第二章 南極会議


1 戦闘の終わり/戦争の始まり



宇宙世紀〇〇七九年一月二四日 一九時一一分 ルナ2 第二宇宙港二三番ドック 巡洋艦『エクゼクター』 第二艦橋

 連邦の工業力か。ネフは端末ディスプレイに映る資材情報を見て思った。
 どれだけ工業力や資源を持っていても、必要な時に利用できなければ無いのと同じだ。
 いかにも軍人的な発想だとは自分でも思うが、この時期に『エクゼター』に対してこれ以上何もしてやれないという現実は、ネフの気分をいたく滅入らせていた。
 ルナ2は、もともとコロニー建築用に火星と木星との間にあるアステロイドベルトから運んできた幾つかの小惑星の一つで、その中でももっとも初期のものである。内部の資源をほとんど利用し尽くした後は、連邦宇宙軍がその母港として整備した。今では数十隻から最大百隻以上の大型艦艇を同時に収容・整備可能な一大軍港となっている。ここに匹敵するのは、公国軍が同じように利用済み小惑星を改造したソロモンとア・バオア・クーの二箇所だが、どちらも建造中であり、この時点ではルナ2が名実ともに最大の宇宙軍港であった。
 しかし、いかに最大の軍港で最高の港湾施設を取り揃えているとはいえ、損傷した艦艇を補修する資材そのものは別の所から持ってこなくてはならない。当たり前といえば当たり前の話だ。もちろんルナ2に備蓄されていた各種の資材は必要十分と判断されるだけの量であった。
 問題は連邦軍が受けた被害がその予測を遥かに上回る規模だったという事である。
 開戦から現在までの三週間ほどの間で、連邦軍は壊滅的な損害を受けた。ブリティッシュ作戦の阻止任務やルウム戦役を戦った宇宙軍だけでなく、二枚のミラーが落下した北米では北米方面軍が壊滅、コロニー本体が直撃したオーストラリアでは太平洋方面軍が丸ごと消滅する被害を受けたのである。
 しかし、やはり公国軍と直接に戦火を交えた宇宙軍がもっとも深刻な損害を出していた。宇宙軍は艦隊乗組以外にも、その支援にあたる各種の兵士を抱えている。彼らはルナ2のような軍港だけでなく、むしろそのほとんどが各コロニーの港湾施設に勤務していた。そしてそのコロニーが公国軍の奇襲攻撃によって破壊された際に、コロニーの住人と運命を共にしている。また、艦隊もルナ2だけでなく、各コロニーに駐留しており、これらの艦隊も開戦と共にそのほとんどが沈められている。
 こうした人材機材双方の損害は、もちろん宇宙軍そのものの戦力に計り知れない程の打撃を与えたわけだが、とりあえず今のネフと『エクゼター』にとっては修理資材と実際に修理を担当する工員の不足という点が問題となっていた。何せ生き残ったほとんどの艦も中破以上の損傷を受けていたので、こうしてドックに入渠出来ただけでもありがたいというべきなのかもしれない。
 そうだとしてもネフはチェンの代理として『エクゼター』に責任を負う立場にいる以上、放置しておく気にはなれなかった。が、軍の方が彼を求めてきたのだ。
「おや、副長、こちらにおいででしたか」
 そしてどうやら放置されなかったのは彼だけではなかったらしい。
「ナン大尉、いや少佐になるのだったな。まずは昇進おめでとう」
「副長こそ中佐でしょうが。ま、生き残りおめでとうってところですかね」
「今後とも軍をお見限り無く、という理由もあるだろうな。二千年以上も前に賞を乱発するのは劣勢の証だと言った人間がいるが」
 こういうときのネフは結構容赦がない。部下に対してはそういうこともないが、上位者の無能を許さないタイプの人間だ。普段はエリートらしく表に現すことはないが、親しい友人だけという場所では本心を隠すこともない。
「三十そこそこの若造を、仮昇進とはいえ中佐だと。少佐になって半年もたっていない内にだ。そこまで人材が払底しているのかねぇ」
「俺なんかは増えた給料分ぐらいは素直に喜びますがね。ところで副長はこの先どうなるんです。艦長の退院まで『エクゼター』の面倒を見るんですか?」
 ネフは肩をすくめて答えた。
「とりあえずは古巣に戻ることになりそうだ。一週間戦争とこの前の作戦のデータを分析して、MS開発計画と対MS戦闘法にフィードバックしてやらなければならないのだと」
 ネフは『エクゼター』に来る以前はジャブローでMS開発チームに参加していた。その事もあって、連邦軍では指折りの対MS戦闘の専門家でもある。この前の戦いでナン達が生きて戻れたのも、ネフの対空戦闘指揮が大いに与るところがあったはずである。その彼をチームに戻すのは、まずは順当な人事とも言えるだろう。もっともネフに言わせれば、「だったら最初からそのままにしておけば良かったのだ」ということになるが。
「私はともかく、君はどうなるのだ?」
 ネフがどのような計画を立てようとも、ナンがボール部隊を完璧に運用することが出来なければ画餅に終わっていたはずだ。ナンもまた優秀な指揮官であるという事が出来るだろう。少佐になるということは大隊規模の部隊の指揮を委ねられるということでもある。彼なら十二分にその責務をこなすだろうとネフは考えていた。
「俺は地球です。なんでもパレスチナの方の開発部隊でテストパイロットをやるらしいんですが……」
「ああ、テルアビブの第六開発団か。そりゃRX−75あたりを拝めそうだな」
「なんです、それ?」
「新型の連邦製MS、といいたいところだが、現時点ではでっかい対戦車自走砲というところかな。それでもザク相手ならボールでやるよりはましだろうな。そうか、それで君に白羽の矢が立ったのか」
「新型ですか」
 新型。その一言だけでも気分が浮き立つのを感じる。新しい玩具を与えられた子供のようなという表現があるが、パイロットという人種は特にその傾向の強いことで有名である。ナンもその例に漏れなかった。群がるザクを蹴散らすというほど極端な性能を持っているわけでもなさそうだが、それでも今より遥かにましのはずだ。しかし、ネフの話を聞いても気になる点が一つ残った。
「それにしても副長も地球に降りるというのでは、『エクゼター』はどうなるんですか?」
 ナンの質問にネフは鼻を鳴らした。
「資材不足だ。今ルナ2にある資材は、もっと損傷の軽い艦に優先的に回されるそうだ。『エクゼター』の面倒を見られるほど資材も人員も揃っていないらしい。とりあえず数を揃えるために損傷の軽い艦から修理して、損傷が大きくなるほど後回しにして他で機材を仕入れてから改修込みで修理するつもりなんだろう。ま、『エクゼター』なんかはちょうど適当な材料だと思うね。艦橋の各設備や兵装を今回の戦訓を取り入れて取り付け直せばいいのだから、その意味では最も簡単に性能向上を期待できるだろう。今回小破程度の損傷で済んだ艦は、結局これまで通りのレベルまでしか修理できないからな。次の戦闘ではまた困るだろうな」
「俺に言わせるなら今のマゼランやサラミスそのものに問題があると思いますがね」
 ナンの辛辣な意見に、ネフは軽くため息をついて言った。
「別に君だけがそう言っているわけではない。MS運用を前提とした艦となると現行の艦種では問題が多すぎる。確かにその通りだが、我々にはジオンの同業者のように時間を掛けてデータを取れるほど恵まれた環境にいるわけではないからな。いまだ十人いれば九人までは大艦巨砲主義者だろう。眠りこけていたら、一発程度殴られてもすぐに目を覚ますというわけには行かないものだ。それでもまあ、何とかするだろう。私も言える限りの文句は付けてやるつもりだがね」
「是非ともお願いしたいですね。俺たちが犬死にしないようにしてもらうためにも」
 ナンの言葉にネフは微笑を浮かべて答えた。
「ああ。まったくだ」
 すでに二人はあまりにも多くの仲間たちが犬死に同様の死に追いやられるのを見送ってきたのだ。だからといって馴れたわけでもないし馴れたいわけでもない。
 だが、まだしばらくはその現状に耐え続けなければならないようだということもまた、認めざるを得ない現実だった。



宇宙世紀〇〇七九年一月二四日 二〇時二八分 ジャブロー連邦軍本部基地 連邦軍統合軍司令部 人事課

 控えめにいっても今の人事課は戦場だった。
 のちに連邦軍の軍官僚機構の中で最も早く臨戦態勢に移った部局と評されただけあって、ここ数週間は二十四時間営業が続いていた。
 さすがに当初は激務をコントロールしきれずに倒れる課員が続出したが、他の部局から増員を受け三交代制を可能にしてからは、比較的問題が少なくなった。
 しかしそのような交替が可能なのは平の課員だけで、管理職ともなるとそうもいかなくなる。課長のマクベインは、就任以来五時間以上の連続した睡眠をとったことがなかった。体力には自信があったが、このままでは過労とストレスで倒れた前任者の二の舞になりかねない。
 もっとも、こんな激務を続けなければならないのはあと数日のはずだと彼は踏んでいた。枠組みを作り人材を振り分ける作業さえ行えば、あとは部下がやってくれる。最後まで根を詰めて自分で仕事をするつもりはない。勤勉で売ってきたわけではないので、その事自体は別段問題ではなかった。
 問題はそんなことではない。連邦軍、特に宇宙軍の人材が払底しきっているのである。すでに危機のレベルにまで落ち込んでいる。当初、彼は宇宙軍の軍事組織を維持できるだけの最小限の人材を残して余剰人員を全て艦隊乗組にまわし、また他の三軍から可能な限りの人材を引き抜くつもりであったが、宇宙軍の軍官僚の猛烈な抵抗と、コロニー落下のショックがいまだ癒えきらないままに公国軍の地球侵攻作戦に備えなければならない三軍からの拒否により、彼の目論見は大幅に修正を迫られることになった。
 冗談ではない。三軍はともかく、宇宙軍は自分たちの面倒すら見ることが出来ないのか、そうも思ったが、現状を一夜にして変えることも出来そうにない。気長にやるしかなさそうだった。まあ、しばらくは宇宙軍も艦艇をほとんど失って、現場に出たくても不可能だというのは確かなので、無碍に迫ることもためらわれたということもあったのだが。
 しかし、このままなし崩しに現状に安穏としたままであった場合、現在突貫作業で建造が始まっている多数の艦艇が竣工した時、艦に乗り込むべき人間が全くいないということになりかねない。
 これからしばらくの人材の損失の度合いを考慮に入れた場合、シミュレートの結果には、最悪で大尉クラスを艦長にしなければならないという可能性もあったのだ。まともな教育も経験も不足した人間を艦長に据えなければならない。それでなくともこれからの艦長にはMSの運用など色々と修得してもらわなくてはならない事項があるのに、艦長の心得から始めていたのではとても追いつかない。人事担当者としては頭を抱えたくなるような未来図であった。
 まあ、今日明日の問題はなんとかなるだろう。宇宙軍は防戦一方だし、地球軍はジオンの地球降下作戦で被る損害をいまだ予測しきれないでいるので、先を見通すことすら出来ない。統合軍本部内部でささやかれている噂では、最初の三ヶ月で地球の半分から三分の二を失う事になるらしい。その三ヶ月についてはその場しのぎで対処してもらうしかないだろう。
 マクベインが厳重な箝口令の下で部下に行わせているシミュレートでは、最初の三ヶ月が過ぎ、連邦軍が地球の三分の二を失った時点で戦線が膠着状態に陥るという条件も想定していた。正直な話、かなり恣意的な操作が入っていることは否めない。しかし、これより厳しい想定では連邦軍がその時点まで耐えきれずに崩壊すると思われたし、逆に極端に甘い想定というのはどれほど想像力を働かせても浮かんできそうになかった。許容範囲内での予測となると、この程度が限界であり、また適当でもあるだろう。
 この状況下でそれからの半年を耐え抜き、開戦九ヶ月後の連邦軍の反撃まで持ちこたえさせて、さらに反撃を可能にするだけの人材を確保するという気の遠くなるような作業に取り組まなければならないのだ。戦場で血を流している方が楽かもしれない。
 マクベインは意図的にもっともありそうな想定を無視していた。
 当然だろう。
 今月末の和平会談で連邦が屈服すると、彼らの全ての努力は文字通りに水泡と化する。もちろんそれだからといって手を抜くこともできない。それもまた事実ではあった。



宇宙世紀〇〇七九年一月二五日 一〇時二一分 ジャブロー連邦軍本部基地連邦軍情報局 第三会議室

「ボス、しかしまたどうして我々がこんな野蛮な仕事をやらなきゃならんのです?」
 ファンはあらかじめ用意しておいた答を頭の中から取り出した。
「各軍の特殊部隊ではこういう上品な仕事は不向きだということだ。俺の言葉が嘘だと思ったらレンジャーの連中に聞いてみろ」
「冗談じゃない。ひねり潰されますよ」
 別の部下が質問した。
「ま、確かにサイド6に忍び込んでレビル中将を奪い返すってのは悪くないと思いますが、我々でも中立を守ろうとしてぴりぴりしているサイド6自治政府の目をかいくぐってジオンの警護網を相手にするのは難しくありませんか?」
「自治政府の連中を煙に巻くのは最初の六時間だけでいい。事が始まってから我々のことに感づいたとしても何も出来んよ。なにせ連中は中立を維持したがってるんだからな。コロニー内でのテロ活動以上の事件にしてしまうと、どちらかに身を入れざるを得なくなる。それこそが今連中がもっとも避けたがっていることだ」
「なるほどね。それで、その条件ならうまく行くのですか?」
 ガラントか。彼は声の聞こえてきた方を見やりながら思った。彼はファンの部下の中ではもっとも冷静で頭のいい男だった。どうやらファンの計画を理解したらしい。
「まあ、三割もないだろう」
 とファンが答え、室内に軽い緊張が走ったときにも彼だけは表情を変えなかった。
 こいつにはもう少し十人並みのリアクションを見せるような努力をさせるべきだな。ファンはそう思った。超然としているというだけならいいが、可愛げが無さ過ぎると同僚に嫌われかねない。
「ジオンの護衛担当者もその程度のことは考える。たとえ我々が握っているようなリーク情報について何も知らないとしても、万一を想定して警護計画を練るのが普通だからな。こっちは二日程度で準備を全て整える必要があるし、分かっている情報も満足のいくようなシロモノではない。なんといっても退路が無いことが最大のネックになる。艦隊を組んで俺たちを護衛してもらうというわけには行かないからな」
「ではどうするのです」
 そう尋ねられたファンは事も無げに言った。
「二段構えでいく。南極に降りた所で勝負をつけるつもりだ」
「そううまくいきますかね」
 そう反問されても仕方がない。最初の攻撃を囮にして油断を誘い、次の攻撃で目的を達成する。言うだけなら簡単だが、実行する方はたまらない。手を抜くわけにはいかないので戦力は倍必要になるし、最初の攻撃を分析するのにまた手間がかかる。それに最初の攻撃が失敗したからといって、敵が油断すると決めてかかることもできない。相手もプロなのだから、油断よりも警戒を強めるのが普通だろう。普通に考えるならば、どちらかの攻撃に全ての戦力を投入する方がよほど成功率も高いだろう。
「それをまたどうして二段構えという結論になるのです?」
「時間と情報、この二点が我々には決定的に不足している。特に時間だ。今からサイド6まで出向いて、相手を待ち伏せするだけの時間がない。相手の行動予定やその他の情報が完備していればそれでもいいが、その情報も不足している。となるとサイド6での攻撃が成功すると考える方がおかしい。地球なら我々のホームグランドだからな。まあ、俺も南極に行ったことはないが、それでもサイド6まで出向くよりは準備しやすいだろう」
「だったらサイド6で前座を演じる必要もないと思いますが」
「あいにくだが我々の全戦力を南極に投入することもできない。会議当日はジオンの戦闘部隊が地球の近くでてぐすねひいて待っているはずだ。連中を刺激するほどの大規模な作戦を行うことは出来ない」
 室内で小さな罵り声が漏れた。
「分かってきたようだな。我々は当日、かなりきわどい立ち回りを要求される。おまけにジオンの警護についても何も分かっていない。となるとどこかで情報を仕入れておく必要がある。出来れば警護隊にある程度のダメージを与えておきたい」
「なんかまた軍隊みたいな発想ですな」
 誰かが言った。同意するような笑い声が飛び交う。
 ファンは室内を見回した。どうやら部下も納得したらしい。
 本来ならば命令するだけでもいいのだが、彼はこの手の仕事では全員が納得するまで説明を続けることにしている。どうしても理解できない者は、適性不足かファンとの相性が決定的に悪いかのどちらかと判断してメンバーから外す。任務中に意志不疎通などというつまらない事で命を失いたくないからだ。
 その意味では彼は自分の部下を完全に掌握していると考えている。部下に恵まれていると考えてもいいだろうと思っている。
 その部下をどれだけ失うのか、そしてその損失に見合うだけの成果を得ることが出来るのか、彼はその事がどれだけ慎重に計画を練ることが出来るかに掛かっていることをよく知っていた。
「それではメンバーを二つに分ける。班長は俺とリーヴィス少佐が務める。名前を発表するから、リーヴィスの班は第五会議室へ移ってくれ」
 一人でも多く生き残って欲しい。出来れば全員。
 しかし、どう考えてもそれは難しい注文だった。



次回予告


「まあそんなわけでようやく始まった第二章だ」
「……どんなわけです?」
「次回は思い切ってアクション抜き。退屈な政治小説に変身だ」
「なんです、それは」
「制服組なんてろくに出てこないぞ。出来の悪い政治家・あわてふためく官僚・何するのか分からない工作員etc.とはいってもヨブ・トリューニヒトは出てこないぞ」
「だれです、それ?」
「戦争物の嫌いなお年寄りからお子さんまで……」
「ちょっと待って下さいよ、中佐」
「みんなそろって、読んでくれよ!」
「大丈夫ですか、そんなこと言って、中佐?」
「ではよい子のみんなにここでお願いがある」
「はぁ」
「ディスプレイからはなるべく離れて読んでくれ」
「なに言ってるんです」
「一キロぐらいな」
「読めませんよ!」

『舞台裏の役者たち』



つづく

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