生活科・総合実践いろは歌

 生活科の本格実施にあたって,「生活科実践いろは歌」なるものを発表したのは,91年のことです。いろは47文字に寄せて実践の指針を表現したのです。その後,93年二条小学校の校内研究にて,改訂版を。97年に札幌市教育研究所で行われた生活科研修講座で講師を務めた際,第3版を発表しました。
 今回,総合の実践も視野に入れて第4版を作成してみました。まず,いろは歌をご紹介します。それぞれの歌は,コメントにリンクできるようにしてあります。

〜勢いがない活動なら,やらない方がまし
〜論より活動
〜はじめに子供ありき
〜日常生活とリンクさせよ
〜没頭を見守れ
へ〜変化を見取れ
〜変化を見取れ
〜「どうしたいの?」と問え
〜地域を知れ
〜臨機応変,柔軟に
〜ぬくもりがなければ,学習は成立しない
〜ルールの必要性に気づかせる
〜教えることはきちんと教えよ
〜わくわくさせる演出を
〜感情で学び,体で覚える
〜「よくやった!」と子供自身が思えるように
〜立つ位置は,決めておく
〜レールを敷くな,フレームを示せ
〜掃除や片付けも計画に入れよ
〜つながりに気づかせたい
〜願いをもたせる
〜泣いたら,集めよ
〜楽天的に行こう
〜無理なものは無理


〜動き出したら,子供ウォッチング
〜生き生きしてたら90点
〜伸ばそうとして,だめにするな
〜オープンエンドが基本
〜苦労話に花が咲く
〜役に立つ自分を発見させたい
〜まとめにアドバイスを
〜けんかも学習
〜深く見取るその行動の意味
〜言葉と体験は,車の両輪
〜笑顔は,最高の支援
〜天気に合わせた計画
〜安全への配慮があって,冒険に踏み込める
〜さっと始めろ
〜教師は時にはガキ大将
〜ゆったり構えて,しっかり見取る
〜目線を低く,視野は広く
〜見取りなくして,支援なし
〜親切すぎるな
〜絵,文章,とにかく書かせろ
〜引っぱらない,たばねない
〜もう少し,そこが活動の打ち切り時
〜選択,判断を委ねよ
〜すべての活動は自立と共生のために

 コメントです

〜勢いがない活動なら,やらない方がまし
どうも生活科や総合の活動が「下手なやらせ」になっているのを見かけます。それは,子供の動き,特に動き始めに勢いがないことからそう感じるのです。「下手なやらせ」なら,やらない方がまし。少なくとも,子供をうそつき(やりたくないけど,やるかあ。orとりあえず目の前に何かあるからするかあ。)にしません。

〜論より活動
「早くやろうよ,先生。」子供の顔がそう言っている。前時の思い出しなんて,やらないで!(前時の思いだしをやった授業で,子供が生き生きと動いたり,豊かな気付きをもった授業はこれまで1つも見たことありません。ついでに「これから生活科のお勉強をはじめます」なんていう形式的な挨拶で始まる授業も,最後まで子供が生き生きとしていることはまれです。)

〜はじめに子供ありき
現代の課題が先にあるのではありません。子供の興味や関心を自然に伸ばしていけば,現代の課題に結びついていくのです。ある学校では,早くにカリキュラムが作成され,4年生の子に点字を教えることになっていました。そこで,教師から「点字を覚えよう!」と投げかけて活動が開始されたのですが,単元の終わり近くになって,点字で目の不自由な方に手紙を出そうという段階になって,子供たちから思いもかけない発言が相次ぎました。「これは,点字の試験なのですか?」「別に書きたいことはありません。」これは,カリキュラムが,子供発信のものでなかったからです。カリキュラムは「仮キュラム」。どこまでも,子供の内面から掘り起こすことが大切です。(しかし,誘い水として,現代の課題を提示するのは,もちろん有効です。また,はいまわらないためには,教師の頭の中に現代の課題が新鮮に息づいていて,子供のつぶやきや動きといつでも結びつけられるようになっていることが大切です。)

〜日常生活とリンクさせよ

自分と離れたところで起こっている出来事では,子供は育たない。活動や気付きが,いつも日常生活(下校後,休み時間,家庭,休日)の中で,思い起こされて力になるようにしたいのです。例えば,公園の学習をしたら,その評価基準(教師側の)は,放課後の公園での遊びや,休日の公園での過ごし方が変わったかどうかです。

〜没頭を見守れ
子供が没頭している。なのに,それに「面白いかい?」などと声をかける授業者や参観者がいます。な,なんて鈍感で野暮なのでしょう。「没頭はしているが,学習は成立しているのか」などと論議している教師もいる。もっと子供を信じたいもの。

〜変化を見取れ
活動が持続している。しかし,同じ事を続けているように見えて,実は内面は変化し続けているのです。ここが見えなければ,生活科や総合の学力も見えないでしょう。上半身の角度一つから,内面の変化を見取る感性が求められます。

〜「どうしたいの?」と問え
生活科や総合では,子供自身の意志決定を重視します。支援の言葉は,「どうしたいの?」が基本。しかるのちに,子供がしたいことに合わせた内容とレベルで,教師側の意見を述べたり教えたりするべきです。子供がしたいことと,違うことをさせるのは原則として避けたいもの。そのためにも,前提条件をきちんと整え,確認する「フレームワーク」が必要なのです。

〜地域を知れ

総合でも,マップ作り,暦作り,人材リスト作りをしよう!作るのが目的なのではなく,そこで得られる地域のよさへの気付きや人とのつながりをもつことが大切なのです。だから,マップ,暦,人材リストは頻繁に作り直しましょう。少なくとも,担当者が変わったら,一から作り直すくらいでなくては,生きた資料にはなりません。

〜臨機応変,柔軟に
この時間で予定のところまで終わらなくてもいいじゃないか。そう思っている教師の目に,子供のすばらしさが飛び込んでくるものです。別の魅力的な活動のイメージが湧いてくるものです。
 
〜ぬくもりがなければ,学習は成立しない
寂しい心に宿るのは,寒々しい乾いた知識。生活科や総合は,そうであってはならないと思います。笑顔,拍手,そっと添える手,差し出す手。それがなければ,寂しい。

〜ルールの必要性に気づかせる

ルールは,最初から教える必要がある?ほとんどは,試行錯誤でいいのです。試行錯誤がいいのです。そこから得た気付きは,本物。

〜教えることはきちんと教えよ
技能に関することは,教えなくては身に付かない。そこを「教えてはいけない」と勘違いしてはいけません。自由とは,何でもまかせることではありません。まかせてもよいことをまかせ,教えないと進めないことは教えることで,子供たちはより自由になるのです。

〜わくわくさせる演出を

子供たちに何かを見せる時,まったく演出なしで見せる時と,提示をもったいぶる時があります。ねらいに合わせて,柔軟に場所,背景,照明,時間帯,観客等の演出をしたいもの。提示するものに合わせてスーツの色を変える感性がほしい。

〜感情で学び,体で覚える

アサガオの世話を継続してできるようにするために,いろいろな手だてがあります。世話をしたら,黒板のマグネットをひっくり返す。シールを貼る。靴箱にジョーロを置く,などなど。しかし,一番効果的なのは教師が毎朝アサガオのある場所にいて,笑顔で子供たちを迎えることです。子供たちは,その場の心地よさ,温かさから自発的に活動を始め,広げます。まず,感情から入る。出口は体(具体的な行動の変化)。途中に頭があるのです。これを3つのHと呼ぶ人もいます。Heart,Hand,Headと。

〜「よくやった!」と子供自身が思えるように

教師が「よくやった!」とほめ言葉を発する授業は多い。しかし,子供が自分にそういう授業は,少ないですね。

〜立つ位置は,決めておく

活動が始まると,あちこちせわしなく教師が歩き回る授業が多いように思います。基本的には教師の動きは,少ない方がよいのです。活動開始直後は,全体を見渡す。活動の真っ盛りには,気になる子のそばに。活動の終末には,また元の位置へ。それくらいでよいのです。体の動きは少なくても,子供を見る目がぴたりぴたりと決まる,そんな教師になりたいものです。

〜レールを敷くな,フレームを示せ

生活科や総合では,まずフレームワークが大切です。フレームを明確に示し,その中でなら,何をしても認めるというように授業を構成することで,子供たちは真に自由になると私は考えています。(本HP内の論文を参照してください)

〜掃除や片付けも計画に入れよ

特に研究授業では,ほとんどが片付けは時間外となることが多いようです。後始末も大事な教育の機会。できるだけ計画に入れたいものです。

〜つながりに気づかせたい
地域と自分,友達と自分,生命と自分,素材と自分…,この世は多くのつながりの中にあることに自然に気づけるような活動を構成したいもの。総合でも,例えばコンピュータを通して,外国の方とのふれ合いを通してこの一点に気づかせることができるかどうかがポイントです。つながりに気づかない活動は,それで終わりとなります。英語を導入するなら,上手に英語で「Hello!」と言えることを目標にするのでなく,「どんな国の人も挨拶を大事にしているんだ。」という気づきを感じさせるような構成を考えたいものです。「挨拶もできぬ子供の英会話」という川柳の二の舞を演じたくはありませんね。

〜願いをもたせる

活動の発端は,子供一人一人がもつ願いです。願いに向かって始まった活動は,教師があれこれ指図しなくても続きます。願いをもつような,状況をつくりましょう。発展しながら,様々な気づきを得ながら,友達とつながりながら続く強い願いを。


〜泣いたら,集めよ
生活科では,個の活動を重視するあまり,また「支援」を重視するあまり,全体にきちんと指導しなければならない場面を見過ごしている場面を多く目にします。例えば,ある子が活動中に泣いていたとしたら,かかわりのある子たち,あるいは学級全体の活動をストップさせて,集合させ,事情を聞くなどすることが必要です。この辺のバランスがおかしい実践が増えてきているような危惧を感じます。

〜楽天的に行こう

子供の失敗に,子供以上に落胆する先生がいます。時には,それも有効でしょうが,まず先生が「ドンマイ!」といきたいもの。失敗をさせないように,かなり用意周到な準備をする先生もいます。大体決めたら,あとは出たとこ勝負。何とかなる。ならなきゃあきらめる!

〜無理なものは無理
かなりサービス過剰な「支援」を見ることがあります。それじゃ,子供はかえって育たないのになあ。無理なものは無理っていうことをいつ学ぶのかなあ。

〜動き出したら,子供ウォッチング
ゴーサインを出したら,まず全体の動き始めを見極めましょう。次に,一人一人のこだわりをじっくりと見ていきたいもの。

〜生き生きしてたら90点
生活科や総合の絶対必要条件は「楽しさ」です。そう言うと,かならず「楽しければ,それでいいのか」と言う人がいます。(本当はこの言い方は必要条件と十分条件を取り違えているのですが,あえて言いましょう)楽しければ,子供が生き生きしていたら,それだけで90点です。反論するなら,子供たちが生き生きと生活科や総合の対象に働きかけ続けた活動で,学習が成立していないと思われる事例を示してください。

〜伸ばそうとして,だめにするな

中国の故事に「助長」があります。その原義は,稲をもrっと早く伸ばそうと引っぱっていた男の田の稲がすべて枯れてしまったところから,結果をあせることを戒めたものだということです。生活科や総合のかつどうでは,教師側にまず時間的,空間的なゆとりが必要です。そしてそれ以上に心理的なゆとりが必要です。子供は,活動時間に合わせて均一に成長するものではなく,活動の後半に急激に成長することが多いように思います。

〜オープンエンドが基本

生活科や総合ほどオープンエンドがぴったりな学習はありません。なぜなら,子供たちの実生活に根ざす学習だからです。学習の始まりは,すでに問題・課題・活動・自分の願いが見えていて,教師の話や挨拶などなしに始まっているというのが自然です。学習の終わりは,次の問題・課題・活動・願いに開いて終わるようにします。すると,子供たちは次の活動までに,自分の生活の中からさまざまな素材や資料を探してきます。自ら体験をしてみて,それを報告しようと張り切って来る子もいます。思いや願いを連綿とつなぐ。それがオープンエンドの単元構成のよさです。

〜苦労話に花が咲く

指導案などを立てると,それを以下に効率よく実現するかと考えてしまいがちです。しかし,それがために子供に適度な苦労をさせることなく答えを与えてしまうことがないでしょうか。その時,苦労しても,いや苦労したからこそその体験はいつまでも子供の中に残るもの。最後に笑える苦労をさせてやりましょう。

〜役に立つ自分を発見させたい

人間にとって最高の喜び。それは「あなたは〜ができてすごい」でしょうか。私は「あなたがいてくれてうれしい」と心から思われることだと思います。生活科や総合では,人との触れ合いが求められます。人のため,役に立つ自分を見つけさせたい。自分への自信,社会とのつながり,その具体的な姿がそこにあると考えます。

〜まとめにアドバイスを

教師は,支援者であって子供にできるだけ働きかけない方がよい,などと言う人がいます。私は反対です。確かに一般的には直接の小刻みな指図はない方がよいでしょう。「小さく指示して大きく動かす」は,生活科や総合のみならず,指示の大原則です。しかし,教師が何も言わなければ子供たちの活動は尻すぼみになります。だから,まずフレームワークです。そして,活動中は感動,共感,ヒントが大切です。そして,子供にとって一番難しいのは「まとめ」です。例えば,環境調査のデータを集める所までは,比較的スムーズにいきます。しかし,そのデータからある判断を導き出すのは多くの子にとっては非常に困難な場合が多いのです。また,内容に見合ったまとめ方も,放っておいては見つけてはいけないことが多いのです。ここに教師の出番があると思うのです。

〜けんかも学習

生活科においては,けんかも学習です。学習であるからには,教師の目配りの中に入れていきたいものです。ただし,当事者に教師の目を意識させない方がよいことも多いもの。念のため。

〜深く見取るその行動の意味

「〜をしている」だけなら,教育実習生でも保護者でも言えます。その先を指摘できるかがプロたる教師の仕事の範疇です。(3段階の見取り「視→観→察」ついての論文をぜひご覧ください。)

〜言葉と体験は,車の両輪
発言を組み立てられない活動,カードなどを書かせない活動は深まりません。言葉の持つ論理構築力の助けを借りないと,思考は深まらないものなのです。思考が深まらないと,活動は同じレベルの繰り返しになります。書かせましょう,きちんと話させましょう。

〜笑顔は,最高の支援

子供の間を真剣な顔でちょこまか動き回るより,ゆったりと笑顔で受け答えする方が子供は伸びると感じます。

〜天気に合わせた計画

意外と雨天時のプランを持っていない指導計画が多いのでは?

〜安全への配慮があって,冒険に踏み込める

財布に活動場所から学校までのタクシー代,ポケットにはちり紙,リュックに携帯電話,救急用具,保温性の高い着替え,水筒にはたっぷりの水(消毒にも使える),活動場所の入念な事前の下見,保護者への連絡先のメモ,ポイントポイントへの指導者の配置。これくらいあって,始めて「先生,川に入ってもいい?」の声に,「ようし,入ってごらん」と返せることになるでしょう。

〜さっと始めろ
子供は活動したがっています。3分以上待たせるのは酷。オープンエンドなら,待たせない。

〜教師は時にはガキ大将

スベリヒユ,クワの実,まず教師が食べてみせる。草相撲なら5人は抜いてやる。草笛,ドングリ笛を上手に鳴らす。高く木に登る。けん玉や割り竹を連続する。「どう,できる?」こんな生活科もあっていいと思います。こんな生活科があってほしいと心から願います。

〜ゆったり構えて,しっかり見取る
「ふ」「え」と同じです。ちょこまか動く人,離れてぼんやり見ている人が多すぎる。

〜目線を低く,視野は広く

子供を見るとき,その時間いっぱい離れたところから見ている教師がいます。客観的だと本人は思っているが,観察の視点は冷たく,狭いことが多いのです。子供の目線の高さで見ていると視野が開けてくるのですが。

〜見取りなくして,支援なし

確かな見取りができる教師だけが,確かな支援をすることができる。そのためには,まず「見よう,見よう。」とする事ですね。

〜親切すぎるな

「先生,〜が欲しいんだけど。」などと求められたら,待ってましたとばかり「どうぞ!」と渡す場面をよく見かけます。子供が求める前に,便利な道具をセットしてある場合すらあります。それが,子供の工夫やたくましさ,子供同士のつながりを損なっていることに気づかないで。

〜絵,文章,とにかく書かせろ

活動のしっぱなし,これでは何も育たない。形にして,始めて自分の仕事や学習を振り返ることができるのです。メタ認知というやつです。

〜引っぱらない,たばねない

これには「無理に」という頭がつきます。おおむね,子供が気づく前に教師がそこへ引っぱって,たばねようとすることが多いのです。そこで,せっかくの具体的で楽しい活動が,子供自身の問題解決にならず,子供の気付きや実感と離れたところでまとめられていきがちです。ああ,もったいない。

〜もう少し,そこが活動の打ち切り時

例えば,製作単元の第1時間目(導入)では私は4時間目に実施します。子供たちは,「やり始めたと思ったら,もう給食」という状態になります。不満がわき起こります。「もっとやりたい!」と。そこで「ごめんね。でも給食だもんなあ。」とかわして,打ち切ります。すると,子供たちは「次は,いつなのか」「今度,〜を持ってきていいか」「こんなことをしてはどうか」などと,次々に質問や提案をしてきます。

〜選択,判断を委ねよ

フレームワークがなされたら,そのフレーム内の選択や判断ならすべてを認めていきます。フレームに合った活動なのに,後から注文を付け足すのはルール違反です。認め,委ねるから子供は自由と責任の関係を具体的に学ぶのです。

〜すべての活動は自立と共生のために

以上をまとめると,「自立と共生」になるのでしょう。

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