福祉の授業づくりを見直す2
〜 モノや技術より人へ〜
1.ある福祉の授業の問題点
私の学校で,総合的な学習で福祉の授業をしました。6年生です。自分たちの住む札幌の町を障害者の方の視点で見直してみようというものです。
子供たちは,「車椅子の方にとって地下鉄は乗りやすいか」「車椅子で大通り公園を歩いてみたらどんなところが不便か」「目の不自由な人のために,地下街にはどんな点字が書いてあるか」など,それぞれが課題を持ち,札幌の町に飛び出していきました。
そして,調べてきたことを画用紙等にまとめて発表していました。とても良い気付きがたくさんあり,また紙芝居やクイズ形式にするなどの発表の工夫もあり,聞き応えのある発表でした。しかし,ある傾向が共通していることに気付きました。
2.子供たちはモノや技術に目がいく
それは,モノや技術に目がいくという傾向です。
例えば,「車椅子の方にとって地下鉄は乗りやすいか」というテーマで調べた子供たちは,ホームと地下鉄の床の段差を解消するスロープ板を駅員さんに見せてもらい,それをスケッチしてきて発表しました。
「車椅子で大通り公園を歩いてみたらどんなところが不便か」をテーマにした子供たちは,車道と歩道のつなぎ目が,ゆるやかなスロープになっているにもかかわらず,ガタンとすること,そしてそのスロープを上るのが思いの外大変なことから,「車椅子の方は,けっこう大変なのに,すごい」とその技術についてまとめました。
「目の不自由な人への配慮」を調べた子供たちは,点字を探し,それを解読して,どこに何と書いてるのかをまとめ,発表しました。
これはこれで,意味のある学習です。しかし,そこに私は大きな問題を感じました。何が問題なのでしょうか。
3.人へと導く
それは,「福祉とは,モノを整備すること」「手話や点字等の技術を覚えることが障害者にやさしくするということ」という考えが,知らないうちに,調べ学習をした子供たちに植え付けられてしまっていることです。モノや技術が,障害者にとって福音であるという前提,これは正しいのでしょうか?
私は,子供たちに語りました。
「なるほど。点字があちこちにあって,目の不自由な方も切符を買ったり,エレベーターで自分が下りたい階のボタンを押せるようになっているのですね。」
調べた子供たちは,満足そうにうなずきました。そこで続けて,「ところで,目の不自由な方は,みんな点字が読めると思いますか?」
すると,子供たちの中にかすかなざわめきが起こりました。虚をつかれたのです。さらに続けます。
「今,糖尿病などで中途失明する人が増えています。中年になってから失明すると,もう指先の感覚を開発するのが困難で,まず点字は覚えられないそうです。ですから,今点字を読むことが出来る視覚障害者は,…。」
子供たちは,身を乗り出して聞いています。
「10人に1人と言われています。」
子供たちの中から,ため息混じりのざわめきが生じます。
次に,車椅子チームの子供たちに向かって語ります。
「車椅子の方も,エレベーターがあちこちに整備されていて,便利だと思われていますね。でも,脚だけご不自由で車椅子を使っている方ももちろんいますが,腕もご不自由な方も少なからずいますよね。」
子供たちは,ここで困ってしまいます。モノや技術が福祉の答えだと思っていたのに,そこを覆されたわけですから。しばし,沈黙が訪れます。
やがて,一人の子が口を開きました。
「誰かが手伝ってやればいいんだよ。」
そうです。モノや技術より先に人。これが,福祉の原点なのではないでしょうか。その「誰か」に自分がなろうという気持ちを引き出すのが大切だと考えます。
福祉の授業では,ときに「点字を4時間,手話を3時間,…」のようにカリキュラムを作っているのを見かけます。そこでは,点字や手話のテキストや学習用具を使って,スキルとして点字や手話を身につけることをねらいにしているようです。
それはそれで活動としてあって良いと思います。しかし,原点であり中心であるのは「人」です。「人」へと導く福祉の授業をつくりたいと思います。