子どもの本音,子どもの本性
 横藤先生のホームページに「伝え合う力」についての雑感を書かせて戴き,引き続いて別のことを書きますと言いながら,とうとう一年が経とうとしている。全く以て申し訳ない次第だが,ようやく書き始めることになった。月に一本という予定で「心・道徳想片」を綴らせて貰うことにする。
 心の教育は,これからの恐らく最も重要な教育課題になってくることと思う。教育基本法の第一条には「教育の目的」が書かれているが,その書き出しは「教育は人格の完成を目指して…」となっている。残念ながら,教育界の現状は「人格の完成」に最も遠い。教育の本来の目的を具現し,成就させるために,私達教師は心を入れかえた取り組みを始めなければならないと思う。
 このような思いからこの一年,表題についての想片を綴っていきたい。私は評論家ではない。実践家である。実践者である。だから,つとめて具体的な視点で私の思いを書いていくつもりである。大いなる批判と検討をお願いしたい。そして共に学び合う喜びを分かちあいたい。

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 文部科学省(文科省)が'02年一月末に発表した「地域の教育力の充実に向けた実態・意識調査」によると,完全学校週5日制の実施によって休みになる土曜日の過ごし方に一つの傾向を読み取ることができる。
 小学生は3,5年生,中高校生は各2年生の計一万八千人にアンケートをした。小学生では,TVゲームやパソコンが3割,近くで遊ぶがやはりおよそ3割である。中学生では「ゆっくり休み,寝る」「映画や買物に町へ出る」が約4割というところ。高校生も中学生と同じ項目に4割6分という高率の反応だったという。「まあ,こんなところだろうなあ」というのが感想だが,さてこの反応をどう読み,どう導いていったらよいものだろうか。
(1)本音が出ているデータ
 この結果はかなり本音を反映しているものと私は受け止めている。「そんなところだろう」というのが正直な印象だ。それはつまり,「自ら学び,自ら考える」という子ども像とはかなり遠いところにいるということでもある。学校週5日制は「ゆとりの中で特色ある教育を展開し,幼児児童生徒に生きる力を育成することを基本的な狙いとしている」のだが,子どもらの「本音」とこの理想とには,かなりのずれがある。私たち教師は,まずこの事実をきちんと認識すべきである。綺麗ごとでとらえてはだめだ。
(2)子どもの主体性讃美の危うさ
 歌い文句の「自ら学び,自ら考える」という子どもの理想像は,つまりそういう主体性を本来子どもが備えているという前提から生まれている。ここから様々な歪みが生じてくるのである。
 子どもはもっといいかげんであり,怠惰である。中にはそうでない子もいるが一般的には凡人が多い。そういう子ども観に立っての教育が大切であるのに,依然子ども讃美論が幅をきかせている。すべての子どもが讃美できるのなら,日本に子どもの問題など発生しはしない。冷厳な子ども観で子どもの本性を見ぬきたい。

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