佐野自然塾

労働移民について

20110123日付

 

人口減少「移民で」経団連会長

 経団連会長ならば当然の発言であり、それを問題視してみても始まらない。あくまでも経済的視点からのみ語っているからだ。一応高い技術力をもった労働者を移民させたいと、ハードルを課した中身にしているが、本音を語れば低賃金労働こそを大いに担わせたいのだろう。すでにそうした傾向は先進諸国を中心にまさしく世界的に行われていて、恐らく日本などは政策として許していない稀有な例ではないのか。しかし少子高齢化の勢いは止まることを知らず、危険水域を越してしまった。それがため日本社会の財政的な行方は暗雲の中だ。よく語られるように、社会保障費は毎年1兆円づつ自然増していく。しかしそれに見合う高い経済成長はもはや望めない社会だ。一体どうしたらよいのだろう。 具体的には年金、福祉といった財政支出ばかりがかかる高齢者は減らず、租税収入を当てにできる勤労者は若年層はまるで育ってこない。これが少子化の恐ろしさだ。人々は国家的次元で聞かされてはきたので、年金は将来不安だといったレベルの認識で受け止めている。しかし実は足元の地方自治体レベルで、同時平行して起きていく。我がまちは政令市ではあるが、やはり少子化の波の中にあり、20年後には勤労人口は半数になる。そして高齢者数は横ばい。
 当然ながら市財政は縮小するから、今享受している市民サービスの持続が危ぶまれる。行政が担う基本的な生活インフラを維持していけるのか。過疎村はどこも難しい実態だから、類似した事態が想定されるのだ。子どもが減れば教育予算は削れるかもしれない。それこそ今でも廃校した跡地利用で老人憩いの場とかゲートボール場にしている事例があるが、それにしても維持管理費がかかるわけで、そうした余裕がもてるか怪しいものだ。とは言えこうした予測はただ漫然と時を過ごした場合にはということである。米倉会長もそうだが、関係する部門毎に座視できないと必死の試みが生まれるだろう。
 今日は偶々そうした場があった。それは次の地方選に行われる市長選に出る3人の抱負を聴く会だった。オッ、そうだと膝を打つには至らなかったが、熱意だけは感じた。社会的危機は常に来ることだ。衆知を集め乗り切るしかない。