野口論文「伝え合う力」を語るvol.2ー2000年4月
伝わる体験の厚みを |
北海道教育大学函館校教授 野口 芳宏 |
1 教師の「伝える力」が弱い 教師の仕事は子どもをよりよく導くことである。指導,教育をすることが本務だ。だから「教え方」を身につけようと学ぶ教師が多い。教え方が上手になれば,それだけよく伝わると考えられている。 しかし,教師が伝えようとしていることは意外に子どもに望ましくは伝わっていないようだ。そもそも,教師の話に熱心に耳を傾けようとする子が少なくなっているらしい。学級崩壊などという言葉はそれを端的に物語っている。どうしてそうなるのだろうか。 子どもの「伝え合う力」を高めようとする前に,教師自身の「伝える力」の不足について考えてみる必要がありそうだ。教師の伝える力が十分に備わって初めて子どもにその力を育てることができると考えるべきだろう。 2 実感がなければ伝わらない 諺に「猫に小判」「馬耳東風」というものがある。本来どんなに価値のあるものであっても,その値打ちのわからない者にとっては何の意味も持たないということである。 教師が子どもに向けて言う言葉は,みんないいことで,立派で,大切なことばかりだ。子どもたちがそれらをみんな聞いて身につけたなら忽ち日本の国はよくなってしまうだろう。しかし事実は反対で,教師の言葉は多くの場合軽んじられている。かなり「伝わっていない」と考えてよい。 それは,子どもに聞く気が乏しいからである。小判や東風の価値が分からない子は,それらに注目はしない。ではなぜ彼らは「聞く気」にならないのだろうか。私の考えでは,それは教師の言葉に「実感」が乏しいからではないかということになる。立場上言っている空疎な言葉が多いからではないかと考えている。私は自分が語るとき努めて「本音・実感・わがハート」に忠実に話すことにしている。幸いにして大方の人が私の話を聞いてくれる。 本音で語り,実感を確かめて話し,自分のハートを直接ぶつけるような教師は必ずしも多くないようだ。当たり障りのない,無難で,優等生的な言葉や内容が多いように思う。それでは子どもの心に教師の思いは「伝わって」いかない。 3 伝わる体験の厚みを持とう 教師は,あまり「教えよう」「伝えよう」と力まない方がいい。「猫に鰹」の譬えが示すように,好きな物には自分から手を出すものだ。聞きたくなるような話,聞きたくてうずうずするような話をすれば子どもはみんな耳を傾けてくる。 そういう話ならば「伝わる」ことになるのである。そういう話とは何か。それは教師の体験から出た本物の話,本物の言葉である。それらは「教えよう」「伝えよう」という意識よりも,「語りたい」「呟きたい」「聞いて欲しい」という意識が強い。自分自身の生活体験の厚みが「伝える力」を強くするのだということを改めて確認したい。 |
感想・ご意見のコーナー
■ 横藤 雅人 (札幌市立北野平小学校)
生活科や総合的な学習では,体験(正確に言うと体験的な活動ですね)を重視しますが,他の教科に比べて子どもたちのつぶやきが実に豊かな内容であることにいつも驚かされます。私が,生活科や総合に惹かれ,研究を始めたのも,実にこの一点にあります。子どもたちと,楽しい体験を共有することで,子ども一人一人の持つ内面の世界がどんどん見えてきて,感動させられます。保護者も「生活科の授業は,いつ見ても楽しいですね。」と手紙を寄せてくれます。周りの大人にまで,こんな感動を与えてくれるのは,やはり子どもたちの「体験の厚み」に支えられた言葉によるところが多いと思います。
さて,今回の論文では,教師側の体験の厚みについてですね。読ませていただいて,耳(目?)が痛かったです。昔の教え子と会う機会がたびたびありますが,その時の話題はほとんどが「横道にそれた話」です。私は,小さい頃に母親を亡くしたり,いじめられたり,不登校(野原で1日過ごす)になったりしました。高校,大学は新聞店に住み込んで,働きながら学校に通いました。高校から始めた空手での武勇伝(?)も山ほどあります。そういう「体験の厚み」は,ほどほどにあると思うのです。今も昔も,子どもたちにそういう話をすると,とても集中して聴き,いつまでも記憶に留めてくれます。
しかし,授業内容にかかわって「体験の厚み」に支えられた話がどれだけできるか。どうも,本を数冊読んだくらいの底の浅い知識のひけらかしのレベルのものがほとんどだと反省させられました。
教育出版5年生国語に矢崎節夫さんの「みすゞ探しの旅」があります。昨年度,ちょうどその教材研究をする時期に矢崎さんの講演会が札幌で開催されました。そこに参加した私は,矢崎さんが金子みすゞのどこに惹かれ,何を学んだのかにふれ,とても心が洗われるような気持ちで帰宅しました。その後の授業では,折に触れてその講演会の様子を織り交ぜながら進めていったのですが,子どもたちはとても集中してくれました。教師自身が,感動を伴った体験の厚みを持つことの大切さを改めて感じさせられたことでした。