第二章 南極会議


1 戦闘の終わり/戦争の始まり



宇宙世紀〇〇七九年一月一九日 九時三一分 ルナ2 軍病院 個室

 全身麻酔が切れ、酔っぱらったような状態を通り過ぎてしまうと、自分の身体の訴えに耳を傾ける気にもなる。もっとも部分麻酔や痛み止めの効果は健在なので苦痛は問題にならなかったし、感覚がぼやけて半分眠っているような有様では何かに集中して考えを巡らすことも難しかった。
 しかしそれでも二日も経つと次第に麻酔との縁が薄くなってくるので、うずくような感覚と右腕を失ったことの喪失感とが自己主張を始めだした。見舞に訪れた同期生を歓迎したのはそういう理由もあった。
「良い知らせと悪い知らせがそれぞれいくつかある」
 挨拶もそこそこにそう告げられたチェンは、苦笑を浮かべて相変わらず気の短い同期生に先を促した。
「『エクゼター』の状態は副長から聞いたよ、マック」  ザクの攻撃で残骸のような外見になった艦橋だが、予想していたほどには内部の損害は大きくなかった。もっとも見た目ほどの損害を受けていたなら、チェンがここにいることもなかっただろう。結局最後まで機関部には被弾しなかったので、兵装類の換装程度でほとんどの損傷は片が付くようだというのが二時間ほど前にここを訪れたネフの話だった。
「他にもあるが、どっちから聞きたい?」
「良い方から頼む」
「一週間ほどしてから発表されることになるが、人事に大幅な異動が行われることになった。とりあえず俺は人事課長だと」
 確かこいつはアンカレッジで基地司令をやっていたはずだ。それが軍政の要職中の要職である人事課長か。チェンはそんなことを思いながら彼の話を聞いていた。別に彼が出世コースを外れていたわけではない。いや、艦長職にこだわり続けていまだに大佐のチェンとは違い、すでにマクベイン准将として閣下づけで呼ばれる地位にいるのだから順当に出世しているのは確かなのだが、連邦軍の組織中枢にある人事課長ともなれば望めば座れるポストというわけではない。軍官僚として半生を捧げ、幾たびもの派閥抗争を戦い抜いた勝者のみに許される地位のはずだ。自動的に階級も少将に上がる。
「田舎の基地司令から一気に中央にか。そりゃおめでとう。なるほど、それでここに来たのか」
 マクベインは曖昧な笑顔を浮かべて言った。
「正直、まさか俺もこんな商売をさせられる羽目になるとは思わなかったがな、どうやらお偉方は本格的に軍組織をいじり回すつもりらしい」
「ようやくジオンとやり合う覚悟が出来たってことか」
「それもある。が、もっとはっきりした理由もある。人手が足りなくなったのが一番大きいらしい」
「この前の?」
「ああ。ルウム戦役での負け戦が響いている。はっきり言って壊滅状態だったからな。公式発表はまだだが、八割方沈んだらしい。つまり、艦隊の指揮官から兵隊まで八割が死んだわけだ。ちょっと想像しにくい話だが」
「……そこまで酷かったのか」
 チェンは言葉を失った。軍隊では三割の被害が出た時点で組織としての戦闘力を失うものと見なされている。どれほど酷い被害が出たとしても、戦闘が原因で半数以上が戦死するということはまずあり得ない。
「ああ。そのことはとりあえず措いておくとしても、このために宇宙軍の人員が物理的に不足したことが問題になったわけだ。もともと宇宙軍にはそれほど多い人間がいたわけじゃないからな。今回の被害を補充できるだけの人材が全く足りないということだ」
 宇宙空間における治安維持という建て前を掲げて、連邦宇宙軍が設立されたのは宇宙世紀〇〇五九年のことである。
 実際の設立理由がその頃から目立ち始めたコロニーの独立運動に対する牽制にあったことは言うまでもない。その際、それまで地球軍を編成していた陸海空三軍とは異なる新たな軍種を創設するにはかなりの労力が必要であった。特に宇宙軍を構成する人材を調達してこなければ組織が創れない。とりあえず三軍を中心に大規模な人員の異動が行われ、彼らが宇宙軍の創生期を支えることになった。それからまだ二十年ほどしか経っていない。
 二十年といえば人間の一生を考えるならばかなりの時間だが、組織の年齢としてはそれほど長いものではない。宇宙軍第一期の人員が組織上層部にまだ残っている頃だ。現に宇宙軍艦隊を率いるレビル、ティアンムといった将官はその頃からのメンバーである。このことは宇宙軍の組織に年功序列の結果生じる無駄な人員、つまり冗員がまだ少ないという利点を持つ一方で、今回のような人員面に対する大打撃を埋め合わせるだけの数を欠くという欠点を持つということをも意味する。
 普通、戦闘などによる死者が生じるのは兵士や下士官が主である。士官が戦死することはあまり無いが、前線指揮官である佐官クラスまでならあり得ない話ではない。特に艦船には下級士官が多く乗り込んでいるため、大量の艦船の喪失はそのまま下級士官の不足に結びつく。それでも司令部でも無い限り、普通は一隻の艦に二人以上の大佐が乗り組むことは無い。まして将官クラスは司令部以外には乗艦しない。つまり将官クラスが戦死することはほとんどないのである。
 このことは一週間戦争やルウムなどの会戦でもかわりはしなかった。ただ、戦闘の規模が非常に大きく複数の司令部が参加していた上に、その司令部が文字どおり全滅するほどの被害を受けたことが問題になったのである。四個の艦隊司令部とも旗艦を叩かれ、捕虜となったことが判明した総司令官のレビル以下、生還した将官は結局一人もなしという被害を受けたため、将官のポストが相当数空欄になったのだ。もちろん佐官以下の将校や下士官兵については言うまでもない。だが、兵士にしても将校にしても、彼らを使いものにするためにはそれなりの時間が必要である。まだ年若い宇宙軍はその間隙を埋めるだけの人材を揃えていなかったのである。
「つまり軍官僚として中央にいる者や、当座の必要にないポストにいる士官をやりくりして艦隊乗組に仕立て上げなければならないわけだ。当然、それでも無理が出てくるので、昔のように地球軍からかなりの数をもらってこなければならないしな。昨年から始まった戦時体制への移行がまだ完了していないうちにこの有様というわけで、今の人事課には誰も近づきたがらないということだ。俺の前任者は、まあ頑張っていたらしいがとうとう過労で入院したとかで、今度はエリートでなくてもいいから心臓の強い奴なんて注文が付いて、それで俺にお鉢が回ってきたらしい」
「ま、たしかに心臓の毛並みの一番いいのはお前だがな。それでどうやって人材を揃えるつもりだ」
「要するに佐官と尉官の数を増やして、将官の数を増やさなければいいわけだ。原則としてはルウムの生き残りは全員昇進、ただし大佐以上は昇進せず、だ」
「なるほどいい知らせだな。とすると俺はまだ艦長を続けていられるわけだな」
 そう言ったチェンに、マクベインは意地の悪い笑顔を向けた。
「悪いが『原則として』だ。艦長の椅子は諦めて、かわりに艦隊司令の椅子に座ってもらう」
「昇進? 冗談じゃない。艦隊司令ならなりたがっている奴がそれこそ星の数ほどいるだろう。大体俺はCGSを受けていないぞ」
 将官として軍の中枢に居残り続けるためにはそれなりの教育を受ける必要がある。CGS(指揮参謀課程)はその名の通り指揮官や参謀としての訓練をする課程で、尉官が受けるものと佐官が受けるものとがある。それぞれ上の階級に昇進するためには必須のものだ。佐官(普通中佐まで)の時に指揮参謀課程を受けていない者は、どれほどの業績を上げていても将官として活躍することは出来ない。上手く勤め上げた者が予備役に編入される直前、つまり退官する直前に准将の地位を与えられるのがせいぜいである。よほど優秀な者はさらに少将の地位を得て軍服を脱ぐことが出来るが、いずれにせよ軍首脳としての活動は不可能である。チェンは最後まで艦長として現場に立ち続けることを望み、昇進と引き替えに『陸に上がる』つもりはなかった。
「いくら繰り上がりを増やすといっても大佐の数が極端に増えるわけじゃない。繰り上がるべき中佐の数からして不足しているからな。軍官僚としてもある程度は必要になるし、これから数年は連邦軍はかなり深刻な人材不足が続くことになる」
「じゃあ俺が大佐でいてもおかしくはないだろ」
「もっと若手の連中を艦長にしてやらなければ数が足りないんだ。具体的にいえば中佐クラス、そうだな、お前の所の副長なんかはその候補になるだろう」
「ネフか? あいつは確か去年の秋口に少佐になったばかりのはずだが」
「仮昇進で中佐になってもらう。まだ発表されていないがな。あとで教えてやれ。ジャブローかここで対空戦闘の研究チームを一つもってもらって、艦が揃い次第艦長になってもらう。マゼランは早いとしてもサラミスの艦長ならいくらでも空きがある。おそらく今年の冬頃のはずだ。来月頭までにはジャブローの造船ドックが全部埋まる。再来月までには今の三倍規模までドックを拡張するそうだ。大体百隻程度の艦を同時に竣工させる予定らしいが。他のドックで建造する分を会わせると、全部で二百隻は造るつもりらしい。」
「一年足らずで二百隻か」
 また無茶苦茶な話だな。しかし連邦の工業力の総力を傾ければ確かに不可能な話ではない。財政的にはすさまじい問題が発生するだろうが。にしても一年近くの間、地球を攻略するであろうジオン軍を迎撃しつつ大小二百隻の艦艇をドックを含めて建造する、雄大というかなんというか、とにかくジオンには逆立ちしても真似の出来ない話ではあるだろう。
「それで俺は?」
「ここに入院している間に通信教育で座学は終わらせてもらう。お前以外にも何人か似たような境遇の奴がいるからな。似たもの同士で一クラス設ける。来月になると退院できるだろうから、あとはジャブローの軍大学で若い連中と一緒に何カ月か英才教育を受けてもらう。そのあたりで准将に昇進して、それからしばらくどこかの司令部で参謀長でもやってもらうさ。宇宙に戻って艦隊を率いるのは年末以降になってからだ」
「果てしなく嫌な未来図だな」
「生き残った人間は死んだ奴の分まで仕事を押しつけられるようになってるんだ。それが嫌なら生き残る奴をもっと増やしてこい」
「死んでこいの間違いじゃないのか」
「お前に死なれたら俺を含めて他の人間に仕事が回る。せめて替わりの奴を見つけてから死んでくれ」
 チェンがそれに対して何か言い返そうとしたとき、部屋に備え付けられた電話が鳴った。
『マクベイン准将、お電話です。ブラウン3でお願いします』
「秘匿回路通話か。どうする、通話室に行くか?」
「いや、音声限定モードなら問題ない。それに大体予想は付いている。すまんな、少し時間をもらうぞ」
 マクベインはそう言って受話器を取り、数秒間何かを聞いただけで受話器を置いた。
「意外と早くに戦争が終わるかもしれんな」
 ゆっくりした声でマクベインは言った。
「どうした?」
「ジオン政府が和平会談を打診する予定を立てているらしい。もちろん、地球侵攻作戦の準備を緩めたわけでもないが」
「和平? 全面降伏文書の調印式だろ。ジオンの強硬派がそこまで弱気になるとも思えんが」
 ジオンの穏健派はとうの昔にザビ家に粛清されて、今では実権を持たない公国政府の一部のみが生きながらえている有様のはずだ。
「ああ。俺もそう思う。詳しいことは情報部に聞いてみた方がいいが、おそらくは連邦議会に対する揺さぶりを狙ったリークだろう。まあ、実際に和平会談をするのは事実だろうな。内容は降伏文書の調印式であったとしてもだ」
「有効かな?」
「間違いないね。議会だけじゃない。われわれも相当動揺するだろうな。レビル中将が捕虜となった現状では軍内部を仕切れる人間がいない。最悪、クーデターが起きるかもしれん」
 出来の悪い冗談だと言いかけてチェンは言葉を詰まらせた。政治臭い話とは極力縁を持たないようにはしてきたが、冗談と言い切れるほどにはチェンも軍の内情にうといわけではなかった。
 マクベインは時計を見て立ち上がった。
「ま、そういうことだ。しばらくは養生して昇進の辞令を楽しみにしていることだ」
「くそったれ、長生きなんてするもんじゃないな。今度来るときには降格処分の通知書でも持ってきてくれ」
「悪いが俺は忙しくなるんでな。しばらくは会えそうにもない。暇だったらお前の副長に艦長指南でもしておいてやれ」



宇宙世紀〇〇七九年一月二四日 一四時一六分 月面都市グラナダ 戦略防衛軍司令官執務室

 連邦も必死だな。
 この都市の事実上の支配者であるキシリア・ザビ少将は、たった今送られてきた報告書を読みながら思った。たった一人の人間を救うために一隻の船と少なくとも一個小隊の特殊部隊を消費する。馬鹿げた話だ。
 もちろんキシリアは連邦がそうした決断を下した理由を承知していた。今の連邦軍を完全に掌握しうるのはレビル中将だけだ。彼より階級の高い者は何人もいるが、実戦部隊、それも連邦軍でもっとも規模の大きい宇宙軍と陸軍を抑えることの出来るのは彼だけしかいない。一週間戦争からルウム戦役にいたる間に消耗しきった宇宙軍だけなら、レビルに次ぐ実戦部隊の指揮官としてティアンム中将がいるが、コロニー落下の結果混乱の極みに叩き落とされた地球軍は指揮系統すら回復していない。この先の和平会談で連邦軍の大幅な削減を要求された際に、政府が受け入れても軍高官の中に徹底抗戦を叫んでクーデターを望む連中が出る確率は非常に高い。別に彼らが地球人類の安寧と彼らに対する義務からそのような行動に出るというわけではなく、単に縮小される連邦軍の中から彼らのポストが消滅することに我慢がならないということが動機になるのだろうが。
 一昨日に彼女が軍のシンクタンクに命じてその確率を求めさせたところ、七割以上の確率で何らかの規模のクーデターが発生するだろうという結果が出た。仮にクーデターが起こらなくとも確実に連邦軍は大混乱を起こす。継戦か講和かどちらを採るのかはともかく、連邦にしてみれば軍の混乱はどうしても避けたいところだろう。  もちろん公国としては簡単にレビルを譲り渡すつもりはない。レビルを握り続けるだけで連邦軍の、そして連邦の生殺与奪を手中に出来るのだ。彼を引き渡すにせよそれなりの代価を要求するのは当然である。公国総帥であるギレン・ザビは彼を利用して連邦に屈服を迫るつもりだ。一週間前に行った演説ではそれまで生死不明とされていたレビルを「捕虜」として映像に流した。生死不明、つまり実質上の戦死となっていれば彼を英雄として士気の維持を図ることもできようが、捕虜ではそれも叶わない。むしろ連邦軍の士気はこの演説を期に地に落ちたらしい。ギレンの計画は、コロニー落としを失敗した現時点でも順調に動いていた。コロニー落としで物理的に破壊するはずであった連邦軍の戦力は、士気の面から壊滅状態に陥っていたのである。
 しかしそれも困る。キシリアはそう考えていた。彼女とギレンとの関係は、単なる兄と妹というものだけではない。公国軍ナンバーワンとナンバースリー、実戦部隊の指揮に己の立場を限定したドズルを除外すると、実質ナンバーワンとナンバーツーとの権力争いという間柄でもあるのだ。軍政一致のジオン公国では、軍の最高権力者が公国をも握る。ギレンに一人勝ちを譲り続けるのは利口であるとも思えなかった。また、戦勝によって実戦指揮官たちが無条件に昇進することは、建て前としては一介の少将である彼女にとって望ましいことではない。
 もう少し時間が欲しい。それと兄の権威に多少の傷が付くとますますいい。となるとここで和平に持ち込まれるのは困りものだな。彼女は何度も繰り返してきた思考を、繰り返してきただけたどり着いた結論に導いた。
 レビルを逃走させ、もう少し戦争に長引いてもらおうか。連邦が屈服するのは公国軍が地球を制圧してからでいい。そうだな春頃がいいだろう。筋書きとしてはギレン総帥が連邦との和平会談にレビルを同行させ、その途中で連邦に奪還されて和平会談が決裂。ギレンはレビルを逃がした責任を問われ権威を落とし、連邦は彼女に必要な時間を与えるだけの期間抵抗を続けることだろう。地球の過半を占領され、城下の盟を誓わされる頃にには彼女に必要な工作は全て終わっているだろう。また、地球降下作戦とその後の占領政策では彼女の才覚と部隊が中心になるはずだから、その功績が彼女の地位を高める助けとなっていることだろう。
 まあ、予定が全部上手く行くほど世の中バラ色に染まっているわけではないが、少なくともギレンの一人勝ちという結末だけは避けることが出来る。そんなところか。
 思考を進め終わったキシリアは部下を呼んだ。連邦には上手くレビルを奪還してもらわなくてはならない。こちらが慎重に行う情報提供を活用すれば、兄が敷くであろう警備網をかいくぐることも不可能ではないはずだ。
 もし万一連邦が失敗したならば……。キシリアは心の中で肩をすくめた。有能な人物にしばしば見られることだが、彼女もまた無能な存在の価値を認めていなかった。その程度の仕事もこなせない連中には敵としてすら存在の価値はない。まあ、せいぜい頑張ってもらうとしようか。連中にもそれなりの有能さがあるといいのだが。



宇宙世紀〇〇七九年一月二四日 一八時一〇分 ジャブロー連邦軍本部基地 連邦軍情報局 副局長執務室

 情報機関のトップというのは悪役らしい雰囲気を要求されるものらしい。ファン中佐はそんなことを考えながらクッションの堅い安物の椅子に座っていた。
 普通に考えれば情報機関とはいえ軍組織の一部局の長だ。それならエリート然とした軍官僚が幾多の政治抗争の末に「上」の方の都合によって任命されるはずだが、この極度に専門性を要求される機関では、生え抜きの専門家が副局長という肩書きのもと、実務の全てを切り回すことが多い。政治的な理由によって任命される局長には手に余る仕事が多すぎると判断されるからだ。そのために情報局の独走と呼ばれることも少なからずありそうなものだが、彼らは情報機関の人間らしく極めて慎重に事を運ぶのが常であり、彼らだけの決断で行った行動が失敗に終わる、あるいは失敗が露見することはまずあり得ない。  そうした特異な専門家集団の事実上の統率者であるのがロイド副局長、今ファンの前に座っている人間だ。彫りの深い表情と分厚いレンズを通して見える冷徹な思考を示す眼光。目を細め気味にして相手を見るのは本人にしてみれば弱視の結果であろうが、見据えられる側は実に落ち着かない気分にさせられるのが常である。幾度と無くこの席に座ってきたファンもまた視線を逸らしたい欲求と戦っていた。
「今分析が終わったところだ。今日の午前までに全滅したらしい」
 ロイドはそう言うと、手にしている書類に目を移した。
「当然でしょうね。どこの世界の特殊部隊でも交戦中の敵本拠地へのこのこやってきて、最高度の警備をかいくぐって捕虜をひっさらうなんて仕事は願い下げですよ。レンジャーの連中には気の毒ですがね」
「願い下げ、か。君が指揮立案をしても不可能かね?」
 そら来た。ファンは首筋にナイフを突きつけられた様な気分になった。この部屋に呼ばれたときからこんな事になるだろうと予想はしていたが、だからといって実際にこう尋ねられたときに気分が良くなるというわけでもない。
「条件が悪すぎます。ズムシティに潜入して、最高度の警備を敷いて手ぐすねひいて待っているまっただ中に飛び込んで、六十を過ぎた年寄りを担いで逃げてこいというのでは」
「では少しハンデをつけようか」
 ロイドは机の引き出しから一枚の紙を取り出し、机の上に置いた。ファンはそれを受け取り、目を通した。
 和平会談に参加するジオン政府首脳一行のルート表だ。とはいっても戦時下なので宇宙空間のどこを何時に通過するというほど立派なものではない。しかし……。
 今月二八日にサイド6自治政府を通して連邦政府に和平会談開催の提案が行われ、三〇日に地球に降下、三一日に南極の特設議場で和平会談実施。なんの変哲もないタイムテーブルだが、一点だけファンの注意を引く記事があった。
「サイド6を経由すると」
 開戦後、一一日に中立を宣言したサイド6は、連邦と公国の双方に対して中立を要求できるだけの実力を備えていた。月面都市群と同様、高い経済力を背景に独自の施策を採りうる立場にあったのだ。今回の和平会談を仲介するという点だけでも分かるように、双方のパイプが通る場所でもある。連邦にとっても公国にとってもよしみを通じておきたい相手である。そこでこの機会を利用して地球降下の前日、二九日にサイド6の自治政府と秘密会談を執り行う事になっているらしい。会談自体にも興味は尽きないが、とりあえず必要なのはジオンの外交団がこの日ここに集まるという一点である。つまり、地球にレビルを連れて来るつもりなら、ここに同行させる確率が非常に高いということだ。これが平時ならレビルだけ別に移送すればよいが、戦時中となると護衛の面からも集中しておいた方がいい。外交団に軍事的な攻撃を仕掛けることはあり得ないからだ。
「レビル中将は二八日から二九日の間、サイド6にいる。ジオンの本拠地を離れて、だ。どうかね?」



つづく

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