たった一人の入学式
99年3月。巣立っていった卒業生80名の中に,悠介(仮名)という子がいた。
彼の小学校入学式は,94年2月。1年生3学期のことだった。これは,彼のたった一人の入学式を実施した前後の記録である。
(なお,彼についての記録はとってあったが,公表は彼が卒業してからにしようと思っていた。)
1.出会い
94年1月。私と6年担任森田先生(仮名)は,校長室に呼ばれた。1年生と6年生に転入生があるという知らせだった。
話によると,その姉弟は,姉(由里・仮名)が1年生の後半から不登校であり,弟は学校というところに一度も足を踏み入れたことがないという。
また,母子家庭であり,お母さんは体が弱いこと,また,姉弟ともやはり体が弱いことが知らされた。
彼らが転入したのは引っ越しのためだったが,その際,区の児童相談員の方が「引っ越し先の学校に,一度だけでいいから行ってみよう」と強く勧めてくれ,やや強引に引っ張ってくることになったという。
「明日の放課後,子供たちがみんな帰った後に,連れてくることになっています。来たら,それぞれの子を温かく迎えてやってください。これから学校に通うかどうかは分かりませんが,まず学校に来るということが彼らには大変なことなのです。できるだけのことをして,受け入れてやりましょう。」と校長は言った。
次の日,私は学級の子供たちに話した。
「みんな,学校は楽しいかい?」「学校は好き?」
多くの子が,うなずく。「大好きだよ!」と言ってくれる子もいる。そこで,
「でも,まだ1日も学校に行ったことがない子がいるんだ。いろいろな事があってね。」
子供たちはとても真剣に聞いていたが,「かわいそう…。」などと,つぶやいていた。
「その子ね,今度引っ越して二条の校区に来たの。それで,学校に行ってみようかな,と思っているんだけど,まだ1日も行ったことがないから,みんなが仲良くしてくれるか,勉強がわからなかったらどうしようかってすごく心配なんだって。みんな,この子の気持ち考えられるかなあ。」
「うん,考えてあげる。大丈夫だから,みんなで優しくしてあげるから来てって,言ってあげてよ。」
こんなやりとりがあって,子供たちは精一杯のことをしてやろうという気持ちになったようだった。しかし,次の日悠介達は来なかった。
やっぱり,学校の敷居は高かったのだろうか,と思っていたら,その次の日に彼らはやってきた。もう薄暗くなる頃だった。校長室に通した。
やせて小柄なお母さんに連れられた悠介と由里は,意外とにこにこしていた。校長室の応接テーブルの上には,その日の給食の牛乳とパンが載っていた。悠介は牛乳を飲んでいた。
校長に森田先生と私を紹介してもらった。私は悠介と握手した。きゃしゃな手だった。
その後,もう薄暗くなり始めた校舎内をそれぞれの担任が案内して歩いた。歩きながら,「好きな遊びは何?」ときくと,「サッカー。」と言うので,まず体育館へ。サッカーボールを出して,軽く悠介の方へ蹴ってやると,蹴り返してきた。スリッパを履いていたせいもあるだろうが,力が弱く,ボールはふらふらと見当違いの方へ転がった。私は,必死でそのボールを追いかけた。追いついて,また蹴り返す。悠介もまた蹴る。しばらく続けていると,力強いボールも返ってくるようになった。「いいボールだ!」と声をかけると,にこにこしていた。
体育館から,音楽室,1年生の教室,多目的室,職員室…,ゆっくりと案内して歩いた。「学校は,とっても楽しいところだよ。」「今,こんなことをやっているんだよ。」と,話しながら歩いた。「あのね,みんな待っているから,明日からおいでよ。」そう言うと,悠介は「うん!」と答えた。
2.始めての登校
次の日,私は玄関で待っていた。彼は,由里と一緒に少し遅れてやってきた。まず校長室に通した。由里の所属する6年生は,ちょうどスキー学習だった。そこで,姉弟ともに1年生の私の学級で過ごすことにしていた。ちょうど午前授業だったし,図工も2時間あり,学校に対する抵抗も少ないのではないかと考えた。
朝の会が終わった頃,悠介達を教室に連れていった。
いつも転校生が来ると大きな拍手で迎える子供たちだが,この日は小さな拍手で悠介達を迎えた。
黒板の日付が,いつもなら「一月二九日」のように書かれているのが,この日は「1がつ29にち」と書かれていた。私が指示したことではない。子供たちの勘の良さ,いたわりの気持ちがうれしかった。
悠介を,一番前の席へ。由里は教室後ろにある私の教卓へと着かせた。
出席をとる。最後に,「大坂悠介君」と呼ぶと,他の子にならって「はい,元気です。」と応えた。他の子から,拍手が湧いた。次いで「大坂由里さん」と呼ぶと,由里も手を挙げて「はい,元気です。」と応えた。また,拍手が湧いた。
1時間目は国語だった。子供たちが出した教科書を見て,由里がつぶやいた。
「ふ〜ん,もうシタをやっているんだ。」
教科書が下巻であることを言っているのだ。6年生が「ゲ」を「シタ」と読む。学校に行っていなかった5年間のブランクが,この一言に詰まっていた。
できるだけ易しいところから,授業を始めなければならないと思った。
教科書を悠介と由里に渡した。悠介に渡した方には,すべての漢字にルビをふっておいた。
「教科書の57ページを開きましょう。」
と指示を出す。まわりの子がさっと開くのを見て,悠介は何をすればよいのかわからないようだ。私が開いてやり,ページを指さして,
「ほら,ここにページの番号が出ているでしょう?」
と言うと,うんうんとうなずいた。しかし,はっきりとはわかっていないようである。由里の方も,かなり時間をかけて開いていた。
「じゃあ,先生が読むからあとをついてきてね。」
と,ゆっくり音読してやる。まわりの子が一斉にあとをついて読むが,悠介は文字を追えない。平仮名もまったく読めないようだ。由里は,何とか読んでいる。それでも,すらすらとではない。まわりの子が,ちらちらと悠介や由里の方を見ていた。
音読はすぐに終えた。初日から劣等感を持たせてはいけない。特に由里に。
指人形を取り出した。ワニとサルの2匹の指人形だ。子供たちが,「あっ,ワニ男く〜ん!」「ピョン子ちゃ〜ん!」と声をあげる。
ワニ男に話させる。
「おっ,新しい子がいるな。おや,2人もだ。あらぁ,後ろの子は大きいねえ。1年生じゃなくて6年生みたいだ。」
子供たちがドッと笑う。
「そうだよ。本当に6年生だもん!」「あのね,由里ちゃんって言うんだよ。」「そして,これは悠介君!」「『これ』は,失礼なんじゃない?」と私。またドッと笑う。悠介も由里も笑っていた。それを見て,まわりの子はいっそうほっとした顔でまた笑っていた。
3.学校生活が始まる
次の日は吹雪いた。その中を悠介と由里はやってきた。玄関を入るなり,私の顔を見て二人で笑った。私は「おはよう!」と声をかけた。悠介は教室へ,由里は校長室へ連れていった。校長室で森田先生に由里を引き渡して,教室に戻った。悠介は他の子と話をしていた。私は,知らない顔をして教卓に着いた。
授業を始めた。国語,音読。指示された部分を3回読んで着席する。他の子と一緒に起立させ,私が側について悠介と一緒に音読した。教室に一斉に音読の声が充満し,やがて静かになる中,悠介だけが残った。悠介はおどおどと周りを見ていた。私は,彼を促して一緒に読んでいった。読み終えると,子供たちから拍手が起こった。
私は教室の前に戻った。私が発問すると,子供たちの手が宙につきささる。悠介は,またおどおどとその様子を見ていた。集中力のある学級だった。悠介にはギャップが大きすぎるかもしれないと思った。しかし,彼がこれから生活する学級であり,毎日吸う授業の空気である。遠慮せずに,いつも通りの速いテンポで授業を進めた。時折,爆笑が起こったりもしたが,悠介は何が面白いのかが分からず,またびっくりしてみんなが笑うのを見ていた。
後半は,学習内容をノートに書く学習だった。悠介には,平仮名のプリントを渡した。50音が薄く印刷されている。「書ける文字だけ,なぞってごらん。できたら,先生に教えてね。」
こういう方法がよいのか,それとも理解はできなくてもみんなと一緒のことをするのがよいのか。どちらが楽しいのか,どちらなら耐えられるのか。私なりに悩んだ。しかし,まず基本中の基本である平仮名の読み書きを大急ぎで身に付けさせる必要があると考えたのである。悠介は,46文字中27文字が読み書きできた。
次の日は,読み書きできない19文字のイラスト入りの入門期用プリントをコピーしておいた。
給食や掃除は,私も気を遣ったが,それ以上に周りの子供たちが優しく声をかけてくれた。
悠介が転入してきてから1週間後,韓国からの転入生を受け入れた。(「アンニョン,アンニョン」をご覧ください。)韓国の子を見て,悠介がちょっとうれしそうな顔をした。今まで自分が学校生活一番の初心者だったのに,自分より下の者が出現した。しかも,日本語が話せない。彼に,先輩意識が芽生えたのだろう。
それと,体育と図工,そして生活科の時間は彼は私の手を離れて自分一人で活動できた。私は芸能教科と生活科という教科のすばらしさをあらためて彼から学んだ。
こんなこともあり,彼は風邪を引いて休んだりしたこともあったが,順調に学校生活になじんでいった。
休み時間に,他の子と遊ぶ姿が見られるようになった。
4.悠介への応援歌
はじめのうち,子供たちは悠介にはれ物にさわるような接し方をしていた。遊ぶときにも,「悠介君,何する?」と聞くなど気を遣っていた。その心地よさが彼の笑顔を引き出していたことも多かった。しかし,一方で思い通りにならないと,黙りこくってしまうこともあった。そうやって他の子がどこまで自分のわがままを許すのかを試そうとしているのだった。
時折,私と一緒に進めていたブロックを使っての算数学習でも,手を引いて下を向き,一切反応しなくなることも出てきた。給食では,野菜に一切手をつけなかった。音楽の鍵盤ハーモニカにも手を触れようとせず,他の子が1学期から練習してきた曲を一斉に,次々と吹いていくのを無表情に見ていた。
彼なりの存在主張と,できないことへの反発がないまぜになって「かたくなになる」という姿に表れているのであった。それは,幼稚園にも行っていなかった彼が,初めての集団生活の中で自分の居場所を確保しようとする内面の闘いでもあった。そんな折り,一つの事件が起こった。
掃除の時間,グループの中でほうきやモップ,ちりとりを誰が分担するかを決める際,悠介が他の子とモップを取り合い,小競り合いを起こしているという。他の子からの報告を聞いて,教室に行くと,悠介はもう一人の男の子とモップを引っ張り合って立ちつくしていた。目が憎しみに燃えていた。
私は「何をしている!」と一喝した。教室の動きがすべて止まった。当番の子たちに状況の説明をさせた。すると,
「あのね,悠介君がモップを使おうとしたのに,修太君(仮名)がそれを取ろうとしたからけんかになったの。」と言う。
すると,修太は「だって,いつも悠介君,モップを取るんだもの!」と訴える。
私は,言った。「おかしいじゃないか!掃除の道具は,給食時間に話し合って分担するんだよね?そして,みんなで使う道具は交代して使うことになっていなかったっけ? この前は,悠介は何をしたの?」モップだった。その前も,そのまた前もモップだったのだ。
私は,まず他の子を叱った。「どうして,悠介君が続けてモップをしたんだ?おかしいじゃないか!」
子供たちが悠介に気を遣っていたのは十分に分かっていた。そして,その気遣いが彼の学校生活への適応を促してくれていたことも理解していた。それ以前にも,子供たちが悠介のためにいろいろなことをがまんしている場面を見ていた。しかし,悠介の「我」がこのような形で表れてきた今,新たな接し方ができるように導かなくてはならなかった。そのため,まず他の子たちを叱ったのである。
次いで,修太を認めた。「修太は,悪くない。修太は,悠介が自分勝手にやっていることをやめさせようとしてくれたんだね。だから,悪くない。」いたずらっこの修太は,意外といった表情で聞いていたが,ほっとした表情になった。
最後に悠介に目を向けた。「一番悪いのは,悠介,お前だ!自分勝手にしてはいけない!学校は,友達の気持ちを考えながら生活していくところなんだ。今日は,違う道具でやりなさい。」彼は,私の勢いに気圧されてほうきを選んだ。しかし,表情は硬かった。私は,悠介の後ろから一緒にほうきを持って,掃除をした。彼の体の硬さが私の胸に伝わってきた。
5時間目は音楽だった。悠介は,鍵盤ハーモニカにまったく手を出さなかった。精一杯の反抗だった。子供たちに,新しい曲の指使いを指導して,個別練習に入ったところで,私は悠介を廊下に呼んだ。
「なぜ,やらない?」
言葉短く聞いた。彼は,そっぽを向いていた。私は「今日が剣が峰だ」と思った。悠介が学校という場に足を踏み入れて,何とか来るようになって,次の山に向かうための通過儀礼にさしかかっているのだと思った。ここを,確実に乗り越えさせてやらないと,悠介は今後伸びていけないと考えた。
怒鳴りつけた。「バカモン! いつまで甘えているんだ!」
びっくりした彼の表情に,重ねて言葉を浴びせた。「みんな,今何をしている?練習の音が聞こえるだろう?今,みんな,できないことに挑戦して,できるようにがんばっているんだ。悠介だけちっちゃなことでいじいじしていて,いいと思ってるのか!学校に来るからには,やるときはやるんだ!さあ,やるぞ!行け!」
勢いに気圧されて,彼は教室に戻った。私は,側でゆっくり指使いを教えた。1小節できたら,オーバーにほめた。周りの子が,練習の手を休めて拍手した。次の小節もゆっくりゆっくり教えた。何度目かに弾けた。さっきより多くの子が拍手した。3小節目までこの調子で進んで,最初から3小節目まで続けて弾かせた。何とか弾けた。学級全員が拍手した。長く長く拍手していた。悠介の顔から,反発の表情が消えていた。彼は,拍手し続ける仲間をちらちらと見ていた。
気を遣うのも,わがままを許すのも,叱るのも,練習を強制するのも,そして拍手するのも,すべて悠介への応援歌なのだった。
5.悠介君の入学式をしよう
2月中旬。子供たちから,ふと声が出た。「先生,悠介君入学式はどうしたの?」私が,入学式にも出ていないことを言うと,子供たちは「それは,かわいそうだ。悠介君の入学式をしよう。」と言いだした。
この学級は,なかなかたくましい子たちが多かった。子供たちの誕生日には,私がその子を肩車して,他の子が歌う「ハッピーバースディ」に合わせて,教室内を一周するというお祝いをしていたのだが,私の誕生日に,子供たちだけで用務員室に行き,台車を借りてきて,その上に私を乗せて体育館を歌いながら一周するというびっくりプレゼントをしてくれたこともあった。そんな子たちだったので,この「入学式」も,「じゃあ,計画を立ててごらん。」とまかせることにした。
さっそく放課後,数人の子が中心になって計画を立てた。校長や教頭も呼ぶということで,私の知らないうちにお願いをしにいったりもしていた。プログラムは,次のようだった。
1.悠介君入場(横藤先生のあとについて。みんなで拍手。) 2.校長先生のお話 3.みんなで校歌を歌う 4.みんなからプレゼント 5.記念撮影 6.悠介君退場(みんなの鍵盤ハーモニカの演奏で) |
私が「ファンファン君(韓国の子・仮名)の入学式はしないのかい?」と聞くと,子供たちは「だって,韓国でしたんでしょ?だから,いいの!」と言う。単なる転入生を歓迎する会とは違うのだというポリシーがあるらしかった。
次に「入学式なら,悠介君のお母さんは呼ばなくていいのかい?」と聞くと,「悠介君に聞いたら,今風邪を引いているんだって。」と言う。そこで,「悠介君に,入学式のこと話したの?」と聞くと,「そんなのナイショに決まっているでしょ。」と言われてしまった。1年生でも,ここまで考えて企画する力があるのだと,感動した。
当日は,緊張気味の悠介を,学校長,教頭,教務主任,保健主事というゲストとともに,みんなで温かく迎える会が実現できた。校長が,挨拶の中で「悠介君,学校は楽しいですか?」と聞いたとき,悠介はまっすぐに顔を上げ,はっきり「はい。」と応えたのだった。
後日,悠介の母親から手紙が来た。
「今まで,いろいろありました。もうだめだと思ったこともありました。でも,考えてみれば今が一番幸せです。先生のおかげです。感謝しています。」
6.その後
悠介は,この後よくがんばった。3年生の終わりには,特に学習面にも配慮することなく,ごく普通に学校生活を送るようになった。由里は無事に卒業し,中学校ではブラスバンド部に入ってがんばるようになった。中学校の修学旅行では,わざわざ私におみやげを買ってきてくれたし,高校にも入学し,その報告の電話をくれたりもした。病気が心配されていた母親も,子供たちが健康になるにつれて,健康になった。そして,就職先を見つけて働きだした。母親の「生きる力」を引き出してくれたのは,悠介と由里のがんばりである。そのがんばりを引き出したのは,「入学式」を企画・演出してくれた子供たちである。いくら感謝してもしきれない。