ワンダー!  10月号

この月は,本校の開校20周年式典,その2週後に教育実践発表会,そしてその3日後に全市的な研究組織である札教研の公開授業と,大きな動きが多かったです。研究授業も2回連続しました。どちらも同じ生活科の単元で,取り組みは比較的楽でした。たくさんの感想をいただき,大いに勉強になりました。その前後の話題がとても多くなっています。

第51号 20周年終わる
第52号 今の日本を見つめる
第53号 老人ホーム訪問
第54号 老人ホーム訪問の進捗状況
第55,56号 生活科における問題解決
第57号 教育実践発表会終了,札教研研究授業のご案内
第58号 教育実践発表会感想(保護者,他校の教師より)
第59,60号 札教研授業終了
第61号 教育実践発表会感想2(他校の教師3名より)
第62号 生活科における支援(第61号の質問への答え)
第63号 札教研授業感想(3名の保護者より)
第64号 算数「かけ算」,体育「ラインサッカー」
第65号 読書マラソン,国語「きつつき」


平成13年10月2日(火) 第51号  20周年式典・祝う会終わる

◇先週は風邪から気管支炎を併発してご迷惑をおかけしました。すみません。しかし,その間に20周年の最終準備は着々と進み,無事にというか当日は大変な盛り上がりの中,式典と祝う会を終えることができました。当日(まで)の動きを見ていて,「おうちの人の力ってすごいなー。」と何度も何度も感動させられました。本当に感謝しております。ありがとうございました。
 私は,当日の朝盲導犬協会の会長さんを迎えに行き,その後も誘導などしていましたが,会長さんと奥様は何度も「大人中心の式典は何度も経験したけれど,こんなに子供たちが中心の会は初めてだね。そして,地域の人やたくさんの施設などと力を合わせて教育を進めていることが伝わってきて,感動したよ。」とおっしゃってくださいました。

◇さて,時期を失してしまったのですが,20周年に向けて国語で川柳づくり(子供たちには「俳句」と言いました)に取り組みました。交通標語などを引き合いに出して,「日本語は5・7・5のリズムだと調子よく読めるんだね。みんなも俳句を作ってみよう。」と投げかけますと,楽しいものがたくさん詠まれました。

 ○木のかげで たった一人で おしっこし  (清)
 ○雨ふりだ はれになれば いいのにな (竹)
 ○お父さん はたらいてくれて ありがとう (板)
 ○パソコンを はやくやりたい りょうくんだ (大)
 ○たのしいな ともだちつれて いくところ (熊)
 ○ぼくのカメ よるになったら 目をつぶる (新)
 ○サッカーで 一点入れた うれしいな (板)

◇この2,3日後に今度は20周年をテーマに詠んでみました。当日,会場で詠み上げられたものもありました。次の子たちのです。

 ○二十しゅう年 ちいきのみなさん 歌おうよ!! (清)  
 ○二十しゅう年 北野平は がんばるぞ (佐)
 ○おいわいだ おうちのみなさん ありがとう (神)
 ○歌おうよ 地いきのみなさん 歌おうよ (新)
 ○よさこいだ みんなでおどろう 楽しいよ (小)
 ○歌おうよ みらいを見つめて がんばろう (矢)

◇今日は,作文に20周年のことを書く予定です。前回,ひまわり班での炊事を作文に書いたとき,何人かの子から「先生,この頃作文を書くの,うまくなったと思う。」と声が出ました。他の子もそれにつられて,「うん,僕も!」などと反応していました。
 字数だけを見ても,格段に多く書けるようになってきていますし,内容も順序性,描写,会話文など,レベルが上がって来ています。今回の作文は,どうでしょうか。楽しみです。

◇話は変わりますが,式典・祝う会の一連の流れの中で,感じたことがあります。
 まず,あれだけ多くの人間が食べ歩きをした割に,校舎内はさほど汚れなかったなあということです。これは,一人一人が気をつけてくださったからでしょうが,積極的にゴミを拾ってくださった人も多かったからだと思っています。
 事前に子供たちには「みんなは,まず自分が楽しんで参加してね。でも,みんなはお客様なのではなく,地域の方やおうちの方がお客様なのだから,自分でお客様をお迎えするためにできることがあれば,どんどんしてね。」と話しておきました。当日,解散する前に,「自分から何かできた人?」と聞くと,10人くらいが「ゴミを拾ったよ。」「カレーライスを盛りつけたよ。」「先生のお手伝いをしたよ。」と言っていました。
 しかし,「横入りをした大人の人がいたよ。」「ポップコーンを平気で落としている大人や高学年がいた。」「ビニル袋を大人の人が捨てて,それを私たちが拾ったんだよ。」などとも聞きました。「でも、拾ってくれた人もたくさんいたんだよ。」とフォローしました。

◇「子供は大人が言うようには育たず,大人がするように育つ」と言います。今回は,学校側の指導が生きて子供たちも自分から「発信者」として動いてくれました。また、多くの方のさりげない協力も、子供たちに伝わったことと思います。そうでない悪しきお手本も見てしまったという部分もあったのではないかと思うと少し残念ですが。
 北野平が,子供たちの心のふるさとになったらどんなにステキなことでしょう。思い出せば,そこには懐かしく温かな思い出がたくさんあるような。だからこそ、その思い出の片隅に,横入りしてきた大人,平気でゴミを捨てる大人の姿がちらつくとしたら,とってもさびしいことだと思うのです。

◇戦後日本は,お金やモノがあれば幸せだという経済至上主義の発展をしてきました。私たち教師や保護者の世代は「戦争を知らない子供たち」であり,そのまた親は「価値観が崩壊した世代」です。
 平気で横入りをし,ゴミを捨てる心の貧しさは,こうした背景から生まれています。しかし,それを何とかしなくては,もう国が滅びる一歩手前まできています。ゴミを拾い,進んでお手伝いをしてくれた子供たちに,手を合わせたい気持ちになります。
 未来は,この子たちにかかっているのです。そして,その子たちの心を「人のために発信する人間」として育てるのが,今の私たちの一番大切な仕事なのではないでしょうか。その意味で,今回の20周年の会で子供たちが感じた地域や各家庭の存在感,温かさをずっと大切にしていきたいと思います。


平成13年10月2日(火) 第52号 今の日本を見つめる

◇昨日の代休に51号を書いていましたら,最後は何だか現代日本の状況についてのお説教口調になってしまいました。そのついでに,といっては何ですが,今の日本を見つめるためのあるお話を紹介させていただきたいと思います。
 これは,「寸心」というメールマガジンに載っていたものを,発行者の佐藤さん(山形の小学校の教師です。私とはインターネットを通じての古くからの知り合いです)に了承をいただいて転載するものです。(以下,引用です)

◇もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。

その村には…
     57人のアジア人
     21人のヨーロッパ人
     14人の南北アメリカ人
     8人のアフリカ人がいます。
     
     52人が女性で
     48人が男性です。

     70人が有色人種で
     30人が白人
     70人がキリスト教以外の人たちで
     30人がキリスト教

     89人が異性愛者で
     11人が同性愛者

     6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍

     80人は標準以下の居住環境に住み
     70人は文字が読めません
     50人は栄養失調に苦しみ
     1人が瀕死の状態にあり
     1人は今、生まれようとしています
     1人は(そう、たった1人)は大学の教育を受け
     そして1人だけがコンピューターを所有しています。

 もしこのように縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け容れること、自分と違う人を理解すること、そして、そう言う事実を知るための教育がいかに必要かは火を見るより明らかです。

◇また、次のような視点からもじっくり考えて見ましょう。

 もしあなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることが出来たなら…あなたは今週生き残る事のできないであろう100万人の人たちより恵まれています。

 もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や獄門の苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も経験したことがないのなら…あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。

 もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことが出来るなら…あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています。

 もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるなら…あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。

 もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭を入った入れ物があるなら…あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8%のうちの一人です。
 
 もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら…それはとても稀れなことです。

 もしこのメッセ−ジを読む事ができるなら、あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう.何故ならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、その上あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。

 昔の人がこう言いました。我が身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。

◇長々引用してきましたが,私たちの置かれている状況を考え,これから世界に羽ばたく子供たちに接するときの心構えを考える上で参考になるのではないでしょうか。


平成13年10月3日(水) 第53号 生活科「北野の四季へ」三たび

◇20周年を祝う会も終わりました。そこで,いよいよ子供たちが楽しみにしている北野の四季への3回目の訪問をどうするかの話し合いをしました。 もう朝から,「今度は,いついくの?」と楽しみにしている子もいて,心のウォーミングアップはばっちりです。
 話し合いでは,「何をしたいの」と問いかけますと,実にいろいろ出てきて,60分をフルに使ってしまいました。

◇今回も菅原君がすでに新しい台本を作ってきていました。メンバー募集をしたいということで,まずそれから話し合い,次いでそのほかにどんなことをしたらお年寄りのみなさんが喜んでくれるかを考え合いました。

◇まず,みんなで一斉にする時間をどうするかです。ここでは,「ライディーンにするか,よさこいにするか」で20分くらい意見を戦わせました。
「よさこいは,3〜6年生の踊りができないから,ライディーンの方がいい。」
「いや,よさこいの方が盛り上がるから,踊りを6年生とかに教えてもらって覚えればいいしょ。」
「おじいちゃんやおばあちゃんは,どっちが喜ぶのかなあ。」
「ライディーンは同じ踊りの繰り返しだから,よさこいの方が見るのにいいよ。」
「いや,ライディーンの方が速いから,見ていて飽きないよ。」
 こんな話の末に,多数決。僅差(16対11)で「ライディーン」に。

◇歌も歌おうとなり,いろいろな歌が候補に挙がりました。
 「校歌」「君が代」「ビリーブ」…
 しかし,時間のめどを知らせ,1〜2曲に絞り込もうということで,「だれにだってお誕生日」と「未来を見つめて」(開校20周年記念の歌)が選ばれました。
 「だれにだって…」は,自分の誕生月になると「ハーイ!」と返事をして,全員から3拍子の拍手で祝福を受けるという楽しい歌で,「誕生日のおじいちゃんやおばあちゃんがいるといいね。」などと夢をふくらませていました。

◇そのほかのアイディアも出て,次のような内容と配置になりました。

【全員でするもの】
 踊り〜「ライディーン」(体育の準備運動)
 歌 〜「だれにだってお誕生日」,「未来を見つめて」

 【チームでするもの】
 劇「金田一少年の事件簿〜美雪ゆうかいじけん」
 (監督〜菅,出演〜林,小,村,清,竹,板,新,佐,清,塩,板)
 音楽(太鼓やピアノ,鍵盤ハーモニカ)
 (服,加,熊,土,井)
 プレゼントづくり〜寄せ書き風のものを,これも菅君が原案を出してくれました。
  (本,佐,坂,藤,近,亀,大
 司会
 (神,矢,新)

◇この全員でする活動の後にそれぞれの子が各テーブルに散ってのふれあいの活動もあります。その準備も進めていかなくてはならず,けっこう忙しいことになりそうですが,子供たちの強い意欲を感じていますので,きっとがんばってくれることと思います。

◇それにしても,子供たちの気持ちと企画力には,感動させられます。これまでの日本の教育は,「自分中心主義」を指向してきました。勉強するのは,自分のためだと子供に説いてきました。「人のことはいいから,自分のことをまず考えなさい。」などと言うことさえありました。そのツケが,今いろいろなところに回ってきています。
 こうした時代だからこそ,「人のために」という心を育てることはいっそう大切なことです。そして,「人のために」動くことは心楽しいことでもあります。
 同時多発テロの後,多くのボランティアが世界中からアメリカに集まり,活動しています。テレビで見る彼らの表情は,とてもきれいです。
 北野の四季に行くことを,心待ちにしてアイディアを出す子供たちの表情も,またとてもきれいです。感動させられます。
 
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おまけ
・あちこちの研究会に参加する時期となりました。5日も,朝から私が所属する団体の全道研究大会があり,1日学級を空けます。心苦しいのですが,この北野の四季訪問の準備をしていてもらおうと思っています。


平成13年10月11日(木) 第54号 生活科「北野の四季へ」・激変

◇生活科「北野の四季へ」が動いています。繰り返しの訪問活動の中で,子供たちの企画力や行動力は確実に育っています。
 昨日,各チームに分かれての練習の様子を見て,びっくりしました。
 
○司会チーム(矢,新,神)
 全員が自分の話す言葉を,メモ帳に書いて準備しています。ちょっと意味の通らない言葉もありましたので,「ここは,こう言ったら?」とアドバイスしますと,とても素直に受け入れて,すぐに変えていきます。
 「お年寄りに自分たちの気持ちを伝えたい」という気持ちがあるから,よりよいものを素直に受け入れることができるのだと感じています。

○劇(菅,林,小,村,清,竹,板,新,佐,清,塩,板)
 前回の反省を元に,かなり真剣に取り組んでいます。しかし,劇をつくるということはかなり難しいことです。そこで,先週大体流れができたよ,というところで一度見せてもらいました。
 案の定,動きがほとんどなく,また台詞も断片的でした。自分たちではわかっているので,相手もわかってくれるだろうというのが,低学年の特性ですので仕方ありません。しかし,また失敗させては自信を失ってしまうでしょう。そこで,「おじいちゃんやおばあちゃんたちが見たら,〜は〜に見える」のように何か所か指摘してやり,後はまたチームに時間を与えてまかせました。
 昨日2回目を見せてもらい,びっくりしました。1回目は,10分たってもまだ劇の半分も終わっていないという状態だったのですが,2回目は3分とちょっとの劇に「激変」。テンポもよく,言葉や動きも大きくなり,見ていてよく伝わり,飽きのこないものになっていました。

○音楽(井,土,加,熊,服)
 自分が聴かせる曲を決めて,練習を進めています。加藤さんが,盆踊りの曲に合わせて太鼓をたたき,それに合わせてみんなが踊るということになりました。時ならぬ盆踊りですが,お年寄りも一緒に踊れていい,という子供たちの気持ちをうれしく思います。(本当に踊れるかどうかは,別ですが。)

○プレゼント作り(本,佐,坂,藤,近,亀,大)
 全員の一言を貼った大きなカードが完成しました。子供たちからの要求で,全員の顔写真入りのカードです。プレゼントを渡すときに言う言葉も,全員が紙に書いて用意しています。タイトルを書くときに,鉛筆で書いてしまい,「これじゃ遠くから見えないよ」とアドバイスを与えたりもしましたが,カードに書かれたメッセージがなかなかに温かく,ほほえましいものが多いので,きっと喜んでいただけると思います。全員分ご紹介します。

・ぼくはげきをやります。(清)
・こんにちは。板です。ぼくのじまんはわらうとほっぺたにねこみたいなしわができます。
・塩です。わすれないでね。
・こんにちは。新です。こっちはうまくやっています。そっちはどうですか?
・菅です。こんにちは。これからもよろしくおねがいします。
・ぼくは板です。ぼくのじまんはけんどうです。
・この前はありがとうございました。(近)
・こんにちは。おじいちゃんおばあちゃんにあえてうれしかったです。これからもぼくたちをまもってください。(亀)
・お元気ですか?ぼくも元気です。またきたののしきにいきますからまっててください。(井)
・おじいちゃん,おばあちゃんたち,これからもよろしくおねがいします。(矢)
・ありがとう。またね。土をよろしく。
・おじいちゃん,おばあちゃんあそんでくれてありがとう。(大)
・おじいちゃん,おばあちゃんげんきですか。かぜとかをなおしてげんきになってください。(佐)
・おじいちゃん,おばあちゃんこれからもいくからよろしくね。(新)
・おばあちゃん,おじいちゃん。わたしはお手紙をかきました。おじいちゃん,おばあちゃんはげんきでいてください。(林)
・私は竹です。みなさまにあえてうれしいです。こんどあそびにきてください。
・私は清です。これからもよろしくおねがいします。
・またいきますからまっていてください。(藤)
・いつもいかせてもらってありがとうございます。(坂)
・わたしは北野の四季のみなさんにあえてうれしいです。それで,みなさんとか大すきです。(本)
・おばあちゃん,おじいちゃん元気ですか?わたしは元気です。こんどまたあそびに行くよ。(服)
・こんにちは!わたしは2−1の村です。どうぞよろしくおねがいします。
・こんにちは。これからもよろしくおねがいします。わたしの名はゆのです。おじいちゃんたちがすきです。
・小です。ときどきおせわになってます。べんきょうがんばります。
・私はくまです。これで行くのは3回目ですが,わたしはピアノをひきます。がんばります。
・わたしは北野の四季のみなさんにあえて,とてもよかったと思います。わたしは北野の四季のみなさんがだいすきです!(加)
・こんにちは。神です。わたしはおじちゃんおばあちゃんがだいすきです。どうぞよろしくおねがいします。


平成13年10月13日(土) 第55号 生活科における問題解決
(この号は,本校の教育実践発表会の公開授業の補助資料も兼ねました。)
 
◇学級通信を補助資料にしてしまおうというセコイ魂胆をお許しください。
 さて,授業のねらいや大体の流れにつきましては,別紙指導案がありますので,ここではちょっと授業を組み立てる際の私の考えについて書いてみたいと思います。
 
◇この授業を参観される方(保護者,地域の方,教職員,老人保健施設の方…)は,誰一人として「生活科」の授業を受けたことがないのです。もちろん,私もです。
 生活科は低学年の学びの姿を見直す中から社会科や理科を廃止し,10年前に誕生した教科です。そして,今日の「総合的な学習の時間」と密接に関連しているものでもあります。生活科は,低学年の発達の特徴に合わせ,具体的な活動を中心にしながら,子供に新たな学びの力をつけようとしたものなのです。

◇ところが,「これこれを覚えさせる」という従来教科と違う枠組みの教科なため,この「新たな学びの力」が見えづらく,「活動はしているが何が身についたのか」という問題が浮上してきました。
 これについて,私(たち)は次のように考えています。(ちょっと抽象的ですが)

生活科は,低学年の発達に合わせた問題解決の学習でなくてはならない。
問題解決が成立するためには,3つのHが十分に働き,つながり,動き続けなければならない。3つのHとは,Heart(知的好奇心),Hand(具体的な活動),Head(気づき)の3つである。
 つまり,日常生活の中のあるできごとや,教師からの投げかけが,まず子供たちのHeartを動かす。「おもしろそう!」「やってみたい!」「試してみたい!」等という知的好奇心をくすぐるのである。
知的好奇心をくすぐられると,子供はすぐに具体的な活動を開始しようとする。「見せて!」と言いながら手を出すのが子供である。活動によって,子供は自分に身近なこととして,そのことに出会うのである。
活動をしていると,その中に自然な気づきが生まれる。「あ,そうか。こうなっているのか」,「おや,うまくいかなかったぞ。」という気づきが活動を変化させる。その中で新たな知的好奇心が生まれ,活動に節目が生まれ,…と進んでいく。
この一連の3つのHの動きとつながりの中で,子供は自分への自信を深め,自分を 取り巻く世界を知り,親しみを増していく。気づきが,自分や対象と生き生きとしたつながりをもった中でふくらみ,単なる断片的な知識を覚えるのでなく,自分と深くかかわる生きる知恵を獲得していく。これが,生活科の目指す力なのである。
そして,3つのHがうまくつながるように見守り,励ますことが教師の役割(支援)なのである。

◇抽象的になりました。今日までの場面で,どのような力が身につき,今日はどんな力を目指しているのか,私は今日はどんな支援をしようとしているのかをお話しして,上の話を補いたいと思います。

◇上の図でいうと,「出会い」の活動は,老人保健施設「北野の四季」職員の方からの招待状に,心(Heart)動かされて1回目の訪問(Hand)をしたことに始まります。このとき,子供たちは車椅子のお年寄りの姿に固まってしまったり,なかなかお年寄りとの距離を縮められなかったりもしましたが,少し時間をおくことでだんだんと親しくふれ合うことができるようになりました。Handの変容です。学校に戻る道すがら,「先生,おじいちゃんは〜だったよ。」「おばあちゃんは,こう言っていたよ。」「どうして車椅子でないとダメなのって聞いたら,足を折ったからなんだって。」などと,たくさんの気づき(Head)を話してくれました。
 そして,口々に「先生,また行こうね。」「また行くって約束しちゃったから。」と次の「繰り返しの活動」へとつながったのです。

◇2回目の訪問は,1回目より強い心情に支えられ,ある子たちがまったく自分たちで劇を作り,それを見せるという企画を打ち出してきました。画期的です。まったく自分たちで練習して,当日を迎えましたが,これは失敗。20分近く演じて,劇の内容はほとんど伝わりませんでした。しかし,子供たちの気持ちがうれしいと,お年寄りのみなさんは最後まで真剣に見てくださいました。
 また,劇の時間が長くなり,だれてしまったということや1回目より広いスペースがあったせいかもしれませんが,その後の自由なふれ合いの活動では,お年寄りそっちのけで遊んでしまった子もおり,活動としてはややしぼんでしまいました。
 ここでは,私の支援として,各自のとった行動を振り返らせ,「おじいちゃんやおばあちゃんは,どんな気持ちだったのだろう。」と投げかけました。        (続く)


平成13年10月13日(土) 第56号 続・生活科における問題解決

◇ハッとした表情の子供たちでした。そして,さらに「おじいちゃんやおばあちゃんたちは,また来てねって言ってくださったけれど,もうやめようか。」と,強く判断を迫りました。教師の支援というと,子供のすることを何でも認めるといった誤解があるようですが,私は「問題解決を支援する」ことが大切なのであり,3つのHをふくらませ,つなげることが支援だと考えています。ですから,時にはこのように強く迫ることがあってもよいと考えています。
 また,子供たちにとっては学習ですが,お年寄りにとっては生活の一部です。失礼のないようにするのが,学校としても当たり前のことだと思います。

◇私に迫られて,子供たちはしばしシュンとしていましたが,やがて「また行きたい。」「今度はもっとおじいちゃんやおばあちゃんの気持ちを考える。」など発言をし始めました。
 1回目の訪問の時は,子供たちはどちらかといえば楽しさ半分,不安半分の顔つきでした。2回目は,張り切ってはいましたが,不安感はあまりなく,楽しげでした。
 しかし。今回の3回目の訪問に向けては,表情がまったく違ってきています(もちろん個人差はありますが)。そして「相手意識」の大切さ,その具体的な内容への自分事としての気づきが,子供たちの表情に真剣さを与えているように感じています。

◇こうして,つなげてきた3回目の訪問のリハーサルが今日の活動です。先に述べた,3つのHのつながりで言いますと,図の↑の部分に当たります。
 もちろん個人差があり,全員が「しまった!」「今度こそ!」という認識や決意を高いレベルで持っている訳ではありませんが,2回目の訪問からつながってきた動きを,来週の訪問に向けてより強め,自信を持たせたいと願っています。
 リハーサルをすることも初めてのことです。まず,子供たちが「今度はうんとおじいちゃんやおばあちゃんに喜んでもらうんだ。」と強く願うからこそリハーサルは成立する活動なのです。
 今日は,私はここを強く意識させる働きかけをすることを支援の中心においています。
 また,3回目の訪問を何としても成功させたいのです。成功とは,そつなくやることではなく,子供たちの「今度こそ,うんと喜んでもらうんだ」という思いや願いを十分に表現すること,そして,お年寄りと子供たちがどちらももっと心の距離を縮め,親しみを感じることができるような何度目かの「出会い」を実現することです。

◇その意味で,子供たちの決意(Heart)から具体的な活動(Hand)へのつながりに対して,参観された方から見た励ましをいただくことも,大きな意義をもちます。
 公開授業の参観者を,授業のために使ってしまうという厚かましさをお許し願い,子供たちとお年寄りのふれ合いをより良いものにするために,アドバイスをお願いします。(以下略)


平成13年10月15日(月) 第57号 教育実践発表会・終了

◇教育実践発表会が終了しました。多数のご参観,ありがとうございました。(置いておいたプリントの残を数えたら,100枚ほど減っていました。それほど多くの方に見ていただけたのでしょうか?)
 地域の方や他校の教職員など,たくさんの方が見守る中,子供たちはいつも通りのびのびと自分を表現してくれました。また,「おじいちゃん,おばあちゃんのために!」という気持ちが原動力となっての動きや気持ちが,きっとおうちの方にも伝わったのではないかと思います。

◇朝,いつもより早く教室に来ていた子供たちはあちこちにかけられた案内表示を見て,ちょっと「これは,いつもと違うぞ。」と感じたようです。「みっちゃん(三本先生),くるかなあ。」などと楽しみにしていた子もいましたが,「何か緊張するなあ。」と言っていた子もいました。机を廊下に出したときに,ある子が「先生,足がふるえている!」と言ってきました。

◇それでも,授業が始まるとご覧いただいたようにいつも通りの自然な動きの子供たちでした。保護者の皆さんばかりでなく,「北野の四季」の山森さん,そしてたくさんの他校の先生方に支援していただき,子供たちはずいぶんと自信をもったのではないかと思います。知り合いに写してもらった写真を見ても,子供たちのリラックスして,それでいて全体に方向性があり,適度に緊張した様子が伝わってきます。

◇私は,最後の方で子供たちに「これで大丈夫だと思うかい?」と問いかけたときに,子供たちの目がふっと遠くを見るようになって,自分たちの活動を振り返っているのを見て,とても感動しました。
 また,おうちの方や他校の先生,そして最後に山森さんのお話を聞く子供たちの姿勢というのか,姿そのものから立ち上っているものにとても感動しました。フリートークのときに,思わず「あの表情に感動しました」と言ってしまいました。
この表情ならいけるな,と思います。さあ,いよいよ明日,訪問です!

ご案内

明日は,全市一斉の札教研という研修の日となります。清田区,豊平区で生活科を研究している他校の教師が30名程度参観する予定です。
他の学年学級は給食後下校ですが,1組は北野の四季にて授業です。兄弟がいらっしゃる場合は,下校時刻が違いますので,ご注意ください。

ご都合のつく方は,ぜひ参観にいらしてください。 日程は,次のようになっています。
・給食,清掃,昼休み後北野の四季に向かいます。学校の玄関前を1時30分頃出発の予定です。(ここからご一緒してくださってもよろしいです。直接北野の四季へいらっしゃってもよろしいです。)
・北野の四季には,1時40分頃到着予定です。すぐに2階にお年寄りを迎えに行き,おそらく2時くらいから,子供たちの表現活動が始まることと思います。
・昨日ご覧いただいた全体の動きは,30分かかりません。その後,短い時間ですが,各テーブルで自然なふれあいの時間となります。
・下校は,北野の四季を出発するのが2時45分ころ。その後,学校まで戻らずに順次解散となります。おうちの方がいらっしゃる場合は,その場でお引き渡しします。

おまけ
・土曜日,参加できなかったと思われる方には,お子さんに当日の指導案と補助資料を渡しました。もし,もらっていない方がいらっしゃいましたら,どうぞお申し出ください。


平成13年10月16日(火) 第58号 教育実践発表会・感想より

◇教育実践発表会の1次の授業に,いくつか感想をいただきました。当日の感想用紙には,あまり保護者の方の感想は書かれていなかったようですので,これからでもどうぞお聞かせ下さい。できれば,辛口の感想を期待しております。その方が私の勉強になりますので。その意味で,1次の授業についてではないのですが,うれしかった「おもしろ発見タイム」の感想をまずご紹介します。(ある保護者の方から連絡帳にいただきました。ただし,コピーを取るのを忘れてしまいました。うろ覚えですが,大意は以下の通りです。)

おもしろ発見タイムでは,教師のこだわりは見られましたが,その割に子供たちのこだわりがあまり見られませんでした。残念です。

 なんとまあ,端的にご指摘いただいたことでしょう。「教師のねらいを,子供の願いへ」という問題解決の授業のプロセスが,実現されていないよ,とのご指摘だと感じました。教師による投げかけから「この指とまれ」と始まった活動だけに,ご指摘のような傾向が見られるかもしれません。ありがたいことだと思っております。感謝です。
 
◇では,1次の授業についてです。まず保護者のお二人から。

前回に比べて、子供たちが『おじいちゃん・おばあちゃん』を意識して、自分達の目的がはっきりしていることに驚きました。何度かお年寄りに接する中で感じ、つかんだことが活かされ、上手に表現されていると思いました。
練習も沢山したのでしょうね。とても、立派でした!!
お年寄りと一緒に楽しむことが出来そうな盛りだくさんの内容で、みていても、とても楽しかったです。・・・お年寄りの方々も喜ばれることでしょうね!!

 いえ,練習はさほどはしていないのです。時間割に示しただけです。話し合いも含めてですから,本当に短い時間です。全体を合わせてみたのも,あの日の前日1回だけです。なのに,あんなにスムーズにいったのは,やはり子供たちの気持ちなのでしょうね。

こんな素敵な体験をプロデゥースしていただいて感謝しています。
老人ホーム訪問にしても、盲導犬に対する体験にしても、2年生ではなかなか出来 ないふれあいの場を提供していただいてることに、本当に感謝しています。

実は一回目を見ていないので、どの程度成長したのかわからなかったのですがあのエネルギーと、思いやりの心があれば充分に耳の不自由な方にも伝わると思います。
何せ表情が本当に良かったです。
家では何日か前に、「16日にホームに行ったら、劇を見せてやって、話をしてあげるんだ」と意気揚揚でしたので「でもね、自分達だけが楽しくて、自分達だけの訪問になるんだったらどうかな〜?」と、いう話をしました。すると、案の定「車椅子押 してあげてるから」とか「お話してあげてるから」との返答。
よしチャンス!と、押されている人の心、介助されてる側の気持ちについて、上の子も交えて話し合いました。私の「一人よがりの訪問にならないように」の気持ちが、純粋な心に水をささないように気を付けながら色々な話ができました。私自身も自らを振り返る良い機会になっています。
さてさて、「北野の四季」の皆さんには、本当にお手数をおかけいたしますがこれからの子供たちの成長の栄養分として感謝しつつ、親の私もこの体験を無駄にしないように子供がもらってきたエネルギーを少し分けてもらい、また一緒に成長したいと思っています。

本音を言うと、「先生!大変でごめんね〜」と、思います。
こんなに考えてもらっている2年1組の子供たちは「幸せだわ〜!」と、本当に感じています。

 私も,この子達とステキな体験ができて本当に幸せです。ご家庭でのフォローに支えられているんだなあと強く思わされました。ありがとうございます。

◇他校の教師からもメールをもらいました。

研究会ご苦労様でした。前日の電話で,やや疲れを感じましたが,当日はいつもの元気いっぱいの“横藤流”授業が見られて安心しました。
授業では,私が“おじいさん役”での参加ということで椅子があったので,ゆっくり見ることができ有難かったです。

授業を見ての感想ですが・・・。
横さんが言っているキラリ(子供のよさ)が,随所にキラキラ輝いていた良い授業でした。
  真剣に司会したり演奏したりしようとするキラリ
  仲間の発表を心から応援してあげようとするキラリ
  自分たちで作りあげようとするキラリ
  そして何よりも,どの子も楽しそうでした。

最後に,仮のおじいさん,おばあさんに感想を聞く場面があるとよかったと思いました。あったのかな?

 なるほど。ちょっとの違いで子供たちの意識はずいぶん違ったものになったかもしれませんね。まだいただいています。この続きはまた明日にでも。

追伸:
 当日の「ワンダー」に「生活科の問題解決」と題する文章を掲載しましたが,教師からも,「けっこうハード(難しい)ね」と不評でした。教育用語になじみのないおうちの方ならなおさらでしょうね。失礼しました。忙しい中で書くと,言葉が難しくなって,紙面が黒っぽくなります。


※18日に発行しようと思っていたものですが,式典前から患っていた気管支炎が悪化し,お休みしてしまいました。時期を失しましたが,お届けします。


平成13年10月24日(水) 第59号  札教研授業終了

◇昨日は,たくさんの保護者の皆さんに見守られて,札教研授業が終了しました。今日聞いてみましたら,おうちの方が16名(兄弟関係を入れると20名を越えていますね)。他校の教師が,資料の残部から見て40人程度いたようです。お年寄りより多くの参観者で,北野の四季の方も「こんなに人が入ったのは初めてです。」とおっしゃっていました。そのときの様子を総務の斉藤が,たくさん写真に撮ってくれましたので,当日参観に来られなかった方のために,写真中心に構成してみます。
(デジカメで撮ったものです。もし,お宅にパソコンがあり,画像を見られる方がいらっしゃいましたら,フロッピーに入れてお渡ししてもよろしいですから,連絡帳にでも書いてください。eメールができる方は,添付して送って差し上げてもよろしいですよ。遠慮なくおっしゃってください。)

 まず,これまでと同じように2階までお迎えです。さすがに3回目ともなると,子供たちの車椅子の操作も,慣れてきました。
 司会の子たちの進行で,まず劇が始まりました。今度の劇は,テンポがよく,締まりがあってとってもよかった!
 その後,みんなで歌を歌いました。ちょっと声は小さかったかな?でも,お年寄りのみなさんは手拍子をしたり,お誕生日の歌では元気に手を挙げてくださったりと,楽しんでくれたようでした。

 その後,器楽演奏がありました。広いホールがしーんとなって,子供たちの演奏にみんな耳を傾けてくれました。芽衣ちゃんの太鼓に合わせて,みんなで盆踊りを踊っていると…。
 一人のおばあちゃんが,前に出てきて踊り始めました。子供たち,大喜び。今まで,こんなことはありませんでした。子供たちの気持ちが,確かに伝わっていたのでしょう。
 この後,ふれあいの活動になりました。(続く)


平成13年10月24日(水) 第60号 札教研授業終了2

◇ふれあいの活動は,いつもながら子供たちとお年寄りの心が出合い,ふれあう瞬間に感動してしまいます。
 そこここに,小さなドラマがたくさんつまった時間でした。

 土くんが,器楽のときに使ったマラカスを振ってみせると,テーブルにいたお年寄りが3人ほど声を揃えて「かえるの合唱」を歌ってくれました。
 矢くんや板くんがけん玉を見せます。うまく乗ると,大喜びしてくれました。中に,けん玉を興味深そうに見ていらっしゃるおじいちゃんがいました。ケースワーカーの方(かな?)が,「○○さんも,持ってみるかい?」と聞きますと,かすかにうなずきます。
 そこで,持たせてあげましたが,思うように手が動きません。そこで,私が一緒に手を添えてやってみました。何回かやって結局乗せることはできませんでしたが,にこにこされていました。それを見て,ケースワーカーの方が「○○さんが,自分から手を動かすことは滅多にないんですよ。そして,笑顔を見たのも久しぶりです。」とおっしゃっていました。子供たちのエネルギーが,このおじいちゃんの心を開いたのではないでしょうか。

 お年寄りと,子供たちの心が近づいていることが,前の写真で分かりますね。額と額がくっついています。子供の姿は,とても雄弁にその子の心を物語ります。お年寄りへの親しみ,開かれた心が見えます。
 そういえば,劇の最後に,菅君が「今度くるときは,プレゼントを持ってきます。」と宣言しました。お年寄りからは,拍手です。実は,私はそのことはまったく聞いていませんでした。心があるから,次の活動をもう自分からプロデュースできるんですね。
(さらに驚いたのは,昨日聞いたら「もう郵便で送った」とのこと。いやはや,脱帽です。)

 今回,子供たちはいろいろな準備をしていました。サインをもらったり,折り紙の折り方を,家で本を読んで覚えてきたり…。
 心があるから,活動が生まれ,そこにたくさんの気づきが生まれる。前に述べた生活科における問題解決の学習が成立していることが,お分かりいただけるでしょう。
 子供が,問題解決をしているとき,そこには何とも言われぬゆったりとした,それでいて適度に張りのある,美しい時間が流れます。そして,そこには確かに未来が生まれる予感を感じさせられます。本校で,問題解決の授業づくりを目指しているのは,こんなところに,我々のロマンがあるからなのです。実は,とても難しいことではありますが。

◇最後に,ほんの一部ですが昨日書いた子供たちのお手紙からー。
・北野の四季のみなさん。こんどくるときも元気でいてね。またおりがみをもっていきま す。(大)
・山森さん,さいしょわたしたちをしょうたいしてくれて,ありがとうございました。プ レゼントやげきや歌は楽しかったですか?わたしたちは楽しかったです。おばあちゃん やおじいちゃんや山森さんととってもなかよくなってうれしいです。言うことがあるの。 また北野の四季に行っていいですか?行かせてください。わたしたちはおじいちゃん, おばあちゃんが大すきです。(神)
・山森さんと北野の四季のみなさんおげんきですか?ぼくもげんきです。おじいちゃん, おばあちゃんも元気ですか?きのう行くときすごくドキドキしてました。なぜかという とおじいちゃんおばあちゃんとあいたくなってきたからです。山森さんも北野の四季の みなさんも元気になってください。(井)
・北野の四季のみなさん,このあいだはよろこんでくれてありがとうございます。またい くときプレゼントをもっていきます。学校のことも話します。こんど行けたらいきます。 手紙ももっていきます。(近)

◇追伸:土曜日,4人の男子がまったく自主的に北野の四季を訪問したそうです。新君,板君,塩君,菅君が,お年寄りに自作の名刺を配ってきたそうです。まあ,どこまですごいんでしょう!感動してしまいました。


平成13年10月25日(水) 第61号 教育実践発表会・感想2

◇ちょっと順序が行ったり戻ったりするのですが,教育実践発表会の感想の続編をお届けします。
 私が,子供たちの生の声や,おうちの方や外部の方の声を掲載するのは,まず第一に複眼の子育てをしたいと願うからです。教育は,いつも矛盾した2つの命題を追いかけ続けるものですから,多くの方の目で,様々な角度から考え合っていくことが大切だと考えています。ひとりよがりの考え方に陥りやすいのが教室という密室です。それを,少しでもオープンにすることで予防したいと思います。
 次に,私自身の実践資料となるからです。けっこうあちこちに論文を書く機会も多いものですから,その際の有力な資料づくりを一緒にやってしまおうというセコイ魂胆なのです。
 ということで,よろしくおつきあいください。

◇まず,この学級の保護者の方,それもお父さんからのメールです。「父親の子育て参加は大切だ」と言われながら,なかなかそれを許さない状況が,今の日本の構造ですが,eメールの普及により,こうしたことも可能になってきていると感じています。

いつもお世話になっております。今日は本当にお疲れ様でした。
私自身も高校生の時、課外授業で長野県にある障害者施設に行き短時間ではありましたが、少しのボランティアをして貴重な体験をしました。
核家族化が進み、お年寄りと一緒に生活する事が無い今の子供たちにとって、この様な体験は私達親にとっても非常に有難いと思っております。
子供とは何故北野の四季に行くの?から始まり行くために何をし、行って何を感じ、今度は何をしたいか等など尽きる事の無い話題で今晩は終わりました。
お体どうぞご自愛下さい。

 ご家庭でも,このようにフォローしてくださっていることを知り,とても心強く感じました。ありがとうございました。

◇さて,今回は他校の先生お二人からのメールです。まず,遠路はるばる倶知安からいらしてくれた先生から。

(前略)とっても興味深く参加させていただきました。特に、横藤学級の子どもたちが「燃えているな」と感じました。
子どもたちが生き生きしていますね。自分たちのやっていることに自信を持っていますね。そして、楽しそうに発表していました。それが何より見ている者の心を打ちます。
子どもたちがお年寄りに喜んで欲しいという気持ちが伝わってきました。
あれだけの企画と運営が出来るなんて、すごいなと思いました。火曜日は自信をもって楽しみながら発表して欲しいと思います。
それから、ホームの方も言っていましたが、お年寄りに「金田一少年の事件簿」はなじみが薄いかもしれませんね。だから補足説明もやむを得ないでしょう。お年寄りがよく見ている番組であれは、もっとインパクトは強いかもしれませんね。たとえば、「水戸黄門」とか「渡る世間は鬼ばかり」とか・・・。

やはり、自分の学校以外のところを見せていただくと、すごく勉強になりますね。
教室や廊下の掲示ひとつにしても、子どもたちの動き方にしても、「どうしたらこんなふうにできるんだろう」などと心が動かされます。北野平小に行ってよかったです。

 授業の一番のポイントを,的確に評価してくださり,これまたとてもありがたいことだと思いました。どこかの学説や思想に照らし合わせてでなく,子供の姿から考え合うことが今求められてると思います。その意味で,2の1の子供たちの姿を見ていただいての言葉をうれしく思いました。

◇最後は,かつての私の同僚から。

久しぶりにヨコさんの授業を見ました。もう5回も見ていますが,見るたびに「負けた!クヤシイ!」と思ってしまいます。
どうしたら,あんなに子供たちが自信に満ちて動くのか。
どうして,ヨコさんはあんなにどっしりとしていられるのか。
どうしてあんなに自然に参加者を巻き込んでしまえるのか。
負け〜てクヤシイはないちもんめ。でも,見てよかった。アホなこと聞くけれど,あの子たちってどこかから選ばれた折り紙付きの「生活科スーパースター集団」じゃ,ないよね。そんなことを感じてしまうような子供たちでした。

で,ほめてばっかりだとヨコさんの成長が止まるかもしんない(ハハハ)ので,ここで私の気づいたことからちょっとね。・・・  その1
北野平の研究が「子供の問題解決を支援する20の方法」ですよね。なかなかシャープな切り込み口で感心しましたが,ではあの日の横藤学級での「方法」って何?これがわかりませ〜ん! 単元を通じて,3つのHをつないできたことはひしひしと感じたけれど,本時のヨコさんは,ギターを弾いていたことくらいしか支援していない? 後半の話し合いでは,地域の方や北野の四季の方のお話が支援なのであって,ヨコさんは何もしていないように見えたのは,私だけかな?
あっ,その2は,やっぱりありませんでした。(う〜,力量が・・・)

 これは,手厳しいライバルの指摘でした。当日は,私の直接的な支援が際だつ場面は確かにありませんでした。そして,これは札教研当日の授業においても同じことで,「問題解決を支援する方法」を掲げての授業としては,分かりづらかったのかもしれません。
さて,これらに私はどう応えたか。それは,次号で。


平成13年10月26日(金) 第62号 生活科における支援

◇(前号に続いて)私のライバルからの疑問は,実は札教研の授業後の検討会でも,疑問点として出されたことでした。ほとんどの方は,子供たちの姿への感動を口にしてくださいましたが,ある先生が発言しました。
「今日,子供たちは実によくお年寄りに気を配っていました。思いが活動と結びついていると思いましたが,横藤先生の支援がよくわかりませんでした。先生は,何か支援をしたのですか?」
 すると,別の先生が発言しました。
「とても自然な流れでした。心温まる感じがしました。ところで,生活科として見た場合,授業は成立していたのでしょうか。」

◇この2つの問題提起に,検討会は盛り上がりました。夜の飲み会でも話は続きました。飲み会に参加したメンバーは,「あんな質問が出てくるとは…」とやや質問に憤慨し,この話題から日本の生活科や総合的な学習は,どう発展していくのか,という壮大な話にまで発展しました。(何せ,みんなよく飲んだものですから…。)そこで話したことを,やや専門的な話になりますが,『ワンダー!』の55,56号で書いた「生活科における問題解決」の続編ということで,書かせていただこうと思います。

◇私は,近頃見聞きする生活科や総合の授業が,だんだんとつまらなくなりつつあると感じています。そして,その大きな原因に,上のような発言の底にある,ある授業観が敷衍していることを感じています。それは,

どこかで,教師の支援(軌道修正,レベルアップ,リード)をしなくては,子供の活動は低いところをはい回ってしまう。

というものです。そして,支援に関しても,

教師は,支援を参観者にアピールしなくてはならない。

という無言のお約束が,多くの授業の底に流れ,不自然なぎくしゃくとした支援になっていることが多いと感じているのです。
 
◇ですが,私は「しなくても子供の活動がはい回らずに進むのであれば,支援はしない方がよい」と思いますし,「一見(いちげん)の参観者にとてもよく見えるような支援は,どこか本物ではないのではないか」とも思っています。
 確かに,子供に預けっぱなしの活動は,ややもするとはい回ってしまいます。活動の途中,教師の「出番」が必要である場合もあります。
 しかし,私は基本的に,活動途中の「出番」はできるだけ押さえるように活動を仕組みたいと思います。そのために,子供たちが動き始める前と動き始めてから,次の2点に重点を置いて取り組んでいます。(このほかに「評価」がありますが,これは別の機会に。)

◇まず,動き始める前にするのは,「活動の目標や方向,条件や制限,メンバー構成」などといった子供の活動を規制する枠組み(フレーム)を,けっこう気を遣って構築することです。私は,これをフレームワークと呼んでいます。
 フレームワークが適切ならば,子供たちの活動は自然に発展していきます。そこでは,教師が表立って子供たちに指図することは自然に少なくなっていきます。

◇動き始めてからの支援は,「ポジショニング」と「子供ウォッチング」がほとんどです。子供一人一人のHeart,Hand,Headの3つをとらえるように,まず全体が見え,かつ気になる活動に近い場所に自分の身を置きます。札教研の授業で言えば,入り口に近い方の子たちは,お年寄りと額と額が最初から近づいていましたので,そちらは「放っておいても大丈夫」と判断しました。ですから,どちらかというと,それまでお年寄りたちが集まっていた空間の方に身を置いて,全体を見ていました。これがポジショニングです。
 そして,一人一人の前の時間からの活動のつながりや他の子とのつながりを見ていきます。そして,解釈します。「おっ,この子は前の時間にはお年寄りとの距離を縮めるのに時間がかかっていたけれど,今日はすんなりとそばに行ったぞ。」のようにです。これがウォッチングです。

◇だから,傍目には,何もしていないように見えるのかもしれません。でも,けっこうなことをしているのです。
何度か,心細い表情の子と目と目が合いました。目と目が合うのは,私もそちらに目を向けていたからです。目と目が合って,ほっとしてまたお年寄りに向き直る子もいました。 これは,私が考える中でもっともうまくいったと思う支援です。もちろん,声をかけた子もいました。アドバイスを与えたりもしています。
しかし,ほとんどは子供たちが自分の判断で,そして自分に自分でプラスの評価を与えながら活動を進めていました。そのこと自体,大きなフレームの中で保障されたことなのであり,私の身の置き場所やまなざし,そしてちょっぴりの声かけの支援によって実現したことであると自負しているのですが,どうでしょうか。

◇ちなみに,フレームワークは,あるいはもっと言えば教師の存在さえも不要になり,子供が自分でフレームを構築し,誰の支援も必要とせず,しかし誰とも協調して望ましいふれ合いの活動を自分でプロデュースできるようになったとき,この授業が本当の意味で完結するのだと考えています。授業は,子供たちが授業を必要としなくなるために存在していると考えています。

◇フレーム,ポジショニング,ウォッチング。外来語を多用するのは,本当に分かっていないからだと指摘されたこともありますが,他の言葉がなかなか見つかりません。まだまだ研究としても拙いものです。
 先の我がライバルからは,「まだ少し納得できないが,名人は傍目に分からない軽い動きで倒された方が何故だか分からないうちに倒してしまうのと同じか?」と笑える返答がきました。もちろん,名人の域にほど遠いのは自明ですが,少なくともあの授業に関しては,変に「見せるための支援」を施さなくてよかったと思っています。


平成13年10月29日(月) 第63号 札教研授業の感想

◇もう,古くなってしまったのですが,おうちの方から札教研の授業の感想を3通いただきました。おうちの方と一緒に「共育」できて,本当にうれしく思っています。

 まず,お一人。この方は,小学校の教師をしてらっしゃるので,話し合いのことも気にかけてくださっています。(こんな風に書いたら,誰か分かっちゃうかな?)

○札教研の授業ごくろうさまでした。話し合いの方は,どんな風だったのかとても気になります。一人一人の交流には,時間が今日は足りなかったのかなとも思いましたが,今日のメインは「子ども広場」だったので仕方がありませんね。少しずつ仲良くなっていくのだと交流を見ながら思うと共に,何度もくりかえしていくことでいい関係になっていくことと思いました。ぜひ,3年生になっても交流が続いてほしいと思います。
 知らない人の前ではかたまってしまう○○が,おばあちゃんとどうにかしようと努力しているのには,親バカながら成長とがんばりにおどろいてしまいました。

 ありがとうございます。子供の姿に驚くことができるのは,本当に幸せですね。ワンダー,ワンダーがいっぱいの活動を続けていきたいと思います。3年生以上では,総合的な学習でお年寄りとかかわっていくことになります。楽しみですね。

 今度は,違う方。この方は,参観されなかったのですが,ご家庭でのお子さんの様子を教えてくださいました。

○この日は,私のほうが帰宅が遅かったのですが,玄関を「ただいま」と入ると,すっ飛んできて「あのね,今日は大成功だったんだよ!イェーイ!」と大はしゃぎ。私の疲れも一気に吹っ飛びました。そして「あのね,○○君はとても大きい声で劇をしていたよ。」「お誕生日の歌では,手をあげてくれたおばあちゃんもいたんだよ。」「盆踊りのときに,一緒に踊ったおばあちゃんもいたよ。」「あっ,それからね…」とひとしきり友達をほめ,お年寄りをほめていました。私が「で,○○は,どうだったの?」と言うと「う〜ん,わかんない!でも,まあよかったんじゃないの!」と言うので,思わず吹き出してしまいました。いつもは,水を向けないとくわしくお話ししてくれないのですけれど,この日は食事のときも,片づけのときも,お風呂の中でも同じ話も何度も繰り返しながら,ずっと興奮していて,話し疲れてさっき寝てしまいました。我が子ながら,久々に無邪気でカワイイ!と思った親馬鹿です。見に行けなくて本当に残念でしたが,やっぱり横藤学級の子供たちのやさしさとパワーがいっぱいの活動だったんですね。うれしい気持ちをお伝えしたくペンを取りました。

 ありがとうございます。子供たちの心がうれしさでパンパンになっていること,よく伝わりました。私も幸せを感じます。

 最後は,ノート2ページにびっしりと細かい字でお寄せくださったものです。中に,このお子さんのお姉ちゃんが登場しますが,このお姉ちゃんは昨年私が受け持ったお子さんです。(って,これも誰かすぐ分かっちゃいますね。ごめんなさい。)

○昨日は北野の四季での研究授業大変ご苦労様でした。そしてありがとうございました。私は北野の四季に入ったのも初めてでした。いつも子供から山森さん,おじいちゃん,おばあちゃんの話を聞いていたのですが,実際お年寄りを目の前にして,私のほうが正直固まってしまったというのが本音でした。でも,子供たちの堂々とした発表ぶり,歌,踊り…と,今年は学習発表会がありませんでしたが,その何十倍もゆっくりと楽しませていただくことができました。○○もとても楽しそうで,おばあちゃんに「あんたが一番しっかりしていたよ!」なんて言ってもらったらしくて,それはそれは自信がついてうれしかったようでした。
 かくいう私も車いすを押したのは学生時代以来というもので,表情のない不自由な方を目の前にしてそばに寄るのも怖いという感じでした。でもずっと忘れていた何かがよみがえってきたかのようで…。段々と自分から進んで体を動かすことができるようになってきました。
 実は私は学生時代,教育実習で養護学校に実習に行ったことがあったのでした。その時は,脳性マヒの子や肢体不自由な子,障害を持っている子ばかりで本当に若かったせいもあり,最初は怖くて怖くてしかたがない状態でした。でも,世の中にとても厳しくされている,いつもそういう目で見られている子供たちのなんと心がまっすぐで美しいということが段々とわかってきて,実習期間が終わってもずっと学校に通い続けていました。結局自分の勇気が足りなくて,ボランティアという形で終わってしまったものでしたが,その時の気持ちがよみがえってきて,車いすに座っていたお年寄りの後ろ姿を拝見して,たくさん苦労されて,今は体も思うように動かせなくなって,あんな小さな子の姿を見て,こんなに喜んでくれているんだなと思うと,本当に感動することができました。こういう体験をすることができた子供たちは本当に幸せだなーと思いました。そして,そういう機会を与えてくださった先生に本当に感謝しております。長々とすみません。この気持ちを少しでも先生にお伝えしたくて,つい筆が止まらなくなってしまいました。前で,○○(姉)が「何いっぱい書いてるのー?」と朝ご飯を食べながらあきれています。本当によこちゃんはすごい方だ! と感じました。先生に受け持ってもらえて幸せです。子も親もです。朝からハイテンションの○○でした。

 いやあ!こんなに喜んでいただけて,私もすごくうれしいです。○○さんにも,貴重な体験がおありだったんですね。そういう経験の一つ一つが○○ちゃん(お姉ちゃん)にも○○くんにも伝わって温かい心のお子さんが育っているんですね。いつも支えてくださって,本当にうれしく思っています。
私も,本当にこの子たちと一緒に過ごせて幸せです。

────────────────────────────────────────
 長く生活科の取り組みをご紹介してきましたが,このシリーズはこの号をもちましていったん終了します。他の教科のことなども紹介したいことがたくさんありますので。
たくさんのお手紙など,ありがとうございました!


平成13年10月29日(月) 第64号 算数・体育から

◇ずっと生活科の話を続けてきましたので,この頃の他の教科の様子をご報告しますね。 まず,算数は2年生の中心的な題材である「かけ算」に入っています。ここで大切なのは「九九を速く言えること」以上に,いろいろな日常生活の場面で,かけ算の考え方を使って考えようとする力を育てることです。
 例えば,右のような図を示すと,子供たちの中には「3×5」と表す子もいます。兄弟関係などで九九になじんでいる子は,「さんごじゅうご」などと最初から九九の言い方で表したりもします。
 しかし,「3×5」はかけ算の意味からすると間違いです。3×5は,3個ずつのものが5つあるという意味ですから。九九で答えを出すよりも,まずその現象が,かけ算を適用できるのかどうか,またどれが「一あたりの量」で,どれが「いくつ分」を表す数なのかを把握できる方が,ポイントなのです。

◇もちろん,九九をしっかり覚えることも大切ですので,毎日,習熟を図ってもいます。九九のカードを出して,反射的に答えが言えるようにするとか,2名を同時スタートさせてある段の九九を速く言い終わるのを競ったりするなど,けっこうにぎやかに楽しみながらやっています。(下図A)
 そんな中で,積み木を使って,お互いにセーノで例えば3個ずつのブロックを出し合い,その数を当てっこするゲームをしたときに,おもしろい現象に気づきました。(下図B)これは,ぱっと見て,固まりが4つあれば「3×4=12!」とコールするというゲームなのですが,先のAタイプの時と比べて,明らかに活躍する子が違うのです。粗い傾向として,カードを見せて,あるいは「5の段,よーい!」と九九を諳んじるのは,圧倒的に女子の方が速いのですが,ブロックを見て式と答えを言うのは,逆に圧倒的に男子が速いようなのです。
 これは,男子と女子の特性なのか。はたまた,女子の方が早くから九九になじんでいる子が多い分,「具体的な思考」より「形式的な操作」の方が伸びているということなのかと,ちょっと興味深く思って見ています。
 
◇体育では,ラインサッカーに取り組んでいます。
ミニコートに,右のように内野3人前後ずつ,ゴールライン上に多数,サイドライン上に少しのメンバーが配置。ゴールラインのメンバーの腰から下をボールがくぐり抜けたらゴールです。
回を重ねるごとに,だんだんチームプレイが出てきて,おもしろいです。

◇ところで,この指導をするときの私は,やたら口の悪いおじさんに変身します。(えっ,いつもだって?)
子供がミスすると「あっ,おっしいなあ!おいィ。」 この最後の「おいィ」がおかしいらしく,子供たちは笑います。
 「こら,見てるな!つっこめ!」
 「そっちは敵だべ。何考えてんだ!」
 「逃げるなー!」「敵にサービスしてどうする!」
 つい夢中になって,大声で叱咤激励します。しかし,子供たちはまったくその声で萎縮したりはしません。むしろ,大喜びで笑い転げながらゲームを楽しみます。

◇今日も,女子に試合前,次のような指導を行いました。
「おい,この間見ていたらお前らの中に『お嬢様』がたくさんいたからな。『あらあ,ボールがきましたわあ』って,にっこり笑って見ていたり,やさし〜く,『乱暴はきらいよ〜』って,ちょこんとボール蹴ったりな。今日は,お嬢様やめて,ボールに向かって突っ込めよ!」
 この文言だけ聞いたら,まるで問題教師ですね。でも,子供たちはもう話を聞いているうちに地面に転がって笑っているのです。そして確実に動きはよくなっていくのでした。


平成13年10月30日(火) 第65号 読書マラソン・よーいドン!

◇読書は,人生を豊かにします。4月から,子供たちには読書を呼びかけてきました。読書カードが,満杯になってきた子供たちもいます。そこで,読書の秋にちなんで,先週から数回読書のための学級活動や道徳をもってきました。そして,今日から「読書マラソン」を始めることにしました。

◇「読書マラソン」とは,陸上競技のマラソンのように,途切れずに読書を続けようという取り組みです。概略,以下のように行います。

・家でや学校,児童会館などで,とにかく1ページでも本を読む。
・図書室から借りた本,自宅の本など,本はどんな本を読んでもよい。ただし,コミック(コロコロコミックなど)は除く。
・翌朝,学校で私が「昨日読書した人?」と聞く。一覧表を用意しておき,読んだ子の場所にシールをつける。子供は,読書カードに書名を記入する。連続何日続けられるかに挑戦する。
・読んだ子のうち数名には,何という本を読んで,どんな感想を持ったかなどをお話してもらう(ブックトークという)。そこから,読書の範囲が広がることが期待できる。
・休みの日などは,出かけたために読書も休んでしまうこともある。それは,マラソンをリタイヤしたとは見なさない。

◇家でも,声かけをしていただけると,効果が上がることと思います。来週の個人懇談では,家での読書の様子なども教えていただければうれしいです。
読書の秋です。おうちの方みんなが,テレビを消してそれぞれの本に向き合う時間などをもつのも,よい時期ではないでしょうか。

◇ちょっと寄り道をして,私自身の読書体験についておしゃべりさせていただきましょう。
 子供たちにも話したことですが,小さい頃母を亡くして親戚の家を転々とした私は,小学校に通学しない時期もあり,勉強の苦手な子でした。友達づくりも苦手でした。けれども,唯一救いとなったのが,まだ母が生きている頃に親しんだ本の世界でした。本を読めば,つらいことが忘れられました。わくわくしながら,ページをめくることで,どんなに救われたか分かりません。
◇小学生の頃親しんだ本は,数多いですが繰り返し読んだ中に『ロビンソン・クルーソー』がありました。その中で,無人島に流れ着いたロビンソンが,流れ着いたことを最初は嘆いていたものの,自分にとっていいことと悪いことを書き並べてみると,ほぼ同じ数だけあることを見つけ,「どこで暮らしても神様は,いいことと悪いことを同じだけくださるものだ」とつぶやくシーンがあります。
 けっこういろいろあった子供の私は,ロビンソンのように自分の境遇を書き並べてもみました。そして同じように,「いいことと悪いこと,同じくらいだなあ」などと感じたことを思い出します。

◇その後もずっと本は友達です。今も,寝る前に30分から1時間は活字を読まなくては眠りに就くことができません。この学級の子供たちにも,ぜひ本を好きになってもらいたい,本と一緒に豊かな人生を送ってほしいと心から願います。

国語・きつつき

◇国語は,「きつつき」という説明文に入りました。一読したところ,子供たちからすぐに「先生,すぐに作ろうよ!」と声が出ました。「もう作り方,しっかり分かったの?」と聞きますと,自信たっぷりで「もう分かったよ!」という子が多数。
そこで,「じゃあ,本当に教科書の内容がよく分かったかどうか,テストを先にしよう。ちゃんとテストができた人には,用意してある材料をあげるよ。」としました。
 テストは,教科書をコピーして要所要所をホワイトで消して印刷しただけの超簡単なものです。そこを穴埋めするわけです。例えば,

一 用意するざいりょう
(      )一本   長さ(  )センチメートルぐらい。
(      )一本   太さ(  )ミリメートルぐらい。長さ(  )センチメートルぐらい。
(      )一まい。 (    )ぐらいの大きさ。
あぶらねん土      (     )

のようになっています。
「分かっているなら,教科書を見なくても書けるよね〜。」と言いますと,はたと困る子も多数。(ちなみに上の空欄の答えは,順に「エナメル線」「50」「竹ひご」「4」「30」「画用紙」「はがき」「ひとにぎり」です。)さっと書ける子が約半数。後は,長さ等かなり適当です。竹ひごの長さを3センチメートルとした子には,「ほうほう。3センチの竹ひごか。じゃあ,これぐらいだね。○○には,これぐらいに切ってやらなくちゃならないかあ。」などと意地悪な言い方をしてやります。
いったんテストを中断しますと,もう何も言わなくても教科書を真剣に見て,「あっ,そうだったのか!」と学習する子供たちでした。意地悪もたまには,いいものです!?

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