豊かな活動を促す教師の役割 

 1994年,全国小学校生活科研究協議会・全国大会・仙台大会において,提言を行いました。
 一つは,フレームワークについてです。フレームワークについては,生活科が本格実施される2年前からの着眼であり,その後は実践の中でその有効性を確信しての提言でした。
 もう一つは,子供を深く見取らなくては,よい支援はできませんが,その見取りを深めるための仮説「視→観→察」についてです。
 当日は,私の提言に対して,かなりの質問がありました。また大会後も10通を越える手紙をいただいたり,日本教育新聞に取り上げていただくなど反響が大きかったようです。
 以下,当時のレジュメと,いただいたお手紙,日本教育新聞の記事などをご紹介します。やや古い情報ですが,主張の内容は今も通用すると思います。

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1.レジュメ
 (1)活動の構成〜フレームワーク
 (2)観察の手法
2.いただいたお手紙より
 ・反発が共感に
 ・どうしてこんなに
3.日本教育新聞より


1.レジュメ                                                  
 生活科授業における教師の役割は多岐にわたる。本稿では,その中から2つについて取り上げ,考察を深めたい。第1は,活動の構成について。第2は,観察の手法についてである。

1) 活動の構成〜フレームワーク   
 1年生の学校探検を,クイズ作りを軸に展開した。様々な場所でクイズ作りをすることで,子供たちの気付きを引き出すねらいであった。まず,自分たちの教室の内外から始め,体育館・特別教室とクイズ作りの対象となる場所を広げていった。3回目に,職員室の内外で行なった際,担任は子供たちを職員室に引率すると次のように投げ掛けた。               
 「さあ,今日はこの職員室と,隣の放送室,それにその隣の校長室でクイズを作ろう。他の先生たちにいろいろ聞いてもいいよ。楽しいクイズをたくさん作ってね。チャイムが鳴ったら先生の机の上にノートを出して,休み時間にしましょう。」 
 おおむねこのように投げ掛け,子供たちからの質問を受けつけた後,活動に入った。子供たちは目をキョロキョロさせて,あちこち見ていたが,やがて「見つけた!」とつぶやくと,次々にクイズを作り始めた。クイズを作るためには,何か新しいことを見つけなければならないという意識が働いているようだ。やがて,どの子のノートにも楽しいクイズが書かれた。      
 「チャイムを鳴らす機械はどこにかくしてあるでしょう。」
 「校長先生の部屋にはいくつ引き出しがあるでしょう。」…(札幌市立二条小学校の実践より) 
 このような子供らしい発見ができたのは,活動にある程度の広がりと絞りこみがあったからである。生活科は環境との主体的なかかわりの学習であるが,環境に子供たちを無制限にかかわらせる「放任型」の構成では,活動は焦点化しづらいことが多い。時間の経過とともに,個々の活動がバラバラになり活動にダレが生じてくるのである。もちろん,活動の対象となる環境や素材そのものにも活動の広がりと絞りこみを促す力はある程度はある。が,そのままで子供自身が学 習の目的や内容を創り出すという生活科らしい活動に直結することは稀である。だからといって,その環境と子供のかかわり方までを教師がお膳立てしてしまい,狭いレールの上を一斉に走らせる「レール型」では,子供の自己選択・判断の力は育たない。
 生活科の活動構成に当たっては,適切な広がりのある活動の枠組みを示すことが大切である。
 これを,二条小学校では「フレームワーク」と呼んでいる。上の例では,「場所は3か所」「クイズをたくさん作る」「いろいろな先生に話しかけても良い」「時間はチャイムが鳴るまで」などという空間・目的・ルール・時間のフレームワークによって子供たちに主体的な活動をイメージさせている。また,子供の活動を規定しているのは,上で述べた「環境や素材」「空間・目的 ・ルール・時間」などのフレームのほかに「心理的フレーム」(学級内の人間関係や精神的風土,日常生活での習慣など)も大きい。 
 フレームワークによって,活動は次のようなものになる。

・その子のペースで活動できる自由が保障される
・環境に即した自己選択・判断が促される
・より深い環境との応答関係が促され,気付きが豊かになる
・集団としての学習と個の学習との両立を図ることができる 
・活動のイメージを描かくことにより,個々の願いが明確になり,自己評価の基準ができる 
・安全が確保される 
・教師が活動を見取りやすくなる

 フレームワークを行ない,質問を受け付けることによってそれを子供たちに確認した後は,そのフレームを崩さないことが原則である。子供が,自分のイメージで活動を開始しているのに,教師の一方的な都合でフレームを変更するのは,子供の活動意欲や自己認識を阻害することが多い。しかし,同時にフレームはフレキシブルであることも,創造的な活動の構成には不可欠な要素である。子供のそのときの心の状態をよく見取り,考えた上で,フレームの変更も時には必要である。

(2) 観察の手法   
 子供たちが動き始めたら,授業者は活動の観察に入る。授業者が,子供たちの活動をどれくらい正確に,深く読み取ることができるかは,生活科授業の成否を決定する重要な要素である。活動が始まるやいなや,教師が大きく動き回り,子供たちに「支援」をして歩く授業を見かけることがある。しかし,まずはできるだけ正確に,そして深く子供たちの活動を読み取ることこそが 「支援」の中心であると考える。子供たちは「先生は見てくれている。分かってくれている」という安心感を持つことで,いっそう環境や活動へ向かう意欲を燃え立たせるのである。
 活動の観察に際して,有効と思われる手法を2つ述べる。 

(1)全体の観察〜分節に区切って見る 
 1年生が,学校の裏山を舞台に,段ボールでそり遊びをしたり,草の実でお店やさんごっこをしたりし始めた。あるグループの活動は,約5〜7分を一つの単位として変化していた。次のようにである。
・活動開始後,さっそく勢いよく段ボールを斜面に運び,そり遊びを始めた。全員でいっぺんに滑ろうとするが,あまり良く滑らない。それでも,同じことを繰り返していた。     
・7分後,場所を変えた。そこでまた滑ろうとしたが,やはり滑らない。          
・それから5分後,動きを止めて他のグループの状況を見始めた。ややグループの結束がバラバラになりつつあった。
・さらに5分後,一人の男の子が押し役になった。少し滑るようになった。またグループにまとまりが出てきた。
・さらに5分後,押し役を交代しながら遊ぶようになった。
 (以下略。北海道生活科教育連盟全道大会,留萌市立東光小学校の実践より)
 このように,子供たちの活動は,自然に分節を形成することが多い。これは,一定の時間で子供たちの興味や集中が変化するためであろう。そして,多くの場合その変換点は5〜7分くらいでやってくるようである。45分の授業のうち30分くらいの活動があるとすれば,4〜6の分節を想定して,活動を構想したり,参観に臨んだりすると子供の動きや内面の変化に即して活動を捉えることができる。

(2)個の観察〜3段階で考えてみる 
 2年生でザリガニを飼い始めた。多くの子が数日でザリガニを捕まえて,世話できるようになった。しかし,A子はなかなか手を出せないでいた。彼女は1年生から飼っていたモルモットに手を出すのもかなり遅い方だった。担任は,子供たちにモルモットやザリガニに触ることを無理強いはしなかった。しかし,ある日急に担任はA子に向かって「さあ,今日は捕まえてみようか。」と呼び掛け,彼女の前にザリガニを置き,「こうやってつかむんだよ。」と何度か捕まえてみせた後,大きな声で「Aちゃん,がんばれ!」と応援を始めた。彼女は真っ赤な顔をしながら手を出したり引っ込めたりしていた。他の子も集まってきて,応援し始めた。やがて10分近くたって,初めて彼女がザリガニを持ち上げたときには,回りから大きな拍手が湧いた。A子の顔がパッと輝いた。(札幌市立二条小学校の実践より) 
 担任が,この日A子にこの活動を設定したのは,彼女の指の動きからだった。他の子がザリガニを捕まえて,遊んでいるのを見ていたA子の親指と人差し指が,まるでザリガニを捕まえようとするかのように,かすかにだが動いていたのである。この指の動きからは,「私も捕まえてみたい」という意欲と,「今の私ならきっと捕まえられる」という自己認識の芽生えが読み取れた。もちろんまだ不安はいっぱいであろうが。そこで,担任はある程度強引に活動を設定し,そばに付いて応援していることで,その不安を乗り越えさせようとしたのである。
 このように子供の行動からその子の内面を探るための指針として,二条小学校では「視→観→察」という仮説をもっている。これは,論語から学んだ観察の手法である。 

『其の以いる所を視,其の由る所を観,其の安んずる所を察すれば,人焉んぞかくさんや。』
 (その人がすることを良く見て,その行動の理由を推測し,その人の心のあり方がどのように落ち着くかを洞察すれば,その人のことがあらわに分かるものである。)      

 このように,ある子のある行動について,その行動の根拠,さらにその行動がその子の中でどのように位置付けされているのかを3段階で考えることで,その子の内面世界に迫ることができるという仮説である。
 生活科では,自己認識の育成が重要視されている。そのためには,目に見える行動を教師の評価基準で価値付けるだけでなく,その子の評価基準ではどうか,と考えることが不可欠である。例えば,話し合いの場面なら,発言した子について「発言の量」「発言の内容」「論理的かどうか」などの視点だけで「よく考えている」などと判断しがちであるが,「その発言は,その子自身にとって違和感のないものか」という視点を大事にしたい。例えば,グループの活動で,ある子が他の子の指示で動いていた。それをどう見るかは,まず「その子がそれをどう思っているのか」を探らなくては何とも言えない,ということである。          


2.いただいたお手紙より

・反発が共感に
 生活科の仙台大会では,先生の発表を聞くことができたのが最大の収穫でした。これまで,生活科の授業を自分でもして,他の学校の授業を見たりしても,どうして子供たちが生き生きと活動するときと,そうでないときがあるのか,その秘密がわからなかったのです。でも,先生のわかりやすい発表のおかげで,それは活動のフレームの違いなのだとわかりました。
 実は,私は発表のはじめの方では,生活科は子供の発想を大切にする教科なのに,教師がそれにフレームを与えるなんて,と軽い反発を感じながら聞いていました。しかし,ビデオで具体的に子供の姿を通して,先生が本当の意味で子供の側に立って考え抜いたフレームを用意し,それによって子供たちの活動が本当に生き生きと広がっていることに感動させられてしまいました。後半は,先生のユーモアあふれるエピソードの数々に,メモを取るのも忘れて笑いながらうなづいておりました。
 ただし,先生のようにフレームを適切に与えることができるかというと,私にはとても無理という気もしています。先生の学級経営,児童理解,そして暖かくユーモアあふれるお人柄があってこそ生きるフレームワークなのでしょう。少しでも先生に近づけるよう,勉強を続けていきたいと思っています。先生の話を聞いてから,子供に優しくなった自分を見つけて,ペンを取った次第です。(三重県の方から)

・どうしてこんなに
 (前略)授業を見ているとき,胸にリボンを付けた先生を見て,思わず疑問をぶつけた者です。先生は,とても明解に目の前の子供の様子を分析してくださり,それがとても印象に残りました。そこで,先生の発表なさる分科会に参加しましたが,大正解でした。
 何よりも感動したのが,情緒障害のお子さんの見取りと支援です。その子の様子をビデオで見て,先生がその子にたくさんの参観者のいる中でかかわり,そしてその子がそれからパニックを起こさなくなった。その部分では,生活科のすばらしさに初めて触れた思いがいたしました。どうしてこんなにこの先生は子供にやさしくなれるのだろうと思いました。
 帰ってから,先生の補助資料をすみずみまで読みました。そこにも,やはり先生の子供への思いがひしひしと伝わってくるものがありました。無断ではありましたが,学級通信の一部をコピーして,教師の友達に配ったりもしました。
 先生のお授業を拝見したい,などとも思っています。本当にありがとうございました。(新潟の方から)


3.日本教育新聞より

 (途中から)課題別分科会は「素材」「環境構成」「支援」の三テーマで,各二件の提案があった。「支援」では札幌市立二条小学校の横藤雅人教諭が,同校で実践している「フレームワーク」の考え方を発表した。
 子供が活動しやすいように,空間・目的・ルール・時間などにかかわる項目を活動の目安になる枠組み(フレーム)として示してあげる。フレームが子供にとって適当な広がりがもてる程度に示すことで,それに基づき,自己選択や判断の力を発揮し,自分のペースで活動できるようになるという。
 「自由にやれ,というのは,実は子供にとっては非常に不自由なこと」との指導助言もなされた。「自由な活動」をキーワードに,教師の介入を極力セーブしようという動きが一時目だったが,改めて有効な支援のあり方を考える問題提起といえる。


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