野口論文「伝え合う力」を語るvol.9ー2000年12月  

保護者との「伝え合い」
北海道教育大学函館校教授    
         野口 芳宏

1 一般社会への教師の非協力


 学校の先生は,どうも学校の先生仲間でだけ「伝え合う」傾向がある。本紙を読んでくれるような方には誤解なくわかって貰えると思うのでそのことを書いておきたい。教師の「伝え合い」の閉鎖性についてである。
 木更津の校長時代「子どもによい演劇を見せる会」という市民団体を立ち上げたのでその公演案内のちらしを希望する子どもに配って欲しいという依頼を受けた。3人のお母さんがちらしを持って来校されたので,校長室に招じて私も大賛成だから応援をしますと伝えた。私はちらしを読んで趣旨に賛同したので,私の推薦文を添えたちらしを増刷し,全家庭に配布した。
 その結果,木更津市内で私の学校の子供が最多数の参加になったということだった。後でわざわざ3人のお母さんがお礼に来られ,私は大変恐縮した。その折,大方の校長はこのちらしを紹介してくれなかったと残念そうに話された。そして,推薦文までつけて開催に協力してくれたのは,野口先生だけです,ともつけ加えた。わかるような気がする。

2 「伝えられること」には不慣れ

 教師は多く父母に対して「伝える」側に立ち,父母は「伝えられる」側に立つ。そして,大方の父母はこれに好意的に応えてくれる。教師はそれを当然のことと考えがちだ。
 時に,父母が「伝える」側になり,教師の方が「伝えられる」側になることがある。先の私の例がその一つだ。この場合,教師のとる態度は大方は好意的ではない。言葉と表情では好意的に振舞うが,心の中は別である。つまり「伝え合う」ことが対等に成立しているとは言い難い。
 教師はその言動において,あるいは心の持ち方において,ともすると父母よりも優位に立ちがちであり,そのことに慣れっこになってしまう。そういう傾向がありそうだ。これが恐い。
 担任の呼びかけにPTAは応えて参加してくれるが,PTAの呼びかけに応えて参加する教師はごく少数である。これでは「学社連携」も「学社融合」も覚束ない。この傾向は反省されなければならない。

3 「伝え合う」ことの具現

 これからは,教師も保護者も,そして一般人も本当に一体となって教育問題に取り組まなければいけない。私は全国の先生方の同志との勉強会によく出かける。招いてくださる先生方との出合いは,私にとって大きな楽しみだ。そこには,教師しか集まらない。それは当然なのだが,このごろ私はその最後の一駒を一般社会人と共に学び合う場にしましょうと呼びかけ始めている。教師が保護者と向き合うのではなく,教師と保護者や一般人とが同じ方を向いて学び合うようにしようという呼びかけだ。「伝える」一方向性から「伝え合う」双方向性に教師の姿勢が変わっていくことが,これからは是非必要だと私は考えている。

近況とご案内

 たくさんの方々に,私の小さな文章を読んで戴けて大変光栄です。有難うございます。心より御礼申し上げます。
 いよいよ,私の函館ぐらしもあと4か月足らずとなりました。退官を記念した出版をしたいと考え,秒読みの迫った日々を忙しく過ごしています。『国語人』の発刊をせねばと思いながら,目の先のことに追いまくられています。
 しかし,4月からは千葉県に戻り,かなり自由の身になれそうです。それからの時間は,主として執筆と出版,全国の若い先生方との勉強会への応援と出席,家庭人としての充実などに充てるつもりです。
 本画面をご愛読くださっている方の中で勉強会やイベントをやってみたいとお考えの方がいらっしゃいましたならば,どうぞ気軽にご一報ください。喜んで仲間入りをさせて戴こうと考えております。なお,今年度内はすでに余裕がありません。次年度からのことです。
 ご愛読に感謝しつつ近況ご報知まで。合掌。


感想・ご意見のコーナー

■ 塚田直樹 

いつもありがとうございます。

>  担任の呼びかけにPTAは応えて参加してくれるが,PTAの呼 びかけに応えて参加する教師はごく少数である。これでは「学社連
> 携」も「学社融合」も覚束ない。この傾向は反省されなければなら ない。

そう言えば,ここ何年か,PTAの研修旅行に参加しておりません。でも,PTAとの飲み会は,最後までつき合っています。
管理職や他の教員が先に帰っても,ちょっと嫌われ気味の会長さんと最後まで飲むようにしています。
ちょっと話がずれてしまいました。すみません。

> このごろ私はその最後の一駒を一般社会人と共に学び合う場にしましょうと呼びかけ始めている。教師が保護者と向
> き合うのではなく,教師と保護者や一般人とが同じ方を向いて学び合うようにしようという呼びかけだ。「伝える」一方向性から「伝
> え合う」双方向性に教師の姿勢が変わっていくことが,これからは是非必要だと私は考えている。

素晴らしいご提言ですね。
教員も保護者も「こどもを育てる」という同じ目的を持っているわけですから,こどもを育てる立場の者が,「同じ方を向いて学び合うようにしよう」という野口先生の「呼びかけ」は考えて見れば当たり前の主張と言えますね。
でも,その当たり前を,きちんと見据えている教員もいれば,私のように言われないと自覚できない教員もいますので,野口論文は有り難いです。

稚拙な感想ですみませんでした。
感謝を込めて。


吉元輝幸  (鹿児島県伊佐郡菱刈小学校)

鹿児島の吉元といいます。
 教室.comの野口先生の論文、拝見いたしました。「2 『伝えられること』には不慣れ」の部分がなるほどなと思いました。 

 教師は多く父母に対して「伝える」側に立ち,父母は「伝えられる」側に立つ。そして,大方の父母はこれに好意的に応えてくれる。教師はそれを当然のことと考えがちだ。…
 
 担任の呼びかけにPTAは応えて参加してくれるが,PTAの呼びかけに応えて参加する教師はごく少数である。これでは「学社連携」も「学社融合」も覚束ない。この傾向は反省されなければならない。

 その通りだと思います。いい学級経営をしようと思ったら、まず保護者とも協力することが大切、その保護者は担任の呼びかけには応じてくれるけれど、保護者からの呼びかけには応じてくれない。私の同僚の先生を見てもそう思います。
 わたしは保護者との交流も大切だと思い、学校の近所の地域に住み、地域の行事には協力し、奉仕作業にも参加しています。すると、地域の人は、『吉元先生はめずらしい』といいます。
 今まで地域の行事に教師が参加することはほとんどなかったというのです。
 しかし、地域に住んでいる以上、それは私は当たり前だと思っています。
 そんな地域の方との交流の中で、子どものことなどを相談されたこともありました

 誠意を持って対処させていただいています。
 総合的学習の中で地域に協力をお願いすることはたくさんあると思います。
 その中で今後、野口先生のおっしゃるように、地域、あるいはPTAと教師はもっとつながっていくべきだと思います。
 今後、担任の一方的な伝えだけではだめな時代が来ると思います。


■ 渡邊 亨 (熊本市立西原小学校)

熊本市立西原(にしばる)小学校に勤務している渡邊亨といいます。

本日,kyositu.comのMMの「保護者との『伝え合い』」を読ませていただきました。
わたしもこの頃非常に思うのですが,教師は自分の立場ばかり主張して,保護者の言い分には耳をかさない集団だなあと思います。
保護者会や授業参観への出席率はやかましく言いますが,地区の懇談会などになると自分の担当地区しか参加しません。ましてやPTA主催の講演会などには,校長と教頭しか参加しません。
よく「PTA主催の○○は…」とか言われますが,その中に教師が含まれている意識はありません。

なにか,ここから改革していかないと,開かれた学校などは非常に難しいのではないかと思います。

ちょっと愚痴になってしまいました。申し訳ありません。


■ 大橋 千寿留 

メールマガジンで先生のメールをよませていただきました。
私は、千葉大学の教育学部を卒業して、今実家のある静岡で教員を目ざして勉強中です。
先生のメールをよんでとても共感しました。教員を目ざしている私は、恐らく、一般の中では、学校関係に詳しいと思います。しかし、現在、バイト先(臨採の話がなく、普通の会社で事務の臨時職員をしているのですが)で、小学生の子どもをもつ主婦の方々の話を聞くと、やはり現状は、学校の外からは見えにくいのだなぁと実感します。
子どもたちの「先生」は学校の教師だけではなく、地域の人たちもそうだと思います。実際、夏休みに行われた地域の人々と触れ合うキャンプ(長野の高遠のNPO「ふる里あったかとお」主催の「長期自然体験村」です。東京・愛知・長野の各地から集まった子どもたちと2週間、高遠の人々や自然と触れ合い様々な体験をしました)では、子どもたちは、びっくりしてしまうぐらいたくさんのことを吸収していました。
学校と地域がもっと密接に関わりあえたら、子どもにとっても、大人にとっても、より良い「学ぶ場・学びあえる場」がつくっていけるのではないかと思います。
学校の中からの、地域への働きかけは、すばらしいことだと感じました。
また、お考えをうかがえたら、幸いです。


■ 香月 卓也 (佐賀県杵島郡白石町)

保護者との「伝え合い」においてまさに野口先生のおっしゃるとおりのことを自分自身もしてきました。
読んでいて,はっとさせられ ぐさりときました。

先生が学級通信について書かれていた文章でも読者が必ず読んで下さるミニコミ紙という表現でもっと学級通信を活用するように提言されていたと記憶しています。それを読んで「保護者に伝える」のではなく「読んでいただく」という気持ちを持つことの大切さを感じていました。

しかし,今回の文章を読んで自分自身のPTA主催の行事への参加などについての態度の中に傲慢さ・不遜さがあったことを反省させられました。
ありがとうございました。        


■ 横藤 雅人 (札幌市立北野平小学校)   

 教師の閉鎖性について,鋭いご指摘をいただきました。思い当たる節がたくさんあります。私の場合幸いなことに太極拳等で異業種の方とお付き合いをする機会が定期的にありますが,そういう中でも,ふと教師くさくなってしまったり,やはり教師の方とつい話が弾んでしまいがちであったりすることがあります。それは,ある程度自然なことだとは思いますが,意識しないと,これからの時代にそぐわないのでしょう。
 また,「伝えられること」は苦手というのも,懇談での発言量などから反省するところです。「学校のアカウンタビリティ」などということが言われ,よりいっそう保護者に自分の考えを伝えなくては,と思いがちで,つい私の発言量が多くなりがちだったことに気付きました。

「伝える」一方向性から「伝え合う」双方向性に教師の姿勢が変わっていくことが,これからは是非必要だ

というご指摘をかみしめたいと思います。

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