教科・総合における教師の出番

これは,本校の平成13年度研究紀要に載せた文章の一部です。
「総合は,活動が大切だ,支援が大切だ」などと言いながら,単に子供の活動から手を引いて子供任せにしている授業をあちこちで見かけます。反対に「これは,かつてのよくない社会科だろう」と思われるような教師の誘導があからさまな授業もまだ多いのです。教科の学習においても,なかなか生き生きとした子供の活動を見ることができません。
今,授業を変えなくては。そのために,本校で考えてきたことの一部をまとめました。


 教師が動けば動くほど子供は受け身になり,表情も沈んでいきます。子供側に問いも願いも生まれず,活動も主体的なものにはなりません。こういう授業を私たちは「教師の問題解決」と呼び,訣別を目指しました。
 しかし,活動をさせる前に,また活動中にきちんと手を入れておかないと,活動がいきあたりばったりなものになり,また収拾がつかなくなることも事実です。これでは,必要な学力を獲得させることができません。「子供の問題解決」を実現するためには,教師はただ手を引けばよいのではなく,別の何かをすべきなのです。全員が授業公開を行い,厳しくそれを検討する中から,見えてきたことです。粗く整理してみます。

子供の問題解決 教師の問題解決
発言量 子供>教師 教師>子供
問い 子供が見つけ,発する 教師が子供に発する
活動の開始 子供の求めによる 教師の指示による
活動の見通し 子供が自分で立てる 子供はほとんど意識しない
活動の姿 個別・その子のペース・自主的 一斉・座学中心・追従的
交流 気づきから自然に発生 教師の指示による
発展 授業や教科を越えて生活へ まず期待できない
教師の役割 支援者・演出者・間接的関わり 指示者・直接的関わり中心

 子供が自ら生き生きと活動を連続・発展させているとき,一見教師は何もしていないように見えます。しかし,

・子供の心を引きつけるような出合いを演出し
・活動の枠組み(フレームワーク)を作り
・課題を発見できるような活動を仕組み
・個々の活動を見守り励まし(3つのHへの着目)
・その活動を次へ,また他の子へとつなげていく

といった見えない部分の働きが,我々教師の真の出番なのです。
 直接的な関わりが中心の「教師の問題解決」を脱却し,「子供の問題解決」を実現する具体的な支援のあり方が,少しずつ見えてきています。特に,総合的な学習のねらいや授業像,学校の体制づくりを研究する過程で,見えてきたものが大きいと思います。(以下,実践例が続く)
 
  しかし,まだまだ未解明な部分も多いのです。これからも,子供たち一人一人のよさが前面に表出してくるような授業を創っていきたいと思います。同時に,基礎・基本の保障も実践的に進めていかなくてはなりません。
  一応努力目標の「20の方法」が文章としてできあがることが目標なのでなく,子供の姿に実現されることこそが我々の研究の目標です。学習を終えた後,「先生が教えてくれたから分かった」と子供たちに感謝されるのでなく,「自分の力,友達のおかげで知りたかったことが分かった」と喜びに顔を輝かす子供に出会いたいと心から願っているのです。
  そして,それは授業という場を離れ,日常生活や児童活動,地域とのつながりなどにも生きて働いていくに違いないと考えます。

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