2011年12月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集
プチ狂言「豆腐小僧は怖い?怖くない?」
手話劇「手話ロボ、ただいま参上」
文庫本「賢治先生がやってきた」
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2011.12.1
プチ狂言「豆腐小僧は怖い?怖くない?」
朝日新聞に、震災を契機に佐伯一麦さんと古井由吉さんの往復書簡が連載されていますが、
その11月28日分、佐伯一麦さんから古井由吉さん宛の書簡に、豆腐屋さんに触れた一節があります。
震災後、なかなか平常に戻れなかった佐伯さんの住まいに、
「夏頃から、週に二度、夕暮れどきに豆腐屋のラッパの音が遠くから近づいてくるようになりました。
軽のワゴン車の運転席に息子が、後ろの座席に六十がらみの父親が後ろ向きにちょこんと座って
年代物らしいラッパを吹く。地震で店を壊されてしまったので、移動販売をはじめたものらしい。
(中略)豆腐屋のラッパの音には、息の長い『訴え』が
こもっていると感じられます。」
その後で、少々唐突に芭蕉の次の句が引用されています。
色付くや豆腐に落て薄紅葉
そして、その後ろに、芭蕉がこの句を詠んだ五年後に江戸の大火で焼け出された、というコメントが
添えられています。
意味のつながりが分からなくて考え込んでしまいました。
豆腐つながりで、芭蕉に飛んで、また災害というところに戻ったということでしょうか。
それにしても、豆腐と紅葉の関係が分かりにくい。それで、少し調べてみました。
俳句の意味を、まず堀信夫監修「芭蕉全句」(小学館)で調べてみると、
「紅葉の形が押された豆腐は、心なしか色づいて、紅葉色になったような感じがする。」
とあります。
豆腐に紅葉の形が押してあって、色付いて紅葉色になった感じがする、ということでしょうか。
でも、これでも分かりにくいですね。
次に加藤楸邨「芭蕉全句」(ちくま学芸文庫)を探しだしてきました。
当該句の解説を見ると、まず、読みから違って、「色付(いろづけ)や」と読んで、解説はこうあります。
「薄紅葉がまっ白な豆腐料理の上に落ちて来た。薄紅の色付けをしてあの紅葉豆腐をつくり
あげようとしている感じであるよ」の意。
そして、「古く『紅葉豆腐』というものがあり、豆腐に紅葉の印を押して売ったものという。もと堺の特産。」
と添えています。
先ほどの解説と少し違いますね。片や「紅葉の形が押された豆腐」が色づいてゆく、
もう一方は薄紅葉が豆腐の
上に落ちて来て色づける、となっています。
ここで、はたと気が付いたのです。もしかしたら、この「紅葉の印」というのは、色粉の紅を使っていたのかも
しれないということに思いあたったのです。これまで、気づかなかった迂闊。
そこでインターネットで「紅葉豆腐」を検索してみたのですが、期待に反して
色粉の紅を使っていたという記述を見付けることはできませんでした。
あたりまえすぎて、詳述するまでもないということかもしれませんが。
紅粉の「紅葉の形が押された豆腐」というのは、江戸では、ありふれたものだったのでしょうか。
そこでふとこの前NHKで放映されていた狂言「豆腐小僧」(京極夏彦作、茂山あきら演出)
のことを思い浮かべたのです
。
だれにも怖がられない妖怪「豆腐小僧」が主人公で、怖がってもらえない妖怪というよくない評判から
脱するために、涙ぐましい努力の末、大名に褒められて名誉挽回をするという筋立てです。
その豆腐小僧が捧げ持つ豆腐にも赤い紅葉が付いていたのです。
あの紅葉は何なのか、豆腐に紅の紅葉模様を押したのか、それとも色付いた紅葉を貼り付けたものなのか。
もちろん、その正体は、さきほど触れたように結局は分かりませんでした。
川柳に「豆腐に紅葉これといふ言はれなし」というのがあるそうで、その断言を信じて、
これ以上深追いしないことにしました。
ただ、調べていく中で、新しい発見をしました。豆腐小僧の正体もその一つ。
こいつはなかなかおもしろいぞ、と興味をたぐっていくうちに、あらふしぎ、
一つ狂言の筋が浮かんできたのです。めったにそんなことはあるものではないので、
まあ、いわばたいへんな僥倖。
手の内を明かせば、それは放射能と食の安全をテーマにした短い狂言です。
演じるのも見るのも小学6年生ぐらいを想定しています。
アイデアが単純で、テーマもはっきりしていたし、めざす脚本が小振りだったということもあり、
一場の狂言がまたたくまにできあがりました。
どうしようか、もう少し熟するのを待つか、迷ったのですが、とりあえず掲載することにしました。
放射能汚染をテーマにしているということもあり、いまだからこそ意味があるとも言えそうだからです。
興味のある方は、覗いてみてください。
プチ狂言「豆腐小僧は怖い?怖くない?」
−放射能で給食は大丈夫?−
2011.12.1
手話劇「手話ロボ、ただいま参上」
今回、小振りな脚本二本をラインナップに加えました。
小さくても実用的で上演する場がありそうなものをと考えました。
一つは上で、紹介した「豆腐小僧は怖い?怖くない?」。
もう一つは、手話サークルのための手話劇脚本「手話ロボ、ただいま参上」です。
手話サークルに入って初級クラスを終えたくらいの時、みんなで楽しみながら習った手話を試してみる、
そんな脚本があれば使ってもらえるのではないかと考えて書いたものです。
手話劇「手話ロボ、ただいま参上」
−手話サークルのための手話劇脚本−
2011.12.1
文庫本「賢治先生がやってきた」
2006年11月、「賢治先生がやってきた」を
自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、
生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、
恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、
また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、
宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で
広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、
三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、
アメリカの日本人学校等で
上演されてきました。一方
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか
なかなか光を当ててもらえなくて、
はがゆい思いでいたのですが、
ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、
これら三本の脚本は、
読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。
脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、
一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。
手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、
出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。
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