生活科における支援の在り方

1.基本的な考え方
(1) 支援による指導
 生活科では教師の支援が大切であると言われます。ところが,この「支援が大切」という考えが,あやまって解釈され「生活科では教師は指導してはいけない」などと考えられている向きもあるようです。もちろんそれは誤解です。「支援」は「指導」の反対語ではありません。
 以下の実践例をご覧いただければお分かりと思いますが,支援は決して消極的なものではありません。ましてや指導の放棄でもありません。
 子供一人一人を学習の主体者として尊重し,その活動がより良いものになるように支え,適切に関わる指導の一分野なのです。

(2) 間接的支援と直接的支援
 支援は,大きく2つに分けて考えられます。「間接的支援」と「直接的支援」です。 
 間接的支援とは,活動の場を整備したり,活動に必要と思われる道具や材料を揃えておいたりなどの支援です。これは,「環境の構成」などと呼ばれる場合もあります。(北海道生活科教育連盟など)
 直接的支援とは,活動をよりよいものにするために,教師が学習場面で子供に関わる支援です。
 どちらも大事なものですが,本稿では便宜上直接的支援を支援と呼び,焦点を当てて考察していきます。   

(3) 直接的支援の内容
  直接的支援(以下,支援)と一口に言っても,さまざまな内容が考えられます。大きく3つに分けるととらえやすいと思われます。

1 活動を方向づける支援の考え方の例(札幌市立二条小学校の実践より) 
  生活科では,環境の構成が大切ですが,その環境に何の制約もなしに関わらせるのでは活動の焦点が定まりません。やがて時間の経過とともに個々の活動はバラバラになり,子供たちの目の輝きもだんだん失われていくことも多いでしょう。やはり環境に見合った活動の方向を示すことが大事です。
 それでは,従来ありがちだったように教師の思うようにレールの上を一斉に走らせるのと同じじゃないかと思われるかもしれませんが,ここで提案したいのは,放任型でもレール型でもない,「ある程度の広がりのある枠組みを示す」という方向づけの型です。
 ある程度の広がりのある枠組みを示すことによって,活動の自由度が高まりますし,同時に教師の意図する方向・範囲に子供の活動が向かうことになります。これは,レール型でも放任型でもない,自由な活動のための支援なのです。同校では,これを「活動のフレームワーク」と呼び,研究を進めています。

同校によれば,フレームワークの機能としては次のようなものが挙げられます。 

  ○子供の選択・判断が環境に即した適切なものになる。                
  ○より深い環境との応答関係が成立しやすく,多くの気付きが促される。      
  ○集団の学習と個の学習の両立を図ることができる。                 
  ○活動のイメージが描きやすくなるため,自己評価の基準ができる。        
  ○安全が確保される。                                    
  ○教師が活動を見取りやすくなる。               など。           

2 見守る支援
 子供は,本来「頼りない存在(helplessness)」であると言われています。ですから,活動がその子にとって挑戦的なものであればあるほど,子供はだれか頼りになる人にそばにいて欲しいと思うものなのです。                 
 そんな時,教師が「支援する存在」として活動場面にあることは,子供を安定させ,活動にいっそう意欲的に向かうことを可能にします。 支援というと,何か子供に話しかけるなどしなくてはいけないととらえられがちですが,それより大切なのは教師の存在のし方でしょう。そこにだまっているだけでも,子供が安心して活動に向かっていけるようであれば,立派な支援なのです。
 いや,むしろ「そこに存在しているだけ」で,子供たちが環境に意欲的に向かっているならば,それこそが理想の支援であると言ってよいかもしれません。

3 五感を使った支援 
 ここでは,活動中及び活動後に教師がどう動くかを述べましょう。
 活動中,教師もその五感をフルに働かせますが,一番働くのは目でしょう。これは上で述べた「存在」とも密接ですが,子供の活動をどれだけ豊かに,正確に見ることができるかが生活科の支援の要です。生活科では,「話す前,行動する前にまず子供を見よ!」が鉄則です。
 特にそれぞれ子供が活動に向かっているときには,あれこれ口を出さずにじっくり見守り,見取りたいものです。
 聞き取るということについても,見ることとほぼ同じです。低学年の子供は思ったことを心の中で整理する前にまず外に向かって話しながら考える発達段階にありますので,その言葉には,不完全ながらもその場での思考がそのまま表現されてくるのです。
 示唆や励ましを与えることが必要な場面も多いでしょう。活動が進む中で「困難場面」が生じます。自力解決が困難そうだと判断したら,ころあいを見計らって関わります。ちょっとしたヒントで,また活動を進めることができる場合もあれば,「きっとできるよ。」などの心情的な支援で活動を連続させることが出来る場合もあるでしょう。
 その子の活動に対するレディネスが不十分な場合には,説明したり,ときには手を取ったりして教えることもあります。 問い返すというのは,「先生,どうすればいいの?」などと,子供が判断の主体を教師に求めてきたときに「○○ちゃんは,どうしたいの?」などと逆に問いかけて,子供を活動の主体に戻す動きです。
 生活科の活動では,教師も子供と同じ活動をする場合があります。しかし,教師の活動は,子供のそれと同等・同質ではありません。子供の活動に還元するための演技なのです。
 また,あるものを子供に見せる場合にあっさりと見せた方が良いのか,もったいぶって期待感を盛り上げた方がよいのかを考えることによって,教師の動きもおのずと違ったものになるでしょう。これは,演出と言ってよいでしょう。 

2.支援の実際   

(1) 安全上活動の範囲を示した支援の実践例(旭川市立富沢小学校)
 自然の豊かな複式学校の実践です。裏山の川で1年生を思う存分川遊びに浸らせてやりたいと考えました。授業者のA先生は,子供たちを川に連れていく前に,あらかじめ川の上流と下流にそれぞれ1本ずつ,赤いテープを張り渡しておきました。
そして,「さあ,ここで自由に遊んでもいいよ。でも,テープよりも上の方や下の方へは行かないこと。」と,活動範囲の大枠を示しました。テープで囲まれた場所は,浅瀬や適度の深さがあり,子供たちが安全に川遊びを楽しめ,また活動も適度に広がることが期待できると考えての支援でした。        

(2) 新しい体験を促すため活動内容を示した支援の実践例(札幌市立厚別北小学校) 
 子供たちと夏の野原に出かけました。B先生が元気に子供たちに呼びかけます。
「ようし,かくれんぼするぞ。先生が鬼だ。みんなかくれろ! 1,2,…」 
 子供たちは歓声をあげて走っていきます。やがて野原はシーンと静まり返りました。B先生は,ゆっくりゆっくり歩き始めました…。 
 これも,フレームワークです。ここでの活動を「かくれんぼ」とすることで,子供たちは,自然の中で息をひそめるという体験をすることになります。草むらの中にしゃがんでじっとしている子供たちは,間近に虫や草花の姿を見ることになります。
C君がつぶやきました。「春にやったときよりかくれやすいや。草が伸びたんだな。」 Dちゃんは,後で「かくれていたら,目の前にクモがいたの。怖いから逃げようと思ったけど,動いちゃいけないからがまんしてたんだよ。そしたら,クモのお尻から水がプクッと出てきたの。びっくりしたよ。あれは,おしっこだったのかな?」と日記に書きました。           

(3) 見守り,見取りによる支援の授業実践の記録例(札幌市立厚別北小学校) 
 「E先生の授業は,子供たちがとてもよい動きをしていました。話し合いの授業だったので,私はその記録をTーC型の授業記録でとっていたんですが,TーC型は生活科には向きませんね。ずうっと,子供の発言が続いて,先生の言葉はたまあに出るだけ。しかも,E先生の言葉はほとんど同じで,『あ,そう』『なるほど』『へえ〜』の繰り返しなんです。」 
 これは,授業記録者のF先生の述懐ですが,記録者泣かせのこの授業は見事な授業だったに違いありません。教師が支援する存在として活動場面にあるからこそ,子供たちの発言が次々と続くのでしょう。  

(4) 見取りを生かす支援の実践例1(札幌市立厚別北小学校)
 G先生の「野原の探検」の授業です。
 H子さんが小さなピンクの花を採って来ました。そして,「先生,これ何ていう名前ですか?」と聞きました。
 G先生は「これはね,ネジバナというんだよ。小さな花がねじれてついているだろう?」と答えました。
次にI子さんが同じように白い花を持ってきて,「先生,これ何ていう花なの?」と聞きました。すると,今度はG先生,「さあ,たしかこの図鑑に載っていたと思うけどなあ。」と答えて,図鑑を渡しました。
 次は,J男君です。細かい毛がいっぱい生えた葉っぱを持ってきて「先生,これさわってみな!」と差し出します。G先生は,さわると「ほう! 面白いもの見つけたねえ! 名前をつけてごらんよ。」と返したのです。
 同じように,花を持ってきたときにでも,「名前を教える」「図鑑で調べるように促す」「名前をつけるように勧める」など,支援は変化しています。もちろんG先生はすべての花の名前を知っていたのですが,それぞれの子供にとって,どのような支援が望ましいかをとっさに判断して,支援を変化させていたのでした。
 やがてI子さんがうれしそうに言いました。「先生,載ってた! ハコベだって。」 J男君は,ビロードモウズイカの葉を友達に見せながら,「なあ,これモウフ草って名前つけたんだ。だって,これ毛布みたいだから。」と自慢していました。  

(5) 見取りを生かす支援の実践例2(札幌市立二条小学校) 
 プールで水に浮くおもちゃを浮かべていました。ところがL男君の船が沈みかかっています。涙ぐむL男君。そこにM先生がさっとやってきました。
「L男君,先生と一緒に直そうよ。」
 L男君とM先生はプールサイドに上がり,ガムテープで修理を始めました。L男君は,どちらかというと工作が得意な方ではなく,その作業は遅々としたものでしたが,M先生はどっかりと腰を下ろしてL男君の作業を見守っています。大人がやれば秒単位でできると思われる作業が5分ほどして終わりました。でもL男君が,「できた。」と言ったときの状態は,やはりまた水に入れると沈みそうな感じでした。すると,M先生は初めて口を開き,「そう,よかったね。じゃあ,先生にもちょっとだけやらせくれる?」と言ってL男君の了解を取ると,L男君のした修理の上からさらにがっちりとガムテープを一巻きしたのです。それで今度は,沈まずによく浮くようになりました。 
 L男君は,大喜びでその後の活動に没頭していきました。これも,L男君の作業能力を正確に見取っていたからこそできた適切な支援でした。 

(6) 見守る支援の実践例(札幌市立厚別北小学校) 
 N君は一人っ子です。今日の生活科は,不安がいっぱい。学校に1才から5才までの小さな子供たちを招待して,一緒に遊んであげようという活動なのです。そんな経験のないN君には,重荷な活動です。
 とうとう活動が開始されました。他の子は,それぞれ「かわいい!」なんて言いながら小さな子のところへ行ってしまいました。N君一人が部屋の真ん中にポツンと残されてしまいました。N君は,O先生を目で追いました。O先生は窓の外なんかを見ています。N君はため息をついて,また回りを見ました。他の子はいろいろなことをして,小さな子と楽しそうに遊んでいます。先生も助けてくれないし,しかたがない,5才くらいの子なら何とかつきあえるかな…。N君は,おそるおそるまず5才の子の方に近づいて行きました。
 O先生は,そっと時計を見ました。N君の葛藤は6分間でした。すぐに活動に入れないからといって,安易に「支援」などするべきではないとO先生は考えていたのです。N君なら,この葛藤を必ず乗り越えてくると,信じていたのです。  

(7) 演技・演出による支援の実践例(札幌市立厚別北小学校) 
 野原で,2年生の子たちがシロツメクサを使って,楽しそうに花かんむりを作っています。1年生のときにも作ったし,このところ,しばらく花かんむり作りが続いたので,男の子たちも上手に作るようになりました。その様子をしばらく見ていたP先生は,隣の空き地に行ってアカツメクサを一抱え採って来ました。そして,一番上手なQ子さんにこう言いました。
「先生に,赤いかんむりを作ってくれないかい?」 
 もちろんQ子さんは大喜びで作り始めます。しかし,作り始めてすぐにQ子さんが言いました。
 「先生,シロツメクサとアカツメクサは違うんだね。」 
 P先生は答えます。 
「ああ,アカツメクサは赤いものね。」
 Q子さんはかぶりを振って,
「いや,色じゃなくて形も。」
 そこで,P先生は近くの子を集めて投げかけました。
「いま,Qちゃんが言ったんだけど,アカツメクサとシロツメクサは色の他にも違うところがあるんだってさ。Qちゃん考えすぎだよなあ。違うのは色だけだと先生は思うよ。」
 子供たちの目が輝いて,アカツメクサの束に手が伸びます。
「あっ,葉っぱの出ているところが違う。」
「葉っぱや,がくの形も違う。」
「背丈も,葉っぱの大きさも違う。」
「アカツメクサは枝になって花が咲いている。」などなど,次々と気付きが出されました。これは,P先生の巧みな演技・演出によって実現したひとコマでした。 

3.まとめ
 これまで紹介した事例などから,支援と一口に言ってもかなり広がりのある領域であることがお分かりいただけることと思います。また,支援は,小手先のテクニックではなく,授業を行う教師の教育観や力量,とりわけ子供を見る目の確かさから発するものであることもお分かりいただけたと思います。
 支援は,生活科教育の中核をなす概念ですが,これが真に生活科授業の中で生きるためには,学級経営,他教科・領域,他学年での指導も支援の教育観で見直され,再構築されることが必然となるはずです。
 また,今後の生活科研究はより心理学に学ぶことも大切と考えられます。
 例えば,「従来の学習指導では,伝統的に,正しい知識の積み重ねが重視されてきた。学習途上で正しく答えられれば賞によりそれが強化され,誤ればこれが罰により消去されていたのである。しかし,概念達成型の学習では,誤答もまた正当と並んで意味を持つ以上,子供が障害にぶつかってつまずき,過ちを犯しても,教師はすぐに正しい道を指し示すべきではない。大切なことは,子供自身がそのつまずきの原因を発見して,これを修正し,正しい考えに変換することである。」(滝沢武久著 『子供の思考と認知発達』大日本図書刊より)などといった研究成果に学びながら,支援の背景となる子供観,学習観をより深めたいものです。
 今のところ残念ながら,「教師は指導してはいけないから,子供の好きなようにさせておく」とか,「支援が大切なのだから,全員に励ましの声をかけなければ。子供のすることを何でも認めてやればいいのだ」などの極端な考えの間で揺れている授業もあるようです。
 以上,「支援の在り方」について,できるだけ具体的に述べてみたつもりですが,まだまだ不十分なことと思います。これをいくらかでも参考にして,実践を通し,望ましい支援の在り方をそれぞれ構築してくだされば幸いです。 

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