連載「子供が育つ総合的な学習」ー第1回・4月

「話し合いを重視しよう(1)」


■連載タイトルについて
 連載タイトルに「子供が育つ」と冠しました。あちこちで,総合的な学習の授業を見せていただいたり,また自分も少し取り組んでみたりしています。でも,なかなか「子供が育っているなあ」「うん,これなら子供が育つぞ!」という実感が得られないことも多いのです。思わず首を傾げたくなるような光景もあります。そこで,この連載を契機に,私もどうすれば子供がすくすくと育つような実践ができるかを,考えてみたいと思いました。どうぞよろしくお付き合いください。
 今回から数回,まず「話し合い」にスポットを当てていきます。

■授業の始まり
 総合的な学習に限らず,日直が「気をつけぇ,○○君…」などと,形式的な挨拶や注意を与えることから始まる授業は,99%ハズレです。なぜなら,そのような形式的な方法を,授業の冒頭に無造作に取り入れるような感覚の学級には,子供の問題解決はまず成立しないからです。
 特に,総合的な学習のように,子供が参画して,問題解決を進める学習では,形式的な学習習慣が色濃いことは致命的です。話し合いが形式的なものに終始し,追求の意欲や生き生きとした疑問やアイディアといったものが表出してこないのです。まず,形式的な挨拶よ,サヨウナラです。

■まず内部探検
 形式的なことをできるだけ遠ざけ,実質的な子供自身の問題解決を促すには,「内部探検」が有効です。「内部探検」とは,KJ法の概念・技術です。
『問題というものは,理性的に自覚的にとらえられるまえに「なにか問題を感ずる」という段階が先行しているのがふつうであろう。この日常現象に気づくことが大切なのだ。では,問題が明確に理性的にとらえられない場合に,どうすればよいか。自分もしくは自分たちがやろうとしている問題はなにかというときには,まず自分が問題だと「感じて」いることに,「関係のありそうな」ことがらを全部列挙してみるのがよい。そして,このように具体的に外に投影した諸要素を組み立てるのである。それらの諸要素は互いにどういう関係にあるかを表現してみる。問題に関係のあることを書きとめ,それを組み立ててみたときに,はじめて問題の構造がわかるのである。(中略)この手続きを,かりに「内部探検」と呼んでおこう。』       (川喜田二郎著『発想法』29ページ 中公新書)

 総合的な学習の発端は,地域や時節のニュースであったり,教科学習の発展であったり,様々です。ときには,教師の呼びかけに子供が応える形で活動が始まることもあるでしょう。その発端から,どれだけ自然に活動を展開するかに,教師は腐心する訳ですが,教師が「自然に発展させよう」と工夫することが,かえって裏目に出て,時間が経つほど子供たちの目の輝きが失われていくことも多いようです。
 そこで,まず「内部探検」です。例えば,川を対象に活動をするなら,「川のことで,どんなことを知っていますか?」と問いかけるのです。
 ここのところ,決して「川の何を調べたいですか?」などと問いかけてはいけません。答えられる子は,ほんの一握り。しかも,内心「別に調べたいとは思っていないけれど,まあ外に出て何かできそうだから,適当に言っておこう。」などと考える子が出るかもしれません。
 知っていることを問われれば,子供たちは様々なことを想起します。カードやノートにそれを書かせます。書いたものをどんどん発表させます。グループ内での発表でもよいでしょう。子供たちは,友達の発表に対して「あっ,同じ!」とか「えっ,本当?」などと反応しながら聞いていくでしょう。
 従来の教科でも,こうした「知っていること」の発表は取り入れられていました。しかし,子供たちの気付きを,教科のねらいに即してある程度たばねていかないと,教科の学習は成立しません。そこで,子供たちの発表は多くの場合教師によって,ニュアンスを変えて,共通な課題へと導かれました。しかし,総合的な学習では,ここの部分をじっくりと温めます。そして,ここから,具体的な活動をどうするか,を考えていくのです。

 次回は,この温め方と企画への結び付け方について述べてみたいと思います。


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