連載 子供が育つ総合的な学習 第5回・8月

「早く形を決めないで(2)」

■「先生!あのさあ,あのさあ,…。僕たちが行ったところ,そこじゃないと思う。」
 すると,ほかのグループの子たちも口を開き始めました。
「私たちのも,そこじゃないと思う。」「私たちのは,この辺だと思う。」「え〜,もっとこっちじゃないの?」「いや,先生ので合っていると思う。」
地域探検の成果を教師が地図に記入しているときに,子供たちから問題が噴出してしまいました。これは,教師が「子供たちの地理感覚・認識はほぼ同じ」と考えていた前提が間違っていたのです。

■これは,こと総合だけの問題ではありません。算数で「保存」の概念等,前提とする内容が思ったよりもばらばらだったというようなことはよく見られることです。ただ,従来教科では,この辺りの事例が豊富で,予測もつきやすいので,回避できる率も高いのです。
 しかし,総合では従来の社会科や理科とは枠組みや指導方法が違うという思いが,教師の頭を大きく占めるため,回避率が落ちにくいのではないかと感じています。
 この時の,検討会でもこのことが話題になりました。
「今までの社会科でも,3年生の子供たちに地図を描かせるのは,結構大変なことでした。まして,総合で子供たちが自分で調べたいところに深くかかわっていけばいくほど,それを共通のものにするのが難しくなります。総合では,地図を描くということは無理なのでしょうか。」
 司会の先生が,こんな風にまとめ,私に振ってきました。

■そのとき私は,運良くノートパソコンを持っていました。その中に,マイクロソフト社の百科事典「エンカルタ97」をコピーして入れてありましたので,それを利用しようと思いました。すぐにパソコンを起動させ,立ち上がるまでの時間を利用して,次のように問いかけました。
「1年生活科の学校探検と2年生の町探検では,子供たちに校舎や校区の地図を描かせたのですか?」
 すると,1,2年時の担任から,説明が得られました。
「いえ,校舎の地図は部屋名は入れないで,教室や階段等だけを印刷したものを渡しました。町探検のときは,太い道路だけを印刷したものを渡しました。子供たちは,どちらの場合もそこに,自分の見たものを描き込んでいったのです。」
 パソコンが立ち上がり,エンカルタの画面を呼び出せました。私は,検索用語に「認知地図」と打ち込みました。次のように,表示されました。(紙幅がないので,一部のみ抜粋。)

認知地図 にんちちず Cognitive Map
認知地図というのは、ある人がその周囲環境の空間的配置に関してもつ内的表象(イメージ)であると定義することができる。たとえば、旅行者に道順をたずねられたとき、われわれは頭の中にここからそこまでの概略的な地図をくみたて、そこにいたるまでの間にある建物や交差点など目印になるものを思いうかべながら、その道順を説明するだろう。
そのような認知地図は、地理や空間に関するさまざまな経験を、その相対的な位置や空間的属性に関してコード化し、長期記憶(→ 認知心理学の「長期記憶」)の中に貯蔵したものである。それが必要に応じて検索され、再生可能になっているものと考えられる。われわれがふだん、通勤や通学のためにいつもの最短の道順をとおることができるのも、あるいは現在の位置から目的地までをおおよそ見当をつけることができるのも、柔軟な認知地図をそのつど組み立てることができるからにほかならない。
構成要素
認知地図の成立には地理的情報と、直接経験による情報の2つが必要であるが、そこでえられた情報のすべてがそれに稼働されるわけではない。自分にとって必要な情報が選択的にぬきだされ、利用可能なように体制化されている。
主観性
いうまでもなく、認知地図は実際の地図の空間配置にかならずしも一致しない。欠落、省略があることはもちろん、方向や距離が相当ずれていることもまれではない。京都や札幌のような碁盤の目の町並みの場合はともかく、道路が斜めになっている町では、交差点は直交しているように表象されやすい。実際にあるいているときでも、見当がくるってあらぬ方向にいってしまうことがままある。
このことは、認知地図を実際に紙の上にえがかせてみるとよくわかる。ルートの距離はそこに記入する目印項目がふえるほど、長めにえがかれやすい。生活科の授業などのときに、小学校の低学年生に自分たちの地域の地図をえがかせてみると、子供たちが何を目印にしているか、空間配置をどのように表象しているかがわかって興味深い。

■私は,これを分科会運営の方に印刷してくれるように頼みました。 (続きます)


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