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9/5 Wed. 古都ツェティニェ [2] |
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博物館のある一帯はさきほどの王宮をはじめとした大きな建造物がゆったりと配置され、それぞれの間には緑地が広がっている。
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12:38 国立博物館脇を移動中
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ビリャルダ
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その合間を歩き、ビリャルダ(ニェゴシュの博物館、後で訪問) を曲がると、奥に修道院が見えてくる。
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12:43 ツェティニェ修道院
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脇を追い抜いていった車が、入口前でエンジンを止めた。降りてきたのは3人のシスターだ。修道女が車を乗り回す時代なのね~w。それにしても、衣の裾って運転に支障はないのかしら。
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シスターのご帰還
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このツェティニェ修道院は、モンテネグロ史において非常に重要な意味をもつ所だ。
王国の基礎となる 「ゼータ公国」 の領主イヴァン・ツルノイェヴィッチが、トルコの侵攻を逃れて1482年シュカダルスコ湖近くのジャブリャクから移ってきたのが、古都ツェティニェの起源。3年後、チプルの教会跡 (後述) に修道院を建設し、これをゼータ公国の主教座と定めた。
1516年には統治権が主教に譲られ、公国は神政国家となる。以来、主教公の邸宅 「ビリャルダ」 が建てられる1838年まで、修道院は宗教はもとより、政治、文化、教育の中心でもあったのだ。当初の建物はトルコに破壊され、1701~1704年に現在地に移転。その後もトルコの攻撃を受け、現在の建物は1724年に再建されたものだそうだ。
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修道院入口
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入口内側
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訪問当時、内部は4人以上のグループに限って修道士が案内してくれる、という話だった。運が良ければ個人でも入れてもらえるが、確実に見たいなら日帰りツアーに参加すべし、と。だからレンタカーで来ると決めた時点で拝観は諦めていたし、予想どおり幸運にも恵まれなかった。
門の内側にある前庭をうろついてみても、修道士や修道女は忙しそうに動き回るばかり。案内係らしき人が待機しているといった様子もない。
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入ってすぐ右には、ろうそくを献じる屋根付きスペース
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しかしこの修道院、とんでもないものを所蔵している。オストログ修道院から移された 「フィレルモの聖母」 「洗礼者・聖ヨハネの右手」 「キリストの十字架
(断片)」 という国宝級どころか世界レベルの至宝3点である。もっとも先ほど見てきたとおり、「フィレルモの聖母
(★前ページ参照)」 だけは国立博物館に行ってしまったため複製が置かれているらしい。
話は飛ぶが、1999年に私はマルタを訪れた。その首都ヴァレッタは言わずと知れたマルタ騎士団の地。「マルタ騎士団」 とはそこが本拠地になってからの呼称で、元を正せば聖ヨハネ騎士団だ。彼らの守護聖人はもちろん洗礼者・聖ヨハネである。そしてヴァレッタにある聖ヨハネ大聖堂の小礼拝堂祭壇画はカラヴァッジョの大作、『聖ヨハネの斬首』! その祭壇画と向き合ったときに受けた衝撃といったら、筆舌に尽くしがたいほど強烈だった。
※当時の写真ページ→★当サイト、マルタ旅行記の一部です
なんで今さらそんな話を? だって、この修道院にある 「洗礼者・聖ヨハネの右手」 も 「フィレルモの聖母」 同様、マルタ騎士団のお宝だったもの。そしてカラヴァッジョ作
『聖ヨハネの斬首』 には、ヨハネの右手小指が描かれていなくて、かつて騎士団が所蔵していた 「右手」 の特徴と一致しているらしいのだ。
この際、ヨハネ本人の手かどうかという真贋のほどは置いておくとして、少なくとも ---途中ですり替えられていない限り、ここにあるのはカラヴァッジョがモデルとした
「右手」 のはず! そんなわけでカラヴァッジョ・ファンとしては、できれば拝みたかったんだけどね~。
入口を入って左側にショップがあり、修道士たちが店番をしていた。せめても、ということで 「聖ヨハネの右手」 をプリントした木板※を購入した。※各種サイズあり
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板にプリントされた「聖ヨハネの右手」
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13:08 ツェティニェ修道院 |
ショップとは反対側、右奥の聖遺物室は自由に入ることができた。そこには主教公の一人、聖ペータル1世ツェティンスキーの棺が祀られている。彼の時代に初の成文法や政府諸機関ができたというから、特に尊敬を集めているのかも。外観と前庭以外は撮影禁止で、写真が無いのが残念だ。
もうほとんど雲も消え去り、青空が広がっていた。しばらく修道院前のベンチに座って休憩する。そしてここでようやく気づいた。約束の1時を過ぎてるじゃない! あーぁ、王宮の内部も見られなくなっちゃった?
まあ過ぎちゃったものは仕方ない。開き直って、ツェティニェ修道院と林をはさんで向かい合うチプルの教会跡 (Crkva na Cipuru) も見ることにした。ここが15世紀、古い教会跡に最初の修道院が建てられたところだ。
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修道院と旧修道院の案内表示
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チプルの教会跡
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今も礎石や数本の柱が残るが、中心部には1886年建造の小さな聖母生誕教会がある。
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旧修道院の遺構
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観光客用パーキング
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←その奥、少々低い位置に広いパーキングがあって、観光バスはもちろん普通車も停まっていた。ああ、観光客はここに駐車すべきだったのね (^^ゞ。