ワンダー!  9月号

9月は,何と3号しか発行していませんでした。目次をつける必要がないですね。(*^_^*)


平成13年9月4日(火) 第48号   国語,生活科〜自ら働きかける力を

◇土曜日,生活科は清田緑地に虫取りに出かけました。ただ漠然と「虫取りに行こうJと投げかけていきましたので,子供たちの準備も不十分でした。虫取り網を忘れた子,かごのない子…。それでも何も言わずに出かけました。何か言っても,言ったほどに子供は育たないからです.行ってみて,その場所のイメージができて.次に行くときははっきりとした目的意識ができる。そこで,子供は自分の行動を自分で考え,自分で決めていく。いわば,土曜日の外出は,課題を見付けるための活動なのだと考えました。そして,今月の活動では,もう準備からして違っていました。清田緑地に行って,そこから自ら学んだのですね。

◇国語で,「さけが大きくなるまで」の読みとりを進めています.昨日は,4の場面を読みました。ここで,私の方から「?(はてな)さがしをしよう」と呼びかけました。十分に音読ができるようになった子供たちに,こう呼びかけると,実にたくさんの?を見つけます。昨日,子供たちが見つけたのは次の9つ。

○なんで赤いぐみのみのようなものをつけているんだろう?
○なんでぐみのみのようなものは,なくなるんだろう?
○なんで冬の間にたまごから生まれるんだろう?
○なんで大人は70cmもあるのに,赤ちやんは2cmなんだろう?
○どうやってたまごから出るんだろう?
○どうやってぐみのみのようなものはなくなっていくんだろう?
○ほんとうのぐみのみの大きさって?
○どうして3cmにまで大きくなるんだろう?
○小魚って,なんで言うんだろう?

 この他に,「どうして冬の間にたまごを生むんだろう?」という?もありましたが,それは他の子から「生むのは秋だよ!」と指摘があり,却下されました。(「冬に生むサケもいるんだって。」とフォローもありましたが。)また,「なんでグミの実って赤いの?」という?もありましたが,「それは,4の場面のお話と関係ないね。」とこれも却下です。

◇上の9つの?にも,やや文章から離れ気味のものも入っていますが,それはまあ入門期の子供たちですのでOKとしました.
 さて,これらの中から,まず1つを選んでみんなの予想を出し合うことにしました。私
はどれを選んだでしょうか?

◇私が選んだのは,

○なんで冬の間にたまごから生まれるんだろう?

です。文章の最初の方に出てくる叙述に即しているという理由と,子供たちが予想を出しやすいという読みがあって,これを選びました。
 これへの予想を子供たちに考えさせますと,いろいろと出てきました。
・サケは,北の海に棲む魚だから,体が寒いところに向いているのではないか。
・冬は,他の魚に食べられるのが少なくなるのではないか。
・他の動物が冬眠しているから,食べられるのが少ないのではないか。
・川に氷が張っているから,鳥とかから守られるのではないか。
・夏だと,暑いから川を下るのは大変なのではないか。
 2年生でも,これだけのことを考えることができるのですね。ちょっと驚きました。

◇さて,生活科でも国語でも,共通しているのは「子供たちが自ら働きかける力」を引き出したいということです。答えや考え方,あるいは必要な準備…,こうしたものを大人があれこれと指図して子供に何かをさせるのでは,子供は育たないと思うからです。
 実は,普段からちょっとしたトレーニングを行っています。
 例えば,椅子を見て「これは,何?」子供たちは「椅子」と答えますね.当たり前です。当たり前すぎて,椅子であると呼んだときから,椅子について考えることをやめます。ところが,「椅子」以外の答えを待っていると,「ある時は踏み台」「給食の牛乳ケースの置き台」「劇ではバスの運転席」「やっちゃいけないけれど,シーソー遊びの代わり」…。たくさん出てきます.
 チョークを見ます。「チョークだ。」と通り過ぎることがほとんどですが,ちょっと見つめていると,「材料は何で作られているのだろう。」「チョークって何語なんだろう。」「色はどうやって付けるんだろう。」などと,?(はてな)がいっぱい湧いてきます。

◇子供たちの目の前,身の回りには,子供の「自ら働きかけようとする力」を待っているものがたくさんあります。清田の自然も,国語の文章も,算数の挿絵も,音楽の楽譜も,体育の跳び箱も,「これだけのことを覚えなさい」というために存在しているのではなく,「さあ,秘密を見つけなさい。そして,働きかけてちょうだい。」と待っているのだと思うのです。そして,そういう力を引き出すことこそが教育であり,授業の根本課題だと考えています。

◇明日の参観授業では,この辺の取り組みを見ていただければと思っています。さらに,懇談の中では,ミニ諌座として「子供の思考の発達段階とアフオーダンス理論」について,ひとくさりぶちたいと思っています。題名は難しそうですが,内容はいたってシンプルです。どうぞお気軽にお開きになってください。では,明日お待ちしています。


平成13年9月17日(月) 第49号  参観授業の感想〜授業におけるリラックス

◇実は,先日の懇談にご参加してくださった方にはお伝えしたのですが,懇談の日の中休みにノートパソコンが壊れてしまい,懇談の資料などが飛んでしまいました。『ワンダー!』も,あの日に49,50号と2枚出して,懇談の中で「おかげさまで今日で50号になりました!」などと報告しようと思っていたのですが…。(;_;)
 ということで,機器とシステムの復旧にけっこうな時間がかかりました,また飛んでしまったデータの中に締め切りが迫っていた原稿もあり,それを書き直すなどで先週は1号も発行できませんでした。大方取り戻しましたので,また気を取り直して発行を続けていきますね。

◇そんなわけで,タイミングがかなり遅くなってしまいましたが,先日の参観授業についてちょっと。
 前日の『ワンダー!』で,ミニ講座「等差数列型発達段階説とアフォーダンス理論」について話しますと予告したせいでしょうか,懇談はいつもより参加者が少なく,かろうじて過半数の14名と寂しいものでした。やっぱりみんな難しそうな話は敬遠するのでしょうか?ちょっぴり反省です。
 でも,その中で参観授業とからめてアフォーダンス理論を具体的にご紹介できたのは,よかったと思っています。現代日本の教育改革の根底に流れる理論ですので,参観授業も当然その思想の上に立って構築されています。(授業の巧拙は別として。)
懇談の中では,「この頃,家でもいろいろな方面に興味をもつようになってきた。それが,今日のような授業によって育ってきているのだと感じた」というようなご意見も何人かのお母さんからいただきました。まだまだですが,少し手応えを感じることができて,とてもうれしかったです。

◇その後,お子さんの家庭学習ノートに添えて書いてくださった方,きれいな便せんへのお手紙をくださった方がそれぞれ1名ずついらっしゃり,これまた感激しました。一部抜粋でご紹介させていただきます。

 参観に出て,手を挙げている娘を見て,ちょっとうれしいような,何を言うんだろうと私のほうがドキドキして授業を聞いていました。
 子供ってすごい発想するんだなあ…とあらためて思いました。下の子がぐずっていたので,今回は懇談に出られなかったのがとても残念でした。

 最初は,学級全体が,以前に比べてちょっとだらしない感じに見えました。でも,それでいて集中しているのがよくわかりました。そのうち,子供たちのユーモアあふれるやりとりや「あっ」とひらめいてそのまま話し始める様子を見て,リラックスしているからこそ,本当に集中して学習しているのかも,と感じました。
 ○○は,一度も手を挙げずに終わりましたが,家に帰ってから「サケって,すごいね。よく迷わないよね。赤ちゃんだったのに,よく覚えていられるよね。」と話しかけてきましたので,「どうしてそれをあの授業のとき言わなかったの!」と思わず言ってしまいました。すると,急に生き生きとしたお話がやんでしまい,表情が暗く…。そのときやっと,「あっ,こうやって緊張させるから話せなくなるんだ。横藤学級のリラックスした雰囲気が,子供の自由な考えを育てていたんだ!」と気づきました。懇談に出ていれば,こんな失敗はしなくてもすんだのでしょうか? 母も勉強しなくては!

◇本当に,子供の発想って柔軟ですごいですよね。それは,手を挙げて発言しなくてもやはりすごいことなんです。心の中で思っていること,考えていること自体が大切なんですね。
 また,子供たちの創造性を伸ばす場面では,「ちょっとだらしない」ぐらいの感じがいいと思っています。(程度の問題ですが)緊張させると,創造性の開発は進みません。以前懇談でお話ししたと思いますが,アメリカでの事例があります。創造性を十分に発揮することが求められる企画会議では,椅子とテーブルをやめてカーペットの上にクッションを置いて,そこによりかかりながら話し合いをすることがあります。また,会議の間中,テーブルの上にいくつか砂箱を置いて,自由に砂遊びをしながら参加してもよいことにしている企業もあるそうです。
 現代アメリカだけでなく,古代からアイディアが湧く場としては「馬上,枕上,厠上」というのも定説で,要するに適度にリラックスできる場が大切であることは,古今東西を問わずポイントなのでしょう。
 
◇私が,授業の始まりと終わりにあいさつをしないのも,おやじギャグを飛ばしたり,ボケを演技するのも,とにかく形式的なことを取り除き,子供の心身をリラックスさせることで,アイディアやインスピレーションを引き出したいからです。
 お行儀をよくすることを否定するのではありません。また,学習には程良い緊張が必要だとも強く強く感じています。以前も書きましたが,子供を育てる上では「矛盾する2つのことをいっぺんにする」ことが必要だと思うのです。リラックスと程良い緊張,矛盾する2つの要素のバランス感覚がいつも問われていると感じています。
 時に,バランスが悪くなってしまうことも多く,子供たちが自分を出すことをためらったり,また反対に崩れすぎてしまうこともあります。私も,まだまだ勉強しなくては!
────────────────────────────────────────
おまけ
・明日は青空交流会です。どうぞお気軽にグラウンドにのぞきにいらしてください。それと,持ち物等を各グループで分担しています。忘れないよう,声かけをどうぞよろしく!


平成13年9月17日(月) 第50号  居酒屋で考えたこと

◇先日,ある居酒屋に入りました。家族で夕食を食べることもできる店を目指しているようで,メニューにも子供向けのものがありました。そして,席に次のような掲示がありました。

 当店では,心からくつろいで食事やお酒を楽しんでいただきたいと思いますので,お子さんが散らかしても,気になさらないでください。片づけは,私たちスタッフがいたします。

 競争の激しい外食産業にあっては,こうしたサービスやメッセージを打ち出していくことが,生き残りにつながるポイントなのでしょう。大変なサービスです。
 しかし,教育という視点から考えると,これは間違っていると思います。

◇子供たちの生活を考えるとき,「我が子に,周りの子はどう接してくれているのだろう」「横藤先生は,我が子に愛情をかけてくれているだろうか」「北野平が進めている教育改革って,我が子のためになっているのだろうか」という風に考えるのが,自然なことであり,大切な視点であると思います。これは,いわば我が子を「受信者」の立場で考えることです。
 もう一つの視点は,「発信者」の立場で考えることです。「みんなのために,我が子は何をしてやっているのだろう」「我が子は,自分の力や持ち味を発揮して,学校に貢献しているのだろうか」と考える方向です。この2つの見方,両方が大切だと思うのです。

◇現代の日本では,子供を「受信者」オンリーとしてとらえる価値観が強い傾向にあるのではないでしょうか。上の居酒屋では,子供をサービスの「受信者」としてとらえ,やがて日本を背負っていく「発信者」としての意識を育てるという視点に欠けているように思います。ま,上のような掲示があれば,保護者の方のくつろぎ感覚が高まるというところが一番のねらいであろうとは思いますが,それを真に受けて「いいのよ。汚しても。」などと言う保護者も中には出てくるのではないかと心配になります。
 今,若い人の中に権利者意識だけは達者にもっていても,誰かの迷惑だとか不快感を与えることへの配慮を考えられない人が多くなっていると言われます。地下鉄の中で周りの迷惑をまったく考えずに化粧,座り込み,携帯電話,中には食事をする人までいる始末。「何が悪い?」と開き直る人には,「受信者」意識だけが肥大し,「発信者」意識は,まったく見えません。
 そういえば,「くれない族」なんて言葉も」ありましたね。周りが自分に「〜してくれない」というストレスをため込んでしまう人間のことを呼ぶのだそうですが,なんと不幸な生き方なのかと思います。

◇以前も書きましたが,黒柳徹子さんがユニセフ親善大使としてアフリカの貧しい諸国を訪問して歩いたとき,食べ物もきちんと与えられない子供たちの目がとてもきれいで,いじめも自殺もまったくないことに感動したと書かれています。毎日7才くらいの子が,4km離れたところまで水くみに行ったり,強制労働を1日に10時間以上もさせられたり,そんな中で出会う,きれいな目。反対に日本の子どもたちを思うと,衣食住に恵まれていながら,いじめや自殺が増加しているという実態に,涙が出てしかたない,と。
 これは,アフリカの子供たちが,貧しい生活のゆえに「家族や友達のために何ができるか」という発信者として生きざるをえないのに対し,日本の子どもたちは恵まれた生活の中で,「私にとって心地よくしてくれる家族,友達,モノがあればいいな」という受信者としての生き方を強めていることに原因があるのだと,私は思うのです。これまで,多くの子を見てきましたが,発信者としての意識をしっかりもっていた子は,中学,高校に進んでも家庭で暴れたりしません。

◇私も我が子への接し方の根底に,我が子を「受信者」オンリーとして見てしまっていることに気づくことがあります。例えば,仲良しの友達のことが食卓の話題になっていたとき,「ああ,○○さんはウチの子にとっていい友達なんだ。よかった。」と思います。しかし,「で,ウチの子は○○さんに,どんなことをしてあげられるのだろう。」とまではなかなか思いがいたらないのです。一人の親として反省させられます。
先行きが不透明な時代です。子育てもどちらを向いて行えばよいのか,迷いの多い時代ですが,そんな時代に風穴をあけて新しい時代を切り開く子供たちを育てるためには,「受信者」としての視点から考えるとともに,「発信者」として我が子は周りに何をしてあげられる子なのかを考えてみることも必要ではないでしょうか。

◇明日は,ひまわり班で炊事に挑戦します。「グループのために,自分から動く」という意識で臨んでほしいと願っています。
────────────────────────────────────────
おまけ
・どうにかこうにか50号までこぎ着けました。一つの節目で,感想などいただければうれしいです。


   がらくたボックスへ     トップページへ