野口論文「伝え合う力」を語るvol.3ー2000年5月
「伝え合う力」を支えるもの |
北海道教育大学函館校教授 野口 芳宏 |
1.中学生の汲み取り当番 私は新制中学校の6期生である。田舎の中学校の便所は当然のこと汲み取り式で,当時清掃業者などはなかったから,その汲み取りの仕事は中学三年生男子の当番が充てられていた。誰も好まない嫌な仕事ではあったが,そのことにさほどの違和感もなく,我々は従っていた。そういう日常だった。 日本中の大方の田舎の中学校はそうであったらしい。ある中学校でのことだ。生徒達が,「嫌だよなあ」「やりたくねえよなあ」とぼやきながら汲み取り仕事をのろのろとやっていた。その働きぶりには誠意がなかった。無理もないと言えば無理もない話である。 2.ある先生の教訓 そこへ担任の教師がやってきた。この中学生の仕事ぶりを見るや,件の担任はさっと右腕を捲り上げ,いきなり肥桶の中にずぶりと二の腕までつっこんだ。中学生は肝を潰して仰天した。 先生は,腕からだらだらと肥を垂らしながら中学生の一人一人の顔を見ながら静かに言った。 「お前たちが出したものだろう。何が汚いのか……。自分で出したものは自分で始末をするのだ。お前達の家では,お父さんやお爺さんがこういう仕事をしてくれているが,ここは学校だ。先生と生徒とで始末をしなくてはいけない。それは当たり前のことだ。誰かがこういうことをやってくれているから,他の人がみんな気持ちよく暮らせるのだ。さあ,わかったら文句を言わずにやれ。」 先生はそう言って去った。もう,誰も文句を言う者はなく,汲み取りの仕事は捗った。 3.人と心と言葉の隙間 我々は,教育を今ほとんど言葉と道具でやっている。口先で教育をしようとしている。「体で教える」「体を張って教える」「身を以て教える」事を忘れている。 言葉で汲み取りの尊さを説いても,どんなに巧みにそれを説明したとしても,この担任の一つの行動の説得力には到底及びもつかないだろう。 「伝え合う力」を持つということは,「言葉と心」「言葉と行動」の間に隙間を作らないということである。やりもしないことを臆面もなく言葉に乗せる時,その言葉は力を持たない。「伝え合う力」は生まれない。生徒は教師に耳を傾けない。それは当然のことだ。 4.「伝え合う力」を支えるもの 国語科で「伝え合う力」が新しい目標として位置づけられた。「伝え合う力」は大きく言葉に依存する。伝え方という言語技術に大きく依存する。しかし,もっと大切なことは,その言葉をどういう人がどういう思いで発するかという言語主体のあり様である。先の中学校の先生は,言語行動主体の範であり,すばらしい言語人格の持ち主である。 因みにこの時,肝を潰して絶句した中学生の一人は森喜朗総理である。2000年5月13日「総理に聞く」中のエピソードだった。 |
感想・ご意見のコーナー
■ 横藤 雅人 (札幌市立北野平小学校)
今回の論文を読んで,亡き父のことを思い出しました。私が小さい頃,家の汲み取り業者の方が来てくださり,バキュームカーで吸い出す仕事をしていました。バキュームカーで吸い出したあとの便所は,匂いが一層強くなって,下をのぞくと便槽の床が深くに見えたりして,私と近所の子どもたちは外と家の中を行ったり来たりして,鼻をつまんで大騒ぎしていたものです。そのうち,子どもたちで声をそろえて「くっせえー!」「くっせえー!」と,はやしたて始めてしまったのです。それは,外で作業している人に聞こえよがしの声でした。
その時,珍しく家にいた父が突然怒鳴りました。「ばか者!誰のためにしてくださっていると思っているんだ!」子どもたちは,クモの子を散らすように逃げましたが,私ともう一人の子だけが残りました。父は,私たち2人の首根っこをつかむと,外まで連れていき,作業している人のところまで連れて行き,「あやまりなさい!」。私たちは,泣きながら謝りました。
このときの「誰のためにしてくださっていると思っているんだ!」という言葉は,今も耳朶に残っています。なつかしい思い出です。思えば,父の生き方・価値観が激しく「伝わった」瞬間だったと思うのです。
ところで,現代はこうした体験自体が少なくなっていますね。体験が少なくなれば,伝える力も弱くなり,伝わる感受性も弱くなっていくのは,自明でしょう。真剣な体験の中から生きた言葉が生まれる瞬間の美しさを,国語だけでなくいろいろな場面で,また体験重視の生活科や総合でも目指していかなくてはならないと思いを新たにしました。