6年通信ー3月号


3月5日(月) 第90号  感謝の集い,ありがとうございました!

■感謝の集いが終了しました。当日は,大崎君がお休みになってしまったのは残念でしたが,たくさんのご参加を本当にありがとうございました。
 子供たちの,そして参加してくださった皆さんの気持ちが表れるすばらしい会だったと自画自賛しています。

■実は,私の方にひどい落ち度がありました。それは,子供たちの「呼びかけ」の間に,アンプとギターを用意し,その後の「担任より」の演奏の準備をするはずだったのですが,その前の「生い立ちの記」に,とても感動してしまって,その準備を忘れてしまったのです。子供達の原稿には事前に目を通し,また写真もすべて私自身がスキャナで読み込んで子供達の名前とコメントを付けるという作業をしていたので,新たな情報はなかったはずなのですが,何とあの場で子供達の朗読に引き込まれ,目がウルウルしてしまい,つい呼びかけにも聞き惚れてしまいました。
 その後は,ご存じのように,歌に合わせて構成したはずのスライドもタイミングはずれ,担任の発表の時間になってからあわてて楽器をセットし,さらに挨拶の時にも声が詰まり,まったく申し訳ありませんでした。しかし,それほど子供たちの発表が,というより子供達の感じ方が,またその背景にある子供達の育ち,周りの方の思いが圧倒的なものだったのでしょう。「我を忘れる」ということは,こういうことなのかと思った次第です。

■あの日,すべての片付けを終えて,教育実習生の渡邉さんと一緒に帰り,途中ファミレスで食事をしました。その間ずっと,彼も感動を語っていました。「半年で,子供たちがすごく変わっていた。落ち着いていた。自分に自信がついているように見えた。優しくて,暖かくて,居心地がよかった。」と何度も繰り返していました。
 私自身も,夜眠るまでずっと余韻に浸っていました。

■あの集会は,大枠は教師側から示したものの,言葉もメニューも,子供たちが自分で考えたのです。誰をお招きするかも,子供達が考えたのです。見通す力がまだ十分でなく,前日になってから「〜ができていない!」とあわてた一幕もありましたが,そこに向けられたエネルギーは大きなものでした。そして,そのエネルギーの源は,やはりおうちの方を中心とする,周りの皆さんの「愛・期待」なのでしょう。
 そんなことに,手を合わせたくなるような気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
 この子達の担任で,また皆様のような保護者に支えられ,私は日本一幸せな教師だと思いました。


3月12日(月) 第94号  感謝の集い・感想より

■感謝の集いの感想をいただきました。すべて一部抜粋でお届けします。

○入場曲「TSUNAMI」の見事さ,演奏もさることながら,全員が指揮者である先生に注目し,しかしゆとりと自信を持って堂々と演奏している。感動のあまり,もう始まりから1分とたたずに目が熱くなって困りました。

○5年生最初の参観日に,お茶会をしたのを思い出し,たった2年間でいろいろなメニューを自分たちで考えて作れるようになったことに感動しました。滝野の時,去年まではみんなが牛丼で楽ちんだったのに,買い物からすべてを子供たちに任せるというのを聞き,「家でもそんなことをさせないのに…」と思ったことがありましたが,自分が間違っていたことをはっきりと感じました。

○一人一人が自然で,しかも堂々として,巧まざるユーモアにあふれ…。すべてに感動して,先生達に感謝の気持ちでいっぱいです。

○学習発表会のおはロックに続いて,先生達のビリーブ。子供たちのためにありがとうございました。

○ちょっとコワイ感じの(失礼!)先生の目に涙を見て,子供たちへの思いの深さがどれほどだったのかが伝わり,思わずもらい泣き。家に帰って,つい子供に優しくなっている自分を発見しました。

○先生や学校側が,子供たちの声にじっくりと耳を傾け,受け入れ,アドバイスをし,皆で創り上げたのだというのが伝わってきて,とても感動しました。卒業式を前に涙をこらえるのが大変でした。○○が生まれてから今まで,子供の成長,心の育ちというものをこれまで大きくストレートに実感したことが無かったかもしれません。卒業を迎える子供たち全員に,この仲間たちとの時間を忘れず,新たな中学校という社会を,逞しく自分たちで生き抜いてほしいと願っています。

○冬休みの「生い立ちの記」は,親にとっても子供にとってもなかなか大変なものでした。親である私の方に照れがあり,また子供から少年へと変わっていく我が子に,どこまで話してやればいいのかとまどいもありました。(中略)しかし,あのスライドを見て(涙でぼやけていたけれど),ああ素直に子供に伝えてよかったと心から思いました。どの子にもどの子にもドラマがあり,本当に感動的でした。先生の思いである,「自分は愛されている存在なんだ」という自覚は,確実に子供たちのものになったことでしょう。一生の財産ができたと感謝しております。

○卒業を目前にした子供たちって,あんなにも堂々として輝いているものなのですか?本当に皆が素敵で,「この子たちも大人の仲間入りをしたのだな」とさえ感じました。我が子以外にはなかなか伝えられません。どうか先生からお伝え頂ければと思っています。

○子供たちから「ありがとう」と言われましたが,あの会に出させていただき,私達の方が子供達と先生達に「ありがとうございました」を言わなくてはならないと心から思いました。温かい,優しさに包まれた時間でした。

■紙面の都合でちょっとずつの紹介ですが,十分に皆さんの感動が伝わってくることと思います。
 子供たちに,自分の存在への自信を感じてほしいということが一番のねらいでした。そのねらいは,十分に達成できたと感じています。いえ,あの会ももちろんですが,「生い立ちの記」を書くこと自体,そして集いの企画をすること自体が,子供の自覚を促し,自分への自信を深めていくことになっていると思うのです。

■卒業式の練習が,進んでいます。参観の手引きにも載せましたが,私達は子供たちに「形」を押しつけようとは思いません。スッキリとした体の使い方,その心地よさを感じてほしいというのが一番です。
 だから,「気を付け」という言葉は使いません。「良い姿勢でがんばりましょう」とも言いません。気を付けという言葉は,ともすれば外形的な形を作る言葉になりがちで,肩に余分な力が入ります。また,良い姿勢とは,無駄な力が抜けた人間として一番自然で楽な姿勢なのですから,「がんばる」必要などないはずだと考えています。
今,子供たちの姿は,とてもスッキリとしています。自然に歩き,立ち,腰掛ける姿から無駄な力が抜け,表情もおだやかで自分への自信が感じられます。
 この姿には,「生い立ちの記」の取材過程で得た,自分の存在への自信,家族の方の愛,感謝の気持ち,それと集いで感じた仲間や保護者の方々,地域や学校の教職員集団との一体感なども大きく影響しているように感じています。

■残り1週間となりました。今,6年生の両教室は,温かく充実した時間に包まれています。これもおうちの方の協力があったからだと,心より感謝しております。
 本当に,ありがとうございました。

※まだ,感想がありましたらどうぞお寄せ下さい。子供たちに聞かせると,とっても喜ぶんですよ!


3月13日(火) 第95号  中学生になるということ

■感謝の集いをOさんがビデオにとって,ダビングして下さいました。そこで,先週の土曜休日に,家で見てみました。私は,一人で見ようと思ったのですが,家族みんなが「どれどれ」と集まって見ることになりました。
 どうせ,途中で飽きてしまうだろうと思っていたのですが,何と最後まで全員が集中して見てしまったのです。それだけ,内容のある会だったということでしょう。

■そして,その中でびっくりしたのが中1の娘の反応でした。娘は,まずTSUNAMIの演奏に「うまいね。」,そして会食や会食に「楽しそう。」などと言いながら見ていたのですが,生い立ちの記あたりから,無口になりました。そして,途中から何と涙をぽろぽろと流しながら,何度も鼻をかみながら見ているのです。私は,びっくりしました。

■子供たちの「Let's search for Tomorrow」や,私たちや教職員の歌の場面でも,泣いていました。保護者の皆さんの歌,そしてアンコールの場面でも。テープが終わると,照れくさそうに「私が感激して,どうするって言うのさ。」と言いながらも,また鼻をかんでいます。そして,「いいなあ,小学校は。」と言って部屋へ引き上げて行きました。家内も目をウルウルさせていましたが,ポツンと「中学校でいろいろあったからね。」と言いました。

■この1年,娘は,中学生になってから友達関係や教師との関係に苦しみ悩みました。ひんぱんに腹痛を訴え,保健室登校になったりもしました。先輩からカラオケに誘われたのを断ったために,無視されるなどもありました。合唱コンクールの指揮者を引き受けたところ,他のクラスメイトから「いい子ぶっている」と言われたこともありました。テストのプレッシャーも大きく,表情が日ごとに暗くなっていくのを見るのは,親としてはかなり辛いものでした。

■先日の懇談で,多くの方が「今のこの子達の素直さや優しさが中学生になってもなくならなければいいと思いますが…。」とおっしゃっていました。多くの方がこの声にうなずきました。私も,まったく同じ思いです。特に,娘が上に述べたような状態ですから,おうちの方の思いは,痛いほど分かります。子供たちからも,「先生,小学校に留年ってできないの?」などという声が出てきたりもします。
 しかし,一方で別のことも考えるのです。それは,ちょっとニュアンスは違うと思いますが,「かわいい子には旅をさせよ」ということです。
 こんなことを言うと,中学校の先生に失礼なのですが,小学校と比べるとやはり中学校は子供にとって「少し怖くて,冷たい感じ」の場所であるように思います。そして,それでよいという側面もあると思います。

■中学生になるということは,ちょっと辛い大人への旅立ちの第1歩なのです。そこを,親や教師が「かわいそう」などとブレーキをかけることは,何一ついいことがなく,むしろ子供たちの自立を損なうことになると思います。
 娘の話を聞けば,つい「それは,中学校の先生が間違っている」と言ってしまうこともあります。しかし,気を付けなくては,と思うのです。娘のためになるのは,どういう一言なのか。娘と一緒に憤っても,問題は一つも解決しないのです。
 親として言ってやれることは,「いろいろ辛いことはあるかもしれない。でも,どんなときにでも私達はお前の味方だ。」ということです。
 娘が生まれる時の気持ちを娘に話してやったことがあります。生まれる時,どんなことを思っていたかという話です。
「ただひたすら無事に生まれてきてほしかった。男でも女でもいい。障害があってもいい。指が5本なくてもいい。ただ,この世に生まれてきてほしかった。そして,この手で抱きたかったんだ。」
 娘は,とてもとても安心した顔をしました。自分の存在のかけがえのなさを,これからも何度でも伝え続け,「ちょっぴり辛い旅」の応援をしていきたいと思っています。
 この学級の子たちにも,今まったく同じ思いを感じて卒業の日が近づく時間の中にいます。

集いの感想・続きです

■また,いただきました。ありがとうございます! ほんの一部の抜粋です。

○長い人生の中で,小6の卒業という時期に一度立ち止まって自分が生まれてきた意味,周りの人達にどんなに大事にされ,愛されてきた人生だったか,親である私達も毎日の生活に流されてきていて,忘れかけていた誕生の時の感動,喜び,そして成長過程での苦労…など,今一度思い起こさせて頂けて,ありがとうございました。感謝の集いから帰ってきて,娘がとてもてれくさそうに一枚のしおりをくれました。そこには「産んでくれてありがとう」と書いてありました。こちらの方こそすくすくと素直に育ってくれてありがとうと返したかったのですが,とても恥ずかしくって言えませんでした。(中略)
 自分も今まで学生時代から考えますと,何度も卒業式や別れを体験してきていますが,今回の卒業式までの時間が,とても愛おしくてそして大切で,貴重に思えてならないのです。娘もそれを感じているのか,毎晩「抱っこして」と私のところに来て,でかい図体で少しの間抱っこしてあげています。少しでも先生の話題が出てきますと,2人でウルウルと泣いています。1日1日がとても大切でたまりません。(後略)


3月14日(火) 第96号  自己評価の言葉

■本校の通知表は,3学期に子供の自己評価を記入するようになっています。これを私はとても気に入っています。「計算ができた」「国語の読みとりが深くなった」「友達に親切にした」…,子供の成長はその子の「変わったこと」に投影されて,教師や保護者,他の子から与えられることが多いのですが,実はもっとも大切なのは,自分で自分をどう認めているかだと思います。自分が納得できていないのに他者からほめられることで傷つくことさえあるものです。

■さて,6年生3学期の子供たちの自己評価は,どのようなものだったでしょうか。ご紹介します。

○一番よかったことは音楽でTSUNAMIをうまくひけたことです。最初はみんなひけているのにぼくだけひけなかったけれど,中休みなど練習したおかげでひけるようになったのでよかったです。(石)

○この1年間,僕はひまわり班リーダーをがんばったと思います。なぜかと言うと,1年〜5年生までなかよくなれたと思うからです。(磯)

○ぼくは,この1年間で先生からいろいろなことを教わりました。そのおかげで勉強も分かるようになってよかったです。(大)

○ぼくは,この6年間をふり返って,一番の思い出は横藤先生と出会えたことです。計算の秘密やおもしろい話が一番思い出に残っています。(小)

○生い立ちの記で将来の夢を語って,すごく将来の夢を実現したくなった。(片)

○体育委員会では,中休みにミニ集会をたくさん開いた。司会を何度かやった。この集会でみんなが楽しがってくれたのがとてもうれしかった。体育委員会に入って良かったと思う。(木)

○委員会や行事や感謝の集いの時の料理をがんばったと思う。(高)

○ぼくは,この一年間,いろんな事をがんばった。特にひまわり班のリーダーや委員会をがんばった。中学生になってもいろんなことにチャレンジしてがんばっていきたい。
(武)

○一年間で僕は漢字や音読がうまくなった!家でも音読をしたり,漢字を書いたりしてうまくなったので,これからももっとうまくなりたいと思う。(早)

○ぼくは委員長をやってみて,はじめはうまくできなかったけれど,二学期,三学期になってからは,どんどんできるようになり,いい経験だった。(松)

○委員会で委員長をしたり感謝の集い,修学旅行,オリエンテーリング,渡邉先生が来たことなど,たくさんのことがあったけれど,全部うまくやっていけたので,この1年間はいい1年間になったと思いました。(三)

○感謝の集いで牛丼の料理を作った。五年生の時よりちょっと上達した。(見)

○僕は,この一年間でがんばったことは,勉強です。とくに理科の電磁石を作るのが難しくて手ごわかった。でも作れてよかったです。(山)

○話の聞き方が良くなったと思う。中学でも話の聞き方に注意する。あと算数は正負の数をがんばりたい。(米)

○委員会で,自分達で考えた集会ができてよかった。それと音楽集会ができてよかった。(千)

■男子の分です。委員会,ひまわり班,感謝の集い,そして勉強のことが多かったようです。それらの内容を見ますと,その言葉は使っていませんが,「自信」がキーワードになっているように感じます。
 次号は女子の分です。

感謝の集い・またまた

○(前略)実は,子供から地域の方も呼ぶという話を聞いた時にピンときませんでした。そこで,ついうっかり「父兄だけでもいいんじゃないの?」と言ったのです。調理とかが大変だと思ったからです。すると,「みんなで,お世話になった人を考えて呼ぶことにしたんだから!」と怒られてしまいました。(中略)
 当日,先生のお話を聞き,本当に子供たちはたくさんの方の愛で育てられたのだと感じ,何度目かの涙がこみあげてきたのでした。本当にありがとうございました。


3月14日(火) 第97号  続・自己評価の言葉

■女子の自己評価です。

○ひまわり班のリーダーとして,計画を立てたり,みんなをまとめることができた。最初の内は,あまりうまくできなかったけれど,青空交流会やクイズ&チャレンジラリーで,みんなが私についてきてくれてうれしかった。がんばって計画を立てて良かったと思った。(安)

○算数をがんばれた!だから「がんばった教科ベスト3」の一位に算数を入れた。中学になると名前が変わって数学になるけどがんばるぞ!新しい教科になる英語もがんばりたい!(板)

○算数の苦手な文章題や比をがんばりました。今もちょっと苦手だけれど,これから中学校に向けてがんばっていきたいです。(植)

○私はこの1年間で作文が書けるようになりました。作文によって今まで習った漢字をたくさん使えるようになり,よかったと思います。(太)

○私は,この1年間でがんばったことは国語でした。音読が全然できなかったのによくできるようになりました。これからもがんばりたいです。(大)

○算数が今までにないほどだめだった。このままではマズイ!中学が不安。でも,国語はけっこう良かった。漢字の読み方とかも簡単にわかった。ダメなところもあったけれど,良くなったところもあって良かった。(小)

○私はたぶん勉強をがんばったと思う。算数の教科書問題では,わからなかった問題が少なかったから…。(加)

○今回私はひまわり班リーダーになって他の人達の中心になってがんばった。遠足の時も自分の班の友達が私に力を貸してくれた。とてもうれしかった。(苅)


○私は国語の音読や算数の計算をがんばった。それとひまわり班のリーダーだった。ひまわり班で円山公園に行ったら,すごく大変だったこともあったけれど,おもしろかった。(木)

○私は小学校生活最後の一年ということで,最初はいろいろ不安だったけれど,実際一日一日がくるとそうでもなかったと思っています。この一年,漢字や計算,観察などなど,私にとって苦手だったものが,今では楽しくてしかたがありません!(木)

○私は漢字を少しだけ覚えた。中学生になったらむずかしい漢字をがんばって覚えたい。(名)

○ひまわり班のリーダーをやってみて,最初は余り話を聞いてくれないから,リーダーっていやだなあと少し思っていた。でも,今はちゃんと話を聞いてくれます。リーダーをやっていてよかったと思いました。(佐)

○私は作文がとても苦手だったのに,横藤先生にきたえられて作文を書くのがとてもうまくなった。生い立ちの記や修学旅行の作文が最高にいい作文になった。(佐)

○最初は1年生と遊ぶことがちょっといやだったけれど,ちょっとずつ遊んでいくにつれて,すごく楽しくなってきたし,1年生がかわいく思えるようになってきました。
(社)

○集いの時の『TSUNAMI』を毎日のように練習した。最初できなかったけれど,どんどんできるようになった。「やればできるんだなあ」と思った。(畑)

○私はこの一年間,児童会長をやって,少し責任やこの仕事の大変さなどを知った。そして,勉強面では苦手な算数の図形をがんばれたと思う。(水)

○私はひまわり班で行った円山動物園が一番大変でもあり楽しいものでもあった。まだ言うことを聞いてくれなかった子がたくさんいた。だが,だんだん説得力がついてきた。
(村)

■子供たちには,「6年生になって,学習面やリーダーとしての役割で,どんなところが成長したと思いますか?」と投げかけましたので,修学旅行や学習発表会などの話題が入ってきていません。(それは,文集の方でいいかなとも思います。)
 女子の方を見ますと,「リーダー意識」と「学習が身に付いたこと」が多いように思います。5年生の最初から比べますと,まさに雲泥の差が感じられる部分です。子供たちの自信になっていることが伝わってとてもうれしいです。


3月15日(水) 第98号  卒業直前の心境を詠む

■あさっては卒業式。そこで,直前の心境を川柳に詠んでみました。子供たちは,「今」をどのように受け止め,感じているのでしょうか。(川柳もちょくちょく詠んできて,七五調のリズムにとらわれない「破格」調のものも多くなってきました。山頭火のようですね。)

■まず,式練習のことを読んだものがいくつか。
○卒業式 つかれるけれど がんばるぞ  (大)
○卒業式 練習してても 「ジン」と来る  (太)
○体育館 将来語った 卒業式  (小)
 子供たちの練習ぶり,とても立派です。参観日にご覧いただいた時より,体がスッキリと動くようになりました。それでも疲れるのでしょう。また,日が迫ることで,やはりさびしさもつのってきているようです。また,一言スピーチが印象的な子もいるようです。

■さびしい気持を読んだ子は,やはり多いですね。
○みんなとお別れ 少しさみしい 卒業式  (名)
○さみしいな 来ないでほしいな 卒業式  (安)
○卒業式 みんなとお別れだなんて とても信じられない  (加)
○卒業式 だんだんさみしく いやになる  (千)
○あと一日 ちょっと悲しい 卒業式  (佐)
○土曜日が 最後の日だと 心語り  (木)
○なんでだろう 涙が出ちゃう 卒業式  (板)
○小学校生活 最後の二日間 悲しいな  (社)
○このクラスで いっしょにいるのも 最後だな  (佐)
○友達と 楽しく過ごす 時間ない  (小)
○卒業式 もうすぐここと お別れだ  (村)
○卒業式 この学校とも お別れだ  (木)
○先生と 別れてしまう 卒業式  (石)
○もう一年 横藤先生と いたかった  (片)
 別れの切なさを,子供たちなりに受け止め,さびしいと感じていることが伝わってきます。「友達」「この学校」「このクラス」「ここ」,そしてこんな私のことも…。子供たちの心のふるさとからの別離の時が刻一刻と近づいています。先日の懇談でも,多くの保護者の方から,「このままでもう少しいさせたい」とおっしゃっていました。私も,できればもう少し,という気持ちはありますが,限定された時間の中だからこそ教育は効果的なものだと思います。別れは最後の教育。よい別れを創るのが,私の最後の仕事です。

■しかし,悲しんでばかりいない明るさ,逞しさは子供の長所。元気いっぱい未来を見つめる子もいます。
○卒業式 とうとう自分の 番が来た  (三)
○卒業式 早く来ないか 楽しみだ  (高)
○卒業だ 次は中学 レッツGo!  (畑)
○悲しみを 元気に変えて がんばろう  (苅)
○卒業式 一歩大人に 近づいた  (見)
○あと一日 やっと卒業 楽しみだ  (松)
○卒業式 終わって次は 入学式  (水)
○卒業式 ちょっぴり悲しい でもうれしい  (大)
 「子供は未来からの留学生」といいます。明るく未来を見ようとする子供たちの中に,伸びていく力を感じ,何だかうれしくなります。ちょっと救われるような気持ちになります。

■これまた味わい深い一句は,木下君のもの。
○五七五 小学最後の 俳句だな  (木)
 本当ですねえ。これまで,遠足,修学旅行,学習発表会…,たくさん書いてきましたが,もうみんなで書くのは最後です。でも,気軽に書ける形式ですので,これからも自分の表現方法として使っていってほしいなと思います。

■最後は,「希望」。
○悲しい日 晴れたらいいな 卒業式  (米)
○卒業式 緊張だけは したくない  (山)
○卒業式 北野平を 忘れない  (植)
 この子供たちが主役の卒業式です。人生の節目の日です。思い出すほどに,温かい気持ちになれるような,よい一日になりますように。おうちの方も,どうか応援していてください。

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エトセトラ
※「共に育つ」も,明日,あさってと発行しますと,100号になります。ねらったような区切りとなりました。(ねらったんですが。)
ここまで,ご愛読いただいた皆様に感謝いたします。

※明日の時程ですが,5時間目は式場準備となっており,6年生は給食後下校となります。2時前後には下校しますので,よろしくお願いします。


3月16日(金) 第99号 横藤雅人と一生つき合う方法

■人には相性というものがあり,できれば私と違う担任に受け持ってほしかったと思う子や保護者の方もいらしたことと思います。この頃は,もうあきらめたのか(?)言われなくなりましたが,以前はよく「女の先生がよかった」とか「○○先生は授業時間にアニメを見せてくれたりして優しかった」などと言われたりもしました。私は,硬派の教師ですから,その気持ちもよく分かるような気もします。

しかし,こんな私でも,縁あってこの学級を2年間担任させていただき,私なりに力を尽くしたつもりです。至らないところ,やりすぎたところ,たくさんありましたが,もしこんな私でよければ,卒業後も子供たちと,そしておうちの方ともつながっていたいと思います。
 そこで,懇談の折りにも言いましたが,私とのつき合い方を記しておきます。

■20才までの心得

調子のよい時は,横藤のことを忘れていてもよい。

 「つき合い方」と書いておいて,「忘れて」とは妙な話ですが,こういうことです。
 卒業する瞬間までは,子供たちのすべてに私が責任を持ってお預かりしていました。良くも悪くも,子供達は私の手の平に載せられていました。また,私は子供達の前に立ちはだかる壁でもありました。「うるさいことをいう大人」でもありました。(オヤジギャグの寒い教師でもありました。)
 学校教育とは,子供をもはや学校教育を必要としない人間に育てる営みです。自由に思考し,自由に活躍できるようにするために,時には強制し,叱責したりもしてきました。自由にしてやりたいと,早くから制限をなくして自由を与えると子どもは低いレベルに留まり,結果として不自由な一生を送ることになるからです。教育の矛盾する原理です。
 しかし,卒業を機に私はそれらの強制力を失います。もう,私の方を見て生活する必要はありません。だから忘れてよいのです。忘れてくれる方が望ましいのです。私のことなど忘れるほどに中学校以降の生活が充実し,夢に向かって前向きに生きていってほしいと心から願います。私のことなど思い出す時間がないほど充実した人生を歩んでくれることが,私が確かな仕事をしたという証拠でもあるのです。それを願って,厳しくしてきたのです。
 そして,そうだから教師である私はいつもさびしいのです。
 調子のよい時は,年賀状すらいりません。「便りがないのはよい知らせ」だと思うことにしています。(でも,年賀状はいただいたら,必ず返事は出しますよ。)

■しかし,人生うまくいく時ばかりではありません。時に,困ってどうにもならないことがあることと思います。そんなときは,私でよければいつでも相談に乗ります。
 かつて,3年ぶりに「会いたい」という電話をもらった子(複雑な家庭の子でした)に会うため,静岡まで行ったこともあります。暴走族から抜けられなくなった子のために,小樽まで行って族のカシラに会って交渉したこともあります。失恋してしまった子と,朝まで語り合ったこともあります。
 少々,年を取って動きは鈍くなっていますが,いつまでも,子供たちの担任のつもりです。この子達のためなら,一生役立ちたいと思います。

■20才からの心得

一緒にお酒を飲みたいな

 20才を過ぎても,もちろん基本的には上と同じです。成人したから,相談には乗らないというつもりはありません。しかし,一つ増やしたいことがあります。それは,一緒にお酒を飲みたいということです。
いえ,お酒でなくてもいいのです。居酒屋あたりで,私はお酒,相手はジュースでもいいのです。その子のがんばりや悩みをじっくりと聞きながら,共に時間を過ごしたいのです。
 これは,もう先輩がたくさんいます。かつての教え子と語りながら(やっぱり説教口調になって,あれこれ押しつけながら,と家人は言いますが),酌み交わすお酒の味は格別です。私のささやかな贅沢です。そのメンバーに,この子達も加わってもらえるなら,とてもうれしいです。

■以上,たった2つが私とつき合う方法です。シンプルでしょ?若い頃から,この方針でやってきて,多くの子に忘れられ,少しの子に再会し,お酒を酌み交わしてきました。つくづく私は幸せなやつだと思います。

■よく,自分の教え子が,よい大学に入ったとか,有名人になったとかを自分の誇りにする人がいます。私は,そういう生き方を選びません。大学に受かったという報告より,成功しているという報告より,ちょっと相談してみるかと,困っていること,悩み事,やっかいなことを持ち込んでくれる教師でいたいと思います。もちろん,できること,できないことあります。でも,電話で話を聞くくらいならできると思いますので,そんな時に思い出してくださいね。子供たちも,おうちの方も。

■さあ,明日はいよいよ子供たちの旅立ちの日。人生の節目です。
すばらしい日になりますように。おうちの方のいっぱいの拍手をお願いいたします。


3月17日(土) 第100号  卒業,おめでとうございます

■本日は,ご卒業おめでとうございます。子供たちの人生の節目です。大人への一つのステップを無事に迎えることができましたこと,心からお慶び申し上げます。
 以前,本紙にてお知らせしましたが,私が前任校で1年生の時に受け持った子が,昨年5年生で他界しました。前任校への卒業式祝辞に,私は「谷内さんも天国で中学生ですね」と書き添えました。みんなと一緒の卒業式を迎えられなかった子もいることを思うと,この子たちがこうして多くの人に祝福されて卒業できることは,本当に喜ばしいことだとつくづく思うのです。
 もう一度申し上げます。本当におめでとうございます。

■第1号に,私は次のように書きました。

■最高学年スタートの日に,こんなことを言うのもナンですが,人と人は出会い,いつか別れるのがこの世の宿命です。教育は,この別れの日にねらいを定める仕事であると思います。(略)

■5年修了時点かと思っていた別れの日が,卒業式にリセットされました。卒業式という別れの日まで,どんなことが実現できるのか。子供たちと私の挑戦が,今日から始まります。
 担任が横藤でがっかりされた保護者の方もいらっしゃると思います。しかし,私も子供たちと共に育ちたいと思っています。私も変わります。不完全な人間ですが,その気持ちにご理解とご支援をいただければ幸いです。その願いを込めて,学級通信のタイトルを「共に育つ」としました。

■春休み,6年生の授業,学級経営について,あれこれ思いを巡らしました。その思いは,大学ノート1冊分のメモとなりました。新しく「6年生…」とタイトルされた本も数冊買い,読みました。今年中学生になる娘から教科書を一式借りて,目を通したりもしました。インターネットで,6年生の授業や学級経営の情報も集めました。子供たちと別れゆく卒業の日までの有限の時間に描く無限の夢がどこまでも広がります。

■夢のうち,実現できたのはほんのわずかでした。時間と私の力量に限りがあり,思うようにできなかったところがたくさんあります。しかし,描いた夢より,今目の前にいる子供たちの姿の方が,何倍も美しいです。
子供たちは,変わりました。成長しました。感謝の集いで,多くの方から「子供達の成長を感じて感動した」と寄せていただきました。これも,保護者の皆様の支援があればこそだと本当にありがたく感じております。

■そして,子供たちと同じくらい私も成長したと感じています。私もまたたくさん失敗しました。そして,その中からたくさんのことを学びました。
 子供たちに力を付けるため,本をたくさん読みました。ノートにたくさんメモをしました。いろいろな人に聞いて指導の糸口をつかもうとしました。
 あの子が,にっこりと笑って作文に取り組んでくれるようになるには,何と投げかけたらよいのだろうか。あの子が,「算数って簡単だ!」と叫んでくれるためには,どんなモノを見せればよいのか。跳び箱が苦手なあの子が「跳べた!」と笑顔を輝かすには,何段の跳び箱で,どんな準備運動から導入すればよいのだろうか,…。そんな取り組みをしている時間は,苦しいのだけれど,同時に楽しい時間でした。そして,だんだんこの子達に合った授業の展開が見えてきました。
 子供たちがいろいろ言い,書いてくれます。
「音読ができるようになって,内容もよく分かるようになった。」
「算数の勉強の仕方が分かってきた。」
「グループで,学習を進めることが楽しくなってきた。」
 こんな声に励まされて,またがんばろうとできた,それは何と幸せなことだったことでしょうか。
 行事や総合的な学習も,かなり大胆にやりました。子供たちは,そういうこと一つ一つを乗り越えるごとに確実に変わっていきました。子供が,変わっていく。何とすばらしいことでしょう。それを毎日間近で見ることができて,私は本当に幸せでした。
 ありがとうございます。本当にありがとうございます。
 言葉に尽くせない思いが,胸にあふれています。
 
■昨日書いたことの繰り返しになりますが,子供たちの人生に幸多かれと祈っております。私のことなど,思い出す必要がないくらい楽しく充実した日々が子供達に訪れますように!
 でも,いつでも気軽に声をかけ,寄ってほしいとも思います。
 おうちの方も,いつでも声をかけてくださいね。

 いよいよ,お別れです。最後に,呼び捨てにすることをお許し下さい。

 博史,イソ,康士,オバ,カタ,晃輔,優大,トシ,祐仁,タッチ,ミッカ,健太,ノリ,ヨネ,直樹,恵実子,イッチャン,メグ,ヒロ,愛華,志穂,彩,遼,未久,アッチ,名緒,優美,礼奈,光,リッチャン,水戸部くん,佳那,そしてモリ,太一,ゆい,拓。 心からありがとう。そして,そして,サ・ヨ・ウ・ナ・ラ!


追記:卒業式の日,式ではこらえた涙が教室ではとめどなく流れました。涙でぐしゃぐしゃになりながら,この100号を読み上げました。途中,鼻をかみながらのサエない読み上げでした。しかし,精一杯の心を込めての読み上げでした。子供たちと保護者の皆さんからの拍手と涙と語りかけに囲まれた,幸せな幸せな時間でした。

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