連載 子供が育つ総合的な学習 第7回・10月


    「言葉と活動・心情の乖離を避ける(上)」


■ある学校で,2年生活科「秋と遊ぼう」の授業を参観しました。野山から採取した自然物を使っての遊び大会の授業でした。ドングリのコマ,「ひっつき虫」を使っての的当て,ヤマブドウのツルを使ってのリース作り…,子供たちは自分たちが工夫した遊びに楽しそうに生き生きと取り組んでいました。
 授業も終わりに近づいた頃授業者は次のように問いかけました。「春に遊んだ時と比べて,ずいぶん違う遊びがあったね。春と秋と
では,どんなところが違うのでしょう。」
 とたんに,子供たちの表情から輝きが消えました。重苦しい雰囲気の中で,数人の子がぼそぼそと「葉っぱが赤くなる」などと,本時の授業とはまったく関係のないことを発言して終わってしまいました。

■授業後の検討会で,授業者は「生活科でも知的な気付きを重視するということが強調されていたので,あのような発問をしたのです
が,思うようにいきませんでした。」と反省しました。すると,助言の方が次のように発言しました。
「総合ならば,あれで良いのです。しかし,生活科の場合,子供は未分化ですから,あのような発問に答えるのは難しいでしょう」
 会場の中に,うなずいている人もたくさんいました。私は助言者に柔らかく反論することにしました。

■「総合なら,あの発問で良かったのでしょうか?私はそうは思いません。6年生でも,おそらく多くの子がとまどうと思います。」
助言者は,少しあわてて「いや,言葉が足りなくて…。」とおっしゃっていました。そこで,「いや,先生のおっしゃりたいことは授業者の『気付きを大切にしたい』という意図については良いということですよね。」とフォローしておいてから,おおむね次のようなことを発言しました。

■生活科や総合における「気付き」とは,個々の子供の活動,そしてその活動を進める時の心情と一体になっているものです。これを「3つのH」と呼んでいます。(発案がどなたか失念しました。ご存じの方いらっしゃいましたらご教示下さい。)
 3つのHとは,Heart(心情),Hand(具体的な活動),そしてHead(認知)です。この3つが互いに補い合いながら,一体となって子供を内面から育てていくのです。
 ところがこの時の発問は,この3つのHから,認知面だけを乖離させて,取り出そうとするものでした。新しい指導要領に書かれた「知的な気付きを重視する」という文言の解釈が間違っているのです。知的な気付きとは,秋というものに対する一般的な概念を語る言葉などではありません。具体的な活動と密接に結びついた,というか活動の中から生まれ出た言葉こそを引き出したいのです。心情面と結びついた,というか感動あふれる生き生きとした気付きをこそ引き出したいのです。
 ところが,今日の発問はその逆の働きをしました。だから,わずかに反応した子供たちの発言は,見事に「心情やそれまでの具体的な活動」と乖離したものでした。そして,乖離した言葉には,生き生きとした輝きがすでになくなっているのです。
 これは,総合でもまったく同じことが言えます。発達段階が違いますから,活動や表現などの見かけも違ってきます。しかし,3つのHを乖離させることは,どの学年でも避けなくてはいけません。乖離したところに「生きる力」は育ちません。

■では,どのように「乖離していない言葉」を引き出せばよいのでしょうか。これを次回に述べたいと思います。
 


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