ぺルーの旅4日目(11月22日=水)
さて、この日はマチュピチュ行き。朝起きても頭が重い。悪寒もする。体調は全然すぐれないが、せっかくここまで来て断念するわけにも行くまい。朝食は抜き、早朝、迎えに来たリリアナの会社の車でサン・ペドロ駅まで送ってもらう。リリアナは自分が勧めたホテルだけに「良く眠れたか。元気か」と聞いてくるが、その時の私はきっと顔面も蒼白だっただろう、「元気はあるが(うそ)頭が痛いんだ」と答えるのが精一杯だった。早朝にもかかわらず、駅の周りはなぜか人だかり。ガイドブックに書いてある通り、駅周辺にはひとりで行ったりしないように、という忠告が理解できた。リリアナの「マチュピチュは暑い。水が絶対いるが、マチュピチュで買うととても高いからここで買っていったほうがいい」というアドバイスにしたがって、もの売りのおばちゃんから1リットルのボトルを買う。3ソル(1ドル弱だが日本円にすると120円ぐらい)。外国のどこに行っても思うが、水の値段だけは、結構張るものだ。そうしてみると、十数年前まで平気で水道の水が飲めた(今でも飲めるが)日本はすばらしい。
人垣を掻き分け、駅構内に入る。リリアナにツアーのガイドを引き合わせてもらう。ツアーといっても固まって席などが決まっているわけでもなく、どれだけの人数なのやら。出発。列車の座席は日本のローカル線といった趣。ちょっと狭いか。私の席は前の車両の方。といっても、すぐにスイッチバックして反対方向に。かと思うとまたスイッチバック。結局、クスコの町を出るまでに、スイッチバックを4、5回ほど繰り返しただろうか。やがて列車は山の緑の中、川の清流沿いに進んで行ったようだが、気分の優れぬ私は景色を楽しむ余裕もなく、コーヒーとサンドイッチの車内サービスがあったことさえ気づかずに、ずっと眠っているばかりで、ひたすら体力の温存に努めたのであった。
3時間半後、マチュピチュ遺跡最寄りの駅、アグアス・カリエンテス駅に到着。ここからはマイクロバスに乗り換え遺跡に向かう。観光客が多く訪れるせいか、バスはたくさん待っており、いずれも新しい。だが、道は舗装されておらず、でこぼこの山道を揺られながら上っていく。途中、転落したら命はないだろうな、というような谷沿いなども走る。もちろんガードレールはなし。まあ、道幅からすればよほどのことがない限り事故はないだろうが。
およそ30分で遺跡入り口へ。はて、ツアーの形を取っているため、ここからはどうしたものか。ガイドの顔も覚えてないし、どんな人たちと一緒なのかも分からないので、ひとりで遺跡に入る(列車内で渡された紙を今見てみると、遺跡見学の集合時間が書かれ、英語かスペイン語かのグループに分かれて出発する旨書いてあった。個人行動をとる場合は申し出てくれとあったが。今更知るもんか)。暑い。ここは本当に夏。セミも鳴いている。日本ほどやかましくはなかったが。山道を上っていく。この暑さ、元気な時でもしんどい坂道なのに、高山病で体力が落ちているため非常に苦しい。曲がり角の度に腰を下ろして休憩、水を飲んでばかり。日本人のおねえさん、おばさんのグループにも抜かれた。
それでも何とか、体力を振り絞って道を曲がると突然視界が開け、写真などで見たのと同じ、あのマチュピチュの遺跡が目の前に広がった=写真。向かいの尾根から眺める、切り立った山の前に迷路のように連なった石垣。予想していたよりは規模が大きかった。感激。尾根の上の方に上り、ずっと遺跡を眺める。吹き渡る風が本当に気持ちよい。いくら眺めていても飽きない気もしたが、尾根沿いに遺跡の方へ。一通りは巡ったが、細かい遺跡の理解はガイドブックだよりで、本当のところは何がなんだか分からなかった。とにかく、段々にやたら石垣が多い。しんどいので、遺跡内を歩き回るのも休み休み。最後は木陰の草むらのうえで休憩がてら横になり、半ば昼寝。寒気がする体に、夏の暑い日差しがこの時は元気を与えてくれたよう(帰国後、職場の同僚らに『よく焼けてるねえ』と感心されたのはこの時の日焼けです)。しかしまあ、<けがの功名>というのか、遺跡で昼寝とは、これまでは、せこく何でも見て回ろうという貧乏人根性丸出しの観光が多かっただけに、すばらしい贅沢。
遺跡にいたのは、3時間弱ぐらい。実は、前日のいきさつもあり、やっとこのあたりからおなかが空いてきた。このツアー、値段からすると昼食がついていてもいいと思われるのだが、遺跡前のレストランでチケットを見せても、入れてはもらえなかった。ひょっとしたら、ガイドがランチの券を配っていたのかも知れないが、意図的にしろはぐれてしまった以上、確かめようがない。やはり説明が確認できるように日本語の事務所で申し込みをしておけばよかったか。仕方ないので、遺跡を後にし、マイクロバスで再び駅前に戻る。こぎれいそうなレストランに入り、スープと何やら料理を一品。メニューを見ても分からず当てずっぽうだったが、出てきたのはともに魚。特にスープはあっさりしていておいしかった。30ソルだったか。列車まで時間があったので、みやげを見て回る。バス乗り場から駅まで、小道沿いに簡素な屋台ふうの店が軒を連ねている。アンデスらしく原色の布でできたヘットボトルホルダーと小物入れをおそろいの色で。ホルダーは、飲み水を持ち歩くのになかなか便利。今後、別の旅行でも使えそう。小物入れの方は、ひもがちょっと頼りなげで、貴重品を入れるのはやめておいたほうがよさそうだ。
午後3時過ぎの列車で、クスコへ帰る。車内ではやはりずっと眠っていて景色はあまり楽しめず。クスコに着くのはすでにどっぷりと暮れたころ。クスコの町を眼下に見ながら、再びスイッチバックを何度も。すぐに着きそうに思えるがなかなか時間がかかる。
駅には、リリアナの会社から迎えに来ているかとも思ったが、特に見当たらなかったので、タクシーに乗ってホテルに帰る。2ドル。くつろいでいるとリリアナから電話。「駅で社員を待たせていたのにどうしたの」。明日以降の日程について打ち合わせ、ならびに支払いをしてほしいという。迎えに来た社員に事務所に案内してもらう。リリアナによれば、明日は朝からバスでチチカカ湖近くの町プーノに向かい宿泊。翌日にチチカカ湖を観光し、飛行機でリマへ。計3泊の宿泊費と飛行機代など合計で400ドルでということだった。詳しい額はわからないが、これまでの感じから推測すると、飛行機代はおよそ150ドル、ホテルは、クスコと同等ならば1泊50ドルだろうから、バス代、送迎代などその他もろもろ含めても、リリアナの手元にはかなりの儲けが残ると思われる。やはりちょっとぼられたかとも思うが、値切るなどという気力はなく、仕方がないというあきらめが先にたつ。そして、手持ちのドルがなくなってきていたので、日本円を使うことにして近くの店で両替をするが、1ドル=120円のレートとしてみると少し少ないのではないか、とも思えたが、2軒あたってほとんど同じ額。ホテルに戻って、じっくり勘定してみると、ほとんど円からソル、ソルからドルにと2回両替をした要領で計算したものと思われた。大きな失敗。こんな時のためにカードを持ってきているのに、と後悔する。ささいなことであるが、無駄な出費はしたくないというのが信条。もう一度、外に出て、ホテル近くにインターネットカフェがあったので、久しぶりにHPでも覗いてみるかという気になるが、今となっては当然のことと思われるが、ペルーのパソコンに日本語のフォントが入っているわけがなく、自分のページを見ても四角の羅列だけ。仕方ないので伝言板にローマ字で、高山病に苦しんでいる現況を書いておく。英語で書けないのが恥ずかしいところ。店に行ってヨーグルトとか軽くて、栄養になりそうなものだけ買って帰る。10時をまわったせいか、ホテルにかぎがかかっている。冗談じゃあない。ドアをひたすらたたいて開けてもらう。就寝。