私がくぐったのは Porta do Buraco ou da Cisterna という脇門。一歩足を踏み入れれば昔ながらの山村の佇まいだ。小さな村なので何も考えずに歩いても、アッという間にメインストリート(写真・下)に出る。

コーナーを1つ曲がると、もう1本の村を縦断する通りがあった。最初に見かけたのは土産用のドアベルを店先に飾った金物屋のオジサン。退屈顔で店番していた。それからトラックに乗ったお兄さん。そしてお散歩中のお爺さん‥‥。
先端に村のランドマークの鐘楼がある。ここが正門、Porta da Vila。その外は展望台のような広場になっていて、一段低いところにオマケのように隣接した集落と広大な大地が一望の下。
狭い階段を上がれば門の上に出ることも出来た。幅の狭い通路、柵がないのは珍しくないけど今にも崩れそうな気がして怖い。
 
メインストリートと平行する門前の通りをまっすぐ反対端まで歩くことにした。土産物屋、ペンション、レストランが数軒ある他は民家のようだ。ランチにはまだ早い時刻だが、観光客も地元の人もたまに見かける程度。
突き当たりに可愛いらしい教会?‥‥と思ったら、宗教裁判所跡だそうだ。横にまわってビックリ、崩れたまま放置された廃墟だった。
スペイン国境に近いグアディアナ川の西に位置するこの村は、今でこそ時代から取り残されたような平和な山村だが、かつては防衛上の重要拠点だったとか。

正面の見張り台内部はちょっとした展示スペースになっていて催し物をやっていた。のんびり写真を撮っているうちツアーバスが着いたらしく、ヨーロッパ人観光客がドーッと入って来る。考えてみれば移動途中に軽く寄るには良いスポットなのだろうが、それまで静まり返っていただけにちょっとビックリ。いつものことながら、私は彼らが去ってもまだ色々な場所に入ったり登ったりしては景色を眺めていた。
宗教裁判所の並び、メインストリートの終点にディニス王が13世紀に再建したという城の入口があった。階段を上ると村全体が見渡せる。
城の奥は闘牛場になっている。

村のほぼ中央にこの村最大の教会、Igreja Matriz (Santa Maria da Lagoa Church) を中心とした広場がある。
広場中央には中世の刑具「さらし台」があったという。階段前の白いものがその名残だろうか。

教会は、小さな村にしては立派なファザードだと思ったが、内部はさらに重厚かつ荘厳な雰囲気だ。
教会の左、通りを挟んだ隣に附属博物館があった。13時からの休憩時間まであと15分もなかったが受付で聞くと十分見られるということだったので中に入った。展示されているのは17、18世紀のものが中心で、法衣、絵画、銀の教会用具(杖、十字架、ワインカップ‥‥)等。

      
向かい側にはもう一つの教会、Igreja da Misercórdia e Hospital がある(写真・中央)。その名の通り、慈悲病院でもある。

下は観光案内所。左側の木の階段を上がるのだが、内装も古めかしく趣があった。アレンテージョ地方の写真集などの販売もしている。
慈悲病院の右隣(写真・上)も教会、Capela de S.José。他に裏通りにも Igreja de S.Tiago という、けっこう大きな教会がある。
1時を回ると村はさらに静寂に包まれた。うろついているのは私だけ? レストランに入っても食べきれないだろうと思い、村で唯一のバルに入った。店内のショーケースを覗くとナッツ入りのプディングがヤケに美味しそう。指さすとバットから適当に切って皿に盛ってくれた。そしてビッカ(エスプレッソ)も注文。これで約\180.-。おつりの\3.-弱はスペインのコインで渡された。気さくな感じのお姉さんは「ごめんね、小銭がないのよ。こっちのほうがチョット高いはずだから許して」(ポルトガル語だから定かじゃない)と申し訳なさそうに言った。
追加でガラオン(カフェオレ)\70.-も飲んで、トイレを借り、2時近くなって店を出た。
食後(?)はお買い物タイム。まだ昼休みだった金物屋を除いて村中の店を見て回った。やはりアズレージョ、皿やポットといった素朴な絵付けの陶器類が多い。ここが気に入って住み着いたというオランダ人女性の織物工房を兼ねた店で小さなマットも買った。

30分で回れるという村で4時間近く過ごした。さて、そろそろ車に戻ろう。

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