2003年2月16日,札幌のかでる2・7において,野口先生の講演会がありました。私は,それに参加させていただきましたが,いつものように軽妙な語り口の中に,痛快な主張が込められており,引き込まれました。聞き書きですが,野口先生に掲載の許可をいただきましたので,以下に紹介いたします。どうぞお読み下さい。「想片拾遺 折々の記 特別編」です。
第3回「心の教育」セミナー
人格の育成を考える
1.自主・自立
 自主・自立というのは,わたしにとって生き方の一つの憧れである。
 人に依存をしたりおもねったりせず独立して生きるということである。学校教育,家庭教育の帰するところはこの自主・自立の保障にあるのではないか。
 私の好きな歌に
 「散る桜 残る桜も 散る桜」
というのがある。
 この会場にも様々な年代の方がいるが,人はいつかは死んでいく。
 愛する子供たちに,自主自立の力をつけて,去っていくのが私たちの役目である。人格というものを私は「良き人生観に基づく行動の継続体」であると考えている。教育は,どんな人生観を育てるかが一番大切である。

2.今の子を見ていて気になること
(1)弱くなっている
 不登校の数は139,000人である。昔の学校は,寒かった。先生は恐くて体罰は当たり前。いじめも日常茶飯事であった。今,先生は優しく。昼から蛍光灯もついている。きれいな校舎で,給食にはデザートまでつく。(笑)昭和33年,私が新卒のころは耐熱遠足(笑)というのがあった。夏休みのもっとも暑い日に,10kmくらい歩き,昼寝をして帰ってくるのである。それでも学校に行きたくないという子などいなかった。今は耐寒マラソンすら少ない。子供を鍛えるという思想はどんどん退化しているのである。いじめも心の弱さに耐えられない一つの表れである。キレるというのも心に耐えられないという弱さの表れである。

(2)自己中心化
 全体や他者のことを考えられない子が増えている。子供会や部活の成立が危機に陥っている。参加する子が減っているからである。
 母親もその世話役を嫌がる。皆,自己中心的で,自分が,自分の家庭が良ければそれでいいというふうな風潮になっている。

(3)受動的
 自ら生産していく力がない。「くれない族」という言葉がある。「〜してくれない」と,周りに不満を持つ傾向である。
 その原因の一つは豊かさにあると私は考えている。がんばることはダサいという。がんばらずに楽をするのが良いのだという。貧しさの中ではがんばらざるを得ない。私は小学校4年から家事労働をさせられた。牛を使い田を耕すのである。一枚の田んぼを耕し終わって疲れていると,父がやってきてそれをほめてくれる。とてもうれしかった。これは生産的連帯である。今の子供たちは消費的連帯しか経験していない。消費的連帯は華やかだが「金の切れ目は縁の切れ目」である。(笑)「今日はどこへ連れて行ってくれるの?」「今日はだめだ。」「えー,ケチ。」なんてね。生産的連帯は苦しければ苦しいほど絆が深まる。
 このような傾向を生んだのはなぜか。私は教師であるから,これらはすべて学校教育に帰するという立場から,次のように考えている。

3.指示と禁止
 私は千葉県の田舎で一町4反の田んぼで水稲栽培をして暮らしている。
 娘たちが小さい頃,家内の具合いが悪くなり,千葉市でしばらく暮らしたことがある。千葉市は都会である。あるとき娘が,「自転車に乗りたいから見ていて」という。
「そんなもの好きなように乗れ」と言うと,
「交通事故に遭うといけないので道路で乗るときには家の人に見てもらうようにと言われた」という。
「誰が言った。」
「校長先生だ。」私は校長先生という言葉が出てきたのでひるんだ。(笑)
「じゃあ,公園で乗れ」
「それもだめ。」
「なぜだ。」
「だって誘拐されたら困るというんだもの。」
「誰が言った。」
「それも校長先生が言った。」(笑)
「じゃあ,デパートの屋上しかないな。デパートに行って屋上の遊具で遊んでこい」
「デパートの屋上は子供たちだけで行っちゃ駄目って言ってた。」
「誰が言った。」
「校長先生。」(笑)
 私はこの校長先生のことをよく知っており,尊敬していた。しかしこの時は,学校というものは何と家庭の中に無遠慮に踏み込んでくるのかと思った。
 危険かどうかは子供が判断すべきである。禁止は安易である。それは教師の保身とエゴから出てきている場合もありそうだ。なにか事故があると教育委員会からどういう指導をしていたかと問い合わせがくる。そのときに,何も指導をしていなかったと言ったら大変である。だから,これこれの指導をしていました,と言わなくちゃならない。そこで,禁止や指示が多くなる。今の社会は,管理職に保身を余儀なくするのである。私は,そんな風潮にずっと反対してきた。
 どんなことをしてきたのかをご紹介し,批判をいただきたい。

4.実践のいくつか
(1)禁止への挑戦
 刃物を学校に持ってくるなということがよく言われる。私はこれに反対である。昔の田舎は,小学校1年生になると肥後ノ守というナイフを持たされた。これを持って山へ行き,竹を切っていろいろなものを作った。手を切ったりしながらひとつひとつ危険を克服し,たくましくなっていったのである。それが今の学校では,刃物を持たせると,手を切るかもしれないから持たせないでおこうというふうになる。そして,鉛筆削り器を教室に配置したりする。私は,刃物を使える子に育てたかった。だから,「私の学級は刃物を持とう。ただし,けんかには絶対使わない。そうしよう!」と提案した。子供たちは大喜び。保護者もわかってくれた。
 そこで高価な小刀を注文した。ナイフではなく,鞘のついた小刀である。専門店に,40本注文したら,何に使うのかと言われたので,子供たちに持たせたいと言った。すると,感激して小売値の3割引で売ってくれた。(笑)子供たちに渡して,「いいか,この小刀はな,指の2,3本簡単に切れる。すぱっとな。気をつけろよ。」と言うと,子供たちはすごく緊張した。そして,鞘の抜き方,木の削り方を一つ一つ教えた。
 安全の教育は,危険の中でのみすることができるのである。
 今の学校はこうしたことの正反対をしている。良い例が,自転車を禁止することである。3年生までは駄目という。4年生からはいい。
 本当に乗せたくないから自転車店に,「子供たちに売らないでくれ」と言えばいいのだが,それは営業妨害だからしない。(笑)私は子供に任せよと主張した。同僚は「怪我したらどうする」と反対した。「怪我をしたら怪我したときだ。(笑)けがの中で学ぶそれが大切なんだ。」と言った。これはPTAには受け入れられた。ところがある日,ある母親が,
「学校に,自転車に乗って遊びに行ってもいいんですよね?」と聞きにきた。私は
「あんたが決めなさい」と突っぱねた。
そうすると「あっ,ダメですか」という。
「だめじゃないよ。あんたが決めなさい。」すると,
「やっぱりいいんですか」と言う。
「だからあんたが決めなさい。」(笑)それでやっと分かってくれた。うっかり「いいですよ」などと言ったり,あるいはダメですよなどと言えば責任は私にあることになる。
どこまでも判断は行動する主体の自分にある。
 今の子供を皮肉って「交差点の中の子供たち」であると言っている。
 子供たちは,いつも信号を待っている。行くか,止まるか,待つかは自分で判断すべきである。
 たとえ赤信号でも,時には自分で判断して渡っていくことも必要である。禁止と指示は判断力を奪う。子供というものは,基本的に危険,冒険そして不潔が大好きなものである。(笑)ところが大人は危険と不潔から遠ざけようとして子供を弱くしているのである。
 グラウンドに寄付金でグローブジャングルという遊具を設置した。
 高学年の子がぐるぐる回し,低学年の子がしがみついては振り落とされ,ケガが絶えなかった。すると母親代表が禁止を求めてきた。
 私は,「もう少し待て。だんだんけがをしなくなる」と言った。4カ月でけがはなくなった。子供は危険に対応するのである。ちなみに,そのグローブジャングルは,今ではロープでぐるぐる巻きにされて赤くさびている。

(2)非指示への試み
 指示されればそこで考えは止まる。担任時代の私は,修学旅行の小遣いを自由にしようといった。子供たちは大喜び。わっと盛り上がった。「ただし,これから皆が行くところは都だ。盗られるかもしれないぞ。落とすかもしれない。もし,落としたり盗られたりしたときには,先生には絶対に報告するな。(笑)自分の責任だ。」というと子供たちは静かになった。「そうか,落としてもいいくらいの額を持っていけばいいのか」と一人一人が考え始めた。
 考えようとしない子を育てているのは,自己責任を問わない教育にある。非指示とは責任を自覚させる教育なのである。

(3)責任内在論
 戦後は責任外在論が幅をきかせている。道路で穴にはまってけがをすれば道路が悪いという。プールのフェンスに穴が開いていた。そこを子供がくぐってけがをした。すると,プールの穴がけしからんという。人のせいにして自分のせいとは考えない。
 自分の行動の責任は己にあるのである。
 交通事故の増加に伴いあちこちに信号をつけろという。私は基本的にこの風潮に懐疑的である。附属小学校で,大学に入る前の車道が,とても交通量が多いので,PTAが歩道橋をつけろと言った。何年も働きかけたが,一向に実らなかった。ある時有力者の子供が入学した。とたんに認可された。(笑)
 ところが大学の学長が,駅から大学に向かう最短の道には,景観上歩道橋をつけるのはだめだという。そこで仕方なく,大学から少し外れたところに歩道橋を設置した。駅から出て,ぐるっと遠回りして歩道橋を上り下りして,学校に着く。子供たちはそこを通るようにということになった。ところが先生たちは従来の下の歩道を通っていた。(笑)それを歩道橋の上から見ていた子供たちが「先生はずるい」と言い出した。そして児童会で問題にした。(笑)職員会議で「これについてどうしましょう」という話題が出た。「子供と一緒に歩道橋を渡るべきだ」という理想派。「いや子供は歩道橋だがわれわれ大人は歩道でよい」という現実派。「子供が見ているときは歩道橋を渡り,夜などは下を渡る」という妥協派。あれこれの意見が出てなかなか決まらない。そこで私はこう言った。「あの歩道橋は,お母さんたちが,あなたたち子供が安全なようにとつけてくれたものだ。しかし従来の歩道を通ってはだめだということではない。先生たちは,命がけで下を歩いているのだ。(笑)あなたたちも,命をかけるのであれば歩道を通ればよい。」そういう指導をせよといった。それで,子供からの不満はいっぺんになくなった。責任は自分にある,ということを伝えたのだ。子供は,責任を自分に持たせられたときに自ら考え始めるのである。
 教師の保身とエゴ,それは表に出されないので,まことしやかにあれこれ美しい言葉で言われるが,そこにまやかしもある。
 例えば,父親参観日という言葉を葬るべきではない。父親のいない子には,
「今日はあなたのお父さんもきっと天国から見に来ているよ。だからしっかり勉強しようね」といえばいい。それが本物の教育だ。今は,母性原理が中心で,優しすぎる学校,優しすぎる教師が多い。母性原理も大事だが,現実原理,父性原理をもっと導入すべきである。
 このような硬派の教育が今こそ求められるのではないか。

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