研究会の助言をどうするか

 ある県のO先生から,研究会の助言のご相談を受けました。研究会の助言は,難しいものです。私も何度か助言をする立場に立たされましたが,その場の話し合いで話題になったこと,それも未解決と思われることを整理して短い時間で話さなければなりません。O先生からのご相談で,私も改めて助言について考えてみました。

O先生からの第1信

はじめまして、
○○県のOといいます。ホームページを拝見させていただきました。
大変参考になり、多くの先生方に紹介していきたいと考えています。ところで、私が先生のホームページを見るきっかけになったのは、来週、小学校教職経験6年目の先生の研修会があり、各教科に分かれるのですが、生活科を選択した20名ほどを対象に協議会で、助言をといわれたからです。

私は現在学校を離れて勤務していますが、以前は小学校に8年、中学校9年に勤務しました。その時に1度1年生を担任したことはありましたが、そのときはまだ生活科もなく、つまり、全く生活科の授業をしたことも、それについて研究したこともない
ものです。
それが、協議会で指導助言ということで、いろいろと調べているところです。
私は、なんといっても、子供たちがいて、そこで授業をやってきた先生方がいわれることが一番だと思っています。
先生のホームページ上にいろいろな実践があり、具体的な例を挙げて示されているところがすばらしいところだと思います。
今度の研修会では、その中からいくつか紹介させていただきたいと思います。
こんな私ですが、特に6年目の先生方にポイントとして、あるいは大切なこととしてお話ししておいた方がいいなあと先生がお考えのことがありましたら、教えて下さい。
お忙しい中申し訳ありませんがよろしくお願いします。


横藤からの返信

O様,
はじめまして。メールをありがとうございました。

> ホームページを拝見させていただきました。
> 大変参考になり、多くの先生方に紹介していきたいと考えていま
す。

ありがとうございます。昨年の夏に公開して以来,本当にたくさんの方に見ていただき,また感想をいただき,うれしく思っているところです。

> 先生のホームページ上にいろいろな実践があり、具体的な例を挙げて示されていると
> ころがすばらしいところだと思います。
> 今度の研修会では、その中からいくつか紹介させていただきたいと思います。
> こんな私ですが、特に6年目の先生方にポイントとして、あるいは大切なこととして
> お話ししておいた方がいいなあと
> 先生がお考えのことがありましたら、教えて下さい。

アドバイスになるかどうか分かりませんが,私も何度か若手の先生達を相手にお話しする機会がありました。その経験から思うことは,おおよそ次のようなことです。(おそらく授業参観後の協議,その中でのご助言だと思われましたので,それを前提にお話しします。)

(1)生活科の趣旨から
生活科の誕生から10年。しかし,未だに「生活科って,どんなもの?」という先生もいます。社会構造の変化,最新の心理学研究,環境問題をはじめとする今日的な課題から導き出される誕生の必然性が理解できないと,「何をやっているのか分からないで,ただいたずらに時間を使う活動」「教師がホイホイと子供にサービスする活動」「教師の趣味で引っぱる活動」に対して,きちんとした助言は難しいかなと思います。これは,特に6年目ということではなく,生活科や総合への助言を求められたときには,いつも欠かせない視点だと思います。

(2)理論を鍛える
6年目と言えば,30前後の先生でしょう。理論的に鍛えることが大切な年代です。(蛇足ですが,理論のよりどころは「指導要領」です。「指導要領解説」を手元に置いてご助言されることをお勧めします。)先に挙げた「いたずらに時間を使う活動」等でも,中には少しは子供の学びがあるわけですが,それをことさらに取り上げて「すばらしい」などと必要以上にやさしく講評する参観者・助言者がいて困ります。(そんなもの,どんな活動をやっても見つかるのです。休み時間なら何倍も見つかります。)子供のペースで活動が展開していながら,子供が自分の殻を破っていくような活動をこそ,ねらうべきなのです。授業は楽しく,温かな雰囲気で。参観も笑顔で温かく。しかし,授業を分析する目はどこまでも論理的に。その相矛盾するような2つの態度(?)を使い分ける助言が,今の日本の教育のために必要だと感じています。

(3)問い返しを
大体助言は,後半もしくは最後に求められることが多いと思います。しかし,最後の助言で締めくくるより,もっと早い段階で発言した参観者に問い返すことが,特に若い先生が多い場合は有効だと考えます。
「先ほど,○○先生は〜とおっしゃいましたね。では,他の単元ではどうですか?」などと,その先生に再度の発言を求めるのです。こうした問い返しから,話がより具体的になり,焦点化し,参加者の意識が明確になっていきます。最後の助言は,それに合わせることを言えばよいのです。

(4)最後の助言は短く
最後の助言(講評)は短くまとめるようにしています。実は私は6月22日にある学校で講評させていただきましたが,その際は5分程度にまとめました。明日1日も,別の学校で助言することになっていますが,やはり5分でまとめようと考えています。(あらかじめ司会者にも,まとめの講評は5分でよいと言っておきます。)そして,その際はその授業の「鼻のてっぺん」(つまり,その授業を象徴するようなもっとも際だったエピソード)と,「指導要領」を結びつけるような話をします。

最後に下手な例で恐縮ですが,22日の私の話を添えます。
「今日,製作の途中でA君が『もう嫌だ!』と叫んではさみを投げ出したとき,授業者の先生は『そうか。嫌か。』と言って,A君のそばに座り込みました。その様子を皆さんはどうご覧になりましたか?また,自分ならどう対処すると思いますか?私は,あの様子を見て,とても感動しました。A君にとってみれば,一生懸命に取り組んできたのがうまく行かないことにイライラしたのでしょう。あれは,授業開始から25分たった時でしたから,見ようによってはよくそこまでがんばったとも思いました。しかし,限界に来たのでしょう。先生は,それが瞬時に分かった。A君の気持ちと一緒になって,『そうか』と受け入れ,そばに座り込んで一緒の気持ちになって困っていたのです。指導要領の解説に次のような下りがあります。『一部に画一的な教育活動が見られたり,単に活動するだけにとどまっていて,〜知的な気付きを深めることが十分でない状況も見られる』。こうした指摘を考えるとき,A君の投げ出しは,重要な学習の契機を孕んでいると見えます。先生の態度は『共感的な支援』です。授業者がそばに行って座り込んだことで,A君の表情がすっと和らいだ。感動しました。先生のおかげです。しかし,その先,一体私たちはどうすればいいのでしょう。子供の気持ちを受け止める,それだけではまだ弱い。そこから,『知的な気付き』を引き出し,次の活動に結びつける支援が欲しかったと思います。投げ出したおもちゃで,うまくいっていないところはどこなのかに目を向けさせ,うまくいっている友達を教えてやるなどするという方法もあるでしょう。道具がはさみだからできないということに気付かせてやることも考えられます。そうした意味で,今日の授業は今指導要領が改善されなければならない今日的な課題を具体的な形で提供してくれた実に貴重なものだったと言えると思います。でも,それもベースに『共感的な理解』があればこそ。今後も,このベースの上にどうやったら『知的な気付き』に導いていけるのかを皆さん一緒に考えていきましょう。」
おそまつでした。

思いつくままにだらだらと長文になってしまいました。
では,また。


O先生からの第2信

ていねいなメールをありがとうございました。
自分は生活科が始まる前に一度だけ1年生を担任したことがあります。そのときも、生活科と同じようなことはいろいろと取り組んでいました。そのときの経験と、横藤先生の実践とそしてなによりどうして生活科が誕生し、そのねらいがなんなのか、それを学習指導要領や解説(指導書)をもとに話していきたいと思います。
出席する先生方のレポートが少しずつ集まってきます。それをじっくり読み、また先生方の話をじっくり聞き、すこしでも援助できればと考えています。
これからもよろしくお願いします。
お忙しい中、ありがとうございました。

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