9/6 Thu. 続・勇気を出して ---オストログ修道院編 [1]
バスが入ったパーキングよりさらに先へ進む車もいた。私もそれに続き、
一段上の駐車場に車を停める。
     だって・・・。歩く距離は少しでも短い方がいい。
修道院を目指すバスツアーの人々
見えるかな。岩山を穿って嵌め込んだような修道院。目指すのはアレなんだもの・・・。
ズーム画像→
崖のもっと上部
には十字架が。
こんな道を上っていく
時々車道を横切る
バス・ツアーの人々に混じり、石畳の坂と階段が続くショートカット・コースに入った。石畳と呼ぶにはあまりにワイルド。健脚さんたちはサッサと行ってしまうが、私は所々で休憩を入れなきゃならなかった。ご同類も数人いて、抜きつ抜かれつするうち顔なじみ、挨拶を交わすようになる。
「もう休憩~? (ニヤリ)
だなんて、オジサンだって同じじゃん^^。
ひとり恰幅の良い女性はサンダル履きだ。
「そのサンダルじゃハードでしょー」 身振りを交えて英語で言うと、
「大丈夫よ、いつもこれだから」 (←想像)
とにっこり。
途中の風景
休み休みで約30分。
オストログ修道院 (Ostrog Monastery) 上院入口に到着した。
ここももちろん正教で、聖ヨハネ騎士団が長く守りとおしてきたキリスト教界屈指の至宝3点が、1941年以降置かれていたところでもある。
※フィレルモの聖母ほか。現在はツェティニェにある。詳細は当旅行記・古都ツェティニェ [2]

パーキングはこのゲート手前にもあった。実はここまで車道も続いていて、大型車じゃなければ来られたのだ。なーんだ、がっかり・・・。しかしまあ敬虔な信者は徒歩で来るものだそうだから、それを体感できたということで納得しておこう (笑)
修道院入口
修道院・宿泊施設の建物
売店に並ぶ人々
門をくぐって最初に見えるのは宿泊施設の建物だ。下から仰ぎ見たときは木立に隠れていたが、これも岩盤をくりぬいて建てられている。その一階に長蛇の列が出来ていた。
修道院でも入場料が必要なのだろうか。一応、列に並びつつ戻ってくる人の手元に注目していると、どうやらチケットではなさそう。皆さん、所定の場所に献じるロウソクとか、病気などに効くと信じられている聖水、というようなものを買っているらしい。そうと判るまで数分かかった。聖水にはちょっと惹かれるが、この混雑で手際よく買えるかどうか不安だ。タイガーバームより嵩張るな、などと不謹慎な比較をしてあきらめ、列を離れた。そして奥にあった本殿(?) に続くほうに並び直す。
入口が狭いのか、こちらはほとんど前進できなかった。
前方の女性がスカーフを被りはじめる。改めて見ると大半の女性が頭をスカーフで覆っていた。普通のジーンズの上からパレオを巻いている女性さえ見える。もちろん私も肌は露出していないが、スカーフを持参しなかったことをちょっぴり後悔。
オストログ修道院・上院
建物に通じる階段は、手すりで往路と復路に2分割されている。空いている復路のほうは身体障害者用通路を兼ね、若手の修道士なのか、黒いジャージ姿の男性が介添え役として待機していた。その男性に付き添われながらも手すりに掴まり自力で一段一段必死に歩く人もいれば、全く歩けず抱きかかえられて行く人もいる。30分ほど並んでいる間に何人もの方々がそうやって上り下りしていった。

ここは敬虔な信者たちが訪れる、モンテネグロ最大の巡礼地なのだ。
一緒に並んでいる人たちだって単なる物見遊山じゃなく、国内や近隣からの巡礼ツアーなんだろう。
写真を撮る気になれたのも最初のうちだけ。ようやく前方、突き当たりに入口が見えてきたころには、これまで訪れたどの教会や修道院でも感じたことがない程、厳粛な気持ちでいっぱいになっていた。

アジア系は私以外にいない。
見るからに異教徒&観光客の私なんかが入っていいのかしら・・・
宗派を問わず参詣出来ることはルートを組んだときに調査済み。仏教式にお参りしたって構わないらしい。だから今やこれは畏敬の念からくる、全く個人的な問題だ。
並んでいる人々が見ている景色
中央より左手に見える開けた部分がパーキング付近
ひとりが出ると入れ替わりにひとりが入れる。出てきた男性が十字を切り、外壁に口づけして立ち去った。

だいたい自分はどう振る舞えばいいのだろう?
中学・高校と学校では毎日礼拝があった。教徒にこそなってはいないが、教義には少なからず敬意をもっている。もちろん教会に通った時期もある。しかしあれはプロテスタントだ。だから十字を切ったことすらないのだ。
それに十字を切る行為は 「父と子と精霊の御名によって」 という意味のはず。やっぱり信仰の証という認識を拭えないし、どうしても逆・踏み絵のような気分になっちゃうよな~。
これが日本の神社仏閣なら大半の日本人は儀礼的だろうから、ためらいなく仕来りに従えるんだけどね・・・ (^^ゞ
いよいよ身をかがめないと入れない内部に足を踏み入れた。ここは1774年につくられた礼拝堂。フレスコ画が描かれた狭く薄暗い室内の、正面に置かれているのは 「聖なる棺」 である。金糸の刺繍がほどこされた赤い布で飾られ、蓋が開いていた。棺の右手には老齢の司祭が座っていらっしゃる。まずは戸口付近で待機するのだが、そのあいだに皆さんの所作を観察することができた。待機、司祭に挨拶、聖なる棺に祈りを捧げ、傍らのイコンもお参り、という具合に4人が粛々と一巡する。

すぐ前の女性が司祭さまの手にうやうやしくキスし、祝福を受けていた。
う~ん、私はやっぱりプロテスタントで押し切ろう!
続いて進み出た私は、手を組んで黙礼。司祭さまは穏和な表情を崩すこともなく頷いておられ、ちょっぴり安堵する。そのころ前の女性は、棺の前でふたたび膝を折り、十字を切って、さらには聖体にもキス。彼女が祈り終わるのを待って棺の前に立った。

目の前に眠るのは、17世紀にこの修道院を興したヘルツェゴビナの司教、聖ワシリエ・オストロシキー (Sv. Vasilije Ostroški / 1671年没)だ。なんでも数々の奇蹟を行った方だとかで、巡礼者たちはケガや病気が治る、苦悩が和らぐ、と信じてここへやってくるのだそうだ。手を組んだまま黙祷したあとは、あまりじろじろ注視するのも申し訳ない気がして、早々に次の人に場所を譲った。その後しばしイコンなどを拝見してから外に出る。
勇気を出して ---ドライブ編 [2] モンテネグロ
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続・勇気を出して ---オストログ修道院編 [2]


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