<photo & diary> 9/2 フヴァル島・フヴァルタウン 2
階段を下りると、港の端に出た。
少し戻って、港沿いにあるカフェ・バーで休憩。

さて、充電を終えたところで
今度はもうちょっと遠くまで歩いてみよう!
←港から東へ回り込むように行くと、小さな入り江にささやかながら砂浜があった。その向こうに見えるのはFranciscan修道院
その先にはまた別の入り江が現れた。→
こちらはホテルが並んでいる。
ふたつ目の入り江を過ぎると道はゆるやかに弧を描き、海岸線は様々な自然の表情を見せてくれる。
実はフヴァルタウンから数キロ東のMilnaに第2候補だった宿がある。17世紀の古城ペンションで、なんとクロアチアの文化遺産指定を受けているという。
やはりここも満室で予約できなかったのだが、時間があれば散歩がてら行ってみたいと思っていた。帰りはバスか、最悪タクシーに乗ればいいだろう、と。しかしこんな入り組んだ地形では予想以上に距離がありそうだ。もちろん内陸側には車用の直線的な道路もあるのだけれど、それじゃあつまらない。そういうわけで、このあたり---まだフヴァルタウンを出たとは言えないだろう---で引き返すことにした。
ヤドロリニヤ社のオフィスで明後日のフェリー・チケットを買ったあとは、ふたたび町歩き。

手始めに見ようと思った考古学博物館は、トルコに破壊されたというSt.Mark教会内にある。あいにく休憩時間で、このあとの開館は20:00〜22:00。
結局、そのまま忘れて行きそびれてしまった。
考古学博物館へ続く路地→
St.Mark教会の鐘楼が見える。
←こちらはメイン・タウン・ゲート裏あたりで見つけた、
渡り廊下があるSobe。入口にいたおかみさんらしき人に
「ステキな建物ですね」 と言うと喜んでくれた。
広場のカフェでまたまた休憩をしたあと、5:30ごろさきほど通ったFranciscan修道院へ舞いもどる。午後の開館が5:00〜7:00だったからだ。入場料10knを払うとチケットの代わりにポストカードにスタンプを押してくれた。
←修道院・回廊。
樹齢200年とも300年とも言われる糸杉(Cypress)があり、入場券代わりのポストカードはその写真だった。
Nelaから得た情報によると、ここでコンサートなども開かれるらしい。
↓祭壇
美術館(フラッシュ禁止) は発掘品から現代美術まで様々だが、見るべきは 「最後の晩餐」 だろう。
Matteo Ingoliによる16世紀末の作品だ。
しばらく買い物などして過ごし、午後7時、まだ明るいうちに広場のピッツェリアで夕食をとることにした。でも案の定、ピザは食べきれなくて、残りは持ち帰らせてもらう。
宅配ピザのような箱と、帰りがけに買ったワインや水の袋などをぶらさげ、来た道を戻った。
階段を上がって一般道へ。分岐も覚えていたし、近所のスーパーも記憶通りだ。ところがそろそろという所まで来ると、どの家も似ているようで私の帰るべきSobeじゃない。隣の家はパステル・グリーンの外壁だ、というのが私なりの目印だったのだが、とっぷりと日が暮れてしまった今となっては、外壁の色なんて判別できやしない。少し戻って、一軒一軒 「これじゃない、これでもない・・・」 と指さし確認をしながら歩いてみた。
←よそのSobe。ここは看板があって分かりやすそうだが、小さなSobe印のプレート程度しかないところも多い。
かれこれ10分ぐらい迷っていたろうか。
「Keiko!」
誰かが叫んだ。もちろん、こんなところで私の名を呼ぶ人と言えばNelaしか考えられない。辺りを見回すと通りの角に立つ彼女が見えた。

「妹があなたを見たって言ったの。道に迷っているみたいだ、って」
それで迎えに出てくれたのだ。
ああ、助かった〜。
ホッとしたのと有りがたいのと照れくさいのがごちゃまぜになって、お礼と弁明をくどくど言いながら、Nelaの後に従って帰ったのでありました(^^ゞ。
それにしても、
この時点ではまだNelaの妹さんとは会っていなかったのだ。日本人が宿泊している、というのが家族の話題に上っていたってことか。さらに恥ずかしいネタを提供してしまったことになるなぁ・・・。
 

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