子供に即した見取りと評価

生活科においては,「はじめに評価あり」である。子供を見取り,評価することは環境や活動の構成及び支援に直接つながるからである。しかし,子供に即した確かな見取りと評価の具体像は,まだ模索の途にある。
 本稿では,子供に即した見取りと評価について具体的に考察する。

1.見取りの事例から

(1) ウサギを抱く ウサギを抱く
 1年生の学校探検。何度目かの飼育舎訪問で,ウサギに慣れてきた子供たちが毎日一人,また一人とウサギを抱き上げる姿が見られるようになってきていた。右の写真は,その一こまである。この3人の姿からどのようなことを見取れるだろう。

 右側の,ウサギを抱いている子は,下唇をギュッと噛みながら,やや鼻の穴をふくらませている。この子は,今生まれて初めてウサギを抱き上げたのである。抱き方はぎこちなく,肩に力が入っている。ウサギにとっては,あまり楽な抱き方ではなさそうだが,抱いた指先にウサギをしっかり抱こうとする意志が感じられる。
 中央の子は,おだやかな表情で,口元がゆるんでいる。この子は,前の日に抱き上げることができた子で,この日も,まず「こうやって抱くんだよ。」とお手本を示した。全身がリラックスしている。
 左側の子は,固く握った手が,強い緊張を示している。この子は,これからウサギを抱くことに挑戦してみようとしているのである。
このように,3人のふるまい方の違いを見取ることができた。

(2) 段ボールのそり遊び
学校の裏山で,そり遊びが始まった。ある5人のグループの活動の様子は,次のようであった。

@活動開始後,さっそく勢いよく段ボールを斜面に運び,遊び始める。全員で滑ろうとするが,あまり滑らない。それでも繰り返す。(7分)    
A突然場所を変える。やはり滑らない。それでも繰り返す。(5分)   
B動きを止めて他のグループをぼんやり見たり,おしゃべりをしたりし始める。グループがばらばらになった感じになる。(2分〜「休憩」)   
C一人の男の子が押し役になり,活動を再開。少し滑るようになった。またグループに一体感が戻る。(5分)    
D押し役を交代しながら遊び始める。歓声があがる。(7分)  
E他のグループに,関わり始める。(5分)                     

 このように,活動の変化を追うと,ひとまとまりの活動は,いくつかの分節に分けてとらえられることが見取れる。そして,多くの場合,活動は5〜7分で変化することが多いことも見取れた。

(3) アサガオへの気づき
アサガオに本葉が出てきた。毎朝,アサガオに語りかけながら水をやる子供たちの中から「新しい葉っぱだ!」「僕のも!」「私のも!」と歓声があがる。 そこで,「新しい葉っぱが出てきたの。よかったねえ。じゃあ,前の葉っぱみたいに手を合わせて出てきたのかい?」と問い返す。
 すると,子供たちは「ううん。今度は一枚だけだよ。」「今度のは,初めのが立ち上がったときより,すごく小さいよ。」「色も薄いよ。」などと,真剣に本葉を見ては,気付いたことを言っていく。そのうちに「先生,新しい葉っぱね,毛が生えているよ。」と言い出す子が出てくる。それを聞いた他の子があわてて自分のを見て,「あっ,本当だ。」などと驚く。このように,喜びと驚きをもって,子供たちは本葉を見つめ,たくさんのことに気付いていく。
ところが,大人ならば真っ先に気付くことに,子供たちはなかなか気付かない。それは,双葉と本葉の形の違いである。子供にとっては,大きさや枚数,色,毛は気付きやすいものであるが,形の違いはなかなか気付きにくいものであるらしい。葉の形は,どれも同じという概念があるのだろうか。カードからも,形には気づきづらい様子が見取れるであろう。
こうしたことが見取れていないと,「葉っぱの形をもっとよく見てごらん。」などという,安易で無理な助言をしてしまいそうである。(なお,多くの子は花が咲く頃になると,葉の形をはっきりと把握できるようである。アサガオと共に,見る目も育つのである。)

(4) 雪遊び
右は雪山での遊びにおける子供たちの動きをマップに記録した例である。動きを矢印で表し,つぶやきを添えてある。子供同士のかかわりも「通せんぼ」「リーダー」「初めてかかわった」などとメモしてある。 この中の個の動きを追ってみよう。
 H・Tは,斜面を滑り下りてきて,下の方で勢いが弱くなると自分から転がって,動きが止まるとしばらく「死んだふり」をしている。これは,彼が他の子や教師の注目を集めたいとする動きであると読み取れる。
また,T・Sは,斜面で滑っているかと思えば,トンネルづくりのグループに近づいて様子を見たりしている。このT・Sの動きは,斜面にいるM・Tの動きと関連がある。
 M・Tは,斜面の上から滑ろうとする3人の女の子の邪魔をする動きをしている。T・Sは,M・Tと一緒に滑ろうとしているのだが,M・Tが女の子たちに通せんぼをして,「いやー,どいてって言ったしょ!」と女の子たちが抗議をすると,困ってその場を離れるという動きになっているようである。

(5) 折り句による自己評価
 2年生最後の生活科で,「せいかつか」を頭の文字とした折り句をつくらせたところ,次のような作品がたくさん表れた。(漢字混じりに直してある。)

私の生活科   Y子
せ〜先生やみんなと
い〜生き物の世話とかを一生懸命
か〜頑張るけどふしぎなことに
つ〜疲れない だって楽しいから
か〜感動いっぱい 生活科大好き

俺の生活科    M男
せ〜生活科って楽しいぜ
い〜いろいろできてうれしいぜ
か〜考えるのは少し疲れるぜ
つ〜疲れはすぐにふっとぶぜ
か〜母ちゃん,先生ありがとよ

 Y子は,いろいろな活動を一生懸命にする子である。彼女は体が小さく,彼女にとっては,毎朝ザリガニの世話をする際,水槽を持ち上げて洗ったり,水を替えたりすることは,かなりの重労働だっただろうと思われる。しかし彼女は「ふしぎなことに疲れない だって楽しいから」と自己評価している。倉橋惣蔵がいうように,子供は楽しい活動では疲れないものであるらしい。そして,彼女にとっては,他の単元の活動も含めて,生活科は「感動いっぱい」なものであったことが見取れる。
 M男は,ユーモアがある子である。彼の題名は「俺の」となっているが,彼にとっては「僕の」という言い方は,ちょっと照れくさいのである。「俺の」が俺らしいという,彼なりの主張が見取れる。活発な彼は,具体的な活動は大好きであるが,話し合い活動はあまり得意ではない。それが,「考えるのは少し疲れるぜ」という表現に込められている。最後に「母ちゃん」が登場するが,3学期に行った成長の振り返りの単元で,母親の思いやありがたさに気づいたことを,彼なりの照れくささをかくした表現の中に読み取ることができた。


2.見取りの着眼点
前項では,いくつかの見取りの事例を挙げた。どの見取りの例においても,教師が,はっきりとした着眼点をもって子供の活動を見ていたからこそ,見えてきた見取りである。そこで,上の事例の見取りの着眼点について整理しよう。

(1) ウサギの事例では,子供のウサギに対する 「ふるまい方」を見取りの着眼点にしている。 ふるまい方は,対象との距離や位置,表情や体の力の入り方に表れる。そもそも子供は「頼りない存在(helplessness)」であると言われる。小さな子供を,新しい環境に置くと,はじめのうちは不安げにキョロキョロとあたりを見回している。やがて,様子がわかると環境に働きかけるようになるのだが,そのようなふるまい方の変化は「緊張・萎縮」から「挑戦・克服」,そして「安心・自信」へという,内面の変化とともに起こると考えられる。であるから,緊張が生じる環境との出会いの活動においては,ふるまい方が3つの段階のどこにあるのかを着眼点にすることができる。

(2) 段ボールのそり遊びの事例では,ひとまとまりの活動を「分節」に着眼して見取っている。このときの活動は,30分程度継続したが,注意深く見ると,6つの分節で構成されたことが見取れる。活動に分節が生じるということは,子供たちの活動への思いや願いが,一定の時間で変化していることを物語る。活動が持続している時は,思いや願いもほぼ同じ質とレベルで持続していると考えてよい。活動が違う質やレベルのものになるということは,思いや願いも変化していると考えられる。だから,ひとまとまりの活動(遊びや製作活動など)では,分節に着眼することで,思いや願いの見取りが容易になるのである。

(3) アサガオの事例では,着眼点を「気づき」に求めた。気づきを見取るためには,気づくことが予想される要素を分析することが必要である。アサガオの礼で言えば,双葉と本葉の違いをいくつかの要素に分けるのである。「形」「枚数」「色」「大きさ」「毛のあるなし」などたくさんの要素がある。その中で,子供が気づきやすいのはどれで,気づきにくいのはどれか,という着眼点をもたないと,「子供は葉の形はなかなかとらえにくい」という見取りはもてない。

(4) 雪遊びの事例では,「位置や動線」に目を向けている。
 子供たちは,活動の中で自分の「居場所さがし」をしている。居場所には,空間的なものと心理的なものがある。先の事例で言えば,斜面のてっぺんに場所を決めるのは,空間的な居場所の確保であり,誰と一緒にいるかは,心理的な居場所の問題である。
 居場所と関連が密接なのは,動線である。活動前の話し合いが終わって,集合場所から思い思いの場所に向かって子供たちが動き始める。その動きとスピードには,その子の「思いや願い」の程度が表われる。はっきりとした目的をもっている子供の動きは直線的である。また,その動きには勢いがある。目的意識が希薄な子供の動線は,断続的であり曲線的である。スピードもあまりなく,緩慢である。
 このように位置や動線・スピードに目を向けてマップなどで見取ることは有効である。

(5) 折り句の事例では,「言葉の選択」を見取りの着眼点にしている。
 言語活動とは,言葉と論理構造の選択と配列である。先の例で見たとおり,子供は自分の心に強く感じたことを言葉にしようとする。また,言葉に表すことで,自分の内面を意識・整理する。
 ヴィゴツキーは,子供の言葉の発達について,「子供はもともと社会的存在として生まれてきた。子供の自己中心性を示すと思われる言葉は,じつは不特定の大人に向けられている。そして,その大人に代わって,自分が答えているのである。これが,他とのコミュニケーションの手段としての外言から,自己とのコミュニケーションの手段としての内言への移行の,過渡的段階である。」と述べている。
 低学年は,まさにこの過渡的段階にある。どんな言葉を選んで,他者と,また自己とコミュニケーションしようとしているのかを見取ることで,その子の興味や関心,気づきや自分に対するイメージを見取ることができる。
以上5点にわたって,見取りの着眼点を整理した。子供を見るには,「広い目」や「長い目」が必要であると言われるが,見取るには「鋭い目」が必要である。子供の活動を漫然と見ていてはいけない。活動に合った着眼点をもち,教師の目に新鮮に子供たちの一人一人が映るような見方をしたい。
 また,蛇足であるが2つのことをつけ加えておきたい。まず,子供が活動しているときには,座席表やマップなどへの記録は,できるだけしない方がよい。記録をすることは,活動から目が離れることになり,また,子供たちにとっても,教師が「離れた存在」として映るからである。
 また,着眼点をもつことは重要であるが,同時に虚心に見るということも大切である。生活科の活動においては,思いがけないことがよく起こるが,子供のつぶやきや行動にも,思いがけないものが見えることがある。そして,そうした思いがけないところから,活動が大きく発展していくことも多い。自分の設定した着眼点にしばられて,柔軟な動きを損なってはいけない。


3.見取りを生かす
 見取りは,生かすためにある。そこで,ここでは,見取りを深め,解釈し,子供に返していくところについて考えたい。

(1) 見取りを深め,解釈する 
 見取りを生かすには,まず見取りを深め,解釈することである。例えば,ある子が別の子と一緒に活動していた,と見取る。これを,この子はいつも決まってあの子と一緒に活動しているな。前の活動でもそうだった。でもよく見るといつもあの子の後をついて歩いているぞ。そういえば幼稚園も一緒だった,というように深めていく。そしてさらに,この子はあの子と一緒に活動すると安心なんだろうな,とその子の気持ちを考えていく。
 このような解釈のよりどころとして,論語に学ぶのはどうだろうか。

其の以す所を視,其の由る所を観,其の安んずる所を察すれば,人焉 んぞ痩さんや。
(その人がすることをよく視て,その行動の理由を推測し,その人の心が落ち着くところを想像するなら,その人のことがあらわにわかる)

 この3段階の人間観察の方法論を,見取りの解釈に当てはめると,分かりよいように思われる。
 @ 「視」の方法
  これは,1で述べた見取りそのものである。着眼点をもち,しかもそれにとらわれず,子供の活動を,まずしっかりと「視」る。

 A 「観→察」の方法
 次に,その動きの根拠や背景を,これまでの見取りと引き比べながら「観」,さらに「察」しようとする。
子供は,自分の活動をどのような基準で判断したり選択したりしているのであろうか。それは,おおまかに言えば,これまでの経験,心の動きをもとに,自我の安全を守りつつ新たな刺激を求めて判断し,選択しているのである。つまり,日常の活動傾向や前時までの活動内容,学級での位置の見取りを大きくベースに置いて,その上に対 象とのかかわりの経験とその時の心の動きを加味するのである。 子供の選択・判断の基準の構造を先の事例で,考えてみよう。
ウサギを初めて抱こうとする子がいる。友達の抱き上げている様子を,強い緊張の表情で見守っていることが見取れる(視)。ここから,彼女の内面に迫っていく。
 緊張の表情は,彼女がこれまでの生活科の活動や他の教科の学習においても,新たなことに挑戦しようとする際に見せる表情である。この子は,これまで学校生活のさまざまな場面で,新たなことに挑戦してきた。そして,今日はその一貫として,彼女はウサギを抱くことに挑戦しようとしているである。しかし,ウサギを抱くのはまったく初めてのことである。自然に体に力が入る。でも,抱いてみたいという強い衝動が心にみなぎっているのである。
彼女にとって,ウサギを抱くことは新しい自分と出会うことなのである。
 段ボールのそり遊びの事例では,活動がいくつかの分節に分かれることを見取った(視)。これを,以下のように深めていく。
 このグループの子供たちは,普段から仲良くいろいろな遊びをしている。このそり遊びの活動にも,とても意欲的で,朝から楽しみにしていた。雪の上でのそり遊びは,全員が経験しているので,滑ることに対するイメージも,ほぼそれに近いものを描いていることが予想される。だから,始めのうち,思ったように滑らなくても,そのイメージに向かって,何度も同じ場所で繰り返したのであろう。しかし,やはり滑らない。そこで,「これは,場所が悪いのだ。」という仮説をもったのであろう。場所を移して,また滑り始めた。しかし,またも滑らない。今度は,1度目よりも短い時間で滑らないという事実を認めたようだ。
 ここで,休憩状態に入った。ここは,「ああ疲れた。」とか「僕たちのそりが悪いのかなあ。」とか「もうやめたくなってきた。」などといった,葛藤の時間だと観ることができる。活動は停止しているが,心は動いているのである。
 やがて,「押せば動くのでは」という仮説を見つけ,新たな活動に入った。これで,当初思い描いていたイメージに近づき,子供たちの気持ちがまとまり,高まっていった。
この子たちにとって,この活動は自分たちのイメージとのギャップを埋め,あきらめずに工夫することの大切さと喜びに気づくものであったに違いない。

おおむね,このように見取りを深め,解釈しようとするならば,アサガオの葉の形に気づかせようとあせったり,遊びの途中で休憩状態が生じたときに「がんばれ!」と叱咤激励したり,困っている様子にすぐに手を差し伸べたりするような,安易な支援はなくなるだろう。

(3) 子供に返す
 見取りを深め,解釈したなら,それを子供に返していきたい。支援として返すこともあるし,評価の言葉として返すこともある。支援については先にふれたので,ここでは,評価の言葉について考えてみたい。

@「いいね。」を越えて
 子供の活動や作品に評価の言葉を返す。その際,見取りの浅いときほど,評価の言葉は一般的なものになる。「いいね。」がその代表である。その子が,どんな思いや願いをもって,どんな苦労を乗り越えてきたか,その内面のドラマが見取れ,解釈できているなら,評価の言葉も,もっともっと生き生きした,子供に即したものになるはずである。
この点で,参考になるのが,心理学が教える「勇気づけ」の評価方法である。(生活科の心理学のページをご参照ください)

A通知表
 生活科の通知表は,記述式が望ましい。筆者の前任校においては,記述式の通知表を実施して,1年後に保護者対象のアンケートを実施したところ,記述式への支持が実に9割を越えた。(ちなみに,3段階の方がよいと答えた保護者は,回収229で,皆無であった。)
 しかし,記述で評価するには,見取りが深くなくてはならない。例えば,
『学校探検では,友達と一緒に活動していました。他の活動にも意欲的に取り組んでいました。』
などといった記述からは,子供の何を見取っているのかと言われてても仕方がないだろう。

 見取りが子供に即した深いものになれば,記述も生き生きしたものになる。
『アサガオのつるが折れてしまったとき,セロテープを巻いて,一生懸命に神様に祈っていました。そのつるは枯れましたが,枝分かれしたつるが伸びたのを見て,「神様が私に新しいつるをくれた!」と感激していました。アサガオと一緒に,心も明るく強く育っています。』
などと,見取りを生かし,具体的に保護者に伝えたい。

人が人を評価する。それは難しいことである。子供と共に活動し,呼吸し,子供の内面を尊敬のまなざしで見つめようとするところから始めたい。

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