給料の振り込みに反対!
■給料を銀行振り込みにするという教師が増えている。私は,これに反対である。
理由は単純である。「父さんが働いて,私たちを養ってくれているんだ」と,子供たちが感じる貴重なひとときを失いたくない」からである。
■ところが,身の回りにこの私の考えを一笑に付する人がけっこういる。
「それは,考えが古いわ。」
「(ふふっ)横藤さんって,けっこう変なところにこだわるのね。」
「安全性,事務官の手数を考えたら,振り込みの方が断然いいでしょ。」
このどの声に対しても,私は反論しない。考えは古いかもしれない。変なところにこだわっているのかもしれない。安全性,事務官の手数を考えると,給料を持ち帰るのはよくないことなのかもしれない。だから,私はこれらの声に積極的に反論はしない。
■しかし,しかしである。反論はしないが,私は振り込みにはしない。これらの声に断じて屈しない(たぶん)。マイホームのローンを集金に来てくれる銀行マンさんが,笑顔で「振り込みはどうですか?」と聞いてくる。「そうですねえ,ま,もうしばらくは持ち帰ろうかと思っているのですが…」とお茶を濁す。「古い」「変なこだわり」と言われたら,「そうかもねえ…」とごまかす。「事務官の手数」と言われたら,「すみませんねえ」と素直に謝る。振り込みをしている方を批判など毛頭する気はない。しかし,私自身は断じて給料は持ち帰ろうと思う。
■今日,子供たちにとって親の存在(ありがたさ)はどんどん見えにくくなってきている。例えば子ども部屋を例にとろう。子どもたちには個室が与えられることが多い。その個室にはテレビがあったり,ステレオがあったりする。鍵までついていたりする。親が黙って子どもの部屋に入ると,子どもから非難されたりする。一体誰が,その家を建てたんだ!あるいは買ったんだ!(ドンドン!〜机を叩く音です)
■子供が,部屋に入る親を非難するのは,親がかせいでいるという実感がないからである。親がかせいでくれなければ,自分の部屋はおろか小遣い,そして3度の食事も危ういということを感じていないからである。
我が家では,一応子供部屋はある。どの子ども部屋も狭い。狭くなるように設計した。一人あたり5畳以下である。しかも,その部屋を子どもたちの部屋とするにあたって,子どもたちには次のように言い渡してある。
「この部屋を,子供部屋として貸してやる。しかし,この家はすみからすみまで父さんと母さんのものだ。貸してもらっているという気持ちを忘れずに,大切に使うように。」
この言葉のせいで私は子供部屋に入るときにノックなどする必要はないのだ。何せ,毎月私がその部屋のローンを払い続けている訳なのだから。
だから,子供たちは例えば部屋の模様替えをするときにも,それとなく「今日は,模様替えをしようかな。」などと言って,暗に許可を求めるような言い方をする。これくらいで,ちょうどよいと私は思っている。
■下手をすると,子供たちばかりでなく,家人だって「給料は銀行からもらってくる」という感覚に陥ってしまうかもしれない。振り込みにすると,かせいでいる人が帰ってくる前に引き出すことができる。その「人」を心待ちにする気持ちが薄れていくのはしかたのないことだろう。もしかすると,「給料日だから,ちょっとおいしいものを食べましょう。あら,お父さんは今日は遅いから食べて来るって。ラッキー!」というような事態が生じるかもしれない。(我が家の家人は,決してこんなことはありません。)
■現代において,人間の生活は,生きるという原点,原理から離れたところで形成される傾向をどんどん強めている。肉はパックに入っているのが当たり前で,少し前まで生きていたものという食の原点への実感が希薄になっている。寒いときは,エアコンのスイッチを入れることを真っ先に思い浮かべる。手をこする,軽く動く,家族と寄り添うという暖の原点を忘れて,エアコンがなければ不平不満,ストレスばかりが強まる。便利さと引き替えに,生きることの原点,原理を失っているのが,現代生活なのである。かつて,縄文人は,帰宅時には獲物を持ち帰って子供たちから尊敬されたことだろう。子どもは,素直に感謝したことだろう。非行,ストレスなどとは無縁の子どもたちだったに違いない。
■だから,せめて給料くらい自分の手で運ぼう。それは,かせぐことの原点の実感である。働くもの,その恩恵を受ける子供たちが月に1度くらいそれを実感しなくては,ますます日本はダメになる。給料の運搬は,最後の砦かもしれない。
■追伸
我が家の子供たちのお年玉は,年齢×100円。月の小遣いは,中学生の長女が800円。5年生の長男は105円である。(質素な子どもたちでしょ。) その小遣いを渡すときも,我が家では私が直々に,けっこう重々しく渡す。子どもたちは「へ,へー」とは言わないが,きちんと頭を下げて受け取る。ここも,砦の一つである。(家人・談)
■4月の追伸(後日談)
と,威勢良く上のように書いたのが3月であった。そして,4月。何と職員会議で「全員振り込みにしましょう」という提案が!「一人でも現金ですと,事務官の他にもう一人銀行までタクシーを使って行かなくてはならないのです。」と,転勤したての若くて美人の事務官さんが提案した。
私は,憤然と立ち上がって反対の旨をまくしたて,ようかと思ったのだが,何せ転勤したてで,若くて美人の事務官さんが笑顔で「いかがですか?」と聞いてくるのである。これは,いかんともしがたく,受諾したのであった。上の文章を読んでいた,隣席の濱欠先生が,私の顔を見て,クスリと笑った。きっと情けない顔をしていたに違いない。とほほ…。
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