別れの弁(1989年3年生修了式の通信)
私が教師になろうと決意したのは,一編の詩に出合ったことにありました。次の詩です。
鹿 村野 四郎 鹿は森のはずれの夕日の中に じっと立っていた 彼は知っていた 小さな額がねらわれているのを けれども彼にどうすることができただろう 彼はすんなり立って村の方を見ていた 生きる時間が黄金のように光る 彼の棲家である 大きな森の入口を背景にして |
まるで名画の前に立っているかのような鮮やかな感動。猟師の鉄砲に絶体絶命の危機にありながら,美しい鹿の姿。しかし,そうした絵画的な美しさよりも何よりも,私は「生きる時間が黄金のように光る」という一句に強烈に引きつけられました。
ちょうど教育実習が終わったころでした。黄金のように光る時間が,教育実習の時にあったように思えました。
子供たちと時間を共有し,その時間を輝かせることが,子供たちにとっても自分にとってもかけがえのないことであると思い,私は教師になったのです。
時間が輝くためには,いくつかの条件が必要です。その条件の中で最大なのは教師に力があるということです。人間としての力,そして専門職としての技術,それらが一体となって教師の力と言えます。
このクラスでは,私の力不足から子供たちを「輝けなくしてしまった時間」も多くありました。
それでも,今思い起こされるのは,子供たちの顔が,教室の空気が,笑い声が輝いていた時間ばかりです。
「輝く時間」をどれだけ持てたかで,その年の実践を評価すると,この1年間がやはり最高でした。(もっとも,そうでなければ教師を続けてはいられないと思います。以前の方が良かったというのは,教師としての成長が止まっているか,衰退しているかということですから。)
歌声が,明るいクラスでした。色々な場面で「歌おう」と言い出すクラスでした。
討論が,激しく続くクラスでした。論客が,個性豊かに意見を述べ,しかし後くされはありませんでした。
ユーモアたっぷりのクラスでした。「豆テストやるぞ〜。」「エ〜ッ!?」「AもBもない!」「シー!」 こんなやりとりがいつも交わされていました。
授業中に見せてくれた子供たちのきれいな表情。一人ひとりの目の動き。思い出すほどに,いとおしい。
この子たちと,今日で別れます。タイムリミットです。ふと半袖姿の子供たちと,太陽の下を走り回りたくなる衝動にかられたりします。しかし,教育の仕事はタイムリミットを延ばすわけにはいきません。さわやかに,今日別れたいと思います。
別れたら,私はまたこのクラスを乗り越えるクラスをつくるために出発しなければなりません。
子供たちもまた,私の教えを乗り越え,成長していってくれることでしょう。
人と人が出会い,教え合い育ち合って,別れる。共有する時間の輝きもいつかあせていく。だから教師である私はいつも寂しいのです。しかし,今日私の教師人生の中で最高の光の中で,別れを告げることの幸せも感じつつ…。
ありがとう,そしてさようなら。
99年のコメント
美文調の通信です。あとで聞くと,涙を流しながら読んでくれた家庭もあったとか。ありがたいことです。このクラスの子には年賀状に「一緒に飲める日まであと○年」というカウントダウンをしてくれる子がいます。私もその日を楽しみにしています。