野口論文「伝え合う力」を語るvol.4ー2000年6月  

短い文をつなぐ
北海道教育大学函館校教授    
         野口 芳宏

    

1.伝え合いの前提ルール

 北教大函館校で私の授業を受ける学生は一応「教員志望者」である。将来できうれば教職に就きたいと考えている。だから,私は彼らが少しでも「良い教師」になってくれるようにと考えて授業を工夫している。
 一方的な講義に終始しないようにと努めて問答や話し合いをとり入れ,立体的,主体的,双方向的な授業形態にしている。私が指名をして学生に答えを求めることが頻繁にある。指名されたら次のようにしなさいと求めている。

 はいっ,と返事をして挙手をする。
 速やかに起立する。

 名を呼んでも返事をしないのでは存否がわからない。返事をしても挙手しなければ所在がわからない。返事をして挙手するのは,私の呼名を了解したということと本人の所在を教室の一同に「伝える」ためである。起立をするのはこれからの発言を全体に向けて「伝え易く」するためである。
「伝え合う」ためにはこのような前提ルールづくりが大切になってくる。

2.学生の話し方の悪い傾向

 「生活話法」と「教室話法」とは別物だ。教室話法というのは,
・常よりははっきり,ゆっくり
・常よりは胸を張り,大きな声で
という条件を持っている。
 しかし,この簡単なことが中々できない。140人もの教室である。常の声量,速さでは全体に聞きとりにくい。生活話法では駄目なのだが,そこから中々脱皮できない。教師の卵でさえ,である。だから私はしつこくやり直しをさせている。教師は常に垂範者であるべきだからだ。
 もう一つの悪い傾向は話を「文」としてまとめないで続けることだ。だらだらと続けて「文」でまとめない。聞き手は頷くチャンスがない。うん,うん,と頷かせるためには「――です」「――ます」というように一文を句点で完結し,「しかし」とか「だから」というように適切な接続語を用いて前の文とのつながり具合を明示していくのが効果的だ。「短い文をつないで話す」という話し方は「伝え合う」上でとても大切な技術である。

3.わかりません,と言わせない

 知っていることを思い出して発言するのが「再生的発言」である。知らないこと,わからないことを自分の頭で考えて新しい解を生み出すのが「生産的発言」である。受験学力に長けた彼らは再生的発言は得意だが,合格してしまえばそれらは余り役には立たない。
 私が問いかけることは彼らにとってほとんど未知未解のことである。それ故にこそ既知の情報を駆使し,複合させて自分なりの解を生産しなければならない。そこで「わかりませんと言うな」という禁止が有効だ。彼らは「伝え合う」ために何とか自分の解を生み出そうと努める。ようやく少しずつ実りが見えてきた。

感想・ご意見のコーナー

■ 横藤 雅人 (札幌市立北野平小学校) 
 

 今回は,先生が今実践なさっている大学の授業を題材に,ご提案いただきました。以前から雑誌等で先生の大学での授業につきましては,読ませていただいておりましたが,今回のご論文ではいっそう生き生きと「伝える」部分に焦点を絞り,先生が具体的にどう取り組んでおられるかが伝わってきて,何か清々しい感動を覚えました。
 挙手,起立を求めることを「前提ルール」ととらえる,野口教育学の構造が鮮やかに浮かび上がります。相手が大学生であろうとも(大学生だからこそ?),おもねること,あきらめることなく凛として教壇に立たれる先生の姿が目に浮かびます。
 生活話法,教室話法というすっきりとした分類,しかしそれを実現するとなると,野口先生をもってしても「ようやく少しずつ」という実践の難しさ。しかし,大学生が確実に変化していくという事実の重み。読む毎にはっとさせられ,なるほどと思わされ,自分の取り組み,構えの甘さを思い知らされます。縁あって,野口先生の直筆原稿をテキスト化させていただいておりますが,本当に幸せを感じながら進めております。ありがとうございます。


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