●イランの旅4日目(2003年12月14日=日曜)
モリさんは「8時半に起床確認の連絡。9時に出発」といっていたのに、朝食をだらだら食べていてだんだんずれ込み、ホテルを出たのは9時20分ごろだったか。
バムの城砦はホテルから10分ぐらい走ったところにあった。遠くから見る城はまるでおとぎ話に出てくるような景色だったが、中に入ってみると、そこはまったくの日干し煉瓦が積み上げられた廃墟に過ぎなかった。入っていきなり、案内のモリさんは城壁の上へ。ところどころ修復中というか、崖になっていて、落ちたらただではすまないぞと思えるところも。高さはどれくらいあるのだろう。壁の外の眺めもなかなかいい。下りて、遺跡のやや東寄りを宮殿へと向かう。第2城壁、第3城壁と超えて、坂道を登り始める。そう長い時間でもないが、息も絶え絶え。最上部の監視塔に何とかたどりつく。そして「長官の住居」からの眺め。風が強いと思っていたがそれほどではなく、心地よいくらい。下りていって、今度は遺跡の中央から西側をめぐってまた城壁の上に。ここからは遺跡の全景が見渡せ、絶好の撮影ポイント。ここでモリさんの案内はいったん終わって、20分ほど自由にめぐる。さすがにもう一度監視塔まで上ろうとは思わなかったが、それでも満喫した。モリさんが「アルゲ・バムは西洋人にはそれほど人気はないのに、日本人はこの遺跡が大好き。なぜだか不思議」といっていたので、日本人には心の中に「滅びの美学」というものがあることを教えてあげた(理解したかどうかは分からないが)。桜の散り際しかり、源義経しかり、楠木正成しかり、真田幸村しかり、白虎隊しかり、戦艦大和しかり……もうええちゅうねん。確かにこの遺跡は滅び去ったものへの郷愁を感じさせる、強いものがある。
遺跡を出発したあとは、バム特産のナツメヤシのお菓子を買うなどした後、再びケルマンまで170キロの道のりをひたすら走る。昨日と同じ道なので、私はほとんど寝ていた。遺跡を登ったりしていたことで汗をかき、それで体が冷えてしまったか、ちょっと熱っぽくなってしまった。ケルマンの昨日と同じ店で昼食を取った後、今度はヤズドへと向かう。約320キロ、5時間半かかるとか。ムハンマドさんはこの日、私たちのためにざっと直線で170+320キロの距離を走り、そしてなんと、私たちをヤズドに送り届けたあと、再び妻子の待つケルマンまで320キロを戻ってくるというのだから大変だ。実際、たいへんな<飛ばし屋>で、ヤズドに向かう道中でも、ちょっと怖い追い越しをかけて、ひやりとすることもたびたび。さすがに、モリさんに、大事な客を乗せているのに事故を招くような危ない運転をするなと注意を受けていたようだが。これほどの28歳(だったかな)の元気なにいちゃんでも、ふとしたことで私と2人きりになったときなどに、話しかけられると言葉が分からなくて困ると思うのか、急にそわそわしだすのがおかしかった。
途中、ラフサンジャニとかアナルとかという小さな町で、ピスタチオや炒ったヒマワリの種(黄色やら赤いのやらとりどり)など、おやつを買いながら走っていく。昨日から思っていたのであるが、前の席の2人は確かに絶えずこれらを口にしていて、ご飯時になって、おなかが減っているものだろうかとすこぶる疑問。ラフサンジャニ(以前の大統領と同じ名前だ)は最上のピスタチオの産地だそうだ。それから、アナルというのはペルシャ語で杏という意味で、名産の杏がそのまま地名になったそうだ。アナルがイチジクという意味でなくてよかったね(この項、読み飛ばして下され)。
道はやはり砂漠の中。明かりは対向車のヘッドライトが頼り。薄暮だから大丈夫だと思うのか、たまに点けてない車があるので危ない危ない。途中、軍の検問があってパスポートの提示を求められる。昨日、ケルマン−バム間で述べたとおり、南部から不審者や麻薬などの流入を防ぐのが目的。モリさんらと一緒のせいか深く詮索されることもなく、あっさり通行を許される。
ヤズドの街には18時半ごろ到着。やはりケルマンから5時間近くかかったか。ホテルの位置が分からず(どんなガイドと運転手やねん。もっともムハンマドさんに関しては、大阪に住んでいる人間に広島あたりまで運転してもらって、ホテルを探せといっているようなものだが)、30分ほどロス。これからケルマンまでトンボ帰りするムハンマドさんの無事を祈るのみ。
夕食は、昨日の発言でカバブに飽きたと思われたか、ホテルのカフェでピザとなった。好物というほどではないが、助かったという気持ちがあったのは事実。モリさんが隣で水パイプを吸っている人を指して、「あれー」と驚いている。イランでは有名な映画俳優兼監督だそうだ(モリさんはイランの黒沢か三船かといっていたなあ。でもわしゃ知らんもんね)。ヤズドは映画製作の街だそうで(イランのハリウッドか京都か、という感じ?)、スクリーンで見る人がうろうろしているそうだ。
ホテルはコテージ風。夏ならさぞ快適だろうという気がする。テレビを見ていて(映るのは10チャンネルほど。見ていて分かるのはCNN、BBC、アルジャジーラなど。あとは宗教くさくて、何やっているのか分からんのもある)、隣の国イラクでついにフセイン前大統領が拘束されたと知った。イランにとって、かつて戦争を仕掛けてきた憎んでも憎みきれない相手の哀れな姿には「ざまあみろ」といった高揚感があるものの、その身がもうひとつの仇敵アメリカの手に落ちたことには複雑なような、モリさんの口ぶりからはそんな感情が窺われた。いずれにしても、この日は日本は休刊日。会社では当番デスクが号外やら翌月曜の人の手当てやらでさぞや今ごろは大変だろうなあ、と思う。何とかお手伝いできたらとも思うが、遠くイランまで離れていてはどうにもしようがない。
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