第一章 ルウム


2 ダンシング・フリート



宇宙世紀〇〇七九年一月一六日 四時三六分 サイド5付近 公国軍総旗艦 巡洋艦『ファルメル』 艦橋

「第三戦闘群、敵戦隊を捕捉できません。敵戦隊は我が艦隊の七時方向より急追中」
 ドズルは艦橋中央の大ディスプレイに映し出された小さなマーカーを睨み付けた。
 謀られたか。まさか完全補給状態の部隊が残っていたとはな。傍らに立っていた参謀長が聞いた。
「それで我が艦隊に追いつくのはいつだ?」
 オペレーターはコンソールを操作して答を弾き出した。
「双方が現行の加速度を維持するとすれば八分四十秒後です」
「表示してくれ」
 オペレーターが指を走らせると、艦橋壁面を分割するディスプレイの一つに双方の部隊を表すマーカーが表示された。現在、中央のディスプレイに表示されているものと同じ配置になっている。画面の隅に表示される時計の数字が急速にカウントを始め、それに合わせてマーカーも移動を始めた。公国軍主力艦隊を示すマーカーは、逃走を続ける連邦軍艦隊を追っている。しかし、その下方に表示されるマーカーが、第三戦闘群を示すマーカーを振り切って迫ってくる様子が映し出された。公国軍主力艦隊が連邦軍艦隊を射程に捉えるよりもかなり早く、連邦軍の戦隊が公国軍艦隊を射程内に収めていた。
「第四戦闘群に命令してMS隊を向かわせましょう」
 参謀長が進言した。
「奴等に後ろを取られたのでは艦隊戦など行えません。一個大隊のMSを投入するのは惜しいですが、ここは必要だと思います」
「一個大隊も必要なのか? 第三戦闘群が迫っているのだ。足止めだけで充分だろう」
「向こうが損害を省みずに、速度に任せて突っ込んできたら食い止め切れません。出し惜しみは危険です」
「分かった。ザルムート少将に連絡だ」
「はっ」



宇宙世紀〇〇七九年一月一六日 四時三七分 サイド5付近 公国軍第二戦闘群第七戦隊 巡洋艦『ナースホルン』 MS格納庫

「第四戦闘群にMSによる攻撃命令が下ったようだ」
 艦長に告げられたハウザーは、理解に苦しむといった表情を浮かべた。
「そこまでしないと止められない敵でもないでしょうに。二・三隻の敵艦に入り込まれたところで大した被害が出るとも思えないのですが」
「MS乗りならそう答えるだろうが、大砲屋にとって後ろを取られるのは致命的でね。フネってのは簡単には振り返ることもできないし、もとより後ろ側に付いている大砲なんてのは飾りみたいなものだからな。その程度のことは君にも分かっているはずだが」
「ええ。しかし、第四戦闘群ではオーバーキルになりませんか? その程度ならば一番戦力を消耗している我々を振り向けるだけで充分なはずですが」
 そう言ったハウザーに、艦長は苦笑混じりに答えた。
「われわれじゃ過少だと判断したんじゃないか。まあ公平に見てもわれわれは一番継戦時間が長いからな。推進剤も弾薬も底をつきかけている。対艦攻撃には向かないといわれても仕方がないだろう」
 それには同意せざるを得なかった。緒戦から戦い続けてきた第一六MS大隊、つまり第七戦隊に所属するMS戦力は、核バズーカはおろか、通常弾頭型のバズーカなども含め対艦威力の高い装備はほとんど使いきってしまっていた。ハウザー自身の機体も一二〇ミリマシンガンとヒートホークのみとなっている。どちらも対艦威力の高い武器ということはできない。
「しかし、そうなると我が軍の残り戦力は、MSに限れば消耗しきった一・五個大隊程度もないということですな」
「そういうことだ」



宇宙世紀〇〇七九年一月一六日 四時三九分 サイド5付近 連邦軍第二艦隊第二三戦隊 巡洋艦『アナスタシア』 第一艦橋

 強引極まりない旋回機動を行った二三戦隊は、そのままの勢いを殺さずに公国軍艦隊に向かっていた。既に赤外線センサーはもとより、光学センサーでの視認レンジに入っていた。しかし、あと少しで射程距離内に踏み込めるかという距離まで来たところで敵艦隊の一部が少しばかり向きを変えた。
 モニターに映った映像を見て、ボースは情報士の意見を求めた。情報士とは、各種のセンサーが捉える様々な情報を分析することを任務とする士官のことで、要するに艦艇レベルの情報参謀である。
「MSを発艦させるようです。現在、我が艦隊は軌道を変えた敵艦隊のバッフルズに入っておりセンサーの効率が大幅に低下しているため、これ以上の情報は出ません」
 名称から受ける感覚とは裏腹に、宇宙船と水上船との間には数々の大きな違いが存在する。宇宙と水上との環境差を考えれば、当然といえば当然である。例えばそうした違いの一つとして推進方法が挙げられる。水上船や潜水艦はスクリューによって水を後方に送りだし、その反動をもって推進する。一方、宇宙船は運動エネルギーを与えた推進剤を後方に放出し、その反動によって推進するのである。普通、運動エネルギーには核融合炉から取り出した熱エネルギーを使用する(理論上は推進剤を放出するだけでその質量分のエネルギーも得られるが、あまり効率の良い推進方法とはいえない)。つまり、噴出される推進剤は大きな熱エネルギーを持った、分かりやすくいえば高熱のガスである。それが各種の電磁波を放っているために格好の探知対象となりうるわけである。ミノフスキー粒子の登場後、著しくその価値が下がったレーダーに替わって主要な索敵手段となっている赤外線や光学系センサー(要するに望遠カメラ)は、遠距離索敵においてはこの噴進熱を唯一の手がかりとしていると言っていい。しかし、その事は同時に比較的近距離においてセンサーに過負荷を掛け、射撃管制情報やMS等の微小対象についての索敵情報など、極めてデリケートな種類の情報を狂わす原因ともなる。特に熱源の直後に位置する場合、このことは深刻なものとなる。太陽を直視するようなもので、センサーはほとんど効力を失ってしまうのである。そのような状況が発生する位置をバッフルズと呼ぶ。
 向きを変えた敵艦隊の一部のバッフルズに入ったため、二三戦隊の視力は著しく低下している。それでも効力低下直前までに手に入れた情報を判断に加えることで、敵の大まかな動きは予想がついた。しばらく黙り込んでコンピュータと格闘していた情報士が報告した。
「進路を変えたのは十隻前後、およそ一個戦闘群と推測します」
 ちなみに両軍の戦力序列だが、艦艇四隻を一個戦隊とし、これが四つ集まったものを連邦軍は一個艦隊、公国軍は一個戦闘群と呼ぶ。
 公国軍の場合、一個戦闘群あたりに一個大隊のMSが艦載機として割り当てられる。戦闘群とMS大隊とは別編成であり、情況に応じて能動的に編成を変えることが出来るようになっている。
 一個戦闘群に所属する艦艇は十六隻ということになるが、幾たびもの戦闘を経た現在、撃沈されなかったとしても損傷による後送などにより、定数が揃っているとはとても考えられないので、十隻前後の艦数を一個戦闘群と判断したのは妥当だといえる。
 なお、MS一個大隊には五十一機のMSが配備されることになっているが、これも現時点ではかなり目減りしていると考えるべきだろう。しかしそれでもかなりの数が残っていると考えられる。仮に半数しか残っていないとしても、連邦軍の一個戦隊を叩くには充分な数である。しかも、二三戦隊の後方からは、先程の機動に追随できずに後落した一個戦闘群が追い上げてきている。実に一個戦隊のために二個戦闘群を投入しているわけで、戦力誘因を狙っているのだとすれば充分すぎる戦果を挙げたと言えるかもしれない。
 問題は二つある。分析を終えたボースは考えた。一つは二三戦隊の運命。実の所、これは考えても仕方がない。もちろん死ぬのは嫌だが、ここまで見事に大戦力をぶち込まれたらどうしようもない。敵に戦端を開かせて戦力誘因の任務を全うした後、部下に全力で逃げ出すように指示し、血路を開かんとして討ち死にというところが上出来だろう。そしてもう一つは、ここまでボースが苦労して、しかも苦労に見合うだけの成果を手に入れようとしているにも関わらず、それでもジオン艦隊には連邦軍艦隊を叩けるだけの戦力を残しているという事実である。このままではボース達二三戦隊の将兵に訪れようとしている死は犬死にということになる。どうにかならんかなぁ。
 どうにもなりそうにない、な。



宇宙世紀〇〇七九年一月一六日 四時三九分 サイド5付近 連邦軍第九艦隊旗艦 戦艦『ネレイド』 第一艦橋

「シミュレーション、結果出ました」
「表示しろ」
 情報士の報告を受けたカニンガンは間髪入れずに命じた。情報士も予測していたようで、時間を置かずにメインディスプレイに、現在情況を表示しているものとは別のもう一つの抽象化された戦場図が表示された。カウントが始まるとマーカーが動き、カウントが〇四四二を示したところでそれらはぶつかりあい、その一部は消滅する。いや、猛スピードで移動中の二三戦隊は新たに分派したMS一個大隊の防衛ラインに捕まったところで一撃だけ浴び、そのほとんどが核バズーカのために戦闘力を喪失。その一方で公国軍の残る二個戦闘群はそのまま逃走中の連邦軍艦隊を追い続けていた。
 連邦軍艦隊が公国軍艦隊の先鋒である一個戦隊の射程内に収まるのはそれから十七分後の〇四五九時、公国軍艦隊の主力に捕捉されるのはさらに五分後、〇五〇四時。その後、〇五一五を指す頃までなぶり殺しが続く。推進剤を使いきった連邦軍に逃亡を続けるだけの余力は残されていないのだ。公国軍もそれは同様だが、MSは艦砲の有効射程外から出撃することが可能であり、またひとたび制宙権さえ確保してしまえば、補給艦など後からいくらでも呼ぶことが出来る。公国軍にとってのペナルティは問題にならない。
 シミュレーションを行った情報士は、公国軍の弾薬庫には核バズーカの在庫が残っていなかったことを知らなかった。別に彼だけが知らなかったのではない。公国軍のMS攻撃は切れ目のない継続したものではなく、ごく短時間の集中したものであったため、かえって気付かれなかったのだ。その意味で、この時点での連邦軍はかなり公国軍の戦闘力を過大評価していたといえる。
 カニンガンもその例に漏れなかった。が、仮にその事を知っていたとしてもどうすることもできなかっただろう。第二・第九艦隊の残存兵力から損害の程度がまだましな艦を数隻見繕って臨時に二個戦隊ほどこしらえるだけの時間はあったが、逆に言えばその戦力を使いきった瞬間が第二・第九艦隊の終末ということでもある。カニンガンは覚悟を決めざるを得なかった。



宇宙世紀〇〇七九年一月一六日 四時五二分一二秒 サイド5付近 連邦軍第二艦隊第二三戦隊 巡洋艦『アナスタシア』 第一艦橋

 三十機近くのMSがバズーカやマシンガンを構えて、猛スピードで迫る二三戦隊の進路を冥府へと強引にねじ曲げようとしている。いつ、それが始まるのかも正確に予測が立てられている。二三戦隊の速度が速すぎるため公国軍も一撃に全てを賭けなければならず、逆にその事が公国軍の攻撃開始のタイミングを読まれることになったのだ。
 もっとも公国軍にしてみれば、だからどうなのだという所だろう。艦の性能上、二三戦隊がこれ以上加速することはありえず、減速すれば射的の的になるだけであり、転回しようにもこの速度では射点を大きく狂わすだけの機動は不可能。しかもその場合、二三戦隊の狙いであるはずの公国軍主力を叩くことは完全に不可能となる。
 しかし、ボースはそこまで虫のいいことを考えてはいなかった。もう少し正確に表現すると、考えはしたのだが思いつかなかったのである。彼に課せられた任務を果たすことに失敗したわけだが、それをいうなら一個戦隊で四個艦隊を手玉に取れという方が無茶である。二個艦隊を拘束したという点だけでも認めてもらいたいものだ。
 おそらく、戦力の減衰した二個艦隊だけでは連邦軍の二個艦隊の残骸を消滅させるには力不足だろう。そうであって欲しいのだが、正直、かなり甘い願望だともボースは考えている。先程も述べたとおり、この時点ではボースもまた、公国軍のMSが持つバズーカが通常弾頭のもののみであるということを知っていたわけではない。もし知っていたならば、もう少し積極的な(そして破滅的な)計画を立てていたかもしれない。
 しかしながらボースは、自分の戦隊に可能な仕事は全て終わったと考えていた。つまり、後は逃げる算段だけを立てればいいのだと考えたわけである。
 どうにもその算段が付かないあたりが問題なのだが……。
 一応、考えはしたのだが「やらないよりマシ」程度のレベルの案なのでとても安心できない。相談に与った操舵士や副長も、代案がないので賛成という有様だったし、シミュレーションにかけた情報士は自滅の可能性の方が高いとまで言ったほどである。
「ポイントB通過。ポイントCまで十八秒。総員、対ショック体勢の再度確認を行え」
 航法士が告げる声が聞こえた。ボースは普段は艦長席の中に収まっていて、まず使うことはないだろうと思っていた三点支持式のシートベルトが、彼の身体を完全に固定していることを確認した。操舵輪を握っている操舵士は、本来ならば立ったままの姿勢でいるのだが、今回ばかりは仮シートに身体を委ねている。全員、シートに深く身体を沈めている。そうでないと猛烈なGに身体が耐えられないからだ。



宇宙世紀〇〇七九年一月一六日 四時五二分三〇秒 サイド5付近

 敵艦までの距離が見る間に縮まり、有効射程に収まるまであと二秒という表示がメインモニターのレクティルの脇に映し出されていた。
 相対速度が大きいため、照準にはコンピュータの助けが欠かせない。しかし、逆にいえばコンピュータによる照準を狂わすような急激な機動をされる心配もない。艦艇にはそれだけの機動能力はないのだ。レクティル内のゲージが反転した瞬間にトリガーを叩くと、ザクが両手で構えているバズーカから二八〇ミリ弾が発射され、一秒強ほどの時間で敵艦に命中し、相対速度が大きいために貫通力が格段に高い砲弾は艦体内部の奥深くで炸裂するはずだった。それならば核弾頭型の砲弾でなくとも、充分に大打撃を与えることが可能である。
 レクティルが反転し、甲高いビープ音が敵艦を射程内に捉えたことを告げた。反射的にトリガーを叩く。軽い振動が機体を揺らし、二八〇ミリ弾が発射されたことを告げた。同時に機体が自動的に旋回を始め、バズーカの次弾装填が終わるまでに敵艦が移動するであろう座標を狙って砲口を向ける。
「!」
 ザクのパイロットは信じられない光景に、声にならない叫び声を洩らした。敵艦が閃光を放って消滅したのだ。
 いや、視神経が脳に送り届けた情報を処理し終え、遅ればせながら敵艦の機動と理解した。
 最大推力で逆制動を行い、同時に前部上面と後部下面の姿勢制御スラスターをこれも最大推力で噴かし、上方への急激な方向転換を行ったのだ。
 ザクの放った砲弾が弾着するまでの一秒すこしの間に、敵戦隊の艦艇は予想していたよりも僅かに上方へと移動していた。そのため、十二発の二八〇ミリ砲弾は目標を捉えることが出来ずに虚空へと消え去ったのである。
 とはいっても敵艦が全く無傷で逃げきれたわけではない。一二〇ミリマシンガンを装備していた十四機のザクは、照準こそバズーカを装備していたザクと同じであったが、発射された全ての一二〇ミリ弾が同じ座標に向けられていたわけではない。連続発射される一二〇ミリ弾は、発射時の反動で微妙に照準がずれるために少しずつ違った経路を通って飛んで行く。ぎりぎりで二八〇ミリ弾の軸線を外した敵艦も、照準より上側にずれた一二〇ミリ弾をかわすことは出来なかった。
 敵艦の艦底から閃光が煌めいたのを見たパイロット達は歓声を上げた。特に旗艦と思われるサラミス級巡洋艦は、かなりの命中弾を被ったらしい。艦底が爆発したように見えた。正確な損害までは不明だが、深手を与えたのは間違いなさそうだ。



宇宙世紀〇〇七九年一月一六日 四時五二分四二秒 サイド5付近 連邦軍第二艦隊第二三戦隊 巡洋艦『アナスタシア』 第一艦橋

 宇宙船の機動とは思えないほど急激な上向きの転針がもたらしたGに、艦底方向で発生した連続爆発の爆風の威力が加わって、『アナスタシア』は吹き飛ばされるように向きを変えた。乗員の方はたまったものではないが、艦も含めて命だけは助かったようだった。
「意外とこういう小細工はうまいこといくもんだろ」
 艦内各部からの被害報告がディスプレイに表示されていくのを見ながらボースは言った。あれだけの爆発にも関わらず、艦底部の外部装甲の一部が吹き飛んだ程度で、艦そのものの機能はほとんど失われていない。情報士が呆れ声で言った。
「身代わりに使ったボールの弾倉が誘爆したら底が抜けてましたよ」
「そんな簡単に誘爆するようなもん、武器として使えるか。いいバクチ打ちってのは、八〇パーセント勝てる算段をした上で運に頼るもんだ。一八〇ミリ砲の弾倉部防御ぐらいのことは頭に入っとる」
 吹きよる吹きよる、ぶーぶー吹きよる。そう思った者も少なからずいたはずだが、あえて言葉に出す者もいなかった。いくら不発処置を施したとはいえ、誘爆の可能性が皆無とはとてもいえなかったはずだ。作戦の是非はともかく、ボースの運が強いことだけは確かであった。そして部下にとって、上官の運の強いことほど心強いことはない。
 転針と同時に爆発ボルトでボールとの結合を解き身代わりにするという計画は、一見したほどには無茶でもない。デコイを使った古典的な誘導兵器回避戦術の類型だと言えなくもないだろう。ミノフスキー粒子全盛のこの時代に、誘導兵器がどうのという話もないのだが。このあたり、誘導兵器の運用を前提とした教育を施す、どちらかというと古い体質の連邦軍の士官であったからこそ考え得たのかもしれない。まあ、士官学校の教材とするにはバクチ的な要素が強すぎるのも確かではある。
「僚艦の被害報告が集まりました」  情報士が報告し、ディスプレイに表示した。さすがに損害皆無という艦はなかった。むしろ満身創痍と表現した方が適当とも思える有様だったが、航行能力に支障を来すほどダメージを受けた艦はない。敵の攻撃は旗艦である『アナスタシア』に集中したし、またサラミス級巡洋艦の艦体が小さいことも幸いして、命中弾は少なかったようだ。照準自体は外すことに成功していたので、流れ弾もそれほど多くはなかったらしい。
 いずれにせよ、二三戦隊を追撃できるだけの状態にある敵は存在しなくなった。一個戦隊で敵全軍とまではいかなかったが、二個戦闘群を遊兵に仕立て上げることに成功したのだ。正直、期待と予想以上の仕事はやったとボースは思った。残る二個戦闘群はカニンガン准将の才覚と、天の助けとやらに期待するしかなさそうだ。まあ、全滅の目だけは無くなったようだから、それで良しとしなければならない立場なんだろうがな。



宇宙世紀〇〇七九年一月一六日 四時五三分 サイド5付近 連邦軍第九艦隊旗艦 戦艦『ネレイド』 第一艦橋
「敵前衛部隊、MSを発艦させています。我が艦隊最後尾との接触予定は五分一六秒後」
「あと二個戦闘群ほど残っているな。凌げると思うか?」
 カニンガンは艦長に尋ねた。
「二個戦隊に二個戦闘群をぶつけてくるわけですから、MS抜きでも戦力比は一対四です。まあ、お互い継戦能力の限界に来ていますから、我が方を全滅させる前に時間切れになるでしょうね」
「時間か。どの程度必要だ?」
 カニンガンの質問に情報士が答えた。
「双方がこのままの加速度を維持するという前提で、十八分以上は欲しいところです。正確にはジオン艦隊の推進剤の残量によりますが、まず、九分以内に捕捉されたとした場合、ジオンは艦艇及びMSを制限無く運用できるため、我が艦隊は半数以上を失うことになるでしょう。我が艦隊の現状を考えると、それ以上の打撃を受けるといってもよいと思います。十三分の時点で、ジオン艦隊は艦艇による有効なレベルでの直接攻撃を行うだけの推進剤は残っていないはずです。MSによる空襲を一撃加えて退去するでしょう。十八分以上、我々が時間を稼ぐことに成功した場合、我が艦隊はほぼ無傷で離脱できます」
 情報士の言葉に艦長はうなり声を洩らし、航法士を見た。推進剤の残量を聞きたかったのだ。
「現在、我が艦隊は地球軌道を利用した重力ターンを行うコースを採っていますから、あまり軌道を外すことは推進剤の制限上無理があります。つまり、反転迎撃を行うだけの推進剤は残っておりません」
「では、敵の前衛部隊を無視するという前提で、敵本隊と我が艦隊との接触予想時間は?」
「十一分五十秒」
「よろしい」
 情報士の報告を承けて、カニンガンは命じた。 
「戦隊各艦に命令。敵前衛部隊は後衛戦隊に任せる。本艦は反転、敵本隊に突入し、一分だけ時間を稼ぐ」
 艦橋内に緊張が走った。旗艦としての務めということを考えると、来るべきものが来たといった方がいいかもしれない。そのせいか乗員の内心ではともかく、表面的には動揺が起きることは無かった。
「代理指揮官は『フィンランディア』のフォス大佐だ。それといちいち文句を聞いている暇はないから、他艦からの通信は受けるな。さっきのデータだけくれてやれ。以上だ」
 それだけ言うと、カニンガンはノーマルスーツのヘルメットを外して、ポケットから取り出した葉巻をくわえた。さすがに火はつけない。
「我々のみが盾になるだけで、一分も稼げますかね」
 艦長が尋ねた。答を聞きたくて質問したというよりは、自分の考えを確認するために行った質問のようだった。
「正面からの砲撃戦では、マゼラン級の戦艦は簡単には沈まんよ。MSを使わないと、先には進めんというわけだ。MSが発艦し、編隊を整えてこちらに来るまで、いくらなんでも一分はかかるだろう。一度出したMSを続けて出撃させることは出来ん。つまり我々を葬るためには連中にとって貴重なMSを投入するか、一個戦闘群分の艦砲を向けるかしなければならないということだ。どちらにせよ一分程度の時間は喰うだろうさ。我々の損にはならんよ。我々だけで充分な仕事だ。無理に部下を連れる必要はない」
 カニンガンは葉巻をポケットにしまい込み、ヘルメットをかぶり直しながら続けた。
「それに、もしレビル閣下が生きておられれば、我々と同じことをしたと思わんかね?」



次回予告

絶体絶命の状況下にあって、一隻でも多く撤退させるために死を賭するカニンガン。
公国軍の追撃を遅らすために、圧倒的な戦力差をものともせずに突撃をかけるチェン。
ネフの秘策はドズルの鉄槌をそらすことが出来るのか。
次回、一年戦争記 「遁走曲(フーガ)」
地球圏の歴史が、また一ページ


つづく

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