小杉放菴研究舎|2013年度の記録

2013(平成25)年4月 ▲

今年の放菴忌(小杉放菴の五十回忌)について

2013/04/23

 今年の「放菴忌」も、前日の雪模様から一転した晴天の中、無事に終了しました。

今年は、日光市長夫人(会員)も初めて墓参され、「放菴先生に相応しい場所に埋葬されたんですね!」と感心されていました。

 お供えの団子は、日光の菓子匠「おしやま」(奥様が会員)さんからです。

 墓参のあとは、小杉放菴記念日光美術館に戻り、〈selection2013 小杉放菴〉展を鑑賞し、恒例の日光鱒鮨本舗の弁当をいただいて、弥生祭前夜祭を見学しながら、家体のスタンプラリーを行ない、商品の「日光地酒」をゲットして帰りました。

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小杉放菴の墓前にて

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弥生祭前夜祭

2013(平成25)年5月 ▲

第21回研修旅行のお知らせ

2013/05/28

 標記の研修旅行を下記のとおり、開催しますので、奮って御参加ください。

 宿は、小杉放菴も泊まった、湯野浜温泉の「亀や」です。

期日: 2013(平成25)年6月26日(水曜日)~27日(木曜日)

目的: 小杉放菴の足跡をめぐる「奥の細道・山形の旅」

立石寺(山寺)/最上川の船下り/出羽三山神社
鶴岡/鼠が関/さくらんぼ狩り/会津武家屋敷

会費: 32,000円

 研修旅行の御案内は、本日、発送する予定です。

2013(平成25)年7月 ▲

「奥の細道・山形の旅」

2013/07/07

 去る6月26日から27日にかけて、芭蕉の足跡を慕って旅をした、小杉放菴の日記をもとに散策してきましたので、御報告します。

 小杉放菴は、1927(昭和2)年10月14日に、友人の画家・岸浪百艸居とともに田端の家を出立しました。

 10月17日に、新庄から山形に入ります。(14日から16日の行程については後日)

『放菴日記』の1927(昭和2)年10月17日の項

早朝 七時の汽車にのりて山形に向ふ 山形に博覧会ありてにぎやかなり 立石寺行きののり合ひ自動車にて四里 山寺村につく 立石寺は奇岩の山によりて堂を作り亭を設く 遊人多くうるさけれど おもしろき見どころなり 天狗岩まで行きて 下りて八幡屋と云ふわびたる茶屋にひるめし 又のり合ひにて山形に来り……(中略)……四時汽車 新庄を経て最上谷の古口に下車 かめ屋と云ふ宿を駅の人に教はりて宿す 牛小屋 藁うつ音 かまどの焚火宛?として 百年前の古狸の宿なり 炉を囲みて一酌して眠る 夜半雨音あり

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天狗岩

 現在、天狗岩へは修験者のみが通行できるそうです。

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芭蕉句碑

閑かさや 岩にしみ入る 蟬の聲

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薬師堂(山寺)

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参道(山寺)

 『奥の細道画冊』の紀行文には、以下のような記述があります。

……山寺の山門を入れば、にぎやかな見物衆物売りの店も並び、細道道者には、大分に当ての外れた景気、一つは例の博覧会の余波もあらうが、案内人詰所と云ふ家に、七八人も同じ姿の案内人を見受くる故、ふだんとても中々の遊覧地であるべく思はれる。……(略)

 参道の土産物屋を見ると、この頃と現在と比較しても参拝客は、ほとんど変わらないように思われます。

 小杉放菴の休んだ「八幡屋」は知る人もなく、ただ、「以前、川の増水したときに流された店ではないか」という情報を得たのみでした。

 なお、近いうちに「山形博覧会」の資料が入手できる見込みがあるので、そのときは、再度、御報告します。

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古口駅

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かめ屋跡

『放菴日記』の1927(昭和2)年10月18日の項

前夜清川まで船下す約束なし置きたるが 朝雲の間に青空見ゆれども 山時々来る 晴れ間を見て船に乗る……(中略)……水は漲り雨時々ふる 両岸の山勢見るに耐えたり 仙人堂はお仙人さまを祭ると云ふ 常陸坊海嶌の古伝あり 白糸の滝を見る 風落し来り雨はげし かくて清川に着く……(略)

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古口乗船場

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小杉放菴「最上川」『奥の細道画冊』より

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仙人堂

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白糸の滝

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清川下船場に建つ芭蕉銅像

 最上川の船下りも行なう予定でしたが、マイカーでの散策だったため、残念ながら諦めました。

 「かめ屋」の情報につきましては、戸沢村役場の住民税務課長様に御教示いただきました。伏して御礼申し上げます。

『放菴日記』の1927(昭和2)年10月18日の項

……二時羽黒山着山門を入りてすぐに下り あり あり 五重塔ありて それよりひたのぼり 石段十八丁 本社まで杉木立つゞき 本社斎殿 すべて雪がこいの仕度し居れり 社宮を見るに 鉄灯籠の竿石 伝教大師の木像おもしろかりし 社前に神池あり 神池に曲橋かゝる らんかん宮珠あり 末社数殿蜂子親王の墓あり 月山の参道杉並木つゞきて山に入る 三時すぎ坂を下りて山門の前に鶴岡行の乗合にのり 夕方鶴岡……(中略)……湯の浜のかめ屋につく 塩くさき湯也……(略)

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山門(隋神門)

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下り坂の階(継子坂)

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滝(須賀の滝)

 江戸時代に、遠く月山から水を引いて造られた須賀の滝と祓川神社(「出羽三山神社パンフレット」より)

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橋(神橋)下の川は「祓川」

 むかし、参拝者は川で身を清めて参道を登りました。

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五重塔

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出羽三山神社(三神合祭殿)

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神池(鏡池)の曲橋は、現在は無い

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末社。手前は羽黒山東照宮

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蜂子親王の墓

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亀や

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小杉放菴が泊まった頃の門柱

『放菴日記』の1927(昭和2)年10月19日の項

十九日 七時半宿を出で 乗合にて大山 八時十分発 来迎寺に向ふ 途中左へ折れて善宝寺あり 寺は古く大きくおもしろかるべきが寄らで過ぐ 鼠が関下車 二時間余り遊ぶ 古跡の址を訪い弁天社に詣づ 昔は地つゞき 今は満潮なれば嶋となる……(略)

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善宝寺山門と五重塔

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念珠関址(近世鼠が関)

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古代鼠が関址

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弁天社(厳島神社)

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弁天島遠望

 帰途は、村上市内で昼食をとり、のんびりと市内散策し、本物の「新巻鮭」(塩漬けにしては水で洗い、また、塩漬けにし水で洗うのを3度繰り返す)一切れ1,000円の高級品を惜しげもなく購入しました。

 東宮様御成婚の際、小和田家で引出物(堆朱箱)を製作された村上漆器の店に足を止め、延々と話を伺ってしまったので、ここでも古代朱の椀を買ってしまいました。

 会津に着いたときには、夕方5時を過ぎてしまいましたが、「熊出没注意の看板」を横目に、会津松平家の墓所へ45年ぶりに参拝しました。

 NHKの大河ドラマ「八重の桜」に登場している、会津中将・松平容保公ら、歴代の藩主の墓所も参拝しました。

 松平容保公は、のちに、日光東照宮の第5代と第7代の宮司を務め、神仏分離により荒廃した日光の社寺を救うべく、各方面より浄財を集めて保晃会を設立し、社殿の修繕を行なった、日光に所縁の方です。

 参道の上り下りで1時間を要しましたが、夏至を過ぎたばかりなので、午後6時を過ぎても、まだ、明るかったです。

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>容保公(忠誠神)墳鎭石

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松平容保公の墓所

 山寺の上り下り、羽黒山の階段、鶴岡の善宝寺の階段、会津松平家の山上の墓所など、この2日間、ほんとうに、よく歩きました。

 しかし、歩いた割には、それほど筋肉痛も残らず、気分爽快の旅でした。

東京八尾町郷友会の総会へ出席

2013/07/17

 去る7月14日、旧・富山県八尾町(現在の富山市八尾町)の出身者で組織されている、「東京八尾町郷友会」より、総会の招待を受け、参加しましたので御報告いたします。

 東京の上野恩賜公園の一角にある「上野精養軒」を会場に、盛大に開催され、11時より総会、12時からは懇親会が行なわれました。

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山田紘一郎会長による挨拶

 「富山県民謡越中八尾おわら保存会」13名による「おわら踊り」の鑑賞で始まった懇親会は、延々と3時間に及び、15時に幕を閉じました。

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おわら鑑賞「八尾四季」の春

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勇壮な男踊り

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輪踊り

 この懇親会で、山田紘一郎会長や島崎一郎相談役より、役員の名士の方々を御紹介いただきましたが、なかでも副会長の小林光俊さんには驚きました。

 「敬心学園」ほか、各種の学校法人や社会福祉法人などを経営されている第一人者で、「全国専修学校各種学校総連合会」の会長もお務めです。

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総踊り大会

 この御婦人は、踊りが始まる前までは車椅子に座っておられたのに、気が付くと輪の中で踊っていらっしゃいました。

 御子息に「どうなっているんです?」と聞きましたら、「私にも分かりません。主治医には、車椅子での外出なら良いとのことで外出許可をいただきましたのに……」と困惑してました。

 故郷の懐かしい「おわら踊り」を目の当たりにして、躍動する心が、身体をも奮い立たせたのでしょうか?

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奇跡のおわら

 第二部が閉会したあと、お誘いを受け、幹部による2次会で私も歓談していましたら、山田会長が「この人分かるかね」と連れて来てくださったのが、なんと、あの杉下楼(現・杉風荘)の経営者・五十嵐園枝さんの御子息である良和さんでした。

 1976(昭和51)年にNHKの『新日本紀行』で放映されたとき、ナレーションで「息子の良和さんは勤めに出て町を離れ……」と紹介されていた、その御本人です。

 建物を八尾町(現・富山市)に寄付したときの様子なども教えていただき、たいへん感激いたしました。

 今年の「風の盆」には、待っていてくださるかも?と期待してます。

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左が五十嵐良和さん

 郷友会には、毎年のようにお誘いをいただいてましたが、いつも行けずじまいでした。

 今年は出席できて、ほんとうに良かったです。

山形市主催全国産業博覧会の資料

2013/07/22

 「奥の細道・山形の旅」で紹介した、1927(昭和2)年9月に開催された「山形市主催全国産業博覧会」の資料を入手しましたので、御披露します。

 小杉放菴の日記の1927(昭和2)年10月17日の項には、以下のような記述があります。

早朝 七時の汽車にのりて山形に向かふ 山形に博覧会ありてにぎやかなり……又のり合ひにて山形に来り 博覧会に入り見る 演芸館に山形芸者の手踊りあり 多勢のオーケストラ 多勢の踊り子 雪月花は上杉廟の雪 最上川の月 ヽヽ公園の花、花の段いかにも美しく出来たり 踊り見て居るうちに山過ぎて路ぬかり居たり……

 当時としては、かなり大規模な博覧会であったことが伺えますが、その資料として、下記の会場配置図や絵葉書を御覧ください。

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会場配置図

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市内会場の巡回図

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博覧会絵葉書

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歓迎門

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第一会場夜景

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第一会場内演芸館

 小杉放菴は、ここの会場で山形芸者の踊りやいろいろな出し物を見物したあと、他の会場も一巡してから、山形駅より汽車に乗り、最上川の船着き場近くの古口駅に下車し、かめ屋に宿しました。

2013(平成25)年8月 ▲

小杉放菴の代表作品《飲馬》を美術館に展示!

2013/08/03

 このたび、日光市が購入した、小杉放菴の代表作品である《飲馬》が、小杉放菴記念日光美術館で特別展示されました。

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小杉放菴記念日光美術館での展示風景

 《飲馬》は、小杉未醒(放菴)が横山大観らとともに再興した院展の第1回展に出品された作品です。

 小杉未醒は、再興院展の同人として、洋画部を主宰しました。

第22回研修旅行のお知らせ

2013/08/03

 今年で10回の訪問となる「越中おわら風の盆」研修の参加者募集を開始しました。

 多くの方に参加いただき、10年間の歴史に恥じない交流会を行ないたいと思います。

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越中おわら風の盆

 御案内の通知のとおり、8月20日が締め切りですので、よろしくお願いいたします。

2013(平成25)年9月 ▲

下野新聞社からの取材!

2013/09/07

 下野新聞社から「放菴が結ぶ縁10年に」と題する取材を受け、9月1日に掲載されましたので、御報告します。

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平成25(2013)年9月1日付「下野新聞」の記事より

 記事の中にある、「旧杉下荘」は「旧杉下楼」に、メンバー「約20人」は「27名」に、修正してお読みください。

「風の盆」(第22回研修旅行)

2013/09/07

 第22回研修旅行は無事に終了しました。

 今年は例年になく天候不順で、先月の天気予報によると、3日より晴れの予想でしたが、2日までは、日本列島を縦断する雨雲に覆われ、北陸地方は完全に雨雲の中で、雨は已む無しと思っていました。

 しかし、長野県に入ると天気は晴朗で、上越市に入っても晴れ間があり、富山でも晴れの期待に胸が膨らみました。

 ところが今年の天候はそうさせてくれず、やがて、バスが親不知に差し掛かると土砂降りの雨に遭遇、全員が諦め模様でした。

 その後も、富山インターまで斑模様に雨が降り、バスの駐車場で待っている古川さんに連絡を取ると、10分前より雨が降り出したとのこと。上空も雨雲が厚く、残念ながら今年の「風の盆」では「街流し」が見られないと諦めざるを得ませんでした。

 バスは、インターより20分で鏡町の駐車場に到着。古川さんの案内で、鏡町町内から観光会館、日本の道百選に選ばれた諏訪町を経由し、おわら資料館に入り、ここで古川さんとは一時お別れ。

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「八尾四季」歌碑で

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観光会館へ通じる路地で

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「越中八尾おわら保存会」初代会長・川崎順二先生の銅像

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日本の道百選の「諏訪町通り」

 資料館を見学後は、休憩所に使わしてもらう、放菴に所縁の「杉風荘」(旧・杉下楼)に入り、恒例の特製鱒鮨の夕食をいただいて、鏡町の「花付け」を待ちました。

 今年は例年の「花付け」とはちがい、北日本新聞社とNHK国際放送の取材クルーが早めに到着。

 取材の打合せをこなし、鏡町の皆さんの到着を待ちました。

 19時より「花付け」を行なっていただき、終了後は、交流を兼ねて記念撮影をしました。

 その後、鏡町の輪踊りまで時間をつぶし、それぞれの「風の盆」を楽しみました。

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男踊り

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女踊り「八尾四季」(春)

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鏡町の皆さんと記念撮影

 中央の女性は、NHK”ジャニーズ・イン・ジャパン”という番組の旅人サラ・アラファールさん。

 しかし、今年の「風の盆」は実に良かったです。

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深夜の「街流し」(東新町)

 雨上がりの涼しくなった町に、「街流し」が始まり、客も例年になく少なく、古川さん曰く「昭和50年代の頃以来だ、気持ち良く出来た!」とのことでした。

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安明荘跡の歌碑前で

 帰途は、久方ぶりに小布施町へ立ち寄り、岩松院の葛飾北斎の天井画《鳳凰》を拝観。

 北斎館を巡り、小布施の銘菓をお土産に買い求めて、予定通りに帰宅できました。

 NHK国際放送の放映に付きましては、連絡あり次第、御案内いたします。

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平成25(2013)年9月4日付「北日本新聞」の記事より

 9月4日の北日本新聞に、小杉放菴研究舎の記事が掲載されました。

鎮座十年祭の斎行について

2013/09/27

 2003(平成15)年10月8日に、妙高高原町(現・妙高市)の小杉放菴の旧居「安明荘」の庭内社として鎮座していた山神社を、前所有者の、株式会社 太平洋セメントさまより、小杉放菴記念日光美術館に寄贈いただき、遷座してから10年を迎えますので、下記のとおり、式年祭を斎行いたします。

 ぜひとも、御参列を願います。

日時: 2013(平成25)年10月8日(火曜日) 11時00分から
式場: 山神社(小杉放菴記念日光美術館の庭園内)

 参列者には、直会として「桃川」(1合瓶)をお分けします。

 昼食を御希望の方は、鱒鮨(1000円)を用意いたしますので、御連絡を願います。

 昼食後は、美術館において〈所蔵作品撰 国立公園の絵画展-前期〉を鑑賞します。

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安明荘跡に鎮座していた頃の「山神社」

2013(平成25)年10月 ▲

山神社鎮座十年祭

2013/10/09

 10月8日の晴天の中、午前11時より、小杉放菴研究舎の会員16名の参列のもと、「山神社鎮座十年祭」が斎行されましたので御報告いたします。

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祭典の様子

 祭典の終了後、日光鱒鮨本舗の松花堂弁当を食し、お供えの果物をデザートに直会を行ない、献酒の桃川1合瓶を手土産にして終了いたしました。

2013(平成25)年11月 ▲

韓国・慶州の足跡めぐり3

2013/11/08

 一昨年の6月に慶州市の南山を巡りましたが、思わぬアクシデントで金鰲山頂上から引返してしまったため、今回(10月23日)は、下ろうとしたのとは反対側の登山口(小杉放菴が登った所)から入山しました。

『放菴日記』の1926(大正15)年6月4日の項

……山にかゝる 渓について上り 岩山に攀ぢて仏塔二基を見る 一は丸き三重の上に無首の仏あり 一は方形の三重 他に線ぼりの仏もあり……

『アトリエ』第3巻第8號「慶州の古美術」(大正15年8月1日発行)より

……南山の山中に在る石佛石塔にはまだ寫眞にとられぬもの多いと聞いて、一日寫眞師同行で出掛けた。南山は峯多く、大てい岩山、ある峯に三重の臺上の石佛を見る、臺は塔様をなす故、塔佛とでも云って置くか、佛像に首缺けては居るが、姿態衣紋の沈重さ、圓形三重の輪の寸法、大いに見るべきものありと思ふ、或は此像は新羅の高僧の記念像かとの説もある傍らの岩壁に線彫りの佛像あり、是はあまり感心せず、同時代か異時代か、同時代にも巧拙あるべきと思ふ、其時代はいつ頃かと問はれても小生には分らぬ、少しく上に方形の三重石塔、此の様式の塔は他にも多く見られる、山上にポツリと立って居る姿は寂しい、……

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三重の臺上の石佛

「石造如来坐像」です。

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方形の三重石塔

 今回も美女2人の案内で巡りました!

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方形の三重石塔

 放菴の真似をして!(『アトリエ』に掲載の写真より)

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方形の三重石塔

 この石塔は1924(大正12)年に、朝鮮総督府により立て直されました。

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磨崖如来坐像

 線彫りの佛像です。

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南山の山稜

 放菴が登った頃は、禿山だったと記しています。

 帰途、梁山市の通度寺に立ち寄りましたが、日本の比叡山や高野山を思わせるくらい広大な境内でした。

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通度寺の山門

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通度寺の境内

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通度寺の境内

 鐘楼と鼓楼が一緒になった建物など、見たことがありませんでした。

放菴の足跡を訪ねて(沖縄2)

2013/11/30

 機会があって沖縄へ旅行しましたので、2009(平成21)年の、前回の訪問時には見落としていた場所を訪ねてきました。

 1916(大正5)年1月から2月にかけての、小杉放菴が「琉球行」と題した『日記』の中に、以下のような記述があります。

『放菴日記』の1916(大正5)年2月8日の項

……首里城荒廃……泉あり、門辺の岩の下より出で、石龍の口より小瀑をなす、石碣題して中山第一泉と云ふ、その石碣に近来「嗚呼首里城」とかけるものありしとて 一時物議喧しかりと云ふ あたりまへの事なり、……

 この情景は、『南嶋帖』(出光美術館蔵)に「中山第一泉」、『日本風景版畫第7輯琉球之部』に「首里城中山第一泉」として描かれており、どちらにも、石碑と、綱を付けた桶のようなもので泉で水を汲んでる様子が描かれていますが、描かれている門は「瑞泉門」で、手前に数本の石碑が並んでいます。

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小杉未醒(放菴)『日本風景版畫第7輯琉球之部』より「首里城中山第一泉」

 小杉放菴は、アーチ形の門に描いていますが、しかし、実際の「瑞泉門」は四角の石組みの上に櫓が乗っています。

 アーチ形の門は、一つ手前の「歡會門」です。

 小杉放菴としては、《或る日の空想》や《出関老子》に見られるよう、デザイン的にアーチ形を好んだのではないでしょうか?

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瑞泉門

 右側の石垣の切れ間の中に「龍樋」があり、石段左右に、中国(明)からの冊封使の書の石碑が並んでいます。

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龍樋

 ここだけは戦災に遭わず、のこりました。

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歡會門

2014(平成26)年2月 ▲

日光ブランド

2014/02/09

 昨年から申請が受け付けられ、今年になって審査が行なわれていた「日光ブランド」の認定式が、昨日、開催されました。

 文化分野で、小杉放菴記念日光美術館が「日光ブランド」に認定され、認定式には、公益財団法人 小杉放菴記念日光美術館の理事でもある、小杉放菴研究舎の柳原一興主宰が理事長の代理として出席し、斎藤文夫日光市長より認定証を受け取りました。

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日光ブランド認定式典

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小杉放菴研究舎

〒321-1412
日光市東和町2-10
TEL.0288-54-3600
FAX.0288-54-3432
主宰  柳原一興

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