6年生通信ー4月
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1.出会いの言葉
2.出会いの日の子供たち
3.発信者の意識で
4.算数〜「分数と整数の計算」にて(前編)
5.算数〜「分数と整数の計算」にて(後編)
6.ちょっと待ったあ!(前編)〜理科「物の燃え方と空気」にて
7.ちょっと待ったあ!(後編)〜理科「物の燃え方と空気」にて
8.リーダーとして〜話し上手の「はひふへほ」,頼まれ上手の「はひふへほ」
9.国語「素直な疑問符」〜詩の読解から自分を見つめる
4月6日(木) 第1号 「出会いの言葉」
■6年生が始まりました。今年も,1組は横藤が担任させていただくことになりました。どうぞ,1年間よろしくお願いします。
小学校生活最後の1年だから,ということでもないのですが学級通信を発行することにしました。学級の様子など,率直に綴っていきたいと考えておりますので,どうぞお読みください。
■最高学年スタートの日に,こんなことを言うのもナンですが,人と人は出会い,いつか別れるのがこの世の宿命です。教育は,この別れの日にねらいを定める仕事であると思います。
昔若い頃,獣医をやっている友達と「教育と飼育はどこが違うか」というテーマで語り合ったことがあります。
愛情か。いや愛情なら獣医だって負けてはいないぞ。いや,食事を一人で食べさせるような人間の生活に比べたら,むしろ動物の飼育の方が愛情あるのではないか。
なら,可能性の開花か。いや,熱意と愛情あふれる「調教」によって,動物たちも可能性を開くぞ。盲導犬を見ろ。人間を信じ,自分をきちんと律して実に誇り高く仕事をしている姿は,まさに可能性が花開いた姿ではないか。
こんな風に話し合っていって,たどり着いたのは,「人間の教育は,別れの日を想定した営みだ」ということでした。動物の飼育は,基本的に「人間とよい関係で共存すること」をねらいにするのに対し,人間の教育は,別れを前提として,「自立」をねらいとする営みだ,というのがその時の結論でした。
■5年修了時点かと思っていた別れの日が,卒業式にリセットされました。卒業式という別れの日まで,どんなことが実現できるのか。子供たちと私の挑戦が,今日から始まります。
担任が横藤でがっかりされた保護者の方もいらっしゃると思います。しかし,私も子供たちと共に育ちたいと思っています。私も変わります。不完全な人間ですが,その気持ちにご理解とご支援をいただければ幸いです。その願いを込めて,学級通信のタイトルを「共に育つ」としました。
■春休み,6年生の授業,学級経営について,あれこれ思いを巡らしました。その思いは,大学ノート1冊分のメモとなりました。新しく「6年生…」とタイトルされた本も数冊買い,読みました。今年中学生になる娘から教科書を一式借りて,目を通したりもしました。インターネットで,6年生の授業や学級経営の情報も集めました。子供たちと別れゆく卒業の日までの有限の時間に描く無限の夢がどこまでも広がります。
4月7日(金) 第2号 「出会いの日の子供たち」
■初日は,とにかく慌ただしくすぎました。朝,着任式・始業式に引率するために教室に行きました。すると,子供たちは
「今年も横ちゃんが担任でしょ?」
「そうだ,ギターあるし。」
「机も同じだ。」などと口々に言ってきました。
正式発表は,始業式の中で,ですから,ここはひたすらトボけます。
「いや,これは6年生の先生が欲しいって言ったからあげたんだ。」
子供たちは,「はいはい。」「そうですか。」などと言って信用してくれません。(当たり前か)
■体育館に出る前に,「みんなのきらりを今度は,リーダーとして大きくふくらまそうね。合い言葉は『きらリーダー』だよ。」と言うと,子供たちから「変なの!」と笑い声が起こりました。それでも,廊下への並び方や体育館での整列の仕方にちょっぴり6年生としての自覚が感じられました。う〜ん,いい感じです。
■始業式では,9人の新しい教職員を迎えました。それぞれの個性に,笑顔で反応する子供たちでした。着任した教職員への歓迎の挨拶は,5年生の時に児童会でがんばってくれた木村さんが,代表で作文を読んでくれました。着任する教職員が挨拶する間,待機していたKさんは「う〜ん,緊張するよ〜」などと言っていましたが,しっかりと作文を読んでくれましたよ。
■始業式で,転入生の紹介がありました。6の1にも男の子が入りました。
函館から来たT君です。 背が高くて,K君と比べてみたら,ちょっとだけK君の方が高かったようです。1年生の時は,札幌の緑丘小学校にいたそうです。
ゆとりがあれば,趣味などくわしく聞きたいところだったのですが,何せ時間がなく,仮の座席に着いてもらって,すぐに教科書を配布したり,1年生のお世話の相談をしたりしました。
■その後,入学式の準備でまた体育館へ。ここでの6年生の働きぶりがよかった!本当に気持ちよく体を動かす子供たちです。5年生と一緒になって,パイプ椅子運び,長机や写真撮影用の机と椅子を運ぶ,…。たくさんの仕事を,どんどんこなしていきます。
言われなくても,自分から仕事を探す子,友達が重そうにしているとさっと手を差し伸べる子,「あのマットを片付けたいんだけれど…」と言うと,全速力でマットの場所に走って行く子,見ていて気持ちよかったです。
この学年のとてもよい持ち味です。「できれば,楽をしよう」と,逃げ回る子などいません。そして「ありがとう!」と声をかけると,「にこっ」と笑顔が返ってきます。この気持ちを大切に伸ばしていきたいな。
■その間,1年生の教室には,新1年生が続々と入ってきていました。1の1に,補助としてO君,H君,Kさん,Sさんの4人が行っていました。緊張しながらも,一生懸命に1年生の世話をしようとがんばっていたと,1年担任のM先生から聞きましたよ。入学式では,呼びかけも歌も,長い休みの後にも関わらず,よく声が出ていました。
■その後,式場の片付け。またまた,すばらしくよく働いてくれて,あっという間に体育館は元通り。帰りがちょっと遅くなりましたが,みんなでお互いのがんばりに拍手し合って初日を終えました。
4月10日(月) 第3号 「きらリーダー=発信者の意識で」
■7日(金)は,学級のしくみをつくる1日でした。座席や委員会の所属など年度始めは決めることがいっぱいあります。子供たちは,張り切ってアイディアを出し,譲り合って,どんどん決めていってくれました。まず,次のような話をしました。
■これからいろいろなことを決めるけれど,その決めるときに,みんなに考えて欲しいことがあります。それは,2つの方向から物事を見て考えて欲しいということです。
まず一つは,「受信者」の立場で考えることです。「誰々君と一緒のグループになったら,楽しいだろうな」「あの委員会,面白そうだからやってみよう」,こういう立場です。
これは,自分にとって相手は何をしてくれるかを判断するという立場ですね。
もう一つの立場は,「発信者」の立場で考えることです。「みんなのために,自分は何ができそうかな」「自分の力や持ち味を発揮して,貢献できる委員会は何だろう」と考える方向です。
この2つの見方,両方が大切だと思います。
■こういう話をすると,子供たちはとても真剣に聞いてくれます。現代の日本では,子どもたちを「受信者」オンリーとしてとらえる価値観が強い傾向にあるのではないでしょうか。
黒柳徹子さんが,ユニセフ親善大使としてアフリカの貧しい諸国を訪問して歩いたとき,食べ物もきちんと与えられない子供たちの目がとてもきれいで,いじめも自殺もまったくないことに感動したと書かれています。毎日7才くらいの子が,4km離れたところまで水くみに行ったり,強制労働を1日に10時間以上もさせられたり,そんな中で出会う,きれいな目。反対に日本の子どもたちを思うと,衣食住に恵まれていながら,いじめや自殺が増加しているという実態に,涙が出てしかたない,と。
これは,アフリカの子供たちが,貧しい生活のゆえに「家族や友達のために何ができるか」という発信者として生きざるをえないのに対し,日本の子どもたちは恵まれた生活の中で,「私にとって心地よくしてくれる家族,友達,モノがあればいいな」という受信者としての生き方を強めていることに原因があるのだと,私は思うのです。これまで,多くの子を見てきましたが,発信者としての意識をしっかりもっていた子は,中学,高校に進んでも家庭で暴れたりしません。
■私も我が子への接し方の根底に,我が子を「受信者」オンリーとして見てしまっていることに気づくことがあります。例えば,仲良しの友達のことが食卓の話題になっていたとき,「ああ,○○さんはウチの子にとっていい友達なんだ。よかった。」と思います。しかし,「で,ウチの子は○○さんに,どんなことをしてあげられるのだろう。」とまではなかなか思いがいたらないのです。一人の親として反省させられます。
■さて,「受信者と発信者」の話の後,さっそく座席を「お見合い方式」で決めました。この決めるときの子供たちが,とてもさわやかだった!「俺,ここ!」などという自分中心,早い者勝ちの態度の子は一人もいません。お互いに相手の様子を見ながらさりげなく譲り合い,時間もあっという間に上手に決めてしまいました。立派です。
次のように,なりました。(図は略)
この座席,グループの中で分担し,給食や清掃のまとめ役も話し合いました。
■次に,委員会です。やはり「発信者」意識を大切に,ということで「委員長や書記に立候補して,発信しようとする人を優先する」という決め方をしました。どの委員会にも立候補者が出て,また,譲り合ってくれる子もたくさんいて(ありがとう!),次のように決まりました。
(委員会所属略)
また,全校縦割り活動のひまわり班のリーダーには,次の人達がなってくれました。(略)
ありがとう! 全校のリーダーとしてがんばろう!
4月19日(水) 第6号 「算数〜分数と整数の計算にて(前編)」
■教科書4ページに次の問題があります。
ケーキを1こつくるのに,牛乳を2/7リットル使います。このケーキ3こつくるには,牛乳を何リットル使うでしょうか。 |
ここを次のように授業しました。
■まず,問題の数値を易しくします。
ケーキを1こつくるのに,牛乳を1リットルいます。このケーキ3こつくるには,牛乳を何リットル使うでしょうか。 |
こうすると,子供たちはすぐに分かります。予想を聞くと,ほとんどの子が,手を挙げて,「そんなの簡単だよ。3リットルに決まってるよ。」
そこで,「そうだね。じゃあ,どんな式になるのかな?」 こう切り返すと,手を挙げる子がぐっと減ります。
直感では分かるけれど,式という論理的な表現に置き換えることが苦手なのですね。
ここで,「1×3こ」になることを押さえます。
さらに,ケーキを1個作るのに必要な牛乳が1/2gだったら,2/7リットルだったら,と問題を発展させていきます。こうしてやることで,式というもののの意味が分かるようになっていきます。
■ところで,こうした学習をしているときに,いくつか気になることがあります。それは,次のようなことです。
・2/7リットル×3という立式はできるが,1×3,2×3という場面を立式することができない子が多い。
・2/7リットル×3の答えは,6/7だと,「やり方」は知ってるが,「どうして分母にはかけないの?」と切り返すと,説明ができない子が多い。
・上のような子は,友達が考えた式について,その元になる考えを聴くことができない。つまり,友達が自分の考えを話し出すと,おしゃべりを始めたり,手遊びを始めたり,休息に入ったりしてしまう。
■よく聴く子も増えてきていますが,やはり全体的に論理的な表現を要求する場面になるとまだまだ弱いです。そこで,さらに実物を持ち込んで分かりやすくしていきます。リットルマスに水を入れて,次のように展開しました。
■リットルマスについている目盛りが10まであることを確認して,その2番目まで水を入れます。そして「ノートに,この水の量を分数で表しましょう。」と指示します。
すると,先ほど「問題あり」と指摘した子供たちのほとんどが,見事にこの答えをノートに書くことができません。その数,12名。この日は欠席者はいませんでしたので,37.5%となります。ちょっと多いです。
そこで,「忘れているようだね。3年生の時にやった問題だよ。答えを聞いたら,思い出すかな?」と言って,書けている子に発表してもらい,書けていない子にはノートにその答えを書かせます。
■次いで,同じだけ水を入れたマスを3つにし,「さあ,1/5リットルのマスが3つになりました。同じものが3つですよ。このことを式に表してみましょう。」と指示します。今度は,前にやった流れがあるので,多くの子が1/5×3と書きます。しかし,やはりここでも,固まる子がいます。このときは,4人でした。すぐに,答えを言ってもらって,書けていない子にもノートに書くように言います。
■いよいよ答えを出す場面です。「では,答えを考えてみましょう。これをみんな集めてしまうのですよ。いったい,何リットルになるのでしょうね。」
こうなると,ほとんどの子は3/5リットルという答えにたどり着くことができます。 この後,1マスを3/10リットルにして同様の手順でノートに書いたあと,
「7/10リットル2つでは?」と発展させていきました。この頃には,ほとんどの子が「なあんだ。簡単だ!」などと言い始め,「先生,もっと出して!」などとかわいらしいことを言い始めたりもします。ようやく,「目の前の現実」と「論理的な考え」が「式」によってつながったのです。
■さて,算数ではこのように,子供たちの中に「現実と論理的な考え」のつながりをつけようとしているのですが,その際,次のようなことが大きな障害となっています。
まず,子供自身が「算数っていうのは,要するに答えを出す学習なのだ」という学習観を持っていることです。ここに,私は小さくない問題を感じます。
4月19日(水) 第7号 「算数〜分数と整数の計算にて(後編)」
■算数は,「与えられた問題の答えを早く正確に出す」ことが一番大切な教科なのではありません。懇談でも言いましたが,計算ならパソコンにはかないません。
それなら算数で育てるのは,どんな力か。それは大きく言ってしまうと,日常生活の中にある,いろいろな物事や情報を整理したり,論理的に関係づけたりする力なのです。
ところが,先の例で言えば「2/7×3」の答えを出すことはできても,その式が実際にどのような場面を表現したものなのかが分からなければ,それは算数の力がついているとは言えないのです。もっと言うなら,日常場面で「2/7×3」という式に表すことで,うまく問題が解決しそうだという見通しを持つくらいになって初めて,算数の力が生きて働いているな,と感じられるのだと思います。
■数学者の秋山仁さんは,ご自分のホームページで次のように主張されています。
大学を受験するまでの算数・数学というのは、日常つつがなく生活できる能力があれば、十分マスターできるものです。つまり「朝、めざましが鳴ったら起きて、ふとんを片づけて、ごはんを食べて、歯を磨いて、学校へ行く」というような普通の生活ができれば、あとは努力次第で、だれでも京大や東大に受かるものなんです。
もっとわかりやすくいうと、次の4条件ができるということ。
第一の条件……自分の靴を左右そろえて、学校の自分の靴箱にしまえる。
第二の条件……カレーライスを作ったことのない子が、料理の本を読みながら(漢字が読めないというのは別にして)カレーライスをちゃんと作ることができる。
第三の条件……自分の知らない単語、たとえば革命という字を知らなくても、それを国語辞典を見て調べることができる。
第四の条件……最寄りの駅から自分の家に行く地図が描ける。
じつは、この4つには全部意味があるんです。
第一の条件は、1対1対応のことなんです。しかも2回ひき続き行っています。まず自分の靴をそろえる、それから自分の場所に入れる、これを「1対1の合成」といいます。
第二の条件は、観察能力。じゃがいもが煮えたかとか、にんじんが炒まったとか、火加減や水加減はどうだとかあるわけですね。そういうことが、ちゃんとできる観察能力があるということ。
第三の条件は、国語辞典なら51音の順序関係、または大小関係を把握し、ちゃんと理解しているっていう、すごい能力なんです。
最後の第四の条件は、われわれが住んでいる3次元の空間を、平面という2次元に射影して、かつ縮小して順序関係を保ったまま表現ができる、つまり最高の抽象能力ですね。
これだけのことができればいい。そういう子が算数ができない原因はひとつ、努力が足りないから。
■秋山さんのおっしゃることは,学者らしいなかなかうんちくのある主張だと思われます。 ところで,私は秋山さんの主張の冒頭に,いたく興味を引かれます。
「大学を受験するまでの算数・数学というのは、日常つつがなく生活できる能力があれば、十分マスターできる」という下りです。
現代の生活は,子供の生活体験の場をどんどん縮小する方向に向かっています。そのため,「生活できる能力」も,どんどん縮小しています。
懇談でも,子供たちの生活体験そのものを掘り起こすことの必要性をたびたびお話ししてきましたが,たとえば算数の一場面をとっても,「機械的に答えを出す」のではなく,生活の中から,体験に結びつけて生き生きと学習する力を育てるには,日常からの体験の掘り起こしが欠かせないと思うのです。
■エトセトラ
・国語辞典,ほとんどの子が揃えました。ありがとうございました。
・消しゴムをできるだけ使わず,一回できれいにノートを取ろうと呼びかけています。そ のため,消しゴムボックスを設置し,そこに消しゴムを預かっています。使用は自由で すが,安易に使わないように習慣づけたいと思っています。
・教室にパソコンを置きました。朝や休み時間に子供たちが群がっています。
4月20日(木) 第8号 「ちょっと待ったあ!(前編)」
■今,理科では「物の燃え方と空気」という学習をしています。ここでは,「物が燃えるときには酸素が必要なこと」「物が燃えると二酸化炭素ができること」「炎は気体が燃えるときに出ること」などを学習します。
これらの目標を,ただ知識として身に付けるだけなら,例えばろうそくの炎に酸素ボンベで酸素を吹き付けて,ボーッと燃え上がる様子を見せればよいのです。手軽で,テスト用の知識は確実に身につくでしょう。
しかし,ここでは実験を通して,科学的な見方や実験の方法を学ぶことの方が大切ですので,次のように展開しています。
■まず,物が燃えているということを思い出すところから始めます。子供たちは,滝野での飯ごうでの炊飯を真っ先に思い出しました。やはり体験したことは,力になるのですね。 他に,キャンプファイヤー,火事,ろうそく,アルコールランプ,タバコ,花火,火花などが出
されました。
次に,それらの燃え方でどんな時に盛んに燃えたり,消えたりするかで気づいたことがあれば,発表するように促しますと,風が吹いたらキャンプファイヤーの火が大きくなったことなどを思い出していました。
ちょうど,準備室でS先生が仕事をしていましたので子供たちの言う「強く吸い込むとタバコの先が赤くなる」の確かめに,協力していただくことにしました。斉藤先生は大サービスで,いっぱい強く吸ってくれましたので,確かめることができました。「ろうそくにコップをかぶせると,火が消える」も,やってみるとみんな「オーッ!」。楽しいひとときです。
■このような体験の思い起こしは,自然科学を学習する際はとても重要です。KJ法という創造性開発の発想法がありますが,この段階を「内部探検」と呼んで,重視しています。 上のような思い出しから,「物の燃え方には,空気が関係ありそうだ」というところに興味・関心が向いていきます。そこではじめて,「空気の出入りが違う環境で実験してみよう」と教科書の実験に進むわけです。
子供たちの日常の生活経験から問題を掘り起こさないと,学習したことが本当にその子のものにはならないのです。
■そこで,空き缶の中で割り箸を燃やす実験をすることになりました。
子供たちは,それぞれ実験に使うものをグループで考えて,理科室を探し,ないものは分担して家から持ってくることになりました。
■次の時間は,実験です。しつこいようですが,一度教卓のところに子供たちを集めて,安全の注意と,実験の目的を確認しました。
「今日は,割り箸を燃やしてみるんだよね。ところで,何のために燃やすんだっけ? 寒いから燃やしてあったまろう,というわけじゃないよね?」と聞きますと,子供たちの中から「空気と燃え方の関係を調べるため!」と,すぐに返ってきました。そこで,「そうだね! さすが6年生,めあてがしっかり分かっているねえ!立派!」とほめ,このめあてを板書しました。
いよいよ実験開始です。私はてきぱきと動く子供たちを見ていて,「うん,この分なら大丈夫。途中で,『待った!』をかけなくても済みそうだな。」と期待しました。
しかし,実験開始から約7分後,やはり私は「ちょっと待ったあ! みんな,途中の人も手を置いて,こっちを見てください!」と言わざるを得なかったのです。
さて,ここでおうちの方にクイズです。一体,私はなぜ,待ったをかけなくてはならなくなったでしょうか?
ちょっと考えてみてください。答え(後編)は,明日お届けします。
4月21日(金) 第9号 「ちょっと待ったあ!(後編)」
■さて,どうして待ったがかかったか,お分かりになりましたか?
子供たちの実験の様子を見ていて,次のような姿が見られたのです。
「おっ,消えた!」
「もう一回火,つけるべ。」
「もっと,もっと新聞入れよう!」
「お〜,よく燃える!」「でも,けむいね!」
「あ〜,割り箸がなくなった。今度は,
この木の枝でやってみよう。」
■私は,子供たちに言いました。
「あのね,何のために実験しているンだっけ?」
子供たちは,きょとんとした顔で,「空気と燃え方の関係を…」
私「そうだよね,最後まで,何とかして燃やすのがめあてじゃないんでしょ?だったらさ,それまで燃えていて消えたって事は,それがデータになるんじゃないの?消えたからもう一度燃やすっていうのは,データを取ることになるかい?」
子供たち「あっ,そうだった!」
私「それとさ,燃えるからって新聞を次々に入れるのは,この実験でどんな意味があるの?かえって,割り箸が燃えているんだか,新聞が燃えているんだか,分からなくならない?それと,空き缶も変えて,燃やす木も変えてしまったら,燃え方が違うのが缶のせいなんだか,木のせいなんだか分からなくならないかい?」
■子供たちが,ちょっと分かりにくそうな顔をしていたので,次のような例え話で説明しました。
「さあ,海水浴に行こうって思っていたけれど,途中面白そうだからって海水浴の準備のまま,山登りに行っちゃったら変でしょう?木を燃やすはずなのに,新聞紙を燃やすのはちょっとずれているんだよね。」
「5年生の時に,動いている物の働きを学習したときも,坂の角度とボールの大きさをいっぺんに変えたら,データが取れなかったでしょう?実験では,条件は一つずつ変えるんだったよね。徒競走で,A君とB君を比べるとき,同じコースで人だけ変えるから比べられるんだよね。A君はグラウンドを100m走って,B君はプールの中を100m走って比べられる?人も違うし,コースも違うんだったら,比べられないでしょう?」
この例え話を,子供たちはキャーキャーと言いながら面白がって聞いていましたが,再開した実験では,同じ間違いはしていませんでした。少しは,分かってくれたかな?
4月24日(月) 第11号 「リーダーとして」
■進級してから,子供たちには幾度も「リーダーとしてしっかりやろう」ということを言っています。
でも,「リーダーとしてしっかり」といくら言っても,具体的にどこに意識を向ければよいかが分からないと,子供は変化しません。私は,今の段階では次の2点に絞って子どもたちに意識化を図らせるようにしています。
@体育移動時の廊下歩行(素早くきちんと並んで右側を静かに)
これは,女子の半分くらい,男子の3分の1くらいの子が,意識して素早く並ぶようになってきました。でも,廊下に出たとたん,解放感からおしゃべりを始めたり,仲の良い子のそばに行ってふざけ始めたり,中には寝ころがったりする子もまだいます。
Aみんなの前での話し方
話し上手のはひふへほ は〜張った声ではっきりと ひ〜引きつけてから ふ〜普通よりゆっくり へ〜平均に見渡して ほ〜ほどよい長さで |
右のような「はひふへほ」を示しています。
「張った声ではっきりと」とは,多くの人に自分の話を聴かせるには,ぼそぼそもごもごと話してはダメですよ。少しお腹に力を入れて,口もはっきり開けて発声しましょう,ということです。
「引きつけてから」は,相手の聴く準備が整わない内,例えばまだ立っている人,おしゃべりをしている人,自分の方を見ていない人がいる内に,話し出してはいけませんよ。
「普通よりゆっくり」は,そうしないと聞き取れないことが多いから。「平均に見渡して」は,視線を聴き手に配りながら話さないと,聴き手はちゃんと聴いてくれませんよ,ということです。
「ほどよい長さで」とは,だらだらと話を続けるのでなく,言いたいこと,大切なこと をズバリとスッキリと話しましょう,ということです。
■さて,金曜日の中休み,縦割り活動の「ひまわり班顔合わせ会」がありました。私は1組の子がリーダーを努めるすべての教室を回って歩きました。「ちゃんと,話せているかな?」と心配だったからです。
事前に十分に言って聞かせていたせいか,リーダーの子供たち,そして他の子たちもリーダー意識を持って,低学年の子どもたちをリードしようとしていました。いつも教室で聴くより大きめの声でがんばって話している子。「聴いてください!」と,引きつけようとしている子。「しっかり話さなくちゃ」という意識が見えてうれしかったです。
■ところで,子供たちの話し方は,私たち親や教師をお手本にしている部分も大きいと思うのです。私などは,けっこう早口の方なので,授業でここはしっかり覚えて欲しいというときには,努めてユックリ目に話すように心がけているつもりなのですが,つい忘れてしまうこともあるかなあ,と思います。
また,特に子供たちがいけないことをしているとき,それを注意する際「引きつけてから」でなく,「後ろ姿に向かって」言ってしまっていることに気づくこともあります。例えば,休み時間に机の上を片付けずに外に飛び出して行こうとする子を見つけたら,まず「○○君」と呼び止め,相手の注意が十分に自分に向いてから,「机の上,ちょっと見てごらん。」とやった方が効果的なのに,つい「○○君,机の上!」などと,相手を引きつけない内に次の指示を出してしまうことがあるのです。これでは,子どもは育ちませんね。
■今日,もう一つの「はひふへほ」を示しました。
頼まれたときのはひふへほ は〜「ハイ!」と ひ〜引き受け ふ〜複雑なら復唱 へ〜別の場所なら ほ〜報告を |
子供たちに,いろいろなことを頼む場合があります。「○○さん,これを◇◇先生のところに届けてください。」のように。この際,「ハイ!」という返事をする子が少ないことが前から気になっていました。
幸いに,この学年の子は動くことをいとわない子が多く,そうした頼み事を避けようとする子はほとんど
いないのですが,やはり明るい返事と共に快く引き受けることを意識させたいと思います。
また,頼み事が複雑な場合,それを復唱することも大切なことです。例えば,「これを◇◇先生のところに持っていって,はんこをもらったら,それを△△先生の机の上に置いておいてください。」のような頼みならば,「ハイ,◇◇先生のところではんこをもらって△△先生の机の上に置くんですね。」と,復唱することによって,落ちのない仕事をすることができます。
さらに,仕事をするのが頼まれた場所と違う場所なら,「終わりました。」などと報告をするのも大切なことですね。同じ場所でも,頼んだ人が見ていない場合は,できるだけ報告させるようにした方がいいでしょう。
■こんなことを子供たちに意識させながら,頼りがいのあるリーダーとして,育ち,活躍して欲しいと願っています。
ご家庭でも,頼み事に対してこんな反応が返ってくると,家族みんながうれしくなってしまうのではないでしょうか?
4月25日(火) 第12号 国語「素直な疑問符」の読みとり
■国語では,音読と暗唱から学習を始めました。
素直な疑問符 吉野 弘 小鳥に声をかけてみた 小鳥は不思議そうに首をかしげた わからないから わからないと 素直にかしげた あれは 自然な,首のひねり てらわない美しい疑問符のかたち 時に 風のごとく 耳もとで鳴る 意味不明なおとずれに わたしもまた 素直にかしぐ,小鳥の首でありたい |
音読が豊かなものになるためには,作品の叙述や主題を読みとることもとても大切です。
そこで,「素直な疑問符」の読みとりを,次の課題で行いました。
素直にかしぐ小鳥の首を見る前後の「わたし」の心情を比べよう。 |
まず,板書に小鳥が首をかしげている絵をかき,「この様子を見てからあとの『わたし』の心情が描かれているのは,何連ですか?」と発問します。
子供たちは,「第3連だ」と答えました。
そこで,先に第3連をノートに書き,「では,これまでの『わたし』は,素直にかしぐ首を持ってはいなかったのですね。では,どんなだったのでしょう。」
と重ねて聞きます。
これは,かなり難しい問いですので,自分の考えをノートに書いてもらいました。
■子供たちのノートには,思い思いの答えが書かれました。
・意味が不明でも,わかったようなふりをしていた。(O君)
・わからない事をそのままにしていた。(気にしていなかった。)(Aさん)
・がんこだったから,無理にわかっているようにしていた。(Y君)
・わたしは,わからないとき素直にかしげなかった。(Sさん)
第3連との対比で,考えることができましたね。
■子供たちから出なかったので,さらに「先生は,この詩を読んで,やっぱり素直になれなくて『反発』しちゃうことが多いなあって考えたんだけれど,みんなの中にそういう人はいませんか?」と問いかけてみました。「本当は,外国に行ってみたいと思っているのに,外国に行ったっていう話を聞いて,『ふん,外国なんて行きたくないよ〜だ。』などと言ってしまったり。」などと例を挙げてみました。
すると,子供たちから「ある,ある。」という声も聞かれました。
■さらに,この詩の主題を表現してみました。子供たちからは,「小鳥のような素直さ」「素直な心」などと出されましたので,「未知のものに対する素直さ」とまとめ,「自分は,未知のものに対してどうでしょうか。」と投げかけてみました。子どもたちの一口感想を紹介します。
○私もこの詩を見て素直になりたいと思った。(Mさん)
○素直な気持ちになれるのはいいことだと思った。自分もぜんぜん素直じゃないから,もっと素直になれるようにしたい。(Kさん)
○自分も時には,反発していたけど,この詩の通り自分も小鳥の首でありたいです。(I君)
○素直なことは大事なことがわかった。(K君)
○私も素直にかしぐ小鳥の首でありたいです。6年生にもなって,反発すると情けないから6年生の最初にこういう詩が出てよかったです。(Sさん)
○私も前はよく反発していました。でも,この詩を読んで,わからないことに対して,首をかしげるのは,はずかしいことではないという事がわかりました。しったかぶりなどして,ウソを言う方が,よっぽどはずかしいことだと。自分の意見が言えないからです。(Kさん)
○私は「素直な疑問符」を読んで,素直っていいなと思った。(Oさん)
○自分も反発してしまうことがあるから,ぼくも素直にかしぐ小鳥の首でありたいなー。(M君)
■感想を見ると,素直に自分と引き比べて読んでいる子が多いことに,私も感動させられます。学年はじめの教材に,この詩がなぜ採用されているかが,実践してみて私も改めてよく分かりました。
この1年,子供たちが素直な気持ちで未知のものにふれ,たくさんの心の財産をふやしていけるようにと願っています。そのためには,私も素直な気持ちで子どもたちに接していかなくてはと,思いを新たにしました。