ワンダー!

平成13年度,2年生を受け持つことになりました。その学級通信です。


平成13年4月6日(金) 第1号  ワンダーって?

◇学級通信を発行いたします。不定期です。名前を『ワンダー』と付けました。
 ワンダーって,ナンダーと思われたと思います。(オヤジギャグが寒くてすみませんね。)

◇『ワンダー』とは,「驚き」(Wonder)という意味です。学年だよりに「教育とは驚くことだ」と書きましたが,子供たちが驚きいっぱいの1年間にしたいという願いを込めて,また私も子供たちにいっぱい驚きたいと願って,日々の様子(主に授業)を綴っていきたいと思います。(スティビー・ワンダーが好きというのも理由の一つかな?)

◇飾りなどをできるだけ省いて,シンプルな紙面でお届けします。(飾りに労力を割くゆとりがありません)。どうぞ,お読み下さいね。
 そして,できることでしたら感想やご意見を寄せていただければうれしいです。ご批判も,早めに(手当は早い内に!)お寄せ下さい。批判されたからといって,そのためにお子さんに辛く当たるようなことは決してありませんので。

◇さて,ちょっと自己紹介を。
 ・昭和30年5月生まれ,もうすぐ46才です。
 ・専門教科は,生活科。そのため,低学年担任が多く,2年生はこの学級で7回目です。しかし,慣れているからといって,狎れることなく,いつも新鮮な気持ちで毎日を驚きいっぱいに過ごしたいと思っています。
 ・趣味は,太極拳。公認指導員の資格を持っています。
 ・好きな言葉〜「教育とは驚くことだ」
 ・家族〜妻,娘(中2),息子1(小6),息子2(小1),息子3(2才,ただし人間に換算すると18才くらいかな?…ラブラドールとゴールデンのミックスです)
 ・健康〜まずまず。リアップ実験中。
 ・個人でホームページを開設しています。タイトルを「共に育つ」といいます。インターネットに接続可能な方は,どうぞご覧ください。横藤って,こんなヤツなんだと分かっていただけると思います。URLは,http://www3.plala.or.jp/yokosan/ です。 では,今日はこの辺で。


平成13年4月7日(土) 第2号  出会いの記

◇黒板に,次のように書いておきました。(実際は縦書き)

おはよう!
 きょうから二年生
 みんなと
 なかよく
 たのしく
 力をだしあって
 がんばろう!
?  先生より

◇さて,子供たちとの小さな出会いは朝,職員室前でした。私は,できあがったばかりの学年だより(それには「2年生」の文字があり,担任の名前もあります)を「2年生」とタイトルが書かれた場所へ貼っていたのです。
 そこへ,かわいらしい2年生の女の子が4人やってきて言いました。「ねえ,2年1組の先生はだあれ?」ちょっと,ドキッ!そばにいた増田先生が「ああ,2年1組は浦辻先生!」と言うと,「エエッ?ヤッタア!」と飛び跳ねて喜んでいます。離任式で,お別れしたばかりなんですけどね…。(^_^;)

◇そばにいた4年生が,「じゃあ,先生は何年生の先生?」と聞いてきましたので,内心「これは,さすがに高学年。学年だよりの掲示を見抜いていたか。」と思いつつ,そばにいる2年生にバレてはならじと,「うん,先生は今年は給食のおじさんなんだよ。」と言いますと,2年生も4年生も「へえー!」と感心していました。(おいおい。)

◇正式発表は,始業式の中ででした。学校長から紹介があって,学級の前に立ちますと,子供たちの笑顔がたくさん目に飛び込んできました。教室に戻るとき,再び学級の前に立って,前の方の子たちに「よろしくね!」と手を差し出すと,たくさんのかわいい手が伸びてきました。
 なお,このとき2の1に転入生が入ることになりました。大村僚(りょう)君です。1組で一番背の高い子です。月寒東小学校から来ました。どうぞよろしく!
◇教室に戻る途中,理科室に置いてある教科書を教室まで運んでくれる子の志願を呼びかけました。たくさんの子が手を挙げてくれましたが,やはり前の方の子から7人ほどにお願いして,運んでもらいました。

◇教室でも,やっぱりたくさんの子が「配りたい!」。配りたい子集まれ!で,15人が整列。2〜3人に1教科ずつ渡して,配ってもらいました。
 その後,1教科ずつ「はい,国語上げて〜」と確認をしましたら,「ボクのない!」と次々に。隣の子が「あるしょ,ここに!」。その前の子が「ボクのところに2つあった」。まあ,にぎやかに楽しく確認。それでもない子は,前においで,です。そして,一人一人に私の口伴奏で「ちゃーん,ちゃーちゃ,ちゃーんちゃー♪」(「見よ,勇者は帰る」あの運動会とかの証書授与の音楽です)と渡しました。出てきた子供たち,しっかりと頭を下げて受け取っていましたよ。教科書を渡すだけで,こんなに楽しめるのでした。

◇教科書を受け取ったら,自分で名前を書くように言いました。「もう2年生だからね。」と言いますと,「漢字で書いてもいいの?」と言う子がたくさん。もちろんOKです。
「自分の名前をていねいに書く子は,賢くなるんだよ。」「自分の名前を大切にする子は,親孝行な子なんだよ。」などと声を書けますと,「ていねいに書いているよ!」と返ってきます。可愛いナー。

◇その後,慌ただしく入学式の準備に入ります。多目的室で呼びかけの練習。その後すぐに椅子を持って体育館へ。自分たちの椅子は新1年生に貸すので,再び音楽室へ戻ってそこの椅子を自分たちの座席へ運びます。こうした動きの一つ一つが,なかなか素早い。これは,おうちの方と三本先生からのプレゼントだなと感じました。動きが素早いのは,子供たちが話を良く理解し,見通しを持てるからです。そういう風に育ててくださった皆さんに感謝です。

◇入学式は,ランドセルカバーの贈呈式(札幌市で1校)というのがあり,結構時間がかかりました。さすがに疲れてきたのか,我が2年生はあちこちでおしゃべりしたり,椅子からずり落ちたりしていましたが,そっと注意するとぱっと気が付きます。いいなあ!

◇こんなわけで,慌ただしく1日が過ぎました。今日は座席,グループ,係,学校の決まり等々を話し合う予定です。


平成13年4月9日(月) 第3号  学級のしくみ作り

◇土曜日は,学級のしくみ作りを進めました。
 まず,席替えです。席替えは「お見合い方式」で行いました。こんな方式です。
(1)男子と女子が,必ず隣り合わせになるように男女の座席の指定をします。また,視力の弱い子や背の関係で見えづらい子は前にしてあげるように話しました。
(2)男子に廊下に出てもらいます。「待っている間は,のぞいちゃダメだよ。廊下で お地蔵さんになって待っていてね。」と言いますと,ちゃんと廊下で手を合わせて待っていました。かわいい!
 (3)女子に,好きな席を選んでもらいます。「決めたら,ここでいいかいって,他の人に聞いてから座るんだよ。どうしても座りたい」約2分くらいで女子が決まりました。
(4)次に男子です。同じように座って,決まったところで女子を招き入れてご対面。 ここの部分がお見合いなわけです。
(5)その後,各グループの名前や,リーダーを決めました。リーダーは,全員がなります。つまり,「そうじリーダー」「きゅうしょくリーダー」「くばリーダー」と「学しゅうリーダー」(5人の班は,これが2人)のどれかになって,グループのみんなをリードし,お世話するのです。みんながいろいろな場面でリーダーの意識をもって学級生活に取り組んで欲しいと思います。というわけで,座席は次のようになりました。(略)

◇次に係を決めました。
 まず,1年生の時の係を聞きました。そして,「先生がいなくても,自分たちでできる仕事を係にするよ。それと,やっている人もやってもらう人も楽しくなれる仕事ね。」と大枠を示し,子供たちからのアイディアと,私からの提案を入れて,あとは個人で選ぶようにしました。その結果,次のようになりました。

○こくばんけし…あ (休み時間に黒板を消す)
○くばり…り,れ (職員室からプリント類を運ぶ)
○体いく…ひ,つ,こ,け (準備運動)
○あさじしゅう…れ,し,こ,ち(朝自習のプリント配布)
○でん気…ま,り (朝点灯,外出時消灯)
○じかんわり…つ,ゆ (連絡黒板に学習予定を貼る)
○ほけん…な,ゆ,つ,ゆ (健康観察,保健室引率)
○れんらくこくばん…み,か (日付を書く)
○かざり…め,ゆ,こ,ま (学級を飾る)
○日めくり…り,ゆ (朝,日めくりをめくる)

 まだ,動き始めないとどうなるか分かりませんが,まずやってみて,1か月くらいたったら見直すことになるかもしれません。

◇こんな感じで,動き出しました。学習や友達づきあいだけでなく,集団の一員としての自覚や貢献意識を育てることも重要な教育です。たまに,お子さんに「係の仕事やグループのリーダーの仕事,しっかりやっている?」と声をかけてあげてください。

もし,ラジカセをこわしたら…

◇学級を受け持つと,それが何年生であっても,早い時期に必ずする話があります。それが,「もし,○○をこわしたら」です。昨日,次のように話しました。そばにラジカセがありましたので,「もし,先生が教室にいないときに,みんなで遊んでいて,誰かがラジカセをこわしちゃったら,どうしますか?」
 このように話し始めると,それまでちょっとザワザワしていた教室がスッと静かになりました。そして,「先生に言いに行く」「ごめんなさいを言う」などという意見が出ました。そこで,続けます。
「それも大切だね。でも,もっと大切でみんなにしてほしいことがあるんだけれど…。それはね,こわしちゃった人に『大丈夫?』って声をかけてあげて欲しいんです。先生は,間違えて何かをこわしたからといって,絶対に怒りません。こわしちゃった人は,心の中でびっくりして『しまった!どうしよう』と思っているでしょう?そのとき,その心を分かってあげて,助けてあげるのが友達なんだよね。決して『い〜けないんだ』とか『あ〜あ!』とか言わないでほしいんだけれど,どうだい?」
 子供たち,元気に「うん。分かった!」この話は,子供たちの集団行動の規範を示すものだと思っています。でも,これに肉付けをしていくのはこれからですけどね。
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おまけ 一昨日は,塩澤良太君の誕生日をお祝いして,私の肩車とみんなの歌で教室一周。これから誕生日には全員やってあげますよ!


平成13年4月10日(火) 第4号

 昨日は,教科の授業開きでした。算数,国語,生活科の様子を簡単に…。

算数「生まれた月しらべ」

◇算数のはじめの授業は,「生まれた月しらべ」。表やグラフを使うと,数の処理が適切なものになることに気付くことがねらいです。そこで,次のように授業をしました。
 まず,教科書を見て学習課題「学級の人の生まれた月を調べる」ことを確認しました。その後,挿し絵を使って状況を読み解いた後に「教科書の学級ではこうだったけれど,この2年1組はどうなんだろうね。」と問いかけました。そして,「みんなの生まれた月を聞いていくから,よ〜く聞いていてね。」と念を押して,端から順々に聞いていきました。 誕生月がわからない子も3名ほどいましたが,全員のを聞いてから,「さあ,何月生まれが多かったの?」すると,子供たち「3月!」。確かに3月が多いのです。そこで「じゃあ,2番目に多かったのは?」これには「う〜ん…。」

◇そこで,「だから,ちゃんと聞いていてねって言ったでしょう!」と言いますと,「覚えられないよ!」と反論です。「先生,手を挙げてもらえばいいんだよ。」「そして,メモをするといいの。」というアイディアが出てきました。そこで,「なるほど!便利な方法を考えたものだね。頭いいねえ!」とうなずいてやりますと,子供たちとてもうれしそうな表情です。そこで,その通りに挙手させ,メモです。「1月生まれが2人」でしたので,「12」と板書しました。すると,またすぐに「先生,それはじゅうに!」とクレームです。そして,「1と2を離して書く」「1は上に2は下に書く」「1に月,2に人を付ける」などのアイディアが出ました。これは,項目を分離させる「表」の考え方です。そのうち,元気のよい男の子が数人出てきて,ネームカードを並べ始めました。これは,グラフの考え方です。
 こうした考え方を見つけたことを大いにほめ,「便利なやり方でこの次,まとめてみようね。」と締めくくりました。

国語「おてだまうた」

◇「おてだまうた」は,数え歌です。
「 ひとりで さびし。 / ふたりで まいりましょう。 / みわたす かぎり
  よめなに たんぽぽ。 / いもとの すきな / むらさき すみれ。
  なのはな さいた。 / やさしい ちょうちょ。 
  ここのつ こめや。 / とおまで まねく。」
 こんな具合に,数え言葉が冒頭に埋め込まれています。

◇何度か音読をした後,10行の詩を1行ずつバラバラにしたカードをアトランダムに提示しました。そして,「これじゃバラバラだね。並べ替えてみようか。」と投げかけますと,「もう覚えた!」と子供たち数人が黒板のところに出てきて並べ替えてくれました。そこで,「どうしてこの順番がいいのかな?」と問いますと,子供たち「えっ?」。子供たちは,「そこにあるものを受け入れる」ことはできるのですが,「それがどうしてそうなのか」とはなかなか考えません。「だって,覚えたんだもん」「教科書にその順番で書いてあるんだもん」…。

◇そこで,「教科書にそう書いてあったのはね,それがとっても楽しい順番だからなんだよ。さあ,その秘密がわかるかな?わかった人は,他の人にはナイショ。先生にだけ,そっと教えに来てね。」と言いました。教室が,ちょっとシンとなりました。集中が生まれたのです。しばらくたって,数人がナイショ話をしに来ました。でも,なかなか気付きません。そこで,ヒントを出すことにしました。
 正しい順番のカードの上に,「1,2,3,…」と番号を振り,それぞれのカードの一番上の文字を赤で囲んでやりました。すると,何人かが勢いよく「わかった!」。

◇その子たちの気付きを発表させ,「1はひとつめの『ひ』」「2はふたつめの『ふ』」と確認していきますと,「ああ,そうだったのかあ!」。その後の音読が,とても張り切ったリズムあるものになりました。

生活科「お気に入りの場所」

◇生活科は,町探検のための動機付けです。これも教科書を使って,「教科書の町にはあって,北野平にないもの」「教科書の町にはあるけれど,北野平にはあるもの」探しをしてみました。
 その中で「川は北野平にはない!」と発言した子がいました。当然,すぐに反論が出るものと思いましたが,意外に無反応です。そこで,私の方からもう一度問い直しました。すると,しばらくたってから「1年生の時,吉田川に行ってペットボトルの船を浮かべた」という貴重な発言が。「ああ,行った,行った。」ということで,北野平にも川があることを思い出しました。そして,それにつられて「厚別川もあるよ」。

◇公園は,子供たちの情報を集めると10カ所もあるということになりました。そこで,「どんな公園で,何ができるの?」と問いかけますと,いろいろと出てきましたので,やっと本題の「自分のお気に入りの場所を絵に描いて教えてね」につなぐことができました。よかった,よかった。
昨日,記入するカードを持たせておきましたので,宿題的になりますがどうぞご協力をお願いします。

 以上,3つの授業を簡単にご紹介しました。横藤が,どんな授業を展開しているかが少しでも伝わればうれしいです。子供たちのふとした発想や,体験と結びついた知恵を引き出すような授業をしたいと考えています。ただ,今のところ授業に向かう全体の集中力がなかなか引き出せません。おしゃべりや立ち歩き,手遊びが多く,今後の課題として楽しく集中できるような授業経営をしていきたいと思っています。


平成13年4月11日(水) 第5号  「書き順なんてどうでもいいんだよ」

◇子供たちとの生活も,4日目を過ぎました。今のところ子供たちは,私をとてもすんなりと受け入れてくれていますが,同時にいくつかのアドバルーンを上げてもいます。
 アドバルーンとは,「これは,許されることなのかな?」「これぐらい,いいよね?」という意味を込めて,子供たちが私の前でやってみる行動のことをいいます。今のところ,次のようなアドバルーンが上がっています。

◇国語で新出漢字を教えていました。筆順について確認していましたら,ちょっと大きな声で「書き順なんてどうでもいいんだよ」とアドバルーンが上がりました。そこですかさず,「いえ,書き順はとても大切です。」とそれを制しました。
 そして,概略次のような話をしました。
「漢字は,どこの国でできたか知っていますか?そう,中国ですね。中国では,もともと絵を書いてお手紙を出したりしていました。だから,漢字のどの画にも,そして順番にもちゃんと意味があるのですね。」
 ちょうど,「家」という字を扱うところでしたので,そのことを「家」で具体的に教えました。次のような感じです。

◇昔,漢字ができた中国では,家の中である動物を飼っていました。それは,何だと思いますか?(子供たち,あれこれ言う。中に「ブタ」があったので)そう,実はブタなんですね。ブタは,人間が残したものを何でも食べてくれて,どんどん太り,おいしいお肉になりますね。そして,たくさん子供を産んで増えてくれます。だから,飼うのにとても便利だったんだね。
 さて,今話したことを絵に描いてみようね。おうちの中でしょう?(と言いながらウかんむりの原型)そこにブタがいて,これしっぽ,赤ちゃんがお母さんブタのおっぱいを吸っているね。
 これを,少し簡単に書くよ。家の形は,簡単に「ウ」。ブタの頭は,だんだん簡単になって横棒になっちゃった。頭から前脚が出ているね。体はブタだから太らせて,太らせて最後に後ろ脚ね。お母さんブタに2頭の子ブタ。小さいよ。後ろには,しっぽをつけてできあがり。
 ねっ,書き順ってちゃんとお話があって決まっているものなんだよ。だから,書き順はとっても大切なんですね。
 あと,字の形だけれど,Dのような字だったら,どんなブタ?そう,とってもやせてかわいそうなブタだね。じゃあ,Eは?そう,これは後ろ脚がないブタ。怖いね。こんな風に,字の形にもちゃんと訳があるんだよね。

◇ついでに,「豚」という漢字を板書して,「これは中学校で習う漢字なんだけど,読めるかな?」とたずねてみました。子供たち,いっぱい手を挙げて「ブタ!」。「すごいねえ,中学生の漢字が読めるようになっちゃんたんだね。」と言いますと,とてもうれしそうな表情の子供たちでした。

◇このように,子供の上げるアドバルーンに対して,いかに具体的にしかも楽しく納得させられるかというところに,この時期の担任の仕事の中心があると考えます。ここを,「ま,いいか。」と通り過ぎると,子供たちは一気にだらしなくなります。また,「その言い方は何だ!」と頭ごなしにやりますと,子供たちは心を閉じて学級の雰囲気が暗くなってしまいます。子供たちを納得させ得る情報の引き出しを,いっぱい持っている教師になりたいと思います。

◇今,世の風潮は「個性重視」です。私も個性を大切にしたいと心から願います。私が専門に研究している生活科や総合的な学習は,個性重視を実現する学習の代表選手です。
 しかし,個性重視は「何でもアリ」とは違います。筆順は,「その子の個性に合わせて自由で良い」ものではありません。たかが,筆順ひとつですが,私は「どうでもいいんだよね」というアドバルーンに対し,「まあね。」などという態度は決してとってはいけないと考えています。
 幼いうちから個性(なのかな?)を重んじすぎ,文化の継承を軽んじては教育が成立しなくなります。子供はますますひ弱で神経質になり,自分の権利ばかりを主張して,他者の権利は省みなくなっていきます。本当の個性とは,みんなと同じようなことをしてもにじみ出てくるかすかな違いの中にあると言われます。決して画一的な教育をしようというのではありません。ものごとへの見方,感じ方,表し方はうんと個性的であってよいと思っています。しかし,揃えるところはきちんと揃えることも大切です。
このアドバルーンへの対処は,こうした私の考え方から生まれたものだったのです。
 みなさんは,どのようにお考えでしょうか?


平成13年4月12日(水) 第6号  小言で子供は育たない

◇いろいろな動きを三本先生の方法を引き継いで行っていますが,担任が替わったということででしょうか,それらの中でたくさんのアドバルーン(ではないのかもしれません)が上がり続けています。昨日の一こまをご紹介します。

◇朝自習の時,朝自習係が漢字の書き取りを出題していました。黒板に,何個かの漢字を板書し,他の子はそれをノートに写して練習するというものです。見ていますと,数人の子が,まったく取り組まずにぼーっとしていたり,立ち歩き,あるいは手遊びをしたりしていました。
 こういうとき,つい小言を言いたくなります。しかし,昨日はグッとそれをこらえました。「こら,何をしているんだ。ちゃんとやらないとダメじゃないの。」などと言っても,子供は本当には育たないと思ったからです。
 小言は,子供を受け身にします。言われないとやらない子になります。
 小言は子供の言葉に対する感覚を鈍くし,言葉を聞き流す習慣を助長します。
 また,納得していないことでも「叱られるからする」という依存型で卑屈な性格をつくっていきます。長じるに従っては,「しかたないから,してやるか」などという反発心と卑屈さが混ざった気持ちが育っていくことも考えられます。子供は,誇り高く育てたいと思います。こうした注意の場面でも,子供の尊厳を守って指導したいと思うのです。
 では,私はどのようにしたのでしょうか?

◇子供が育つのは,自分の行いを自覚できたときです。この自覚を促すには,自覚できる場をセットすることです。私は,次のようにしました。
 まず,朝自習が終了した段階で「グループの学習リーダーは,朝自習のページを開いてノートを集めてください。」と言いました。この段階で,数人があわてて「先生,あのね…」と言い訳に来ました。しかし,言い訳は受け付けません。聞こえないふりをします。あのねの子は困って立ちつくします。これが自覚への第一歩です。まず,「しまった!」と気付かせることです。

◇次に,ノートの冊数をゆっくりと数えます。今朝は,26人中20人の提出でした。(提出した子の中にも,ほんの2,3回の練習しかしていない子もいますが,それは昨日は不問としました。いっぺんにあれこれ要求するのは,よくありません。)
 そこで,少し大きめの声で「あれ,足りないなあ。」と言います。「あのねの子」が増えます。しかし,まだ無視します。ここを軽くしてしまうと,自覚へと導けません。また,ほとんどの子はきちんと出しているという状況の中で,出さなかったという事態をはっきりと感じさせたいのです。

◇全員を起立させます。ノートの名前を読み上げていきます。名前を呼ばれたら着席です。最後には提出できなかった子だけが残ります。そこで,はじめて気付いたふりをして,ゆっくりと「あれ?○○君,ノートはどうしたの?」と問いかけます。これくらい時間をかけ(といっても,ここまで時間にしておそらく2分とかかっていないと思います),きちんと取り組まなかったことを際だたせるのです。

◇一人一人に理由を言わせます。「遅く来たからできなかった」という子に,他の子から「違うしょ。早く来たけど,遊んでいたでしょ。」,「忘れてた」という子には,「ちゃんとやりなって言ったのに,『いいんだ』って言ってたしょ!」と指摘が飛びます。
 逃げ場所がなくなっていきます。それくらいで,やっとことの大変さを自覚できるのです。ここまで来たら,もうあまりしつこくは言いません。「明日は,きちんとやろうね。」で締めくくりました。時間にして全体で4,5分の指導です。

◇こうした,小さなことをきちんと積み上げていくことが学級経営のポイントであると考えています。昨日も書きましたが,世の中「何でもアリ」の「ま,いいかあ」です。そして,子供たちの生きる力はますますひ弱になってきつつあります。小さな事こそを,きちんとしていく必要を感じています。
 事態の大変さを認識させることは,小言の何倍も効果的な指導法であると思います。そこから先は,子供が自分で考えて自らの行動を自分で変えていくのです。

◇場面は変わりますが,昨日の音楽での指導をご紹介し,ダメを押したいと思います。
 教科書の「ラララ歌おう」という歌を歌っていました。歌詞は次のようでした。
「もしもたいようが / 歌の先生だったら / ララララーって / 歌うかな」
 これを,西田先生の伴奏に合わせて数回歌っているうちに覚えてしまいました。しかし,その歌い方は,声は張り上げているものの,どこか気が抜けた歌い方でした。見ると,目線や口形がちょっとだれている感じです。歌詞の意味内容を表現しようとか,みんなで声を揃えて気持ちよく歌おうとかといった「意志」が感じられないのでした。
 こうしたときでも,「もっと大きな声で」だの「きれいな声で」だの小言めいた指導はしたくありません。そこで私は,次のように板書しました。
「おしもたいようが / ぶたの先生だったら / ななななーって / ぶたうかな」 子供たち,ちょっとキョトンとしていましたが,やがて笑い出しました。そして,「先生,違うよ!『もしも』だよ!『ラララ』だよ!『歌』だよ!」と言い始めました。
 そこで,「えっ,そうなの? そうは聞こえないよ。もう1回歌ってみて。」と言いますと,今度はけっこうはっきりとした目的意識をもってていねいに歌おうとする姿が見られました。

◇小言的な指導は,ほとんどの場合子供に伝わらないものです。子供が納得し,自ら変化する指導を求めていきたいと思っています。 



平成13年4月13日(金) 第7号  鉛筆の持ち方

◇先日鉛筆の持ち方を指導しました。鉛筆の持ち方も,「ま,いいんじゃないの?」と,崩れてきているこの頃の社会です。しかし,こうした基本的なことこそ子供たちのこれからの長い人生で大切にして欲しいことだと思います。人生で一体何文字書くことでしょうか。その気が遠くなるような数の繰り返しを理にかなったものにするか,おろそかにするかの差は,大きいと思います。拙い私の研究の一端と指導をご覧ください。

◇まず,子供たちに質問します。「手の5本の指で,一番長いのは何指でしょう?」
 子供たちは,「お兄さん指!」。
 そこで,にっこり笑って「残念でした!」(さあ,おうちの方は何指だとお思いになりますか? あのー,「中指」と呼ぶのが正しい,という言葉の指導ではありませんからね。)

◇「指は,先から3番目の関節が手のひらについているのです。お兄さん指の関節を上から数えてみましょう。1,2,3で手のひらに着くね。小指はどうかな?」というように数えていきます。
「では,最後に親指の関節を数えてみましょう。1,2,3,おや?3番目はどこかな?」
 関節の数を数えると分かるのですが,親指は第3関節が手首のところにあるのですね。ここを確認します。「だから,正解は親指だったんですね。」

◇次に長い指は中指です。そこで,「神様は,一番長い指の親指と次に長い指の人差し指で,いろいろなものが使えるようにしてくれたんだよ。」と言いながら,はさみや包丁,指パッチン,ホチキス,箸,ドライバー回し等の例を見せます。親指と曲げた中指の協力で,うまく道具が使えることを一つ一つ確認します。
 そして,人差し指は親指と中指で保持した道具の方向をさす働きをしていること,中指と小指は軽く握って手首を安定させる働きをしていることを知らせます。

◇次に,いよいよ鉛筆を持って見せます。「親指と曲げた中指をうまく使って持つのですよ。」と,やって見せます。
 鉛筆は,親指と中指の横(ペンだこが出きる場所)だけで持つことができます。人差し指は,軽く添えて安定させる働きをするだけなのです。やってみて,子供たちにも持たせてみます。そして,机間を回り,一人一人の持ち方を点検し,直していきました。
◇その次の時間からは,折に触れて「正しい鉛筆の持ち方は?」と呼びかけ,意識させるようにしています。給食でお箸を使うときは,「箸の持ち方も,鉛筆と一緒だね。」と呼びかけます。何人もの子が,「先生。これで良いんだよね。」と見せにきていました。

◇私は趣味で太極拳をしています。講習会などで,教わるたびに「人間の身体ってすばらしいな」とつくづく思わされます。ある講師の先生は,「ポルシェはすばらしい車だ。しかし,人間の身体はその何万倍もすばらしい。」とおっしゃいました。私も,本当にそう思います。
 身体の正しい使い方を知れば,身体を動かすこと自体が喜びとなります。鉛筆を正しく持って文字を書けば,書くことが楽しく気持ちよくなるのです。また,書くほどに身体は健康になり,精神も健康になっていきます。それは,神様が人間の身体に込めたメッセージの解読であり,返信であるからなのでしょう。

◇実は,私が鉛筆の持ち方に悩んだのは,新卒4年目で初めて1年生を受け持ったときです。いろいろな手引きに「鉛筆の持ち方」なるものが載っていましたが,それらは見事にバラバラでした。
 ある本には,人差し指と親指で持って,中指を添えよと書いてある。
 別の本には,3本の指で均等に持てと書いてある。
 他の先生に相談すると,「こうやって持つんじゃないか?」「いや,俺はこうやって持っている」と,その場で意見が分かれてしまいました。

◇仕方なく,市立図書館に行って調べました。しかし,よく調べられないままに指導時期が過ぎてしまい,初めて受け持った1年生にはテキトーに教えてしまいました。悔しい思いが残りました。授業は,技能的な要素が大きいものですから,新卒時代は当然ヘタです。しかし,教材研究に関しては誰にも負けたくない。きちんとしたいと思っていたからです。

◇その後さらに3年たって,2回目の1年生担任になったとき,春休みから腰を据えて研究しました。本屋さんを巡り,図書館に通い,何日めかにたどり着いたのは解剖学でした。親指の関節が,手首から出ていること。拇指対向性(親指が他の指と向かい合う)が道具の使用に密接に関連していること。鉛筆の使用によって,掌骨の結合が促進されることなどを知り,やっと自信を持って鉛筆の持ち方を指導できるようになりました。
 同時に箸の持ち方も,その他の道具の扱い方も,一定の法則(神様からのメッセージ)の元にあることを見つけたときは,本当に小躍りして喜びました。

◇「何でもアリ」の「ま,いいかあ」は,多くの場合神様のくれたメッセージに背を背けることになります。健康,幸せから遠ざかります。
 子供たちを,がちがちの鋳型にはめようというのではありません。子供たちがより自由に動けるようにこそ,しつけていきたいと思っています。
かつて寺子屋では,訳など分からなくても「庭訓往来(ていきんおうらい)」などの暗唱を強いられたものです。それが,結果として維新期の人材の教養と独創性を育てたという事実があります。往来物という教材,暗唱という方法が神様のくれたメッセージに合致したからでしょう。
 それに比べて,今の低学力や非常識を招いているという現状をどう考えるべきなのでしょうか。私は,「民主的な教育」というものを誤解して親も教師も変に子供に甘く「易きにつく」教育に堕していることがその元凶だと思っています。神様のメッセージを避けるようにしてきた結果だと思っています。
 おっと,たかが鉛筆の持ち方から話が飛びすぎました。硬派の横藤でした。


平成13年4月16日(月) 第8号  授業参観,ありがとうございました

◇金曜日の学校公開では,たくさんの保護者の皆さんが参観に見えられました。ありがとうございました。子供たちの様子をどうご覧になったか,どうぞご遠慮のないご意見をお聞かせいただければと思います。
若い頃から,研究授業は普通より多くしてきた方だと思います。他校の教師達に授業を公開したこともけっこうな数になります。研究授業を何十回か越えたあたりから,開き直りというのでしょうか,自然体で授業に臨めるようになりました。授業は相変わらず下手ですが,公開することはちっとも苦ではなくなったのです。研究授業を1度もやらない学期(めったにないのですが)があると,物足りない気持ちになりさえします。
 しかし,参観日は何度やってもあせります。緊張します。
 どうしてでしょうか? 若い頃,学級通信に次のように書きました。

 授業研究では,教師の指導方法が目標に対して効果的であったかどうかを専門家として分析的に見る。
 参観日,保護者は教師のやり方が我が子に対して,本当に意味のあるものなのかを親としての直感で見る。
 だから,参観日の方が数倍怖い。教育の本質をまっすぐに衝いてくるからだ。

 この思いは,今もまったく変わりません。

◇前置きが長くなりました。学校公開のときの授業は,あまりよい出来ではありませんでした。子供たちの集中力を十分に引き出せなかったと思います。
 漢字の復習や,書き取りの習熟では少しの間集中したものの,音読ではよそ見をする子が相変わらず出てしまいました。
 算数のプリントは,楽しんでやっていたようですが,積み木を出して並べる段階では,個々がかなりバラバラな状態で置いており,それをどう置けば効果的なのかを考えるあたりで,やはり集中が切れて積み木で遊ぶ子も出てしまいました。また,ノートに書くスピードにも,とても個人差があり全体としてやや雑然とした感じになってしまいました。
 
◇しかし,これが実態なのです。ここから,子供たちが問題解決に向かって,集中して取り組んでいくように育てていきたいと思います。
 その過程で,子供たちが単なる知識だけでなく,生きる力や知恵をたくさん獲得していってくれることを願っています。


平成13年4月17日(火) 第10号  国語「うしろのまきちゃん」1場面(1)

◇国語「うしろのまきちゃん」の授業の様子です。昨日までは,内容の読みとりよりも先に,音読や漢字,そしてこれからの学習を支えるノートに書くことなどに時間がかかり,なかなか内容に入れませんでしたが,やっと入れました。(とは言いながらも,音読や漢字,ノートがしっかりできるようになった訳ではありません。先日の学校公開で一部ご覧いただきましたが,起立して音読に集中させようと試みても,まだ少数の子が音読に集中できず,「これをノートに写しなさい」と指示しても取りかかれない子が多数います。これからの最優先課題です。)

◇さて,昨日授業で扱ったのは,次の文章です。

 ぼくのうちのとなりに女の子がひっこしてきた。
 名前はまきちゃん。
 まきちゃんのおばさんが言った。
 「おなじクラスだからよろしくね。」
 まきちゃんのリボンがゆれた。
 このときからだ。まきちゃんが,ぼくのとなりのまきちゃんになったのは。

 音読の後,私から4つの発問(教師が,子供の思考を活性化させ,引き出し,高めるための質問を「発問」と呼びます)を出しました。
 さて,もしあなたが教師なら,上の文章からどのような発問を出しますか?

◇私が昨日出した発問は,次のようでした。

発問1   となりに引っ越してきた女の子の名前は,何といいますか。

 これには,全員の手が天井に突き刺さる勢いで上がりました。
 どうして,こんな簡単な発問を出したのでしょうか?
 いくつか理由があります。
 (1)話し合いの導入として,まず簡単で全員が正解できる発問で意欲化を図る。
 (2)手の挙げ方を指導する。(「いやあ,いい手の挙げ方だねえ。みんな,肘がきちんと伸びているでしょう。これが大切なんだよね。」などとやった。)
 (3)「ハイ!」を連呼する子が多い。特に自信がある時。この時も「ハイ,ハイ,ハイ!」とうるさい子がかなりいたので,「ハイは,1回だったね。今たくさん言った人には当てません。」と指導した。
 (4)誰かが答えた後の指導をした。指名の前に「何人かの人の意見を聞いてみよう。ハイ,○○君,…△△さん,…」と同じ答えでも,自分の口で自分の意見をきちんと言うようにさせた。
 ざっと上のような理由で,まずはかんたんな発問から入ったわけです。

発問2  「おなじクラスだからよろしくね」と言ったのは,まきちゃんですね?

 このページの挿し絵は,まきちゃん1人です。そこで,読み間違いをする子がいるのではないかと予測して,この発問を出しました。
 子供たちの挙手が,少し減りました。(挙手できなかった子が4人。挙手にためらいのある子が6,7人。)予想通りです。
 挙手した子の中に,「まきちゃんだ」と読み間違えている子が,3人いました。合計7名がこの発問に抵抗のあったことになります。約4分の1です。ちょっと多いかもしれません。これから鍛えていかなくちゃ。

 発問3 まきちゃんのリボンがゆれたのは,どうしてですか。

 ここ,とても面白かったです。出された意見は,次の通り。
・風が吹いたから。
・まきちゃんがお辞儀をしたから。
・まきちゃんが笑って頭を傾けたから。
・まきちゃんは疲れていてフラフラしていた。
・まきちゃんが歩いていたから。

 まず,全員自分の考えに近いものをノートに書きました。そして,ネームカードを板書に貼りました。最初は,「風が吹いた」が一番多かったです。
 それから,一つ一つの理由を聞き,また「これは違うんじゃないか」「これ,このお話にぴったりだ」と思うものを出し合いました。
 すると,けっこう子供たちあれこれ言います。
「風が吹いたよりも,お辞儀をしたからの方がお話に合う。」
「疲れていたは,お話に合わない。まきちゃん,元気そうだよ。(挿し絵を見て)」
などの意見から,ネームカードが動きます。あれこれ話しているうちに,一番の意見は「お辞儀」になりました。

 最後の発問は,難問です。

発問4 まきちゃんのリボンがゆれたとき,「ぼく」はどう思ったのですか。

 この作品のテーマに関わる発問です。
 が,紙幅がなくなりました。この続きは次号へー。


平成13年4月18日(水) 第10号  国語「うしろのまきちゃん」1の場面(2)

◇発問4を再掲します。

発問4 まきちゃんのリボンがゆれたとき,「ぼく」はどう思ったのですか。

 これは,なかなか難しい問いです。読みとりの深さを問われます。
 ここで,子供たちはぴったりと止まってしまいました。しかし,止まってはいても,集中はしています。なかなかいい感じです。何とか考えようとしているのです。
 そこで,次のように補助の発問を添えました。
「このときから,まきちゃんは『ぼくのとなりのまきちゃん』になったんだよね。じゃあ,・ぼくの家のとなりの人
・ぼくの家のとなりのやつ
・となりのまきちゃん
・ぼくのとなりのまきちゃん (と板書して)
では,どう違うの?」

◇違いを問うというのは,低学年教育の大事なセオリーです。違いを問うことで,視点がハッキリとしてきます。何でも思いつくままにしゃべらせると,なかなか話し合いは成立しにくいものです。
補助発問によって,子供たちは生き生きとしてきました。
「『となりのやつ』は,ダメ。いやなやつって感じだから。」
「まきちゃんは,可愛いから『やつ』とかは言わない。」
「『人』も,ダメ。他人みたいだから。」
と,なかなかいいところをついてきます。
 そこで,絞り込んで
・となりのまきちゃん
・ぼくのとなりのまきちゃん
の違いに入りました。すると,また子供たちは止まります。
「う〜ん,『ぼくの』がついていると,…。」

◇ここで,中休みの時間が迫ってきました。また,飽きて手遊び,立ち歩きをしたくなった子も見えてきました。限界のようです。そこで,ここは私の方からヒントを出して終えることにしました。
「ぼくの,ってついていると何だか特別って感じがしませんか?もしかしたら,ぼくはまきちゃんのことを,…。はい,この続きはまた明日。」

保護者の方から

◇保護者の方からeメールをいただきました。一部,ご本人の許しを得ましたのでご紹介します。「小言で育てていました」というタイトルでした。

 毎日 毎日メッセージを ありがとうございます。
 先日 彼が家へ帰ってくるなり 「家と言う漢字はどうしてできたか 知ってる〜?」と鼻の穴をふくらませて、得意げに質問してきました。
「きっと 学校で教えてもらったんだな〜」と思いつつ 「なんでだろう?」と言いますと 水を得た魚のように説明しはじめました。
 その後 彼は遊びに出かけましたが 「ワンダー」を読んで 納得しました。
 今まで何気に練習していた漢字にも こんな意味があったのかと言う彼にとっての「ワンダー」でした。

 さて さて 本日の「ワンダー」ですが 出だしを読んだ段階で「ピーン」ときました。読んでる途中は彼に対してだんだん怒りが込み上げてきましたがラストの先生のコメントで「しまった!」と思いました。
 そうなんです。私自身の自覚への第一歩です。忙しい 忙しいの毎日に言い訳をして「何でもアリ」の「ま、いいかあ」は実は 私自身の姿であります。
 気づかせる事 小さなことを子供のペースで待ってあげることが頭の中で分かっていても 生活の中でそれを実行してあげられなったことを今 みんなに教えてもらっているんだ。(クラスのみんなありがとう!)
 そう思うと 単純にしかれなくなりました。
 そこで 「朝自習って何しているの?」と 聞くと「・・・・・・・・」です。
 それから 黙っていると 今まで言われないとしなかった時間割や手洗いうがい初めて自分からしました。
 私は心の中で「わ〜!学んだんだ!」 そして「今まで 私が言いすぎていたんだ!」と気づかせていただきました。  本当は私自身も気づいていたはずなのについついあと延ばしにしていたんですね〜。
 これでは どんなに小手先の小言で 子供を操ろうとしてもむりですよね。
 私自身が 変わるように努力しなければ・・・・。

 ありがとうございました。 

 こちらこそ,うれしい報告をありがとうございました。保護者の方と一緒に色々考え合っていけること,とてもうれしいです。皆さんのご理解とご支援がなければ,私だけでは何もできません。
 どうぞ,他の方もお気軽にいろいろご意見をお寄せくださいね。


平成13年4月19日(木) 第11号  算数のノートから

◇若い頃の思い出です。研究授業をしました。子供たちはのびのびと活動していました(と思っていました)。それぞれが,その子らしく振る舞っていました(と思っていました)。思ったことをどんどん話すので,学級が明るい雰囲気で活発でした(と思っていました)。
 授業後の検討会で,多くの先生からほめていただきました。ちょっと得意な気持ちでした。ところが,その夜の飲み会で,そのときの校長は次のようにおっしゃいました。
「あれは,ダメだ。あれでは子供たちが育たない。」
 若かった私は,猛然と反発しました。あんなに明るくて,のびのびとしていて楽しそうに学習しているのに,どこがダメなんだ。そんなことをまくしたてました。
 すると,校長は,「子供たちの言葉づかいが無神経だ。姿勢が崩れている。机の上が,雑然としている。学習には気構え・身構え・物構えが必要なんだ。あれで,本気で子供を育てようとしているのか。」と言うのです。耳の痛い指摘でしたが,「生き生き」の前には,そんなことはさほど大事なことではないと思いました。私は,「先生のおっしゃることは私には理解できませんね。」とそっぽを向いてしまいました。(今思えば何という恥知らず! でも,若いということはそういうことなのでしょう。)

◇東大の佐藤学という教育学者の講演を聴く機会がありました。佐藤氏は言いました。
「小学校の先生は,明るくて元気な子供,学級が好きです。学校の目標や学級の目標にも『明るい子』なんて掲げられている。しかし,社会に出てからしっかりした仕事,創造的な仕事をする人たちの多くは,小学・中学時代に明るかったという子は少ない。どちらかというと,ナイーブで傷つきやすかったという子が多いのです。欧米では,『明るい子』という日本の教育方針に首を傾げる有識者がとても多い。どうして日本の先生方も保護者も明るい子が好きなんでしょうね。」
 これを聴いて,私はかの校長が私にあえて苦言を呈してくれたことをやっと理解したのです。私は,「ていねいさ」「ナイーブさ」という教育の鍵を見失っていたのです。

◇言われてみると,私の学級は元気はよいけれど少しがさつなところがありました。放課後,机が乱雑になっていたり,鉛筆の落とし物が多かったりしました。保護者の方は「いつも活気があってよいですね。」とおっしゃってくれましたが,話し合い場面では深まりに欠けることも気になっていました。ノートや作文が汚く(それを「子供が元気だということは,ある程度だらしないことだ」などと思っていました),書き間違いや計算ミスなどのケアレスミスも多かったのです。私は,自分の考え違いにやっと気付き,校長の元へお詫びに行きました。校長は,とても喜んでくれました。さて,思い出話が長くなりました。今,2の1はとても元気で明るい雰囲気です。しかし,その中にやはり「ていねいさ」「ナイーブさ」を育てることが必要だと思っています。

◇算数の筆算を,ノートにさせました。多くの子のノートはAのような状態でした。この状態は,がさつです。思いつくまま無計画に書いています。そこで,「書く前に全体のレイアウトを考えて書くこと」を指導しました。具体的には,

1.タイトルをきちんと書くこと
2.縦,横を揃えて書くこと
3.行や列を空けて書くこと

の3点です。その結果,子供たちのノートはBのようになりました。すごい変化ですね。
 少しは,「ていねいさ」を育てることになっていると思うのですが…。


平成13年4月21日(土) 第12号  授業参観の手引き

◇本日は,授業参観をありがとうございます。これから,参観日の授業につきましては,このように簡単な解説をお届けしたいと考えておりますので,どうぞ参観の際のご参考になさってください。


国語「うしろのまきちゃん」(物語文) 8,9の場面

【ねらい】
 主人公の「ぼく」のまきちゃんに対するほのかな恋心を読みとる。

教材文(全体の最終部分です)

 つぎの朝。ぼくは,いつもより早く学校にいった。だって,きょう,ぼくはまきちゃんの手紙だもの。
 みんなの前で,まきちゃんのへんじを言った。
「たけしくん,うれしそう。」
けんちゃんが言った。ぼくはほっぺたをふくらませた。でも,ほんとうはとってもうれしかった。からだがぽかぽかした。


 となりのまきちゃんのせきは,ぼくのせきのうしろ。いまは,もう元気になったから,ぼくのせなかはほっかりしている。でも,手紙でなくなったぼくは,やっぱりまきちゃんと話ができない。
 うしろのまきちゃんと,話ができるといいのにな。 

【学習への願い】
・今,音読を中心に取り組んでいます。まだ,一斉の音読に全員が参加できていません。 「読むぞ!」という構えを確認する意味で,起立して音読したり,他の子の音読につなげての音読などを取り入れ,少しずつ確かな音読になりつつあります。おうちの方の見守る中,集中した音読ができるといいのですが。
 (ちなみに,しっかりした音読ができれば,その文章の8割は理解できると言われています。)
・話し合いでは,「ぼく」の気持ちに迫っていきたいのです。子供たちが「ぼく」に目を向け,考えようとする糸口として,いくつか発問を用意しています。
・子供たちがお互いの意見を聴き合い,「うんそうだ」とか「私は違う」などと自分の考 えを広げるようにしたいのです。今は,まず目を向けて聴くことですね。
・書くことも,毎時間積み上げていかなくてはならないことだと考えています。現在は,板書を写すのにも抵抗のある子が多いですので,量を少な目にして,書く時間もとっていきます。
・以上だけでも,かなり欲張っていますが,楽しい「めりはり」のある学習を展開したい と願っています。懇談では,ぜひおうちの方から見た授業の感想をお聞かせ下さい。私も,まだまだです。おうちの方からも学びたいと思っています。

【学習の流れ】

主な活動 (子供たちの様子に合わせて柔軟に…) こんなところを見てください
・音読をします。(個人で1回,一斉に1回)
・何人かの子に音読をしてもらいます。
・はっきりと読めていますか?
・再度一斉に音読をします。 ・みんなと声をそろえて読むことができますか?
・発問による読みとりです。
○8と9は,同じ日の話ですか。
・簡単な発問です。発問を聴き取り,挙手により自分の考えを表現できるでしょうか。
○「たけしくん,うれしそう。」は,どう読めばいいのでしょう。 ・いろいろな読み方の違いを感じ取ることができるでしょうか。
○冷やかされてうれしいのは,おかしいのではないか。 ・難問です。理由を言葉に表せなくてもよいのです。この発問に,反発できれば十分です。
○みんなの前で話ができたのに,まきちゃんと話ができない「ぼく」に,あなたなら何と言ってあげますか? ・表現力が問われます。ノートに書かせます。友達の意見を書いてもよいのです。書けるでしょうか。
・まとめの音読 ・内容を楽しみながら,生き生きと音読する事ができましたか?

◇授業の感想(お子さんへの励まし)を,ご帰宅後お子さんに伝えてあげてくださいね。


平成13年4月24日(火) 第13号  集中を引き出す

◇土曜日は,参観懇談,PTA総会に多数ご出席をいただき,ありがとうございました。 参観授業は,「参観の手引き」に「易しい発問です」と書いたところ〜8と9は,同じ日の出来事か〜に,予想外の時間がかかってしまいました。まったく,何年やっても子供たちの思考をとらえるということは難しいものです。
 しかし,懇談そして月曜日にいただいたお手紙やeメールでは,授業に関して次のような感想をいただきました。

・1年生の時に比べて,とても落ち着きが出てきた。
・1年生の時は,自分のことで精一杯という感じだったが,他の子のことを見ている感じがした。
・全体が落ち着いていて,集中している感じがした。
・我が子は,1年生の時よりだらけている感じがした。帰ってきてからも,すぐに遊びに行ってしまう。学校のことはあまり話さない。
・うちは,とても学校のことを話してくれるようになった。
・家で筆算や漢字を自分からするようになった。はじめてのことでびっくりした。
・自分から手を挙げているのでびっくりした。
・全員が学習に集中しているように見えた。
・子供たちの後ろ姿が,とても大きく落ち着いて見えた。成長を感じて感動した。
・明るくて,楽しい雰囲気で,私も授業を受けている感じがした。

◇拙い授業でしたが,子供たちが集中して授業を楽しんでくれたことを認めていただき,私もうれしいです。
 板倉聖宣という人が,授業を4つに分けた場合,どの順番で「よい授業」かと問いかけたものがあります。さて,あなたも順番を付けてみてください。

(  )楽しくてよくわかる授業
(  )つまらなくてよくわかる授業
(  )楽しくてよくわからない授業
(  )つまらなくてよくわからない授業

 さて,順番を付けましたか? 付けてから裏に進みましょうね!
◇板倉さんは,順番を次のように付けました。

(1)楽しくてよくわかる授業
(4)つまらなくてよくわかる授業
(2)楽しくてよくわからない授業
(3)つまらなくてよくわからない授業

 この順番の意味がわかりますか?
 まず「楽しくてわかる」が一番なのは誰も異論のないところでしょう。しかし,最悪なのが「つまらなくてわかる」なのはおわかりでしょうか?
 板倉さんによれば,授業とは「感動的に文化を継承する営み」であるべきなので,この感動部分がなくて文化を継承してしまったとしたら,子供は「勉強とはつまらないもの」と感じ,ひいては「大人の世界はつまらないもの」という認識を育ててしまうのだといいます。
 そうなら,むしろ「つまらなくてわからない」方が,まだ「きっと本当はわかるということは素晴らしいことの筈だ」という期待感が残るだけよいというのです。
 また,「楽しくてわからない」のであれば,再度その課題に挑戦しようという意欲は温存される訳ですから,これまた「わかってしまう」よりはずっとよい,ということです。 
◇私も,基本的には板倉さんに賛成です。しかし,全面的にではなく,どこかに「鍛える」部分がないと教育が薄っぺらになるとも考えています。
 しかし,「鍛える」にしても大切なのは子供たちの「集中」を引き出すことだと考えています。
 土曜日,ご覧いただいた子供たちの姿,多くの方から「集中していた」と評価をしていただきました。私も,2週間前に授業をはじめたばかりの時に比べて,ちょっと集中が見られるようになってきたように感じています。しかし,まだまだです。もっともっと鍛えていきたいと思っています。
鍛えられた子ほど,授業を楽しむ力が付いていきます。授業を楽しむ子は,一人になっても学びます。読書,趣味,そして友達との遊びの中でも,様々なことを学びます。この学ぶ力を「生きる力」と呼ぶのです。

◇今,1日に1回くらいの割りで子供たちの目にグッと力が入って集中する場面があります。今日は,漢字の成り立ちを話していて,「心」が元々は心臓の絵からできたこと,心臓は全身に血液を送っていて,1日も休まずに動き続けていることを話してやっていましたら,胸に手を当てた子供たちがシンとしました。窓の外に木の葉の音が聞こえました。 やがて,「本当だ。ドキドキって動いている」と言った子供の声は,そっとささやくような声でした。子供が集中し,新たな気付きを持つ瞬間,それはとても美しい時間であると思います。その時間に立ち会えて,私は幸せだと思います。(でも,次の瞬間には受けないオヤジギャグを飛ばしている,しょうもない私でもありますが。)


平成13年4月25日(水) 第14号   見届ける

◇「書」という漢字を教えました。まず,成り立ちを話してやります。右のように,筆を手で持って紙の上に線を書くという絵からできた漢字であることを話します。
 次に,筆順をユックリと板書します。
「まず,カギ。次に横棒。これは最初のカギを突き抜けてね。それから,下の線。ここまでは手だね。突き抜けないと,手首なし人間になるから気を付けてね。
 その後は,下に二。これは筆の先の部分だよ。それから,縦に筆の先まで筆の軸。軸が筆先より下にあったらおかしいでしょう?だから,ここは下まで突き出さないんだよ。最後に紙と線。これは,お日様の日と同じ。縦,カギ,横棒,ふた最後で書こうね。」
 こんな話をしながら,子供たちは手を挙げて一緒に書きながら確認していきます。これを空書きと言います。空書きは,ゆっくりからだんだんスピードを上げるなどして,数度繰り返します。

◇この後,グループから一人ずつ黒板のところに出し,私の号令に合わせて一画ずつ「書」という字を書いていきます。私が「イーチ」と言うと,出た子供たちは最初の「カギ」を書いてしゃがみます。他の子たちは,自分のグループの子が正しく書けているかを点検します。子供たち,なかなかよく集中します。
 これを全員繰り返し,そこでやっとノートに書かせます。

◇さて,ざっと上のような指導をしているのですが,これで子供たちの何割くらいが確実に「書」を書けるようになるものでしょうか?
 ちょっと予想してみてください。(私は,読者に予想してもらうのが好きなのです。)
 ただ予想するだけではおもしろくないので,4択にしますね。
(1)もう,これくらいやればほぼ完璧に覚えるのではないか。
(2)これなら,8割くらいの定着率なのでは。
(3)いや,そんなに甘くない。6割がいいところか。
(4)「書」は難しいからねえ。どんなにていねいに教えても5割はいかないのでは。
 さあ,予想しましたか? では,裏に進みましょう。
◇今回の我が学級の定着率は,約6割でした。正解は(3)です。
 数で言いますと,7名がきちんと書けていませんでした。予想は当たりましたか?
 私の予想は,ピッタンコでした。

◇学級が学習集団として育ってきますと,全体指導だけでも定着率,達成率は8〜9割前後にまで高まります。しかし,そうでない場合は,よくて6割に留まります。
 全体への言葉を自分事としてとらえ,注意を傾けて学習するのでなければ,学習内容はきちんとは子供の中に入っていきません。教師は,教える内容がきちんと子供の中に入っていっているかを,見届けなくてはなりません。
 私は何度か教育実習生を受け持ったことがありますが,若い彼らに4,5週間で教えるのは,「自分が何かを指示したり,説明したりしたら,それが子供たちにどのように伝わっているのかを見届けなさい」ということがほとんどです。
 実習生は,例えば「この問題をノートに書いてください。」と指示を出したと思ったら,もう次の説明を急いでしまったりします。子供たちの作業を,机の間を巡って点検したはずなのに,できていない子ややり方が間違っている子がぼろぼろいるのに,「もう,いいですね。」などとやったりもします。この「見届け」は,けっこう難しいようなのです。

◇さて,「書」一つだけでなく,この「見届け」は日常生活のいろいろな場で求められます。朝自習が終わったら,ノートを回収します。その際,私は必ず冊数を確認します。毎回,1〜4名程度が提出されません。誰が出していないのかを公表し,それはどうしてなのかを言わせます。決して,怒鳴ったりはしませんが,見過ごしにはできないことです。「手を挙げて」と指示を出したら,必ず「○○君と○○さんが遅れましたよ。もう一度。」とやります。こうしたしつこさが学習集団を育てると考えています。私は,とても気が短い方なのですが,今は毎日の子供たちの「あいまいさ」「いいかげんさ」とのせめぎあいを楽しみながら取り組んでいます。
「できましたか?」
「ハーイ。」
「では,できたところを見せてごらん。」
「…できていません。」
こうしたことをこれからもずっと繰り返して繰り返して,学びの主体者として子供たちを育てていきたいと考えています。


平成13年4月27日(金) 第15号   トラブルへの指導

◇たくさんの子供たちが一緒に過ごしている教室には,毎日トラブルが発生します。
 それは,とても自然なことです。
 それは,子供たちの心の健全な成長に,ぜひとも必要なことです。
 それは,うまく乗り越えるべき問題として,教室に出現することです。
 それは,学級経営上のシステムの不備を指摘することもしばしばです。教師が教師として成長するための,かけがえのない試金石です。

◇この学級にも,この3週間でいろいろな種類のトラブルが発生しました。今週は,その発生率が,一番多くなりました。昨日だけで,4つありました。
(1)給食の盛りつけのために並んでいた子供たちの列に,ある子が割り込んできました。それを押し返そうとしてもみ合いになり,側にいた関係のない子が押し倒され,泣きました。
(2)廊下を歩いていた子の後ろから,驚かそうとして背中を押しました。押された子は蹴り返しました。押した子は,「やさしくやったのに。」と泣いて私のところに訴えてきました。
(3)朝,大きな声を出して教室を走っていた子に他の子が注意しました。すると,走っていた子が「うるせえ。」とたたきました。たたかれた子がたたき返し,とうとう両方泣いてしまいました。
(4)授業中,グループの子同士で,机の上に乗っていたもの(授業とは関係のないもの)を「貸せ」「いやだ」でつかみ合いになりました。

 一昨日以前のものも入れれば,まだまだいろいろなケースがあります。書けば,楽に本紙5枚分くらいにはなるでしょうか。
 繰り返しますが,どれも自然なことです。そして,どれもすばらしい教材です。

◇さて,私は上のようなトラブルには,基本的に次のような対処,指導をしています。

その1 仲直りしたら戻っておいで。

 こう言って,当事者を別の場所に移します。あるいはその場に置いて他の子とさっさと移動してしまいます。上の例で言えば,(1)や(2)は,大体これです。
 なぜなら,この手のトラブルは冷静に見つめることができればほとんど自力で解決することができるからです。ケガで言えば,膝っこぞうのすり傷みたいなもので,なめておけば治るのです。
 この程度のことに,教師が深く関わりすぎると,子供の自立が遅れます。その子その子の性格にもよりますが,大体は放っておく方がよいのです。
 多くの場合,数分単位で「仲直りした…。」と報告にきます。

◇子供同士の「注意」があってのトラブルは,異なります。こう言います。

その2 みんなは,どう思いますか。

 よくない行動に対して,「注意」をするのはとても大切なことです。ですから,両方の言い分を全員がいる前で聞きます。その上で,その注意について全員に問い返します。これにより,学級の中に「正義」の価値観を醸成することができるからです。走っていた子は,上の問いへの他の子の反応「それは,○○君がよくない」を知って,精神的に孤立します。みんなが自分の行為を好ましく思っていないことを知って考え始めることを期待しています。
 「正義」がなければ,その集団は弱肉強食の論理に支配されます。学級の中に「正義」を確立できるかどうか,それがこの時期,私の最大の仕事です。こう考えると,子供たちが次々に起こすトラブルは神様がくれたプレゼントであると思われます。

◇トラブルが起こったら,私は両方から事情や主張を聞きます。(片方が話し始めると,もう片方が「だって…」と反論しますが,「まず,聞きなさい。」と制します。)
 両方の言い分をそれぞれ言わせ,相手の言い分がその通りかどうか再度聞きます。
 言いたいことを全部言わせ「もうない。」という状態になったら,次のように言います。

その3 自分がしたことで,良くなかったことはないかい?

 言いたいことを言った後では,子供たちは実に素直に「ある。口で言い返さないでたたいてしまったこと。」などと言います。「じゃあ,そのことについては謝ったらどうだろう。」と提案します。お互いその点について「ごめんね。」「いいよ。」を言い合います。
 そこで,さらに「じゃあ,まだ相手に言いたいこと,あるかい?」と聞きますと,これはほとんどの場合,「もうない。」となります。そこで,ダメオシです。
「なあんだ。じゃあ,口で言い返せばケンカにならずに済んだことなんだね。じゃあ,お互い言いたいことも言ったし,謝ったしで仲直りできるかい?」こうして握手で一件落着です。

◇授業中のトラブルについては,私の責任です。「教室の私語やゴミは,子供からの手紙だ」と言った教師がいました。教室内のシステムや授業の質が不完全なところを子供たちは突いてきます。それが,私語であり,手いじりであり,立ち歩きであり,からかいであり,ちょかいであり…。
 しかし,だからといってシステムをもっと整備し,トラブルをまったくなくすることが良いとは思いません。ゆるやかに,子供たちの気付きの幅を広げていきたいと思います。それが,子供たちの自立のための「急がば回れ」のコースだと思うのです。(私は「ゆるやか」と思っているのですが,保護者のみなさんには「急激」と感じられているのかもしれませんね。数人の方から,そのような感想をいただきました。)


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