げ等過当競争を生み、プロと変わらない金がものをいう体質になりかねない。
仮に、プロやきゅう退団者を契約選手として受け入れた場合、短期にして強力なチームが実現する事もありえるが、多くの企業は強いチームを維持するためコストが増大し、社会人野球を支えている企業群の基盤維持が難しい局面を迎える事も予想される。
受け入れ時に争奪戦や金銭面の問題が懸念される。また一部の受け入れ可能な企業のみにプロ選手が集中するおそれがあり、社会人野球のモラルの低下につながりかねない。
競技力向上のためには、プロ野球退団者の技術及び知識が必要だとは思われるが、現状では公式戦において常に成績上位であるチームとそうでないチームの間に競技力の格差が広がると思う。
職業的に参入できない。
我社は、地域の人たちのよりよい生活の提案を基本として運営されている。野球部運営も同様の考えで展開されており、選手採用も地元中心で行う予定である。したがって、育成を事由に考えるため、賛成致しかねる。
選手採用の段階において、あくまでも「社員」として通用するかという観点に立ち、大学卒のみ採用しているので、中途でプロ経験者を採用するということは、弊社野球部の活動方針に反するので、賛成致しかねる。
プロ・アマ交流戦等、環境の変化からして、連盟として受け入れられ、登録される者が誕生する事は止むをえないと思うが、当社としては、アマチュアである以上、まず仕事ありきと考えてきており、処遇上の問題もあって現段階では受け入れる予定はない・
当社においての採用基準は、当該年度の高卒者及び大学卒が基本であり、次年度採用が不可能なため。プロ野球退団者の採用は今のところ困難である。
反対ではあるが、時代の情勢から受け入れもやむを得ないと思うので、条件面で十分に検討していただきたい
当チームの意見としては反対と答えざるをえない。但し、連盟が決定する事項については従う。」(特に人数制限についての配慮を願う。

なお、平成8年12月の理事会においては、活性化対策委員会の第1次答申を受け、仮に受け入れるとした場合に具体的な条件の素案を検討し、判断基準を示す事にした。さらに、平成9年7月の理事会では、具体的な条件の素案を定め、それを付して全加盟チームの代表者に対する意識調査の実施及び12月の理事会で本件に関する可否を議決することを決めた。さらに、10月の理事会では、加盟チームの意識調査の内容を勘案し第2次素案を定め、それを付して評議員の意見聴取を議決前に行うこととした。理事会の内容は、評議員の意識調査の内容を勘案し、第3素案を定め,その後、プロ野球退団者を競技者(選手)として受け入れるかどうかについて、会長を除く理事19名による無記名投票を行った。その結果賛成多数をもって受け入れが決定した。
また、議決後、次のことを確認した。 『日本社会人野球協会(現日本野球連盟)は、昭和36年のシーズン中(4月20日)に社会人野球の登録選手をプロ球団が入団させたことを問題とし、同年7月28日の理事会において、「今後、社会人野球はプロ野球の監督、コーチ,選手であったものは一切受け付けない。」とする内規を発表した。それ以来、昭和53年に加盟チームの監督及び職務に限り、プロ野球退団者の登録を可能としたが、選手としての登録はみとめていない。日本野球連盟は、平成6年に入り,諸情勢の変化に伴い、プロ野球退団者として受け入れの是非について問い直してみる時期にあると判断し、加盟チーム等の意識調査の実施を決定した。その後、加盟チーム等に対する意識調査を7回にわたり行い、理事会などにおいても種々論議を重ねてきたが,12月の理事会においては最終的に受け入れの可否を議決することとしていたところである。以上の経過を経て、本日の理事会においては、社会人野球とプロ野球との間に生じた過去のいきさつを乗り越えて、プロ野球の新たな協力関係を築く事で合意した。このことにより、野球を取り巻く環境に適切に対処し、本連盟の目的とする「野球競技の普及振興を図り、もって国民の心身の健全な発展に寄与する」の達成に向けて一層の努力を傾けることを確認した。』24)

以下は平成11年度のプロ野球退団者の社会人登録者である。

《役員登録》
‘99,4,16現在 氏 名 所属チーム 役 職 最終所属プロ球団

本間 哲郎 旭川グレートベアーズ(北海道)コーチ 大洋(現横浜)
山野 和明   互大設備ダイヤモンドクラブ(秋田) コーチ兼外野手 中日
西園寺 昭夫 鷲宮製作所(東京) コーチ ヤクルト
辻 恭彦 WIEN BASEBALL CLUB(神奈川) コーチ 横浜
嶋田 信敏 相模原クラブ(神奈川) コーチ兼外野手 日本ハム
江藤 慎一 アムウェイレッドソックス(静岡) 部長兼コーチ 千葉ロッテ
鈴木 俊雄 ミキハウス(奈良) コーチ兼捕手 千葉ロッテ
伊藤 文隆 田村コピー(兵庫) コーチ 阪神
石井 晶 田村コピー(兵庫) コーチ 阪神
酒井 勉 アスピア学園(兵庫) 監督 オリックス
赤松 一朗 全播磨硬式野球団(兵庫) 部長兼監督 阪神
服部 文夫 沖データコンピュータ教育学院(福岡) コーチ 千葉ロッテ
千代丸 亮彦 沖データコンピュータ教育学院(福岡) コーチ 広島

《選手登録》
‘99、4、28現在  氏 名 所属チーム ポジション 最終所属プロ球団

上岡 良一 東北福祉大学クラブ(宮城) 投手 日本ハム
山野 和明 互大設備ダイヤモンドクラブ(秋田) コーチ兼外野手 中日
内山 憲一  全伊勢崎硬建クラブ(茨城) 投手 ヤクルト
JOSE ALVAREZ シダックス(東京) 投手 ラン ゴステー デ ロス キントナロー(メキシコ)
JORGE CASINO シダックス(東京) 内野手 ディグレス デ メヒコ(メキシコ)
嶋田 信敏 相模原クラブ(神奈川) コーチ兼外野手 日本ハム
林 淳次 昭和コンクリート(岐阜)  投手 阪神
鈴木 俊雄 ミキハウス(奈良) コーチ兼捕手 千葉ロッテ

V、プロ野球退団者の社会人野球競技者(選手)登録に関わる内規

以下は平成10年に定められたプロ野球退団者の社会人野球への登録に関する内規25)を記す。
第1 プロ野球退団者とは、国籍に関わらず、日本国内外のプロ野球の球団を退団した者を言う。
第2 登録の対象チーム及び諸条件は、全加盟チーム同一とする。
第3 1)登録の対象者は、自由契約選手のみとし、前年の12月31日以前に退団したものに限る。 2)登録者の雇用関係は、労働基準法第9条に定める定義によるものとする。なお、クラブチームに在っては,個人営業に従事する者なども含むものとする.「(労働基準法第9条)この法律で労働者とは、職業の種類を問わず、前条の事業または事務所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。」
第4 登録の制限期間は当該年度の1月1日から4月30日までとし、5月1日から   12月1日までの間は認めないものとする。
第5 1)登録の人数は、1チーム2名以内とする。なお、この数は、外国人登録(3 名以内の内数とする。  2)前項による2名のうち、プロ在籍中投手であって、登録後も投手とする者 は1名とする。
第6 登録後のプロ再入団は、監督、コーチの場合を除き、選手としての再入団を認  めないものとする。
第7 登録後の転籍は、所属チームの活動休止等の場合を除き、所属チームの円満退 部証明書がなければ転籍再登録はできないものとする。
第8 1)登録者に対する契約金、支度金等の支給を禁止する。登録規定第18条第4     号の規定を適用する。 「第18条:加盟チーム及び競技者が次の各号の一に該当したときは、理事会の議決により、かつ、当該加盟地方団体会長または当該地区連盟会長の同意を得、加盟チームの加盟登録または競技者登録を取り消すことができる。」  2)この内規により難い場合は、常任理事会で協議し決定するものとする。 第9 この内規は、理事会の議決により変更する事が出来る。 附則 1)この内規は、平成11年1月1日から施行する。  2)この内規は、平成13年12月31日限り効力を失う。 上記のように内規は定められた。この中でもプロ野球退団選手が一度アマチュアに復帰し、社会人野球選手登録をすると、もう二度とプロ入りできない点は注目である。これはアマチュア球界が「プロ野球の3軍」と化す事を避けるもので、「アマチュアはプロの養成機関ではない」という意見が反映しているものと考えられる。

W,プロ選手及び元プロ選手のアマチュアへの指導について

 元プロ野球選手のアマチュア球界への選手としての復帰は上記のとおりであるが、指導者としてアマチュア球界に戻る道も近年、壁が取り除かれてきている。プロとして高レベルにある野球技術、考え方、またその経験をアマチュア球界に取り入れるといった観点、またプロ退団者の野球という能力を生かすことを考えるうえでは画期的なことであろう。
日本学生野球憲章によると、元プロ野球関係者は退団後に高校教諭として2年以上在職していれば、適性検査を経て、特別措置によりアマチュア資格を得ることができるようになった。それにより、現在では10人前後の元プロ野球関係者が高校野球界に指導者として携わっている。
大学野球界においても、1997年に元プロ野球関係者の大学特別コーチ制度が改正されて、大学野球出身者に限っては自由に特別コーチを引き受けられるようになった。 社会人野球では1978年に監督・コーチに限り受け入れを許可していたが、近年は今までに増して、選手としての社会人野球復帰の解禁に伴い指導者として復帰も多くなってきている。
日本野球界の「底辺拡大」「技術の向上」『プロ・アマの交流』26)を掲げている「日本プロ野球OBクラブ」のアマチュア選手・指導者への指導などは現在の野球界の中で目立った動きとなっている。
選手としての受け入れには数々の問題も存在するが、指導に関しては条件さえクリアすれば野球の底辺拡大という意義においては交流を規制する必要はそれほどないように感じる。ただ、次章でふれるがサッカー界のようなライセンス制度による指導者の育成システムなどは、指導者のクオリティ向上及び指導の一貫性を考えると意義があるのではないだろうか。そのシステムの中でプロ野球経験者ということで技術的・経歴的な評価を受けることが出来れば、プロ野球経験者が指導をしたり、様々な場で指導を受けたりできる機会が増えると考える。しかしこれに関しても、プロ・アマの見解を等しくしないと具体的には実現は難しいことである。

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