我が家の教育から


 我が家の「発達仮説」(1988年11月2日発行の学級通信より)

 夜,娘を寝かしつけた後で,家内と酒を飲んでいた。(不良夫婦なのです。)
 話題は娘の優(1才)のことだった。優は,2〜3か月前に,食事時に食べ物を床にポイポイと落とすことが続いたことがあった。このところ,それがひと落ち着きしたと思っていたら,最近また復活してきた。私たちはそれを「ポイポイ病」と呼んでいた。
 ポイポイ病が復活したので,家内は少しがっかりしたらしい。優に対する注意の仕方も「どうして,またするようになったのか」という軽い叱責の調子を帯びているように感じた。それはほんのかすかな兆しであったが,私には気になった。そこで,次のような会話となった。
「オイ,ポイポイ病が復活したもんでがっかりしてるべ。」
「そうなのよ。せっかく治ったと思ったら,この頃またポイポイして,こっちの顔色を見ているようなの。」
「ふうん,で,少しイライラしてくるわけだ。」
「あら,イライラしているように見える?」
「ちょびっとな。教師っつうのは,こういうかすかな兆しに敏感なのであるよ。」
「イライラってほどじゃないけれど『どうしてまた始まったんだろう』って思っちゃうわ。」
 そこで私はそばにあったチラシの裏に直線のグラフのような図をかいた。

 「あのな,こんな風に子供が育つというイメージを持ってないか?多くの人は漠然とこういうイメージを持っていることが多いんだ。スポーツなんかでも三流のコーチは,こうだな。昨日できたことは,今日できて当たり前っていう感じだな。だけど,俺がやってた空手なんかじゃ『うまくなる前にヘタになる』って言われてるんだ。上達の前の『たわみの時期』とも言われている。」
 家内は黙って柿の種を食べながら聞いている。私はもう一つ図をかいた。でこぼこの曲線のグラフである。
「発達というか,成長,上達っていうのか,そういうもんは,でこぼこしながら昇っていくのが正常なんだ。もし,直線的に昇ったことがあるとしたら,その子は思春期以降に訪れる価値観のひっくり返しに耐えられなくなることが非常に多いのだ。この落ち込みというかバックする部分で,子供の成長力を信じて,優しく励まして,待つことが教育するものに求められるんじゃないかなあ。俺がこの間学習発表会の練習で子どもたちに怒鳴った時なんかは,完全にこの『たわみ』を理解できないで,直線的にうまくなることを願ったために失敗したんだな。今にして思えば。」

 家内が口を開いた。
「このグラフ,わかりやすいね。いろいろあって最終的にはちゃんと成長しているってわけね。伸びているときにうれしがって,バックしている時にがっかりするのは近視眼的っていうか視野が狭いっていうか,なのね。」
 
 私たちは,この考えを「横藤家の発達仮説」と名付けた。
 昨日できたことが今日できるとは限らない。
 人の成長は,舗装道路をスイスイと行くように考えるのでなく,でこぼこ道をでこぼこといくように考えよう。どこまでも子供につき合ってやろう。調子のいいときも悪いときも。
 こんなことを確認した酒でした。オソマツデシタ。



小さなことだけれど(1989年10月14日発行の学級通信より)

 昨夜の夕食時のことである。妻と娘(2才)の間に次のようなやりとりがあった。
娘「牛乳チョーダイ。」
妻「今日はたくさん飲んだから,麦茶にしようね。」
娘「麦茶デナイ。牛乳飲ム。」
妻「じゃ,お水にしようか。お母さんもお水飲むから,優もお水にしようね。」
 (娘は,軽いアトピー性皮膚炎なので,牛乳や卵の摂りすぎに注意しているのである。しかし,娘は牛乳も卵も大好き。)
娘「オ水,飲ムデナイ。牛乳飲ム。」
妻「でもね,今日はたくさん飲んだでしょ。お水にしようね?」
娘「オ水デナイ。牛乳飲ムゥ。…。ウェ〜ン。」
妻「ああ,ハイハイ,分かった分かった。でも少しだけだよ。それと,これでおしまいね。」
 こう言って,牛乳を与えようとしたのである。
  
 ここで,私は肉じゃがを頬ばりながら「オイ。」と一声かけた。上のやりとりの中に,好ましくないパターンが見えたからである。ここで助言を与えるのが,この場の私の役目というものであろう。
 さて,私はいかなる助言を与えたであろうか。読者の皆さんは上のようなやりとりにどのような問題を発見しましたか?

 私は次のように言った。
私「オイ。今のパターンはまずいな。」
妻「う,うん。私も自分でちょっとイヤだなって思っているの。」
 (と,少し緊張して言う。教育についてだけは口うるさいダンナを持つと,妻たるもの大変なのである。)
私「今のパターンはさ,優(娘の名前です)にしてみれば『泣けば自分の言い分が通る』ということをしつけているようなもんだぞ。」 
妻「………。」
私「今みたいな場合はさ,あれこれ言わないで牛乳をやるのさ。そして,そのときに『これでおしまいだよ』って言うのさ。優にしてみれば飲みたい牛乳をいきなりストップさせられるんだから,泣きたくなるのも当然ということだよ。『これでおしまい』っていう予告というか,打つ手がきちんとあって,それでもなおわがままを言って泣くのであれば,これは断固として受け付けるべきではない。子供に通じない親の勝手な判断で『いいよ』『ダメよ』を繰り返すのは,子どもの気持ちを不安定にさせるばかりだよ。」
妻「そうねえ。…優,これで最後だからね…。」
娘「ウン。」
と,おいしそうに牛乳を飲む娘。飲み終えて,…
娘「オ水,チョーダイ。」
私「な,言えば分かるんだよ。」

 おそまつな一席であるが,このような心がけというか配慮は娘のような小さな子だけじゃなく,小学生相手の時も必要だと思う。
 例えば,ファミコン。例えば家庭学習。例えば兄弟げんか。…
 どんなときでも,子供によく言って聞かせ,納得させることが大切だ。そして,いったん決めたことは親の方からなし崩しにしてはいけないと思う。
 とりたてて扱うようなことではない小さなことだけれど,およそ教育の大部分はこうした小さなことをきちんとすることで成立していくのだと思う。
 そう思い,あえて我が家の恥を紹介した次第。


99年のコメント
 学級通信に自分の家のことを書くのは,どうなのだろうとも思いましたが,結構いろいろ書いてきました。家のことを書くと,保護者からお返事が来る割合も多かったようです。「奥さん,大変ですね。」と言われたこともあれば,「奥さん,うらやましい。」と言われたこともありました。ま,親しみだけは感じてもらったように思います。

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