国家及び社会の形成者の育成 
 2003年3月
1.教育の「目的」とは
 教育の「目的」というものは法令としては教育基本法にしか書かれていない。教育の「目標」ということになれば,道教委,市教委,各学校という単位で定められてよい。目標は地域や学校の実態や課題に合わせていろいろに定められてよいものだからだ。しかし,「目的」というものは一つに定められていてしかも長い間変わらない。普遍的で安定している。目的とはそういうものだ。
 一体教育の目的とはどういうものなのだろうか。国民の誰もが当然知らなければならないことであるが知っている人は意外に少ない。教育基本法第1条にこれが明記されている。次の通りである。
第1条(教育の目的)教育は,人格の完成をめざし,平和的な国家及び社会の形成者として,真理と正義を愛し,個人の価値をたっとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に充(み)ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

2.その吟味と確認
 小,中,高,大を中核とする学校教育,家族を中心とする家庭教育,上記の外を包み込む社会教育のいずれの分野,機関においても,こと教育としての営為はこの目的に向けてなされなければならない。この目的の遂行のためにのみいろいろの目標は設定されてなければならない。教育の「目的」はそれほどに重いものだ。
 そこで,この「教育の目的」をあらためて読み直してみることにしよう。この法令文言吟味してみよう。全文がたったの一文である。主語と述語を中心に文の骨格を抜き出すと次のようになる。
「教育」−「心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」つまり,「教育は国民の育成」というのが一文の骨格である。そして,「国民」として望ましい資質は「人格の完成」「平和的な国家及び社会の形成者」だと明言している。これは注目すべき重要事である。教育というものは,すべからく「国家及び社会の形成者」つまり「国民」の育成を期して行われなければならないということである。
「真理と正義を愛する」ことも,「個人の価値を尊ぶ」ことも,「勤労と責任を重んずる」こともそれぞれが孤立的,個別的に目指されるのではない。あくまでもそれらは,「国家及び社会の形成者」という文脈の中で求められる指標だということになる。
 今,教育界では「個性重視」「個性尊重」ということが強く叫ばれているが,それらは基本的に「国家および社会の形成者として」という傘の下で求められる力点なのである。
 学級崩壊とか,成人式の狂態などの話を聞くたびに,教育はこの「目的」の原点に立ち返る必要があるのだ,と強く思うのである。

   野口先生のページトップへ   野口論文INDEXへ    サイトのトップページへ