2000年初頭に全国数箇所で上映された「puresoul MOVIE」。
puresoulのツアー中ステージの上やオフショットなど貴重な映像満載のムービーは、長いツアーがどういうものか?というのを言葉でなく映像でファンに伝えたんじゃないかなぁと思ってます。仕事に忙殺される日々を縫って観光するメンバーさんやD.I.E.さんの映像など・・・笑いあり涙あり。
現在はオフィシャル有料サイトのほうでネット上映中ですが、この入手不可能(?)なMOVIEのパンフに書かれている言葉達を読むと、また違った見方が出来るのではないでしょうか?
まだまだ続くこの文章シリーズ、第一回目始まりです(自分の中で心に残った言葉は太字にしています)。(^^;

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彼らの旅はまだまだ続きます

Yutaka Onaga/Director



 ご承知のように「puresoul」ツアーからはこれまでに3本のビデオが作られているわけです。前作の3本は、音楽をどう見せるかというエンタテインメントの作品なのですが、今回は本当のドキュメンタリーなんですが。”僕が見せたい映像を、皆さんにどう受け止めてもらえるか”なんですね。出来るだけ作為をなくして、さりげない映像が繋がっていて、淡々と時間が経過していって、その中で見ている人がGLAYと一緒に旅をした。”一緒に疲れを感じたり汗をかいたり”という感覚になればと思ったんです。だから時系列もオープニングがドームツアーのビデオと同じように、TAKURO君が倒れてるシーンになっている以外はそのままです。フィナーレでぶっ倒れて、また起き上がってアンコールに出ていく。その日のコンサートは終わっても、また次がある。だんだんメンバーの表情にも疲れが見えて、ゲッソリしてきて、愛想もなくなる。でも、観客が贈ってくれる声援からエネルギーを貰ってまたそれを返す。”使い果たしてはまた、観客から貰って使う”というやりとりの繰り返しで、彼らはここまで来たんだなということを感じたんですよ。それを象徴するシーンがオープニングだと思うんです。ですから、通常のライブビデオのように盛り上がって終わるというつくりにはしてないです。つまりエンドレスなんですよ、次がある。その中で誠意を見せつづけるバンドがいる。その生き様というんですか、僕はそこに打たれますね。何だかトライアスロンのような紀がするんです、まるで鉄人レース。レコーディング、ツアー、プロモーション。全力でぶち当たって、疲れ果ててまたぶつかっていく、その繰り返し。だから清々しい、爽やかな感じがするんだと思う。映像はそれに連動して撮ってたというものですよね。
 ドームのビデオは、TAKURO君の「もっとでかいバンドになって帰ってきます」というシーンで終わってますけど、実はまだ先があって、今回のエレベーターのシーンがそれです。この映画の話が持ち上がって、とっておいたという感じです。
 どのくらいの時間数になったんでしょうね。膨大ということだけは間違いないです。編集作業は2月頃からやってますから、半年掛かりということになりますか。まあ、間にヒロさん(カメラマン)か、僕の撮った映像なんですけど、随所にメンバーが撮った映像も入ってます。前半のホールツアーは、僕らの撮った会場が多くなかったんで、事務所のスタッフの撮ったものとか、資料用の映像とかもあります。札幌のHISASHI君がステージから飛んだシーンは記録用のものです。貴重ですよね。他にも誕生日のシーンとか、イルカを見ている所とか、結構あります。でも、これは誰が撮ったとか、そういうことがきにならないようになっていると思います。
 編集作業を始めた当初は、ドームツアーでのステージの映像を入れようかと思ってたんですけど、途中で必要ないなと思い始めて止めました。画面の調整とかもしてません。トリミングとかもしてないです。音も録った時のままです。それが臨場感だったりすると思います。
 そういう話をTAKURO君としてた時に、彼が「俺らの撮ったのも見てよ」って言ってくれて、ドームツアーが終わった翌日の休日に彼の家で朝まで見たんです。宝の山でした(笑)。福山のホテルから、窓の外を写したシーンとか涙出ましたもん。だから、作為的に狙って撮ったんじゃ絶対に見られない場面もたくさんありますね。撮れたものをどう見せるかという作業でした。
 きっと普通の音楽ドキュメンタリーとかじゃ避けるような画(え)もあると思いますよ。”煮詰まったりしている所も居れよう、道すがらな風景も全部居れよう”。それを飽きさせないように見せて行くのが設計図だろうし、さりげなくて重い。”見てる人がいつの間にか引き込まれた”っていうのがいい・・・。僕自身が画を選んでいていつの間にか笑ってたり、いつの間にか泣いてたりというのが伝わればと思いますね。
 試行錯誤はありましたよ、作業が辛い時もありましたから。だって、同じようなシチュエーションの画が延々ツづいていくわけですから。それはそうですよね。どこかの撮影の為に出掛けて行ったりしないわけですから、どの画も当然似てきますよね。それを同じような感情でどこまで見続けるか、それが僕の役割だったと思います。妙なフィルターを掛けちゃいけない。例えばきれいだと言われるような画を意図的に出そうとしたりすると何か大事なものを逃すと思ったんです。何百時間という素材をどこまで純化出来るか。その中で自分がどこまで楽しみを見つけられるか、それが出来たら成功だと思いました。
 僕は、今までのライブビデオを撮ってた時は、ゴージャスという言葉を意識してました。品があって、ステータスがある。もちろん。カメラを何十台も用意したりということが可能だから出来るんですけど。今回は違いますね、もっと”個人的”です。ドームのライブの映像とかを必要ないと思ったのもそういうことなんですが、”個人的”な映像を見て残る感情を大事にしたいんです。観てくれる人がそういう感情を持ってくれるといいと思うし、個人的な感情で彼らのことを感じ取ってくれればいいなと思います。
 試行錯誤する中で、”誰の為に作ってるんだろう”というのもあったんです。ライブビデオはファンの為だと思うんです。でも今回は違いました。もちろんメンバーやファンの為というのもありましたけど僕とヒロさんの為であるということを思いましたね。つまり原点に返ったということなんです。ヒロさんが面白いと思って撮った画、僕が面白いと思って残した画、その個人的な皮膚感覚が伝わればいいですよね。”余計な作為は止めよう”と言っても、作為がないと作れません。だけど、そこに頼らないということですよ。
 あざといものにしたくなかったんですよ。だから、他のアーティストや海外のバンドものとかも一切見ませんでした。第三者の作ったものは参考にならないです。
 ライブビデオは”夢の様に見せたい”といつも思うんですけど、今回の結末は夢というよりも”希望!”ですね。興行的な意味も含んで、こんな風にバンドを取り巻くスケールがどんどん大きくなっていっても、その中で彼らは逞しくなっていく。それも本質は代わらないままです。それを感じたのは、北海道ツアーの映像を見ていてでしたね。彼らのエネルギーの出し方とかがドームの時と変わらないんですよ。それで作るものが見えた気がしました。これで終わりじゃないし、”彼らの旅はまだまだ続いてる”。だとしたら、この作品の2時間半の中で、作為的な結末をつけたりすることは意味ないだろうと。
 新しいスタイルのドキュメンタリーを作ったとか、そういう気負いはないです。好きな画を一番自分の感じ方に近い形でつないだという作品です。残したかったのは、その場の空気なんです。それを感じてもらえればと思います。

 

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