ペルーの旅6日目(11月24日=金)
朝9時ごろ、昨日のガイドのおばさんが迎えに来る。今日はチチカカ湖のウロス島を訪れる旅。高山病は治る気配なく、相変わらず気分はすぐれない。
車で湖畔の船着き場へ。それほど大規模なものでもない。日本なんかでもよくある湖上めぐりの発着場のような感じ。ここから案内してくれるのは、30代と思われる男性。ヨーロッパに留学してフランス語を勉強、自身で英語はあまり得意ではないようなことを言っていた。流暢な英語は私にとってはありがた迷惑なので、ちょうどいいかとも思っていたが、やっぱりよくわからない。なんか発音がスペイン訛りというのかなんというのか。本当の英語とは違うという感じ。
舟を操るのはもともと漁師(勝手に想像)のおやじさんか。チチカカ湖は標高3890メートル。高地の秘境、清冽な印象を勝手に抱く。ディーゼルエンジンでゆっくりと進み、傍らを、外国人観光客グループを乗せたモーターボートが抜いていく。およそ40分、ウロス島に到着。島といっても葦のような植物を積み上げて作った人工の浮島だ。ガイドブックによると、このような島が大小40ほどあり、計700人のウル族の人々が暮らしているとか。このうちのひとつに<上陸>。確かに島の端はおぼつかなく、うっかりすると靴を濡らしてしまいそうだ。島の広さは、ざっと60畳ぐらいか。湖上生活は、暑い時は快適そうだが、冬、あるいは雨の時は大変なように思われる。
ウル族の人たちは、すっかり観光客慣れして、島全体がみやげ物屋という感じ。どの家も同じようなものを土産として売っているので、どこで買うとしても気を使う。ということで、土産は買わず、若い体力のありそうなおかあさんがこぐ藁舟に乗る。島の周りをめぐって、他の島まで運んでくれるわけだ。1ドルだったか。島は、そこの人のおうちだし、湖面に浮いているだけだし、あまり長くとどまって物思いにふけるのもはばかられるので、港の桟橋に引き返すことにする。あっけないチチカカ湖の観光だった。時間が許せばタキーレ島やアマンタニ島に行くツアーもあるようだが、今回の午前中だけを充てた日程では到底無理。帰途、案内役の男性は、今の<田舎町のガイド>という境遇に不満なのか、アメリカやヨーロッパのことを結構話したがった。日本でも、一般の成人男子ならどれくらい稼げるのかなどと尋ねてきたが、「昼ごはんに10ドルかかることもある。それぐらい日本では物価が高いんだ」というと、その時ばかりは「ペルーだったら1ドルあれば十分なランチが食べられる」と自慢げだった。
ホテルに帰ったのは、昼にはまだだいぶ早い。ここを出発するのは午後2時だったから、横になって体力温存に努める。気分はまだまだよくはならない。元気だったら、この空いた時間、街でも歩き回るものを。予定の時刻より遅れて昨日のおばちゃんが迎えに来る。リマに移動するため、ここから45キロ離れたフリアカ空港まで送ってもらう。飛行機の時間までも時間を持て余す。空港で、黄色のコーラを飲みましたが、これは結構いけますな。私、ふだんはコーラは敬遠しているんですけれど。だいぶ待ってゲートイン。待合室では地元のバンドなのか、アンデスの音楽を演奏しているグループ。ケイナ(っていうんでしたっけ)の音色がもの悲しいというかなんというか。知っている曲は「コンドルは飛んでいく」ぐらいで、うまいんだか下手なんだか全然わからなかったけれど、本場の調べを楽しませてくれたお礼にいくばくか(小銭ですけどね)差し上げておきました。
飛行は1時間ほど。夕方、リマに戻る。ここでもまた、しつこいタクシーの客引きに遭うが、リリアナの手配で車の迎え。運転手はいかにもラテン系のでっぷりとしたおやじ。助手席に若いおねえちゃんが乗っていた。車は市街地に向かって走り出すが、いったん向かった道を引き返したりして、どう考えても寄り道をしている。2人の会話の雰囲気などからそのうち分かったのは、助手席の女性は運転手の娘さんで学校に送り届けるところだったのだ。娘さんは一度も後ろを振り向くことはなかったが、あのおやじの娘なら、まあ、別に。
車は旧市街セントロの一角のビルに。リリアナの手配で知り合いのツアー会社に送り届けてもらった。ここの社長さん?はでっぷりした、いかにも女ボスといったかんじ。宿の紹介と、翌日の市内ツアーを勧められる。ホテルは新市街ミラフローレス(リマは新旧両市街に分けられる)で、1泊50ドルぐらい。翌日のツアーと合わせていくら払ったが忘れたが(記録で確かめられ次第書き換えます)、ちょっと割高の気はした。「稼ぎごろの日本人が来てくれたもんだ。リリアナがいい客を紹介してくれたもんだ」と満足していただろうねえ。
ホテルまで送ってもらう。街中にしては裏通りで静か、まあまあきれい。現金なもので、リマに戻ってすぐ、高山病による頭痛もすっかり忘れたように消えてしまった。あの鈍い頭の重さはなんだったのだろう。改めて空腹も感じたので食事に出る。ホテルが街のどの辺に位置しているのかもさっぱりわからないので、2筋ほど行ったところにあったステーキハウスへ。高山病で弱っていた間全然食べられなかった敵をとるかのように、ちょっと贅沢に注文。ビールも2杯飲むことができた。宿に帰って疲れている分、すぐに眠ろうと思っていたのだが、ここのホテルのテレビではNHKが映るのでしばし見入る。あれまあ、フジモリ大統領(当時)、えらいことになってるやないの。