ワンダー! 6月分

平成13年6月2日(土) 第21号  運動会で育つもの

◇いよいよ明日は運動会となりました。何とか晴れそうで,よかったと思います。お弁当作り,よろしくお願いしますね。
 今日は,運動会練習の中の3つのエピソードから…。

「聞いて動く」「見て動く」
◇練習時は肉声で,あるいは放送で次々と指示が入ります。
「立って下さい」「まっすぐに並んで」「男子は,こっち。女子はこっち」「大きなかけ声を出して!」「走り終わったら,ここに座って」…
 指示を出すと,子供たちはそれに従って動きます。しかし,それを見ているとその指示への従い方に2つあることが分かります。

A…「立って下さい」の声を聞いて動く子たち
B…Aの子たちが立ったのを見て動く子たち

◇結果としてみんな立つのですが,AとBでは内容に雲泥の差があります。
 Aは,指示への従い方が主体的です。指示への集中力があり,言葉を理解し,自分の判断によって自分の行動を起こすことができます。行動がきびきびとしています。
 Bは,指示への従い方が盲従的です。集中力に欠け,周りの状況に合わせて何となくみんなと一緒に行動していれば安心だから動いているのです。ワンテンポ遅れます。

◇こんなことがありました。
 教室で,「グラウンドに行って待っていてください。」と指示を出しました。出ていった子供たちなのですが,ちょっとするとバラバラと戻ってきます。理由を聞くと,2組の子が戻って来たのを見て,自分たちも戻ってきたというのです。
「先生は,グラウンドに行きなさいと言ったんですよ。」と語気強く言いますと,あわててグラウンドに戻っていきました。
 指示に対して「見て動く」ことは,極力排除しなくてはなりません。私は,子供たちが主体的に自分の頭で考え,自分で選択判断して行動できる子に育てたいと思っています。ですから,「見て動くな!聞いて,考えて動け!」という叱咤をこの3週間の練習期間中,何度も何度も言ってきました。

◇明日の本番でも,お子さんの動きが主体的か盲従的かという視点でもご覧になると,よいのではないでしょうか。そこを育てることが運動会の大きな目的なのですから。そして,
それは運動会だけでなく,日常の学習や生活にも生きて働く力なのですから。

ちょっぴり強く
◇よさこいの練習で,豆絞りを頭に巻きます。初めて豆絞りを渡した日,多くの子が私の前に並びました。(これも,誰かが並ぶとそれを「見て」後ろにつく子が多いことの一つの表れです。)「先生,しばって。」という訳です。
 もちろん,やってやりません。「自分たちで何とかしなさい。」と言いますと,何とか自分たちでやっています。できるんですよね。(「できることはさせる」は教育の大原則です。ここを,手を出す大人がいて話がヘンになるのです。)
踊り始めました。弱いしばりの子たちの豆絞りが外れてきます。こういう場面,自分の頭で考える絶好のチャンスです。落としても平気な子。踊りをやめてしばり直す子。外れた豆絞りを首にかけて踊る子。様々です。(後で首にかけるのがいいね,と指導しました。)

◇中に一人,外れたので悲しくなって泣いてしまった子がいました。泣きじゃくって,まったく踊ることができません。しばらく様子を見ていましたが,とうとう1回の踊りを最後まで泣き通してしまいました。そこで,その子を連れ出して近くの空き教室に入りました。膝に乗せて「どうした?悲しくなっちゃったかい?じゃあ,ここで泣いちゃいな。」と言ってやります。遠くから2回目の踊りの声と音が聞こえてきます。またちょっと泣いて,体から力が抜けてきました。そこで,豆絞りを首にかけて戻りました。今度は,元気に最後まで参加しました。
こうやって,ちょっぴりちょっぴり強くなっていくのですね。

◇明日本番も,きっと思わぬことが起こって,涙が出ちゃう子もいるかもしれません。でも,そういうときこそ,強くなるチャンスです。結果をうまく出すというところにだけでなく,アクシデントを乗り越えるというところにも,おうちの方の応援をお願いしたいと思っております。

拍手
◇玉入れで,赤が勝ちました。アナウンスで「赤の勝ち!」とコールすると,子供たちは「イェーイ!」 喜び方,上手です。
 片付け競争で,白が勝ちました。「白の勝ち!」というと,黙ってしまいました。「負けた方が拍手するんだよね。」と言いますと,パラパラ…。
 
◇自分に勝利した相手を祝福する,というのはとても高次元なことだとは思います。これが自然にできるということは,なかなか難しいことでしょう。つい「ちぇっ」というような気持ちになるものです。
 しかし,中にはちゃんと拍手をする子もいます。うんとほめます。すると,周りの子も拍手します。その子たちをまたほめます。拍手の輪が広がります。こうして,「まず形から入る」ということもあってよいでしょう。ほめられて拍手しているうちに,拍手することの心地よさが感じられることもあるかもしれません。

◇明日は,おうちの方にもうんと拍手をお願いしたいと思います。拍手につつまれる心地よさを感じた子は,人にも拍手を向けるようになるでしょう。

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おまけ 温室横の学年園に,昨日トウモロコシと枝豆の苗を植えました。観戦の合間にどうぞご覧ください。


平成13年6月5日(火) 第22号  雨の運動会もまた良し

◇前号で「何とか晴れそうで,よかったと思います。」と書きましたが,当日はアノお天気でしたね。
 しかし,朝早くから,次々にやってくる子供たちの表情は,明るく元気でした。開会式の途中でポツリと来たときも,意外と子供たちは平静だったように感じました。

◇運動会は,晴れた方が「快適」に決まっています。しかし,晴れた方が「良い」とは言い切れません。
 私が,学生時代から何度も読み返した本の中に,東井義雄(とういよしお)という教師のものがあります。東井は,次のように言います。

教育においては,「不足」より「豊かさ」をこそ警戒しなければならない。

 東井が言うのは,こういうことです。
『人間というものは,困ったことがあって,それを何とかしなくてはならない,乗り越えなくてはならないとするときに真に力を発揮する。逆に,不足のない状態では人間はどうしようもなく怠惰になり,目先の快楽に心を奪われてしまう。教育においては,物品の整備が整えば整うほど子供たちの心は貧しくなる傾向にある。「かわいい子には旅をさせよ」という諺は,この辺のことを言っているのである。』
 私もまったく同じように感じます。
 
◇似たようなことを,ユニセフ大使の黒柳徹子さんが言っています。
 黒柳徹子さんが,ユニセフ大使として東南アジアの国々を巡って歩いたとき,やせ細っている子供たちの目が皆きれいでキラキラとしていたことにとてもびっくりしたのだといいます。そして,それを『トットちゃんとトットちゃんたち』という本に紹介しています。(トットちゃんは,黒柳さんの小さな頃のあだ名。そしてトットちゃんたちとは,スワヒリ語で子供のことを「トット」と呼ぶので,こういう題名になったと書かれていたように思います。)
 今,手元にないので,違っているかもしれませんが,たしか本の中に次のような一節があったように記憶しています。

「開発国の子供たちは,みなやさしかった。聞くと,いじめも自殺もないという。水たまりの泥水以外は飲む水もなく,食べるものも満足にない。そして,次々に仲間が死んでいく。それなのに,子供たちの表情はとてもきれいだった。私は,出会う子供たちに聞いて回った。いじめはないのか。自殺する子はいないのか。どこにもいなかった。
 誰一人いじめる子,いじめられる子,そして自殺する子もいなかった。絶望的な状況の中なのに,子供たちはみな優しく,希望を持って生きていた。私は,泣きながら訴えた。日本ではたくさんの子供たちがいじめにあっているんです。そして,たくさんの子が自殺しているんです。どうして,どうして…。」

◇さらに次のデータからも考えさせられます。

マウスを4種類の育て方で飼いました。寿命が長かった順に並べてみてください。
 @一生食べ物を制限したマウス
 A一生食べ物を制限せず自由に食べさせたマウス
 B成長期に食べ物を制限し,その後制限したかったマウス
 C成長期に制限せず,成長してから制限したマウス

 お分かりになりますか?
 一番長生きだったのは「成長期に食べ物を制限し,その後制限しなかった」マウスたちでした。次が「一生制限」,そして「成長してから制限」と続き,一番短命だったのは「一生制限しなかった」マウスたちだったのです。
 そういえば,戦後55年以上たち,戦中派といわれる人たちが高齢化を迎えていますが,この人たちいわゆる昭和一桁生まれの人たちは寿命は長いという結果がでています。この世代は,成長期に食べ物が無かった時代に育ち,制限されてしまった世代です。寿命が長いのは成長期に食べるものが無かったからという学説があるそうです。

◇話がやや飛躍しました。戻ります。運動会は,晴れた方が快適です。しかし,「良い」とは言い切れません。あの状況の中での盛り上がりは,あの天気のおかげと考えた方が,よいのではないでしょうか。
 天気に負けず,一生懸命に競技・演技し,熱い声援を送った子供たちの表情は,曇り空をバックにとても輝いて見えました。そう考えると,あの雨交じりの天気もまた良し,と思えるのではないでしょうか。
最後に,ある保護者の方からいただいたメールをご紹介します。

こんばんは。
 今日はあいにくのお天気でしたが、心はすっきり晴れています。
 1年生と比べると、2年生は随分大人に見えました。そして、あの笑顔と声とまっすぐな視線には本当に感動しました。(中略)
 今回の運動会は、私も母も参加させていただきました。あんなに熱く綱を引っ張ったのもよさこいで飛び跳ねたのも、玉を投げたのも初めてのような気がします。

 前日にワンダーを母も読んでいましたので、力の限りの応援と拍手で、おかげさまで手は真っ赤にはれあがり、声はかすれ、体中本当に痛いですが、気持ちは充実しています。
「こんなにいい運動会はなかなかないね〜!」と、喜んで旭川に帰って行きましたので、「来てもらってよかったな〜」と、思います。(でも、明日からだ大丈夫かな?)
 こんなに熱いエネルギーもらって、ありがとうございました。子供たちにも伝えてください。「ありがとう」

 皆さんからも,感想などお待ちしています。


平成13年6月12日(火) 第23号 大坂の児童殺傷事件を考える

◇とんでもない事件が起きました。大坂池田小の児童殺傷事件です。亡くなった皆さんに心からご冥福をお祈りすると同時に,被害に遭われた方々の心身のご快復をお祈りします。

◇さて,この種の問題を考えるとき,私は2つの面から見ることが大切だと考えています。
 一つは,「学校のセキュリティ」の面です。学校のセキュリティは,ケガや病気に例えると対処療法の部分です。今回の例で言えば,
・もし,本校に包丁を持った者が乱入してきたら,どうすればよいのか。
・本校に今ついているオートロックや外部者への名札着用義務というシステム以外に,どんな予防手段があるのか。
・子供たちへ,そうした事態になったときはこうすればよいという「護身術」あるいは「避難訓練」を,どう施すか。
・学校公開等において,外部者のチェックはどのように行えばよいのか。
等です。

◇そして,もう一つの目は「社会の病理」という面です。根本治療の部分です。
・なぜ,バスジャック,金属バットでの親殺し等,陰惨な青少年の犯罪が増えているのか。戦後日本の進んできた道を振り返って構造を究明すべき。
・精神に異常のある人の野放し状態,また裁判等での「優遇」をどうすべきなのか。人権というものの枠組みを見直すべき。
等です。

◇ケガや病気と同じで,まず「対処療法」から考えるべきです。多くのマスコミや識者は,根本治療の範囲をなでまわしてばかりです。「開かれた学校」と今回の事件との関連を指摘する人もいます。私はそれは,まったく次元の違う問題だと思います。今回の乱入者は「開かれた学校教育活動」に乱入してきたのではないのです。今回の問題は,まず学校のセキュリティの問題なのです。そして,この問題に関しては私個人があれこれ言うことではなく,学校としてどうなのかを考えていかなくてはなりません。(上の例で言えば,オートロック等のシステムの見直し,外部者のチェック等を再度話し合います。)

◇しかし,速やかに子供たちに指導を施さなくてはならないのも事実です。
 そこで,子供たちに話したことを以下に書いてみます。

先生がそばにいたら,先生たちが命に代えてもあなた達を守ってあげる。

 子供たちは,とても不安に感じているはずです。まず,上のように言って安心させてやりました。今回のようなことがあっても,学校は子供たちにとってまず安心できるところでなくてはならないと考えます。

でも,もし怪しいと思う人がいたらすぐに先生達に教えてね。名札をつけていない人がいても教えてね。グラウンドなどに見知らない大人がいるときも,職員室に教えてね。

 安心するということと,無警戒であるということは違います。子供たちの中にも防災意識を持たせることは大切です。

万が一,誰かに襲われた場合は,まず全力で逃げなさい。そして,大きな声を出しなさい。戦おうなんてするものじゃありません。

 「襲われたらどうする?」と聞けば,元気のいい子の中には「噛みつく」「蹴飛ばす」などという子も出てきます。テレビや映画などでも,そういう場面をドラマチックに描きます。しかし,まず逃げることが基本です。大きな声を出すのも,その場ではなかなかできません。
 私は,若い頃は空手をやっていました。何度か護身術教室で,指導をしたこともありますが,後ろから抱きつかれたら大きな声を出すという訓練をすると,受講者同士の練習の時は,楽しげに大声を出していた人も,私たち講師が勢いよく,力強く,素早く抱きついて押し倒すまで,まったく声を出せないものなのです。
 昨年,6年生を担任していたときに,全員を対象に「前から腕をつかまえられた瞬間に声を出す」という訓練をしたことがあります。訓練ですから分かっています。前からですから見えています。それでも声を出せる子は,半分強というところでした。そんな話もしてやりました。

もし,つかまってしまったり,追いつめられたりした場合は,相手を見なさい。
相手が,例えば「誰かを呼べ」などという要求を持っている場合は,おとなくしして大人にまかせなさい。必ず助けてあげます。
相手が,今回のように狂っている場合は,近くにあるもの(消火器などはもっとも効果的)で,なければめちゃくちゃに暴れて抵抗しなさい。

 まあ,この段階になればその場での実行はまず不可能とは思いますが,万一の可能性を考えて指導しておくに越したことはないでしょう。この指導をおもしろがった子もいましたので,「ふざけて聞く内容ではない!」と厳しく注意もしておきました。
 ご家庭でも,家や近所での防災について,話し合いを持たれてはいかがでしょうか。
「社会の病理」についても,いつか触れたいと思っています。
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おまけ
・先週は,風邪をこじらせて欠勤してしまい,ご迷惑をおかけしました。運動会前から微熱が続いており,疲れがたまっておりました。そのせいか,週プログラムには,第2土曜日である9日の学習予定を載せてしまうわ,学習予定にないザリガニは届いて急きょ生活科をするわなど,ちょっとゴタゴタしてしまいました。本当に申し訳ありません。もう回復しました。また,がんばります。
・明日は青空交流会です。登校時刻を「なかよし」で8時25分と書きましたが,15分の間違いでした。これまた,ミスで申し訳ありません。明日は晴れると良いですね。


平成13年6月16日(土) 第25号  初めての詩・青空交流会
◇青空交流会で印象に残ったことを,詩に書きました。予定では作文にしようかと思っていたのですが,聞くと1年生の時に詩を書いていないというので,早い時期に詩を経験させておきたいと考えたのです。
「作文は,あることについて順序よく,くわしく書いていくよね。だんご3兄弟(後述)で書くんだよね。でも詩はね,心に強く残ったことを,短くズバリと書くんだよ。」と話し,いくつかの詩を読んでやりました。読んだのは『せんせいけらいになれ』の中からの数編です。子供たちは,笑い声をあげたり,時にはシンとしながら聴き入りました。それほどつぶぞろいの作品集です。しばらく経つと,「先生,書きたい!」。そこで,もう一度「ズバリと書くんだよ。」で,書きました。それが,次の作品です。
(「だんご3兄弟」とは,作文に盛り込みたい「見たこと,したこと」「聞いたこと,話したこと」「思ったこと,考えたこと」の3つを言います。私の命名です。)
 初めてですから,まだ作文のようなものや心がズバリと表現できていないものもありますが,まず書いてみたことに意義があります。どうぞ,読んでやってください。

ドキドキこわい 加
 むかしの家にいった
つぎにたたみのへやにいった
そしたら人ぎょうがいた
人ぎょうがしゃべってた
私はこわかった

ドキドキ 板
たけうまにのるとき
はじめてのるからドキドキしました
のってみたら
いっぽしかあるけませんでした

おべんとう 林
みんなでおべんとうをたべました
たべおわったら
おやつのとちゅうで
クイズをしにいきました

ドキドキしたこと 佐
クイズがたのしかった

人ぎょう 竹
人ぎょうがしゃべった!
人ぎょうがしゃべったときは
 ちょっとこわかった
 人ぎょうは
 「とんとんとん」と音がした

人ぎょう 新
先生をさがしてた
二かいへいったら
いきなり人ぎょうが出てきた
ドキドキした

クイズ 本
二年生のクイズは
すごくむずかしかったです

青空こうりゅうかい 村
きのう,クイズをしました
それで,さいしょにみつけた先生は
はまかけ先生です
それで,どんなクイズを出すのかなー
と思いました

たけうま  小
ひさしぶりにやったから
すぐたけうまがたおれてしまいました

 オタマジャクシ  矢
ぼくはおべんとうをたべおわったら
オタマジャクシをとりました

ドキドキ 菅
クイズをしたら
みんなこたえた

クイズ 佐
わたしはクイズのときに
楽しみにしていました
さいしょに
にしだ先生のクイズにいきました
たねのもんだいでした
こたえられなくてくやしかったです

人ぎょう 新
人ぎょうがしゃべった!
とってもこわかった

たけうま 板
はじめてやりました
ドキドキしました
けど1ぽしかできなかった

バス 清
バスにのるときドキドキしました
かえるときせまくて
おなかがいたかったです

人ぎょう 坂
きのう青空こうりゅうかいで
人ぎょうを見て
ほんとうのだとおもって
たのしかったです
それといろんなばしょにいきました

チカテツ 塩
チカテツにのってたら
がったんとなって
手をくるくるさせてころびそうになった
とおもったら
どすんとしりもちをついた

かいだん 服
かいだんをのぼるとき
ぎーしぎーしという音がして
こわかったです

こわい 藤
きのう青空こうりゅうかいで
いちばんこわかったやつは
かみきりやさんとびょういんです

青空こうりゅうかい   清
きのうかいたくの村に行きました
さいごのほうに行った
うまの人形とか
人の人形があるところの家に行った
そしてまこは
一年生のえりなちゃんと
おしりをたたくと
その人形がはいはいと言いました
まこのひまわりはんぜんいん
そとにでました
こわかったです

クイズ  熊
にしだ先生のクイズが

ドキドキ 菅
クイズをしたら
みんなこたえた

青空こうりゅうかい 近
さいしょににしだ先生もんだいをだされて
もんだいはたねのもんだいで
できたのは三もんしかできなかったです

こわい 神
きのうは青空こうりゅうかいの日です
なんかのみせに入ると
だれかがひげをそってくださいというと
人ぎょうがしゃべりました
ゆみはこわいとおもいました

青空こうりゅうかい  井 
きのうクイズをしました
それでさいしょにみつけたせんせいを
みつけました
だけどまちがえました
だけどごうかくしました
つぎににしだせんせいにあいました
それでぼくはぜんぶこたえました
そしたらぼくはあってました
さいごにえのもとせんせいと
いとうせんせいがいました

◇提出分をすべて掲載しました。詩は,心で書くもの。お子さんの心を「拡大解釈」して楽しんであげてください。子供の世界は,大人が自分のことや発言に心を寄せてくれたところから広がっていくのですから。


平成13年6月25日(月) 第26号  短作文の指導

◇個人懇談で,何人かのおうちの方に話したことですが,習熟タイムで短作文に取り組みました。習熟タイムは,1モジュール15分という短い時間ですので,できることは限られています。そこで,次のように展開しました。

◇まず,子供たちに次のように言います。
「これから,先生があることをします。それをよく見て,そのことや思ったことを作文にしましょう。」
 そして,さっそくあることをしました。ある子は,それを見てノートに次のように書きました。

せんせいが,へんなことおしました。

 さて,おうちの人はこの作文をどのように評価なさいますか?

◇私の評価を述べる前に,別の子の作文をご紹介します。

てをたたいた。

先生が,手をたたいた。
先生がぱちっと手をたたいた。

 これは,下にいくほどだんだんよくなっていると評価します。理由は以下の通りです。
・「へんなこと」という自分の印象を書いても,事実は伝わりません。
・主語が抜けている文は,原則的に望ましくありません。(詩は例外です。)
・「ぱちっと」のような言葉を入れることで,文が生き生きとしてきます。
・ついでに言うと,習った漢字はしっかり使う方が良いですね。

◇子供たちにも,このへんの観点を伝えます。だんだんこれが伝わってきて,子供たちの作文も少しずつ変化します。
2回目の習熟タイムでは,私は怒ったふりをしました。それを,ある子は次のように書きました。

先生がおこりました。


先生が,こしに手をあててへんなかおをしました。そして,こわい声で「こら!」と言いました。ちょっとこわかった。

 こうした作文を比較させ,「伝わる作文」とは,どのようなものかを具体的に考えさせていくのです。
 4回の取り組みで,子供たちの作文はかなり変化しました。事実と自分の思いをうまくまとめる力が育ってきているのです。少し,ご紹介します。

先生が,先生のふくのポケットからはんかちをだして,ハンカチをひらいて,みんなに見せて「これが先生のはんかちです。」といって,わたしは「ふーん,これが先生のはんかちかあ。」と思いました。 (加)
先生がとから入って「おはよう。」と言って,「みんな元気そうだね。」と言うと,「わすれものした。」と言って出てきました。なにをわすれたのかな。 (新)

◇作文をうまく書く力を育てることは,総合的な表現力を育てる上で欠かせないことです。 4月当初,文字を書くこと自体に抵抗のある子が多数いましたが,現時点で,書くこともだいぶ自然になってきています。今度は「どう書けば伝わるか」に着目させて,作文を楽しく鍛えていきたいと思っています。
 家庭学習の一言日記も,継続している子は自然に伸びてきています。これからも,息をするように,歩くのと同じように自分の体験や発見を文章にできるように,時間をかけてじっくり育てていきたいと思います。

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おまけ
・おまけで書くようなことではないのですが,個人懇談へのご協力をありがとうございました。保護者の皆さんの心を開いたお話を聞かせていただき,とても有意義な時間となりました。
 また,時間を守っていただき,とてもありがたかったです。ほとんど予定された時間で進めることができました。ちょっと延びて,1,2分といったところだったでしょうか。本当に感謝です!
 一つ,皆さんにお聞きしたいのですが,家庭訪問をなくして地域訪問と個人懇談を年に2回という本校の取り組みは,おうちの方にとってどのように受け止められましたか?やはり家庭訪問をしてほしかった,という方もいらっしゃるかもしれませんね。
 もしよろしければ,別紙またはお子さんのノート等にご意見をいただければ,とてもうれしいです。どうぞ,よろしくお願いいたします。


平成13年6月26日(火) 第27号 タテとヨコ(1)

◇『ワンダー!』23号(児童殺傷事件)で,次のように書きました。

もう一つの目は「社会の病理」という面です。根本治療の部分です。
・なぜ,バスジャック,金属バットでの親殺し等,陰惨な青少年の犯罪が増えているのか。戦後日本の進んできた道を振り返って構造を究明すべき。(中略)
「社会の病理」についても,いつか触れたいと思っています。

 で,本号はそこについて。(ちょっとカタくて長い話になります。)

◇以前,「教育とは矛盾する2つのことを同時に実現することを求められる営み」と書いたことがあります。その一つとして,「タテとヨコ」の人間関係があげられます。織物が縦糸と横糸の絡み合いでしっかりと織られるように,子供の人格形成もタテの人間関係とヨコの人間関係の組み合わせが大切なのです。
 タテの人間関係とは,上下関係・秩序・しつけなどといったものです。文化の継承という機能が成立するためには,欠かせないものです。
 ヨコの人間関係とは,平等・心の通い合い・連帯感などといったものです。人間らしい感情を育むには欠かせないものです。
 日本の現代社会は,「何でもアリ」になりました。タテの人間関係が消滅しかかっているのです。その分,ヨコの人間関係が太いものになっているかというと,そうでもなく,だんだん個々が孤立していっているところに問題があります。

◇紙幅がありませんので,「タテ」の人間関係についてちょっとご紹介します。(メールマガジン「JOG Wing 国際派日本人の情報ファイルNo.349」から多く引用しています。)
今から20年前に『あなたも息子に殺される』(太陽企画出版)という本を書いた人がいました。小室直樹という社会学者です。当時の日本は,まだまだ治安大国で,この本はあまり売れませんでした。しかし,今になってみれば,小室氏の予言も生ぬるく感じるほどの凶悪犯罪,異常犯罪の多発状態です。「息子に」は言うに及ばず,他人に子供が無差別に殺される時代になってしまっているのです。小室氏はこの予兆をアノミーという観点から読みとっていました。

◇アノミーとは,無規範,無秩序などと訳される言葉ですが,小室氏によれば,真の意味は無連帯であるといいます。この考え方は,最初,社会学者の元祖デュルケームによって用いられました。デュルケームは,連帯こそ,人間にとっていちばん大切なことと説いています。人びとの間の連帯は,社会にとって必要なだけでなく,各個人にとっても,このうえなく重要で,連帯を失ったら最後,まったく正気な人でもメチャメチャ凶暴になる。これがアノミーです。アノミーはいかなるコンプレックスよりも強く人の行動を支配するといいます。
「連帯の中にいなければ,人間は人間としての生活を営めない。連帯こそ人間生活の基礎だ。連帯からはずされると,人間は身の置き場がなくなってしまい,混乱の極に達する。それがアノミーだ」(デュルケーム)

◇デュルケームは自殺の研究をしているとき,このことを発見したといいます。不況,恐慌のとき自殺が増えるのは誰にも想像がつくものですが,景気の急上昇期,大繁栄の時代にも自殺者が急増するということでありました。急に生活水準が上がることは,急に貧乏になったのと同様,当人には耐え難いことで,規範を異にする階層に上がるということは実に大変なことなのだといいます。なかなか溶け込めず連帯感がなくなってしまうのです。

◇「連帯」とはなんでしょうか。分かりやすいモデルとしてイスラムがあります。コーランは,一生の間に,余裕があるかぎり一度はメッカにハッジ(巡礼)に行くようにすすめています。ハッジでメッカに来た人たちは,身分,貧富,国籍,肌の色の違いの区別なく,まずテントに落ち着きます。そこには「連帯」があります。テントの中では人々は生き生きとし,安らぎ,いさかいなどもほとんどないそうです。イスラムの人びとには,最初から連帯があったわけではありません。アラーというひとつの権威を共有することによって連帯が生ずるのです。アラーという絶対的な「タテ」の権威があって,そこに連帯という「ヨコ」の人間関係がうまく乗っているのです。

◇今の日本には,このタテの権威がなくなっています。権威は,連帯を与えるだけでなく,規範も与えます。連帯している人びとに同一の規範を与えるのです。何が正しくて,何が正しくないか,権威がそのことを教えてくれるのです。「倫理」「道徳」が言葉だけのものになっているのが,問題なのです。連帯がない状態を「無規範」といいます。アノミーはかならず無規範を生みます。

◇「無規範」は,二つ考えられます。
 規範は現存するが守らない者が出てきたというのがひとつ。これは程度問題であり,いつの世にもあることです。この場合は,比率が問題になります。
 もうひとつは,規範そのものが融けてなくなる場合。
 このふたつは本質的にまったく違います。規範が融けてしまっているということになれば,是非善悪の区別がまるでなくなります。アノミーが生む無規範のうちでこれが特に恐ろしいのです。
 戦後日本の向かった方向は,まさしく,無規範に向かってきました。やっと今になって,誰の目にも見えかけてきたのです。
 エッセイストで共立女子大教授の木村治美氏はあるインタビューで次のように語っています。
「人間関係の中で最も濃密であるはずの親子関係までも希薄になっている。」
「それは,今現時点の家族だけではなくて,祖先の綿々とした血脈の中での自分のとらえ方がなく,ポツンと個人としての自分が存在しているかのようなとらえ方こそ,現代における非常に大きな問題と思います」      (続く)


平成13年6月26日(火) 第28号  タテとヨコ(2)

◇今の日本が,タテの権威を失っているために無規範になっていることは,多くの識者がいろいろな言い方で指摘しています。「甘父干母」などはその好例です。
 では,タテの権威が弱くなった分,ヨコのつながりが強くなったのかというと,そこがそうでないから問題なのです。タテが強すぎて,封建的な人間関係の中でつぶされた個性もあったかもしれません。だからといって,師弟も親子も対等で,子供の中に民主的な見方や態度が育つのかといえば,そこがそう単純にいかないところが人間というものなのですね。

◇織物の縦糸と横糸のバランスが悪いと,きちんと織れないように,人間関係もタテとヨコのバランスがどちらかに偏ると,うまくいきません。現代日本は,敗戦のショックからタテの力を放棄しました。そのため,ヨコの力もどこに載せればいいのかが見えなくなっているのです。
 中学生が,自分の親を「ババア」「お前」などと呼び,親はそれを仕方ないかと思う。子供は「信じられるのは金だけだ」とうそぶき,その一方で友達との連帯を失いはしないかといつもビクビクしている。皆同じ服装をしているととりあえず安心で,携帯で連絡を取り合っていれば,とりあえず連帯を確認できる。中高校生の性的体験が低年齢化していますが,彼らをそこに駆り立てるのは,女子の場合は男子なのではなく,女子なのだと言われます。何ということでしょう。
 
◇学級崩壊などという現象がマスコミで取りざたされますが,これも教師がタテの権威をうち立てることができず,そこにヨコのつながり,心のふれあいといったものが成立しないための現象だと,私は考えます。
 タテの権威をうち立てる働きをしよう,あるいはヨコのつながりを強めようとすれば,保護者からクレームが届くこともあります。ある学校で,雨の日に傘を忘れた子がいたので,同じマンションの子に「一緒に入れてやって」と頼んだところ,入れてやった子の親から抗議が来たそうです。「うちの子が入れてやったために肩が濡れた。どうしてくれる。教師は何の権利があって命令できるのだ」というわけです。日本は近いうちに滅びるという気がします。

◇何度もいいますが,人間形成にはタテとヨコ,両方の力をバランス良く働かせるべきです。この学級でも,私は子供たちにタテの権威者として君臨しています。ノートをきちんと取るように命令し,ほうきの使い方が間違っているときは教えます。友達同士のトラブルには,いけないことはいけないとしっかり指導します。
 そうしたことがあるからこそ,子供たちとの心のふれ合いも深まるのだと思っています。

◇縦糸と横糸で織物を織るように人間形成がされるということで,一つの詩を思い出しました。茨木のり子の詩です。

こどもたち
                           茨木のり子

 こどもたちの視るものはいつも断片
 それだけではなんの意味もなさない断片
 たとえ視られても
 おとなたちはあんしんしている
 なんにもわかりはしないさ あれだけじゃ

 しかし
 それら一つ一つとの出会いは
 すばらしく新鮮なので
 こどもたちは永く記憶にとどめている
 よろこびであったもの 驚いたもの
 神秘なもの みにくいもの

 青春が嵐のようにどっとおそってくると
 こどもたちはなぎたおされながら
 ふいにすべての記憶をつむぎはじめる
 かれらはかれらのゴブラン織りを織りはじめる

 その時に
 父や母 教師や祖国などが
 うみへびやどくくさ こわれたかめ ゆがんだ顔の
 イメージで ちいさくかたどられるとしたら
 それは やはり哀しいことではないのか

 おとなたちにとって
 ゆめゆめ油断ならないのは
 なによりもまず まわりを走るこどもたち
 今はお菓子ばかりをねらいにかかっている
 このくりねずみどもなのである

◇子供たちの健全な成長を願うとき,タテとヨコのバランスのとれた接し方を,いつも考え続けていきたいと思います。
 学級を,そして家庭をアノミーにしてはいけないと強く思います。

長々と書きました。ご意見をいただければうれしいです。


平成13年6月27日(水) 第29号  町探検にて

◇生活科の町探検が終了しました。黄色コース,赤・白コース,青コースと3回に分けての探検でした。
 3回繰り返すことで,子供たちの準備や行動ぶりは明らかに変わりました。たくましく,見通しが利くようになったのです。1回目の探検の後,子供たちの話を聞くと,「○○君がいなくなった」「□□君が。△△さんとけんかした」というようなことがあったようですが,回数を重ねる毎に,そうしたことも少なくなり,上手に行動できるようになっていきました。

◇生活科は,体験を通して一人一人の子供に「生きる力」を育てる教科です。「生きる力」とは漠然としていますが,この町探検を通しては,次のような力を獲得させたいと願っています。

○企画力〜自分たちの探検コースやそれぞれの場所での活動,持ち物等を自分たちで決める
○ふれあい〜地域の方と親しく交流する
○こだわり〜自分の興味関心から活動を生み出す
○行動力,自己制御力〜みんなと一緒に自律的に楽しく活動を持続させる
○表現力〜発見したことを,みんなに伝える

 例えばあるグループは「校区の犬探しの旅」をテーマに活動していましたが,それは犬がどこにいるかを網羅することが大事なのではなく,これまでの情報を整理してコースを決め,協力して犬さがしをする中で,飼い主さんとふれあい,お願いをしたりお礼を言ったりすること自体に意味があるわけですね。

◇昨日の青コース探検の時,私は「ありんこ公園」でチェックポイントの役をしていました。到着したグループをメモし,怪我や仲間はずれなどがないかを確認していたのですが,そこに初老の方がいらっしゃり,熊手を使ってそうじを始められました。私は,さっそくそばに行って,いろいろとお話を伺いました。
 その方は黒田さんとおっしゃり,町内会の割り当てで1年間この公園のそうじを担当なさっているとのことでした。そこで,「よろしかったら子供たちに紹介させていただけませんか?」と申し入れると,快諾をいただけました。さっそくその場にいた子供たち(1,2組合わせて30人くらい)を集めて,紹介し,黒田さんからも「みんなが気持ちよく使えるように一生懸命そうじをしているんだよ」とお話をしていただきました。
 私から「みんなも,黒田さんのお手伝いをしてみようか?」と投げかけますと,そこは素直な子供たちです。とっても意欲的に,たくさんのゴミを拾ってくれました。
 こんなふれあいも,生活科ならではのことだろうと思います。

◇今日から,この町探検の様子を振り返ってまとめ,発表する学習に入ります。ここでは,表現力を磨くことが中心になります。今流行りの言葉で言えば「プレゼンテーション」です。楽しい表現活動になりますように,支援していきたいと思っています。 
この後,もっと遠くへということで,新さっぽろ方面へ,またもっと深くということで老人ホームなどに発展させていきたいと思っておりますが,さてどうなることでしょうか。

がっちり怒りました

◇今日のことです。給食を受け取るために並んでいた子供たちの列でトラブルが起こりました。「押した,押さない」です。日常茶飯事のことですので,口をはさまずに見ていました。すると「押した」と思われるA君に,盛りつけをしていたB君が,スィートポテトを盛ってやらないという事態が発生しました。
 B君にその理由を問いただすと,「だってC君(押されたと思われる子)が,Aにやるなって言ったから。」と言うのです。まず,その場でB君を怒りました。「そんなことってあるか。ちゃんと盛ってあげなさい!」
 そして,「いただきます」の時間になりましたので,全員にこの様子を伝えて,次のように話しました。

◇「誰かを自分が気にくわないからといって,それを食べ物をやらないなどという方法で仕返しするのは卑怯だ!そんなことをするのは卑怯者だ!それと,自分がしたことを『誰々が言ったから』なんて言うのは,ばか者だ!そういう人は,誰かに『死んでしまえ』と言われたら本当に死ぬのか!自分の頭で考えろ。自分のしたことは人のせいにせず,自分で責任をとれ!」
 教室はシーンとしました。(1分後には,もうすっかりうち解けていましたけどね。)
今は,まだ十分にはわからないかもしれないけれど,人と人の付き合い方の大事なところをいつか分かってもらうための,種まきのつもりで怒りました。

◇この間聴いたラジオによれば,現代では,卑怯者なんてもう死語になったのだそうですが,それは小さい頃からそういうことを,きちんと指導されなかったからなのではないかと思います。おうちの方は,こんな私の「怒り」をどのようにお考えでしょうか?  
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おまけ
・これまたおまけで書くことではない感じですが,明日の連絡です。ちょっと心苦しいのですが,明日,私は1日他校の研究会に出席してきます。そこで,1組は,ほとんどを2組と一緒に学習することになっています。学級を空ける分,しっかり勉強してきます。今後も,こうして出かけることもありますが,どうぞよろしくお願いします。
 子供たち,しっかり留守番を頼みますよ!
(あっ,札幌市内ですからおみやげなんかはないからね!)

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